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5 勇者現る

 悪魔王ペテネラは、ホムンクルスのソレアに、先に王の間に戻るよう告げた。


「ここは私だけで十分だよ。人間たちの相手は、悪魔に任せなって」

「ニニギ様が欲しているのは、この世界の情報です。この城に閉じこもっている魔物より、外から来た人間たちのほうが、より多くの情報を持っているはずです。敵対すれば、情報を引き出すのは難しくなりますよ」

「言われなくても、わかってますって。ニニギ様によろしく。『あなたの愛しのペテネラは、頑張っています』って伝えてよ」


 装備をとりはらえばニニギと全く同じ外見をしているソレアに投げキッスのサービスをすると、ペテネラは侵入者に意識を向ける。

 背後でソレアが王の間に戻ることは、足音でわかる。

 ペテネラは、悪魔という種族固有技能に加えて、火や熱、土などの魔法を極めていたが、情報を収集するという意味では少しばかり向かない魔法体系である。


 前線での戦いを要求されるため、肉体能力にも多くのステータスをふっているため、魔法系の能力は仲間たちの中ではあまり高くないと言えるだろう。

 だが、悪魔専用の固有技能は、応用範囲がきわめて広い。

 ペテネラはまず地面に手を当てて土魔法を発動させ、土を伝わってくる感覚から、人間たちの人数と現在の位置を把握する。土はどこまでつながっているため、かなり遠くても情報を得られるが、得られる情報量は多くない。


 まだ、人間たちは城の入り口に到達したばかりだろう。

 土の感触からは、門番役の魔物と戦闘しているらしい地響きが感じ取れた。

 人間に恩を売っておくチャンスだと感じたペテネラは、魔法で空中に浮き上がった。






 通路の天井に張り付くような高度でを移動するペテネラの見ている前で、人間たちが門を守るゴーレムと戦っている。

 レベル30ぐらいのストーンゴーレムだ。以前の世界でも、全く同じ外見をしたモンスターではなかったが、似たようなモンスターはいた。

 人間たちの数は15人だ。


 ゴーレム一体に対してなかなか苦戦しているらしい。

 怪我人も出ているらしい。引っ込んで治療を受けている者もいるが、前面に出て正面を引き受けている人間は、中々戦いに慣れているように見えた。

 しかし、所詮は人間である。レベル限界が60程度しかないはずだ。レベル30のゴーレムを倒すのに時間がかかっている段階で、強さについては期待できないだろう。もっとも、ペテネラは人間に何も期待するつもりはない。


 人間と取引を楽しむほど、下位の悪魔ではないのだ。人間は、ただ弄ぶものだ。

 急ぐ理由もないのでペテネラはゆっくりと飛んでいた。途中で人間に気づかれた。黒い鎧は脱いでしまっていたが、もともとが真っ黒い肌に、黒い燕尾服を着ているので簡単には見つからないと思っていたが、人間も警戒していたのだろう。魔法による隠蔽はしていなかったとはいえ、あっさりと見つかった。ナノアーティファクトは服のさらに下に着こんでいる。


「なっ……魔王……のはずがない。俺たちに何の用だ? まだ門をくぐってもいないんだぞ」


 人間の誰かが、そう叫んでペテネラを指さした。言葉がわかることに、ペテネラは特に疑問を抱かなかった。意味が通じているのだから、それ以上考える必要も感じなかったのだ。

 通路の天井と門扉の間には、結構な空隙がある。それだけ天井が高いのだ。


「誰が魔王だよ。あんなのと一緒にしないでおくれよ」


 ペテネラは、門扉の上に腰を下ろした。ゴーレム相手に奮闘している人間たちを見下ろす。


「あ、あんたは……誰だ?」


 ゴーレムの攻撃を前面で受けていた人間が、息を切らせながら尋ねてきた。   肝も座っているようだ。背後の人間たちは、ペテネラの出現にすっかり怯えている。

 この人間たちだけかもしれないが、肌は白かった。黄色から茶色の明るい色の髪をして、瞳は青い。これが人間たちの標準かどうかはわからないが、ペテネラは少しだけ気に入らなかった。


