63 終わる世界
サクヤは天空の高みから、何もない大地を見つめていた。
全てのものが失われた死の大地こそ、自分が治めるにふさわしいともいえる。
だが、望んでこうなったのではない。
地上からはおよそ15000メートルの高みである。
通常の視力では大地を見ることさえ難しいが、サクヤには地上の様子をはっきりと見ることができた。
水と土以外には、何もない大地が延々と続いている。
この世界で最も高い山の頂上付近に、サクヤの住まいがある。家具も何もなく、ただ自分が最も長くいる場所を住まいと呼べるのなら、という条件がつく。
睡眠も食事も必要なく、不死の霊峰たるサクヤにとって、住まいそのものが必要ないともいえる。だが、風雪を避け、記録を残すために、ある程度の隔離した空間が必要だったのもまた事実だった。
サクヤが仲間と呼べるのは、この世界にたった6人しかいない。それは、現在この世界に残っている生物の数でもある。
中には、とても生物とは言えない者もいる。だが、自ら考え、知識を得ることができる段階で、どのような体をしていようが、生物なのだろう。サクヤが、そうであるように。
日課の空中散歩を終えることにした。自分が研究している魔法のことを思い出したら、一刻も早く続きをしたくなったのだ。
サクヤは寝ることもなく、この数千年をただ魔法の研究に当ててきた。手がかりは、かつて自分が見たある人物の使用した魔法の記憶だけだった。
ある人物は、サクヤを生み出し、鍛え、クイーンの位置を与えた。
全ての不死たるものの頂に登り、その人物が歓喜した時には、サクヤはこの方と一生添い遂げるのだと誓った。
その願いは、脆くも崩れ去った。
サクヤは飛行速度を上げ、大気を切り裂いた。空気の裂け目が衝撃を生む。そのような現状を生じさせないこともできるが、サクヤはあえてそれをしなかった。
地上から伸びる、標高15000メートルの頂が見えてくる。
サクヤの住まいがある、この世界で最も高い大地だ。
サクヤが戻る。
ただ岩をくりぬいただけの横穴だ。
ただし、風が入って中のものを飛ばされないよう、細く長い通路になっている。
風から逃れたサクヤが進むと、その時にある狭い空間に、人がいることがわかった。珍しいことに、客人のようだ。
といっても、人間ではない。この世界に残った7人のうちの1人だろう。
サクヤは慌てなかった。この10000年で、あらゆる事態に直面した。何度も期待し、裏切られた。
もはや、サクヤの心が揺れ動きはしなかった。
ゆっくりと、足を動かし通路を進む。
その先に、狭い部屋がある。
サクヤの研究室だ。
その中に、全身を目玉で包んだ華奢な、男とも女ともつかない体型をした存在がいた。
「シギリージャ、久しぶりね」
「……やはり、サクヤも研究を続けていたか。皆、考えることは一緒だな」
「ええ。そうでしょうね。私たちが求めるのは、この10000年の間、常にいっしょだった。あの方がいない。でも、会える可能性がある。ならば……求めない方がどうかしているわ」
「ああ。そうだな」
シギリシージャは手にしていたサクヤの研究ノートを、石のテーブルに置いた。この部屋に、生活に必要なものは何1つないが、それ以外のものであれば、色々と揃っている。
様々な形をした道具に、幾何学的な天体図のような模型に、平面の石版などもある。
「それで、わざわざ訪ねてきたのはなんの用? 寂しくなったわけではないでしょう?」
「寂しくない、とも言わないがな。生命に満ちていた世界だったが、俺たちのせいで全ての生命は死滅してしまった。植物すら、あるいはグァヒーラの眷属すら生きられない、不毛の世界となってしまった」
「それで、ただのお喋りに?」
サクヤが言うと、シギリージャ、かつての創造と破壊の邪神は、小さく肩をすくめる。かつての、と付けざるを得ないのは、神と崇める存在がなくなった現在のシギリージャは、もはやただの化け物だと自覚しているためである。
「まさか。ただ……可能性が……見えた」
「あなたの能力で?」
「いや……時間を超越することができるのは、あの方だけだった。俺の技能でも、そのようなわけにはいかない。だが……1つの仮説が成り立った。俺たちが過去に遡れないのは、すでにその時間に俺たちが存在しているからだ」
「……へぇ」
