34 勇者ロベルトの修羅場
一街区を壊滅させたゾンビの脅威を抑え込み、アムノリアの街は安堵に包まれた。
まだ問題は残っていた。
突然出現したドラゴンや、貧民街で大量虐殺した何者かの行方は、未だにつかめなかった。
だが、貧民街周辺から出現し、大量の人間を殺した白い木人は討伐され、ゾンビも駆逐された。
不安は残ろうが、当面の脅威は去ったと判断してもいいだろう。そう考えなければ、とても生きていられないのだ。
生き残った冒険者たちが始めた宴は、何軒かの酒場をまたいで盛り上がり、その中心には、大量のゾンビに立ち向かい続けた新人冒険者ソレアがいた。
冒険者たちは、ソレアと縁をつくろうといつまでも盛り上がり、酒を酌み交わし続けた。
深夜に入り、ペテネラはそっと抜けだした。
人間たちの明るい顔ほど、悪魔王であるペテネラにとって不快なものはない。
ニニギに、ソレアと同行することを命じられたのでなければ、とっくに人間の不幸を探しに飛び回っているはずだ。
希望を見つけた人間は、ペテネラにとってはつまらない。そのつまらない状況を作り出した最大の原因が、相方のソレアだというのも気に入らない。
ペテネラが酒場からそっとぬけだした時、小さな足音がついてくるのがわかった。
ペテネラが足を止め、気配を隠す。いや、姿そのものを消す。
追ってきた足音は、冒険者で神官を務める女性のものだった。
「あたしに用かい? ネモちゃんっていったっけ?」
突然背後から声をかけられ、神官のネモが飛び上がるように振り向いた。
酒が入っているためか、顔が赤い。アルコール臭い息は、ペテネラも好きだった。通常の人間の感性に合わないものを、ペテネラは好む。
「あっ、あの……ちょっとだけ、いいですか?」
「あたしが悪魔だってことは、知っているだろう。そうと知って、神官様が何の用だい?」
ネモは、勇者ロベルトに従って魔王討伐に訪れている。その時に、ペテネラは顔を合わせていた。
「あの……用は二つです。あなたが悪魔なのに……あのソレアさんっていう人、信じて大丈夫なのかなってことと……昼間、あなたが言った……人の心を操る方法……」
声がだんだん小さくなった。先の質問であれば、ペテネラに聞くのは間違っている。後の質問については、神官として間違っている。そのことに気づいたのだろう。
ペテネラは、ネモの顔を覗き込んだ。言ったことを後悔している。だが、本心では聞きたがっている。
「ちょうど、退屈していたところさ。少し、話さないか?」
「……はい」
「大丈夫。あたしは悪魔でも、いい悪魔さ。とって食ったりはしないよ。あんたも知っているだろう。勇者ロベルトが魔王のところにたどり着けるよう、下僕を呼び出してやった」
「はいっ。そうですね」
ペテネラは、ネモの肩を抱いて、人通りが少なくなってきた町並みを歩き出す。もともと、暗くなれば人はあまり出歩かない。今日のようにいつまでも宴が続くのは稀なのだ。
大きな脅威が去ったり、新しい英雄が生まれたりした、特別な時だ。いまは、その時なのだ。
「最初の質問に答えてやろう。ソレアは信用しちゃいけない。あれの好物は人間の肉さ。ああして、人間に取り入って、油断させて、貪り食う。あいつのために滅んだ村がどれだけあるか。いよいよ、大きな町に目をつけたってわけさ。あたしは、なんとか奴を止めようと思っているんだけどね。なにしろ、あいつは強い」
ペテネラは、心にもない嘘をついた。ネモの顔色が変わる。
「ど、どうしよう。皆んな、殺されちゃう」
「慌てなくてもいいさ。そんなにすぐには食い荒らさない。まあ、警戒はしておくんだ。あいつを監視して、周りの人間が消えだしたら、迷わずに逃げな」
「……恐ろしい」
「そうさ。恐ろしい奴なんだ。決して信じちゃいけないよ」
ネモは手をぎゅっと握った。そのうち、ペテネラが話したことを仲間たちにも話すだろう。ソレアの強さに惚れ、依存しきったところで、人間を食らう化け物だと知った時の顔を想像するだけで、ペテネラはしばらく楽しめる。もちろん、全て嘘である。