「私はペテネラ。あんたたちこそ、なんだい? この城に土足で踏み込もうっていうんなら、それなりの覚悟を決めてもらうよ」

「何者だ!」


 怪我人の治療をしていた男が声をあげた。神官といったところだろうか。この世界に、神なるものがいるのだろうか。


「わからないかい? 悪魔だよ」

「ひっ!」


 後方にいた女が、悲鳴を発して弓を構えた。仲間たちの制止を受けたが、手元が滑ったのか、力のない矢が宙を飛んだ。腕がいいのか、あるいは偶然か、ペテネラに向かって飛んできた。

 ペテネラの目の前で、放たれた矢が静止する。人間たちのどよめきが広がった。


 ペテネラは、空間を渡った。悪魔としての種族固有技能である。目の前の生物の死角に瞬間移動できる。死角限定であり、仲間のグァヒーラのように全方位に目がある相手には通用しない。また、ニニギのように感知系魔法を得意とする相手にはほぼ意味を持たないので、実戦ではそれほど使い勝手のよくない技能だが、人間程度には十分使えるようだ。それは、人間たちの慌てようでわかる。かつての世界では、移動するマスまではほぼ推測されるため、最初の一撃をかわす以外の使い道はなかったが、精神の動揺がある世界では、別の意味を持つようだ。


「助けてやろう」

「なにっ!」


 ペテネラの言葉がよほど意外だったのか、人間たちの顔はむしろ引きつっていた。

 人間の仲間がうっかり弓を引いた後だけに、信じられなかったのかもしれない。

 いちいち相手にはしていられない。ペテネラは続けた。


「あたしは魔王とは関係がない。あんたたち次第で助けてやろう」

「どういう意味だ?」

「聞くな! 悪魔に耳を貸すな!」


 叫んだ人間には一切関心を見せず、さらにペテネラは続けた。


「あんたたちを魔王の元に導く下僕をくれてやる。ただし、それには生贄がいる。この中で、誰でもいい。命を差し出しな」

「ふ、ふざけるな! 下僕を召喚するために、仲間を殺せというのか!」


「あたしはふざけていないし、そう言っているのさ。あの程度のゴーレムに苦戦している奴らが、魔王のもとまでたどり着けるはずがないだろう。あたしはこれでも優しいからね。あんたたちの仲間のうち、だけでもいい。あたしの目の前で殺せ。その死体を贄として、下僕を呼んでやる。少なくとも、そっちで戦っている兄ちゃんよりは強いやつだ」


「ロベルトは勇者だ。ロベルトより強い魔物なんか、いるはずがない」

「へえ……勇者。そんなのがいるんだねぇ。その名前がロベルトか」


 勇者の名前を口にした男は、たくましい体を地面に横たえていた。治療を受けているのだ。傷を抑えるでも縫合するとのでもなく、神官風の服を着たものが、手を当てている。その手が光っていた。魔法を使用しているのだ。


「名前を知られると、悪魔に利用とれるとか、そんな迷信でもあるのかい?」

「悪魔の言うことには、耳を貸してはいけません」


 神官の姿をした女が、殺気立ってペテネラを睨みつけた。

 同じような格好をした人間は2人いた。回復を神官の役目としているということは、神に仕え、奇跡の力を信じているのだろう。それが悪魔に対して敵意を向けているということは、悪魔はただのもモンスターではなく、宗教的な意味での悪である可能性が高い。

 ペテネラは、自らが完全に悪である立場を、面白いと感じた。


「もちろん、断るのは自由だ。だけどねえ、あたしはあるお方に言われて、このあたりの情報を持っている奴を探しているんだよ。人間なら、魔物より色々知っていそうだと思ったんだ。その人は言ったよ。攻撃をされるまでは手を出すなって。あたし、手を出されたんだよねぇ。あたしの頭に、ビューって矢が飛んで来て、あたしがただの外見通りの可愛い女の子だったら、いまごろは頭からピューピュー血をふきだしてい死んでいたんだよねぇ。あたしなら、あんたらを全員殺すのに、2秒はかからない。試してみるかい?」