「わかっていないな。この世界の法則に、俺たちも縛られているのだ。同じ存在が、同じ世界に存在しえない。つまり、過去に俺たちが存在した時間に俺たち自身を転移させようとしても、世界の法則により阻害される」
「では……あの方が行なった、時間転移の魔法を再現することには……成功していたの?」
サクヤは、動かないはずの自分の心臓が、数千年ぶりに高鳴ったのを感じた。
「断言はできないが、その可能性はある。すでに、前回の実験から数百年が経過している。その間に、われわれの研究になんら進展がないのは、そもそも、本来は成功していたのではないか」
「……では……あの方に……会えるのかしら?」
「それはわからない。俺たちが時間転移の研究をはじめたのは、あの時……この世界に我々が来た時、一緒にいたはずのあの方が、どこにもいなかったからだ。俺たちは、それからずっと、あの方を探し続け、気がつけば、世界の崩壊が始まっていた。俺たちには、どうでもいことだった。あの方がいない世界が滅びようが、関係のないことだった。いくら探しても、あの方にはたどり着けない。俺たちは、何かを見落としていたのかもしれない。だから、俺たちが呼び出された、あの時に戻ろうとした。方法はある。かつて、あの方は時間を超越する魔法を俺たちの前で使用していただいた。全く同じように再現し、少し、転移する時間をずらせば、あの時に戻れる。あの方が本当にいないのか、どうしても確認しなければ、気が収まらなかった」
「わかっているわ。シギリージャ、思い出に耽るのはいいけど、私の問いに答えて。私たちが……あの時に戻ることはできないとして……それなら、あなたは何を伝えに来たの? 戻れない理由がはっきりしただけで、何の解決にもならないじゃない」
サクヤの肉体は、疲労するということがない。そのために、サクヤの部屋には椅子もベッドもない。サクヤは飲食をしない。ただ、熱っぽく語るシギリージャを冷淡に見つめた。
「そうじゃない。俺たちは、あのときには戻れない。だが……俺たちがいない時には、戻れる」
「それは、戻るとは言わないわ」
「そうだな。時間を逆行できる。実験が、成功していれば」
「だから、それに何の意味があるの?」
「わからないか? 我々が来た、およそ一万年前より、もっと古い時代であれば、行くことができる。我々自身がなぜこの世界に来たのか、なぜあの方が来なかったのか、それを調べることができる」
「……調べて……あの方が……いらっしゃるように?」
「できるかもしれない」
「その後、私たちが別の世界からやってくる。その時代に転移した私たちはどうなるの?」
「推測だが……実験の結果と同じことになるだろう。我々が先に来ている。だから、後からこの世界に来ようとしても、来ることはできない。たとえ、あの方をお呼びするのに失敗しても、我々が二重に増えるわけでも、消滅するわけでもない。単に、我々を召喚しようとした者は、失敗するだけだ」
「……なるほど。でも……どうして、そのことに気づいたのかしら?」
「実験の結果、そう感じた、としか言えないな。時間転移の魔法を何度も試して、俺たちは召喚した下僕を過去に送った。下僕の召喚には贄がいる。召喚するための贄すらなくなり、この世界が完全に滅びたところで、俺たちは実験の手段を失い、ただ研究だけしかできなくなった。過去に送ったつもりでも、本当に過去に行ったのか、確かめる手段がなかった。なにしろ、過去が変わってしまえば、それがもともとの歴史として、記録も記憶もすり替わってしまう。だが、記憶のすり替えに耐性を持つ者がいたのだ。ただの勘でしかないと言っていたが、覚えていた地形と違うと感じたことが、何度もあったらしい」
「それは……あの子ね。天然の、天才」
「ああ。アレグリアだ。常に真実に気づくのは、あいつだ」
「……でも、アレグリアがそう感じたというのであれば、事実の可能性が高いわね。いつやるの?」
「全員を集めよう。これが、最後になると思う」
「……そうね。この推測が間違っていたら、もう、私たちにできることはないわ。ただ、この滅びた世界をさびしく、永遠に眺めていることしかできない」
シギリージャは、知能ある生物が滅んだ数千年前から、体を隠すのをやめていた。細い体に、無数の眼球が浮き出ている。時折瞼を開けては、周囲をぎろぎろと睨む。1つ1つ、別の意思があるのかもしれない。サクヤと目が合うと、慌てて伏せるのだ。
「では、俺は海底火山のマグマの中に眠るアレグリアと、この世界でもっとも深い奈落に潜むペテネラを呼んでこよう」