「それから、もう一つの話だけど……こっちはタダでは教えられない。悪用されたら、あたしの立場が悪くなるのさ。なにしろ、人間ってのは悪魔なんかどうでもよくなるぐらい、えげつないんだ」
「……そうかもしれません」
神官の身で、悪魔に近づいたネモである。人間の醜さ、汚さは、冒険者として嫌ほど見せられているのだろう。
「まっ、目的次第さ。人間を集団自殺させたいってんなら、ちっとお高いよ。でも、好きな男を飼い慣らしたいって相談なら、もう少し安い」
「……少しですか? ずいぶん、違うみたいですけど」
「あたしにとっては少しだね。人間の生き死にも、男と女の惚れた腫れたも、たいして違わないよ」
今度は、ペテネラの本音である。だが逆に、ネモは冗談だと思ったようだ。ペテネラは思う。だから、人間は面白い。
しばらく2人で歩いた。もう、ネモは宴会の席には戻らないつもりなのだろう。そう思い、ペテネラはこの後、ネモをどう扱うかを想像して楽しんでいた。不意に、ネモが口を開く。
「私、一度だけ、男に抱かれたことがあるんです」
「ふぅん」
ペテネラは、自慢話かと思って聞き流そうとした。ペテラネが知らない世界の話である。ペテネラがいくら望んでも、その男がペテネラを押し倒す場面は想像できなかった。それ以の男に、興味はない。
「神聖魔法の素質は遺伝するから、神官も結婚して、できるだけたくさん子供を産むように、神殿から言われるんです。だから……いい男がいたら、逃さないようにって、友達の神官ともよく話していたんです。でも……私……最初の1人に、私では手が届かない相手を選んでしまったんです」
ペテネラは困惑した。ペテネラは人間を不幸にするのが好きだが、初めから不幸な人間をどう扱っていいのか、よくわらかなかった。ペテネラが放っておいても、ネモは勝手に不幸になるのに違いない。
「人間にそんなにお偉い奴がいるとは思えない。人間以外かい?」
「……ある意味では」
「ひょっとして、体が金色に光っていなかったかい?」
肯定されたら、全てを聞かなかったことにして、ネモの存在自体を抹消しようと思いながら、ペテネラは尋ねた。
多分違う。違うと言ってほしい。ペテネラは、声が震えるのを止められなかった。
「いえ。ただ……半分は、魔王……ロベルトなんです」
「ふぅん」
気のなさそうな返事をしたが、ペテネラは真剣に胸をなでおろしていた。
「言いたいだろうから聞いてやるよ。どうだった? その、初めての感じは?」
本当は、とても聞きたかったのだ。
「その……ロベルトも初めてだったみたいで……2人とも、すごい緊張して……でも、幸せでした。あっ……私ったら、何を言っているんだろう。悪魔さんにこんな話、ごめんなさい」
「あたしが聞いたんだ。もちろん謝ることはないさ」
ペテネラは、歩調をネモに合わせた。今までは、ネモがペテネラに合わせていたのだ。その微妙な違いが、2人の心理を表している。
「初めてだったなら、痛かっただろう?」
「少し。でも……ロベルトは優しくしてくれたから……」
「血は出たかい?」
「その時は気づきませんでしたけど、朝、シーツが汚れていました……あの……それ、重要なことですか?」
「いや、まあ、儀式に色々な条件があるのさ」
ペテネラはわざとらしく咳払いをして続けた。
「……で、あんたの望みは、ロベルトを自分のものにしたいと」
「ロベルトには、婚約者がいるんです。でも……それだけで諦めるなんて……でも、私もわかっていたんです。しちゃいけないことだって、わかっていて……あの時、一度だけしてくれたらつきまとわないなんて、格好つけなければよかった」
「一度口にしたことは覆せない。それが、神様の流儀だ」
「……聞いたことありませんけど、そうなんですか?」
ネモが首をかしげる。この世界の神は違うのだろうか。ペテネラも疑問に思ったが、口は止まらなかった。
「ああ、そうさ。聖書には書いていなくとも、神様がやったことを見れば、そうだと断言できるだろう。でも……あたしは違う。だって、悪魔だからね」
「それは……神様を裏切る行為でしょうか?」
「もし、本当に神がいたのならそうだろう。でもね、あたしは神も、神の使徒も知らない」