 ペテネラが言い終わるとほぼ同時に、最後まで戦っていた勇者のロベルトが吹き飛ばされて転がった。石でできた疲れをしらない自動人形であるゴーレムが、とどめをさそうと足を振り上げる。

 ペテネラは、振り向いて土魔法を発動させた。


「いま、いいところなんだ。大人しくしてな」


 土魔法を極めているペテネラにとって、ゴーレムはただの人形にすぎない。ポーン兵として使用されるゴーレムには、きちんと土魔魔法対策をしてあるが、この門番はそうでもなかったようだ。足を振り上げた姿勢のまま、硬直したように動かなくなった。


「さあ、静かになったね。で、どうする?」

「……俺より強い者を召喚できるというのか?」


 地面に転がっていた勇者が、振り上げられたゴーレムの足の下から救い出されると同時に発言した。その言葉の意味を悟った数人が叫ぶ。


「待てっ! ここでロベルトが死んだら、魔王を誰が倒すんだ!」

「信用するな! 悪魔だぞ!」


 その言葉を、勇者は黙って手で制した。


「この女が呼び出す下僕とやらが、それほどまでに強いなら、私の代わりに魔王を倒してくれるかもしれない。我々に従うと言っているのだしな。私の命をとってくれ。もともと、魔王とは刺し違えてでも倒す覚悟でいた。私1人の犠牲ですむのなら、安いものだ」


 勇者は静止したままのゴーレムに目を向けてから、地面の上に膝をついた。自分が苦戦し、敗れかかったゴーレムを簡単に動けなくしたペテネラの力を買ったのだ。だが、ペテネラは面白くなかった。誰が生贄になるか、それを決めるために人間たちが醜く争うのが楽しいのだ。潔く命を差し出すことほどつまらないことはない。


「あんたは駄目だ。勇者ってことは、この世界をあちこち旅しているんだろう」

「あ、ああ」


「なら、ここで死なれるわけにはいかない。逆に、あんただけでも連れていければ他は全滅しても構わない。あたしとしては、あたしに弓を射た女が、責任をとって死ぬべきだと思うけどねぇ。ああ、もちろん生きたままじゃ贄にならないから、きちんと殺しておくれよ。きっちり、あんたたちの手で、仲間を殺すんだ。そうじゃないと、せっかくの儀式だ。失敗したくはないからねぇ」


 言いたいことを言うと、ペテネラはふわりと浮き上がった。固まったままのゴーレムの頭の上から、人間達を見下ろした。

 人間達の醜い争いが始まり、ペテネラは腹を抱えて楽しんだ。


 ※


 人間達のことはペテネラ任せ、もう1人のナイトであるホムンルクスのソレアは、来た道を引き返していた。魔物は多く見つけたし、言葉を理解する者もいたが、人間が見つかったのだから、情報源として連れて行く必要も感じなかった。城のことについても、魔王を捉えてあるのだから、それで十分だろうと感じたのだ。


 巨人族を殺した場所に戻り、宝物庫から金貨を数枚頂いた。これは、金銭欲からではなく、この世界の通貨を主であるニニギに示すためである。

 来た道を戻っていると、ビショップの二人とかち合った。手に石の彫像のような物を持っている。軽そうに持っているのは美女の外見をしたドラゴン王のアレグリアだが、その身長より大きな像である。黒い鎧の、手の部分が弾け飛んだようになくなっているのは、戦闘があったのかもしれない。