「そう。なら、私は大地を砂漠に変えたファルーカと、山々にまたがって眠るグァヒーラを呼ぶわ。ソレアはどうするの?」
「直接行けばいい。最後の魔法を使うのに、我々が召喚された場所の近くに住むソレアの住居ほどふさわしい場所はない」
「でも……アレグリアは起きているのではないの? さっきの話、アレグリアから聞いたのでしょう?」
「いや。聞いたのはずいぶん前だ。2000年以上前になるか。最近思い出したのだ」
「……なるほど。では、ソレアの家で」
「ああ」
シギリージャが壁の中に溶けた。種族固有技能である、神出鬼没と呼ばれる技だろう。壁をすり抜け、目の前からいなくなる。だからといって、移動に役立つわけでもなく、極めて微妙な技である。
一人に戻り、サクヤは自分の両手を胸に押し当てた。
「……ニニギ様」
涙が流せない体を、この一万年の間に何度恨んだことだろうか。最後まで、どうしても諦められなかった。だから、来る日も来る日も、仲間たちが姿を隠した後でさえ、空中に浮かんでその姿を求め続けたのだ。
自分たちは、ある時突然召喚された。あの方が、同じように突然召喚されることがあるかもしれない。ほんの一万年、ずれが生じていただけかもしれない。
いつまでも待つ覚悟はできていた。この世界が消滅するまででも待ち続けるつもりだった。
微かな希望に、凍りついていたはずの、サクヤの気持ちが揺らいだ。
気持ちの揺らぎは、サクヤの全身を揺らし、サクヤは、くずおれた。
その衝撃で山が崩れたが、もはや、サクヤはこの山に戻るつもりはなかった。
海底火山のマグマの中にいるアレグリアも、世界でもっとも深い奈落にいるというペテネラも、シギリージャに任せておけば大丈夫だろう。
互いに常に仲が良かったというわけではない。だが、最後にはいつも和解した。結局離れ離れになったのは、一緒にいる必要も理由もなかったためだ。
時間を超える魔法の研究を続けたのは、シギリージャとサクヤの二人だけだったかもしれないが、他の仲間たちを責めることはできない。サクヤすら、最近はただ、求める姿を当てもなく探し続ける方が多くなっていたのだ。シギリージャも似たようなものだったのだろう。だから、最後に数千年前のドラゴン王の、ただの勘違いにすぎないかもしれない言葉を試すつもりになったのだろう。
海底も奈落も、行くだけで時間がかかるだろうが、時間は悠久そのものだ。集まるだけでさらに何年か経過したとしても、何も変わらない。
だが、サクヤは気持ちが治るとすぐに行動を開始した。
じっとしていられなかったのだ。これほど気持ちが急いたのは、探している相手がたぶんこの世界に来ていないのだと結論づけてから、はじめてのことだった。
サクヤはまず、もっとも乾燥した大地に向かった。
その場所は、ただ砂に覆われていた。
世界の大地のほとんどが、砂と岩に覆われている。残りは水だ。
この世界では、植物すら生き残っていない。水は永遠に腐らない。循環する生命もない。
それほどにダメージを受けた世界に、ただ7人のみが存在している。
ファルーカと名付けられた霧状生物は、もっとも多くの生物を殺していた。自らが霧であることを利用して、体内に侵入し、内部から破壊する。生物の体内に、探している人物がいるはずがないとは、気がつかなかったのである。
サクヤがファルーカに呼びかけると、ただたゆたって退屈していたファルーカは、すぐに応じた。
次にサクヤは、連山が天を支える大地に移動した。
独立峰として、サクヤが住んでいた場所が世界でもっとも高い場所だが、それとは別に、山の連なりを形成している高い大地がある。
その上に、巨大な体を横たえて眠る、長いからだと無数の足をもつ者がいる。
つくも虫のグァヒーラである。伝説の虫とはいえ生体のグァヒーラだが、岩を食べても栄養に変えることができたため、滅びた世界でもなんら問題なく生存していた。
一万年という年月は、虫族のグァヒーラが成長して体を巨大化させていくのには、十分すぎる時間だった。
現在のグァヒーラは山々よりも巨大な体をしていた。
サクヤが呼びかけると、巨大な頭をゆっくりと揺り動かした。
数百年ぶりである。サクヤのことすら忘れているような状態だったが、しばらくして思い出し、その体を、小さく折りたたんだ。
巨大な体のエネルギーを一点に集め、グァヒーラは無精卵を産んだ。
自らが産んだ卵から生まれ変わり、体を小さく作り変えると、サクヤよりも小さな人形に変わった。
脱ぎ捨てた、グァヒーラだったものをアイテムボックスに入れる。アイテムボックスは、16しか枠がないものの、容量には制限がない。山々にまたがる巨大なグァヒーラの抜け殻を瞬く間に収納した。
「あの姿でもよかったのよ」
サクヤが笑うと、グァヒーラは眉をよせた。あくまで擬態である。ただ、そのように見えた。
「……たぶん、これが最後なのでしょう?」
「そうなるわね。これが失敗に終わるとしたら、もう、次はないわ」
「諦めるのか? あのお方を」
砂漠からついて来たファルーカが尋ねた。
「ファルーカ、それを一番口惜しく思っているのは、私だと思うわよ。私は、グァヒーラのように寝ることができない。ファルーカでさえ眠ろうと思えば寝られるのに、私にはそれができない。その時間、ただあの方を想い続けるだけで過ごした私が……どれだけ口惜しく思っているか……想像もできないでしょうね」
「……悪かった。許せ」
「一万年の間クイーンであり続けたサクヤに、逆らうつもりはないわ」
ファルーカとグァヒーラが口々に謝罪する。サクヤは可笑しくなった。そのような心の動きも、かすかに見えた希望があるからだと、サクヤは気づく。
「クイーン……懐かしい響きね。あなたたちは、二人ともルークだったわね」
「ああ……あの方にそう位置付けられ……再びお会いできる日を……待ち続けた」
「もうすぐ……もうすぐよ……」
「でも、保証はないのでしょう」
「ええ」
グァヒーラが落ち込んだ声を出す。サクヤは苛立った。こんなにも否定的な言葉に腹が立つのは、数千年ぶりだ。サクヤ自身、駄目かもしれないとは思っていた。それでも、信じようとし続けたのだ。
「行かないのなら、私はそれでもいいわ」
「行くわよ。たとえ、僅かでも可能性があるのなら……もう……失うものなんてないわ」
「はじめから、そんなものはなかったわ。私たちにとって、あの方だけが全てなのだから」
「では、行こう。ソレアのところだろう」
ファルーカの言葉に頷き、サクヤは連山から旅立った。
ソレアの住まいは、落ち窪んだすり鉢の底のような盆地に建てられた、心地よい住まいである。
唯一魔法を使用できないソレアは、時間を超える魔法を研究すると言われても、結局何もできなかった。
ソレアにできたのは、ただ信じることだけだった。
見捨てるはずがない。必ず、迎えに来てくれる。そう信じ続け、その人物が現れたとき、気持ちよく暮らせるようにと最善を尽くした。
サクヤが訪れると、高い山を思わせる巨大な城が、滅んだ大地に上に立っていた。
中に入ると、鉄が石を穿つ単調な音が響く。
「ソレア、入るわよ」
サクヤに続き、ファルーカとグァヒーラが敷居をまたいだ。
この世界に7人しかいない、生者ともいえない強大な力が、4つ集まった。
高く硬い音が止む。長い髪をしたたくましい男の姿をした魔法生物が、鑿とハンマーを持ったまま姿を見せた。
「魔法陣を掘って作っていたの? そんなことをしても、魔力がないソレアでは執行できないでしょうに」
「私は、そこまで道理が通じない愚者ではありませんよ。私には魔法が使えないことは理解しています。私はただ……あの方がいつ来られてもいいように、住みやすい場所をつくっているだけです」
サクヤが敷居をまたいだ城は、すべて石を組み上げ、削り出した岩石の塊だ。無骨ではあるが、ソレアが延々と作り続けた城なのだ。
「生産職もなく、生産系のスキルも持たないソレアが、よくここまで、と言ってあげたいけど……あの方はこないわ」
「……私に、諦めさせるために来たのですか? 無駄ですよ。あなたがどんな確証をもってあの方のことを語るのか知りませんが、私はやめません。この世界が終わる瞬間まで、待ち続けます。そんなことを言いに来たのなら、後ろの二人を連れてお帰りください」
「相変わらずだな、ソレア」
男にしては甲高く、女にしては太い声が、心地よく流れる。声の方向を見るまでもなくわかっていた。
創造と破壊の邪神が、ドラゴン王と悪魔王を連れていた。
「シギリージャ、早かったわね」
「そうか? 思いの外奈落が深くて、手間取ったと思っていたが」
「よく言うよ。当然のように、あたしの目の前にいたくせに」
「それで、どこでやるの?」
毒づくペテネラを無視して、アレグリアがあくびまじりに尋ねた。まだ眠いのだろうか。数百年は眠り続けていたはずだが。