 大した戦闘ではないだろうと推測した。

 この2人が本気で戦っていたら、この城そのものが消滅していたと断言できる。


「その持っているのは……ガーゴイルですか。あまり動かない魔物ですから、それほど情報を持っているとは思えませんが」

「そう? 私たちが役に立たないものを持ってくるはずがないでしょ。それより、ソレアは……いい匂いがするわね」


 アレグリアが、鼻をひくつかせて顔を近づけた。ソレアはその態度に戸惑うも、理由に思い至る。


「財宝を見つけましたよ。たいしたものはありませんでしたが、こういうものなら、それなりにありました」


 ソレアが懐から金貨を取り出すと、アレグリアの金色の瞳がきらりと光った。


「もらってあげてもいいわよ」

「わ、私個人のものではありませんよ。まずは、ニニギ様にお伺いしなくては」

「そ、そうね。なら……交換しない?」

「やめろ」


 怒気をまじえて声を発したのは、邪神族のビショップ、シギリージャだ。最高レベルの邪神である。怒気を放っただけで、通路の壁に亀裂が走った。


「我々の仕事を貶めるつもりか」


 ソレアすら後退したくなるような胡乱な視線を、ドラゴン王は平然と受け止めた。


「同じ、ニニギ様に仕える仲間じゃない。私のものはニニギ様のもの。私の身も心もニニギ様のものだもの。この世界の全ての財宝を私のものにしても、決して不敬にあたるということはないわ」

「それは詭弁だ。ニニギ様に責任をなすりつけようとしているとしか聞こえんな」


「ばれた? でも、本心よ。あなたこそ、このニニギ様の城になるかもしれない場所に、被害を与えてはいけないんじゃない?」

「……被害?」

「これですね」


 ソレアが壁に走った亀裂を指で示す。


「あっ……しまった……」


 最悪の邪神が、目に見えておろおろとし始めた。


「な、なんとか……」

「やめたほうがいいんじゃない? シギリージャの能力では、余計壊すだけか、別の材質の変わってしまうわ。黙っていれば、わからないし」

「……お前、絶対に言うだろう」


 シギリージャがじとっとした目でアレグリアを睨む。そんな視線を向けられれば、たいていの生物は種族ごと死滅するかもしないと思われる視線だ。


「言わないわよ」

「本当かな?」

「正確には、言わないであげても、いいわよ」

「……足元をみるつもりか」

「一つ貸し。ソレアも、覚えておいてね」


 アレグリアは、人間に類する美醜感覚を持つ種族なら、すべてを魅了しそうな笑みを見せて、歩き始めた。

 ソレアの持つ金貨は諦めたのか、あるいは忘れたのか。執着する性格ではないのはありがたい。

 ドラゴンに狙われて、生き伸びられる者などいないのだから。






 ソレアを先頭に王の間に戻ると、積み上げられた氷漬けの魔物と居並ぶゴーレムたちの先で、恐ろしい姿の魔王が起き上がっていた。

 上半身を起こし、茫然とあたりを見回している。

 背後にはルークの2人、ファルーカとグァヒーラが観察するように立っているのは、ニニギの命令に違いない。


 氷漬けの魔物が壁際に並んでいるためか、王の間はヒンヤリと冷えていた。

 ソレアが真っ直ぐに進み、玉座の前に出たのは、ルークの2人にニニギの居場所を尋ねるためだった。

 2人が近づくソレアを黙って見つめる一方、それまでふわふわしていた魔王が、力強く立ち上がった。


「勇者よ、よく来た。だが、簡単には倒されんぞ」


 十分に重々しく、威厳に満ちた声ではあったが、いかにせよ状況が悪かった。


「勇者って、誰のこと?」

「まあ、ソレアだろうな。こいつは人間っぽく見えなくもない」

「へぇ、見る目ないこと」


 ソレアの背後で、ビショップの2人が勝手なことを言っている。


「それはちょうどよかった」


 背後の声は無視して、ソレアは魔王に向かって言った。


「よかったとは、どういう意味だ?」

「あなたは貴重な情報源ですからね。簡単に死なれると困ります」

「情報源? 何を知りたいのか知らないが、ならば力づく聞き出すのだな」


 魔王が高く手を掲げた。禍々しい杖を持っている。杖の先端には輝く金属の刃が取り付けられており、武器としても使えそうだ。


「言いましたね」


 ソレアは武器を引き抜く。ソレアの武器は腰の直刀と背負った大剣と各部に仕込んだダガーである。基本的に扱えない武器はないが、相手に合わせて武器を変えるにしても、三種類もあれば十分だ。さらに言えば、殴ったほうが殺傷力が高い場合もある。


「殺すなよ」

「ねぇ、ファルーカ、止めなくていいの?」


 尋ねたのはアレグリアだった。ソレアが、大丈夫だという意味を込めて、背後に手を振った。

 ソレアとて、真剣に戦うつもりはない。力加減を間違えれば、目の前の魔王ごときは、一撃で死んでしまうことはわかっているのだ。だが、ファルーカは別の反応を示した。


「心配ありませんよ。危なくなったら止めます。グァヒーラの眷属を仕込んでいますからね」


 霧状生物が、隣の虫類の美女をしめす。たぶん、眠っている間に虫を体内に入れられたのだろうと、ソレアは気の毒になった。

 ある意味では、最も凶悪な能力をもっているのがルークの2人だ。以前の世界では出番こそ少なかったが、敵対するものを内部から破壊できる能力を備えているのがこの2人だ。最高レベルが400というキャラは他にもニニギは保有しているが、実際に400まで育てたのは七人のみである。この2人をあえてルークに据えたのは、正攻法では倒せない相手に出くわした時の保険だと、今では理解できる。もっとも、その保険を使うときはいまだに来てはいないのだが。


「ニニギ様はどうしたの?」


 ソレアがもっとも知りたいことを、アレグリアが聞いてくれた。ソレアが尋ねなかったのは、突然目の前の魔王に喧嘩を売られたためだ。


「上階でお休みです。皆様がそろったら、呼びに来るように仰せつかっています」

「なら、呼びにいったらどうだ?」


 邪神が問う。7人の駒の中でも、単純な破壊力ならドラゴン王と並んで最強の男も、やはりニニギに会いたいのだ。


「まだ、ペテネラ様がお戻りになりません」

「そっか……条件を厳密に満たさなければ、お叱りをうるかもしないわね。とれで、サクヤは?」

「ニニギ様とご一緒です」


 ファルーカが答えた瞬間、問いかけたアレグリアの顔色が変わった。


「呼びに行きなさい。早く!」

「あなたに命令を受ける理由はない」


 霧状生物が、アレグリアに対して睨みつける。チェスの駒の7人は、クイーンを別格にして、立場に上下はない。クイーンすら、本質的には同格なのだ。思わず声をあらげてしまったアレグリアは、ファルーカの怒気に気色ばんだ。

 助け船を出したのはグァヒーラだった。


「私が参るわ。クイーンだからって、ニニギ様を独り占めは許せないもの」


 もっとも人外の外見をした者が、もっとも艶っぽい話し方をする。ニニギはそこがよかったのだろうか。いや、この世界に来るまで、ニニギは誰の声も聞いたことはなかったはずだ。