「やる? 何を? まさか……目処が?」
ソレアが目を見開いた。手にしていた道具が床に落ちたが、捨てたというより、無意識に手から力が抜けたようだ。
早足でサクヤに迫る。シギリージャは、サクヤの背後にいる。
ソレアの手がサクヤに届く前に、サクヤはこけたような印象のあるソレアの頬を撫でた。
「不思議ね。あの方と同じ造形をしているはずなのに、どうしてソレアにはこんなにもときめかないのかしら」
「あの方と一緒にしては可哀想だろう」
「私は、それを一万年言われ続けた。そろそろ、怒ってもいいかな?」
「構わないわよ。ここにいる全員と勝負したいのならね。そんなことより、部屋の中に。前回使用したままになっているのでしょう?」
「ええ。あれから触れてはいませんよ。私には理解できないし……あのまま誰も来ないから、もう諦めたのかと思いましたよ。あの方を召喚するなど、もはやできないのだとね」
「召喚? ああ……ソレア、あなたは前回いなかったのかしら。あの方を召喚するという話は、この世界が滅びたときに消滅したわ。滅びた世界を見ても、あの方にお喜びいただける自信がないし……だから、現在研究しているのは別のことよ。私たちに自身が、過去に戻る」
ソレアは首をひねった。理解できなかったのだ。何を理解できなかったのかまでは、サクヤにもわからない。
「過去に戻って、どうします? 同じことを繰り返すのですか?」
「違うわ。過去に戻って、あの方を探すのよ」
「意味がわからない。過去に一度も、あの方がこの世界にいらしたことはない。一瞬でも来られたなら、誰かが気づくでしょう」
「もちろん。だから、あの方が来られなかった理由を探し、来られるように、歴史を変えるのよ。できるかどうか、わからないわ。でも、もうその方法しか……考えられないのよ」
「……それなら、できると?」
「ええ」
シギリージャは、仮説としてできるかもしれないと言っただけだ。だが、サクヤの中では、失敗する可能性などなくなっていた。
必ず成功する。いや、成功させる。それ以外のことは、何も考えられなかった。
魔法陣が間違えていた場合には、どう頑張っても成功するはずがないことは、わかっていたはずなのだが。
「部屋を借りる。俺たちは、もうこれで最後にするつもりだ。もし、これでダメなら、もうあの方にお会いすることは不可能と知れ。もちろん、ソレアはここに残ってくれても構わない」
「行きますよ。私が、あの方のお側を離れることなんてありえない」
ソレアは決然と言ったが、その言葉には全員が首を振った。
「あの方の側にいるべきなのは……」
全員が口を揃え、互いの顔を見交わした。
思いは一緒だ。おかしくなったのか、アレグリアとペテネラが笑い出した。サクヤもおかしいとは思ったが、笑う気分ではなかった。
「さあ、お喋りはここまでにしましょう。ソレア、あなたが案内してくれなくても、私たちは勝手に使用するわよ」
「いや。案内しますよ。これが最後です」
そうあってほしいとは、サクヤも同じ思いだった。誰もが、同じに違いない。
ソレアが建築している無骨な城の最上階に、その部屋はある。
魔法が使えず、生産系の技能も持たないソレアが、五千年以上かけて築き上げた巨大な城だ。
最上階まで出来上がったのは、およそ二千年前だ。それ以降、ソレアはずっと家具の製作を続けていた。
生産職を持っている者は、現在はいない。サクヤをはじめとした、最高レベル400に到達した者たちは、純粋に戦闘に特化した者たちとして創造された。
生産は経験値を得るための手段であり、常に主と冒険に出る者たちには、必要がないと言われていた。
サクヤは、戦闘以外では不器用なソレアが、何度も失敗しながら作りあげた不恰好なテーブルに向かい合っていた。
サクヤだけではない。7人がすべて、1つのテーブルを囲んでいた。
腰掛けた椅子も、ソレアのお手製である。
テーブルの上に、幾重もの魔法陣を立体に配置した、複雑な模様が浮いていた。
浮かしているのは力魔法であり、その模様は、時間を超える魔法を発動させるためのものだった。
「これが、失敗作ではなかったのね?」
「ああ。実際に、これまでの実験では、送り出した魔物たちは帰ってきていない」
「でも、あたしたちは行けなかった」
「過去に送ることができた魔物は、すべて、新しく召喚したばかりの魔物だった」
「つまり、過去には存在しなかった」