 だが、階段に向かおうとしたグァヒーラをファルーカが止める。


「我には、汝の虫は操れん。我が行く。ここは頼む」

「そう。わかったわ。でも、ニニギ様に叱られないようにね。それと、サクヤがもし服を着ていなかったら、ベランダから突き落としてね。どうせ、死にやしないから」

「善処しよう」


 善処するつもりか。とはさすがに言わず、ソレアは目の前の魔王に相対した。


     ※


 悪魔王ペテネラが見下ろす先で、1人の女がひれ伏していた。長い口論の結果、贄に選ばれた女だった。

 首を伸ばし、男たちに押さえつけられ、震えながらペテネラを見上げた。


「ほ、本当に……これで……助けを呼んでくれるのですよね?」

「もちろんだよ。上位者の言葉は聞くものだ」


 ペテネラは上機嫌だった。人間の醜い争いは、実に愉快だ。


「じゃ、じゃあ……早く……」


 そばにいた1人が、斧を振り上げた。


「や、やっぱり……いや……助けて!」


 振り上げられた斧が止まる。空中で震えた。

 斧はしばらく逡巡するように止まった後、地面に落とされた。誰も傷つけず、金属の輝きがただ土煙に汚れた。


「こんなこと、間違っている」


 斧を地面に落した男が、絞り出すように声を出す。

ペテネラは喜んだ。さらに面白いなにかが始まるのではないかと期待したのだ。結論を急がせるほど、ペテネラは短慮な小悪魔ではない。人間が悩み、苦しむ時間が長いほど、楽しいのだ。


「では……どうする? このままでは、城の中に入ることも出来ない。一旦、諦めて戻るか?」

「戻って、王になんと報告する? なにも成果も出せず、逃げ帰りましたというのか?」


 ペテネラは面白くなかった。逃げ帰る相談を始めたのだ。これは面白くない。逃げられては、せっかく見つけたおもちゃがいなくなるし、何よりニニギへのお土産がなくなってしまう。

 ペテネラは腰掛けていたゴーレムを蹴って人間たちの前に降りた。


「正直に言うとね。さっきのあたしの言葉には嘘がある」

「なっ! いまさら!」


 いきり立ったのは勇者だが、ペテネラはその顔を踏みつけた。地面に座って、体を癒していたのだ。その顔に、靴の裏でスタンプを押した。


「あたしがお前らを全滅させるのに、2秒なんてかからない。怯えさせないように嘘をついたんだ。本当は、一瞬で終わる」

「……それが本当だとして……いま、なぜ言った?」


 尋ねた勇者ロベルトは、青い顔をして立ち上がった。この間、ずっと治療を受けていた。


「さすがに冷静だねぇ。教えてやるためさ。このあたしが気に入らなければ、いつでも殺せるってことをね……」


 視界の端で、ペテネラは輝くものを捉えた。黄金好きな悪魔の習慣で、つい視線を送った。

 山の上、頂上近くの山腹で、なにかが光った。その輝きがなにか、見間違えるはずがなかった。

 ニニギが纏うナノアーティファクトの輝きだ。

 ニニギはきっと、王の間から外に出たのだ。


 ペテネラは、人間たちのことなど忘れ、ニニギに会いたくなった。距離があったが、ペテネラの視力は人間の比ではない。山腹に、まるで石工があしらえたようなベランダが突き出ているのを見て取った。その上に、ニニギがいる。ペテネラがいる場所より、はるか先を眺めているようだ。ペテネラがいる位置からは見えない何かを眺めているのだろう。


 ペテネラは、ニニギがなにを見ているのか知りたくなった。何故か。ニニギだからだ。

 すぐにでもそばに行きたくなった。こんな人間など放っておいてもいいのではないだろうか。そう思った。だが、次の瞬間、ペテネラの顔が引きつった。


 ニニギの隣に、白蠟のような白い肌をした、血色の悪い絶世の美女がいたからだ。

 サクヤ、クイーンにしてあらゆる死を統べる者である。ペテネラを差し置いて、他の誰でもない、ニニギとサクヤが親しげにベランダにいる。

 きっと、盛り上がった2人は……と考え、体が熱くなった。


「ど、どうした?」


 誰の声かわからない。視線を向けると、存在すら忘れていた人間がいた。名前を知っていたような気がするが、もはやどうでもよかった。


「少しばかり、用が出来た。誰も贄にならないのなら、助けを召喚するのは無しだよ。勝手にしな」


 もはや、本当にどうでもいい。だが、この人間たちでは途中で全滅する可能性が高い。いますぐにニニギの元に行きたかったが、サクヤがいる。残念だがサクヤはクイーンであり、クイーンをサクヤに決めたのがニニギである以上、ただそばにいっても駄目だ。手柄を立てる必要がある。