「自分が存在していない過去になら、転移できる」
「そこには、あの方はいない。だが、可能性を見つけるなら、行くしかない。この転移が成功しても、また新しい試練が始まるだけかもしれない。それでも、行くのですね?」
最後に、ソレアが全員に尋ねる。
全員を代表するように、サクヤがうなずいた。
「異世界との扉については、これまで何もわかっていない。ただ、私たちが召喚された時代……もっとも可能性が高いとすれば、その前後だと思うわ」
「根拠は?」
答えたのはファルーカだった。
「異世界をつなぐ強力な魔法陣が存在するのなら、好きなタイミングで異世界から召喚できるかもしれない。だがこの一万年、世界を破壊しても、そんな魔法陣はどこにもなかった。俺たちが発見できたのは、俺たち自身を召喚した、地下深くのダンジョンにある簡易な平面の魔法陣だけだ。あんなもので異世界とつなげられるということは、この世界と我々がいた世界が、非常に曖昧になっていたのだと推測できる。そんなことが、それほど頻繁に起こるはずがない。おそらく、数万年に一度だろう」
「つまり、その頃には、もうこの世界は滅んだ後なのよ」
サクヤは真面目に言った。これ以上は待てない。待っても、サクヤたちが求める者は現れない。
だが、サクヤの正面に座る魔法生物は、静かに笑みを浮かべた。
「ソレア、何が可笑しいの?」
「この世界がまだ、滅んでいないと言うのかと、可笑しくなっただけですよ」
「……確かに。しかし、我は滅んでいるとは思わんな。何より、我らがいる」
「私たちしか、いない。あの方が知ったら、お嘆きになると思います。かなりの確率でね。世界を滅ぼしたのが、自分が作り出した者たちだと知ったら」
「そうかしら? ソレアだって、あの方のことに特別に詳しいわけではないでしょう。私たちにお力を与えてくださったあの方がそんなことぐらいで嘆くかしら? どちらかといえば、世界を滅ぼすこともできなかったのかと、失望されるほうが私は怖いのだけど」
サクヤがソレアを睨む。その脇で、美しい女が可笑しそうに身をよじっていた。
「アレグリア、どうした? 腹が痛いのか?」
「いえ。こうして言い合いができるのも、何百年ぶりかと思って……結局、私たちは集まっても、あの方の話しかすることがないのね。この世界で過ごした一万年には、なんの価値もない」
「当然だ。あの方のために働き、戦い、滅ぼすことこそ、我々の存在価値なのだ。あの方がいない状態で何をしようと、ただ虚しいだけだ」
「でも……一人も欠けずに、あの方を待ち続けた。きっと、褒めてくださるわね」
サクヤが言うと、全員の表情がとろけるように崩れた。グァヒーラなどは、とろけすぎて体の形が変わっている。擬態が解けたのだ。
「さあ、まずは、やっちまおうよ。妄想するだけじゃつまらない。この先だって、まだ長いんだ。まずは過去に」
「ああ。どのぐらい戻る?」
急かしたペテネラに、シギリージャが冷静に尋ねる。答えたのはサクヤだった。
「私たちが召喚された時より、二百年前がいいわ。そのぐらいなら一瞬だし、あの方を探すには、そのぐらいの時間がほしいもの」
「ああ……わかった」
シギリージャがテーブルの立体魔法陣に手を加える。いくつかの魔法文字が変化する。
「それが、年代を示すのかしら?」
サクヤも、時間に関する魔法については、ほとんど知識はない。ただ実践の繰り返ししかない。しかも、時間については魔法が成功しても、確認がしにくい。そのために、時間を超える魔法陣は、かつて7人の主人がやってみせた魔法を思い出し、模倣し、研究し、結果として数千年を費やした。
「俺にもわからない。だが……これでいいはずだ」
「頼りないね」
「仕方ないだろう。何度も試した。成功しているはずだ。そうだろう?」
シギリージャがアレグリアを見る。黄金の髪を持った美女は、首を傾げた。シギリージャは、聞く相手を間違えている。アレグリアは生命として最強で、天才と言っていい知能と特性の持ち主だが、同時に無邪気で飽きっぽい。かつて自分が言ったことなど、覚えてはいないだろう。
「シギリージャ、自信があるのね?」
「間違いない」
「なら、信じるわ。皆、やるわよ。魔力を、中央に」
サクヤの言葉とともに、魔力が魔法陣に注がれる。最強の存在が7人、すべての力を費やし、魔法は執行された。
7人は、過去に消えた。
およそ、一万と二百年の昔である。