 ペテネラは、舌打ちをした。せっかく楽しいおもちゃだったが、すぐに助けを出してやる必要がある。これ以上、時間をかけていたぶることができない。それは、悪魔であるペテネラには、実に歯がゆいことなのだ。


「……と思ったけど、やっぱりあんたらが全滅するのは寝覚めが悪い。あたしは優しいからね。ちょっとした召使いぐらいなら、呼んでやろう。代償を支払いな。あんたらの体の一部でいい。目玉とか、指とか、それぐらいなら、死なないだろ」

「血だ」


 勇者ロベルトが、自らの剣で腕を傷つけた。


「物分かりがいいね。あんた、あたしが嫌いなタイプだ」


 勇者は笑ったが、ペテネラは本気である。人間は醜く争ってこそ、楽しいのだ。この勇者みたいなタイプが一人いるだけで、場が急速に盛り下がることもある。

 愚痴はこぼしたものの、ペテネラは魔法を発動させた。

 使用したのは火の魔法である。あらゆる魔法系統で、最上位の魔法は広範囲に影響を及ぼすことでも、破壊力をあげることでもない。精密な操作こそ、あらゆる系統でもっとも求められることだ。それは、種族ごとの固有魔法に必要な魔法陣を、火や光を用いて瞬時に描くことで、極めて高度な魔法を使用できるからだ。


 ペテネラが呼び出した火は、勇者の血を中心に同心円と魔法文字が組み合わされた奇怪な文様を描く。

 いかにも、悪魔の技である。ニニギ本人が魔法の専門職でなかったら、戦闘のみに特化したキャラクターにこんなスキル構成はさせなかっただろう。魔法を操作しながら、ペテネラはニニギへの憧憬でいっぱいになる。


 魔法陣は一瞬で完成し、勇者の生き血を媒介に、悪魔が召喚された。

 実際には贄がなくても召喚はできる。なにしろ、悪魔王の中でも最高レベルになっているのだ。だが、贄がなく召喚した悪魔は、時間の経過とともに消滅してしまう。魔界に帰るのかどうかは、ペテネラには解らないが、消えてしまうことは知っていた。スクエア戦闘中に呼び出した召喚魔物はポーン兵として扱われる。ポーン兵すら300レベル越えのニニギが、戦闘中の召喚魔物に頼ったことはなかったが、技能の知識としてペテネラは知っていた。


 呼び出された悪魔は、しわしわの老人に黒い翼を生やしたような姿だった。

 身長は人間の腰ほどまでしかなく、悪魔というより妖精のコスプレをした老人のように見える。


「ちょっと、勇者さんの血が足りなかったかもね。まあ、こんなのでもあんたたちよりは強い。なんとかなるだろう」

「本当か?」


 ペテネラの見立てでは、門番であるゴーレムのレベルは30だ。呼び出した魔物のレベルは40ある。というのも、ペテネラが呼び出させるもっとも弱い悪魔とのレベルが、本人の十分の一レベルだからだ。代償が足りないなら、途中で消えてしまうこともあるが、一応は勇者の血を使ったのだ。少しぐらいは持つだろう。

 強さを疑われた悪魔は、発言した人間に牙を剥いた。


「やめろ」


 ペテネラの一声で、牙を剥いていた老人風の悪魔が気をつけの姿勢をとる。


「これから、この山の中を通って人間たちを頂上まで連れて行きな。人間たちに従い、守るんだ。途中で邪魔したやつは殺していい。言っておくけどね……あたしに恥をかかせるな」


 白く濁った目をした悪魔が、元気よく返事をして敬礼を返す。


「じゃあね。途中で死んでもいいけど、全滅はしなさんなよ」


 ペテネラはいうと、色々と言いたげな人間たちに背を向けた。

 人間たちの相手などしている暇はないのだ。

 飛び上がり、宙を舞う。

 一刻も早く、ニニギの元に行きたかった。


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