キューブ大戦というかつての世界においては、神という種族はなかった。全ての神話や伝説の生き物は、固有の体をもったモンスターであり、もし神がいれば、それもモンスターの一種として認識されるはずだ。だが、キューブ大戦に神はいない。天女や天兵はいても、天使はいない。いや、正確には、いないわけではない。それは、ゲームマスターの種族だと、いつかニニギが教えてくれたことがあった。だが、ペテネラはゲームマスターを知らず、会ったこともない。
「もう一度聞くよ。ロベルトをどうしたい? ロベルトと、どうなりたい?」
「……私の……ものに……できますか?」
「ああ。ただし、タダとはいかないよ」
ペテネラは、ネモと契約を結んだ。悪魔の契約である。
ネモに案内させ、ペテネラは早速勇者ロベルトの屋敷を目指した。
王の剣と呼ばれる、この国の指導者たちが住む一画であり、一軒一軒の敷地がとにかく広く、建物も大きかった。
闇夜に沈む街並みを眺めながら、ペテネラはネモと進んだ。
ネモも最初は戸惑っていたが、悪魔と契約してまでロベルトを求める自分の気持ちを、改めて自覚したのだろう。足取りに迷いはなかった。
「こっちです」
「ああ。でも、この国の人間は変わっているねぇ」
「どうしてです?」
真正面にロベルトの屋敷らしいものが見える。そこに到り、ペテネラが言ったことに、ネモが足を止める。
「だってさ、屋敷の主人が中に入れないんだろ?」
「えっ?」
ネモの目には見えていなかったらしい。ペテネラの目には、自分の屋敷の門を恐ろしげに見上げる、勇者ロベルトの姿がはっきりと見えていたのだ。
「おぅい!」
ペテネラが声をあげると、ロベルトが気づいた。気づいたのは、ネモにだった。ペテネラは肌が黒い上に真っ黒の燕尾服を着ているため、夜では特に見つけにくい。
「ロベルト、どうしたの? 屋敷の前で」
「ネモこそ、どうした? ゾンビのことは片付いたと聞いたが、まだ問題か? 俺の手が必要か?」
ネモが走り寄ると、ロベルトは足早に近づいて着た。ネモの両腕をとり、熱っぽく語る。
「いいえ。ゾンビの方は大丈夫。ロベルトに会いに来たの」
「えっ? それは、どういう意味だい?」
ロベルトの声は明らかに動揺していた。ペテネラは、男に抱かれた経験はなくとも、人間の気持ちには敏感だった。ペテネラは、ネモの背後から見下すように言った。
「勇者様に、男の責任ってもんを教えに来てあげたのさ」
「あんたはっ!」
「覚えていてくれたかい? あたしは約束通り、あんたを魔王のところに行かせてやった。あんたに代償を求めるところだけどね……まあ、この子との責任を取るってことで、許してやる」
「ちょっと、待ってくれ。ネモ……君は……あの時だけだって言ったろ?」
ロベルトが視線を外し、ネモに目を向ける。ネモの肩が震えた。きっと泣いている。ペテネラは確信した。
ネモに囁く。
「さあ、本番はここからだ。このろくでなしを、どうしてやろうねぇ」
だが、ネモは答えなかった。首を横に振ったのだ。
「もう……いいです。こんな人だったなんて……失望しました。私のことは、本当に遊びだったんです」
「ネモ、あんたはよくても、あたしはよくないんだよ。どうしたんだい? あんたが契約したのは、悪魔の王、ペテネラ様だよ。こんなことで、引き下がるのかい? この男の精神ぐらい、簡単に支配してやるよ」
「いえ。いいんです。ロベルトに少しでも……私のことを思う気持ちがあったら……違ったかもしれませんけど。私のことなんか、邪魔なんだって、はっきりわかったから……これ以上、傷つきたくないの……」
「だ、そうだ。お前、神官の娘をたぶらかして、処女を奪って、それでさよならかい? 神様が許しても、このペテネラ様はそうは行かないよ」
「まっ、待ってくれ! 俺が何をしたんだ。あの時……ネモが自分から、俺の部屋に来たんだ。一度だけだからって、一度で諦めるからって、俺が婚約していることも知っていた!」
「で、あんたは童貞を捨て、この子は処女を奪われた」
「……まあ」
ロベルトが小さな声で返事をした時、背後の屋敷の扉が、ゆっくりと開いた。
「ロベルトォ、聞こえましたわよ」
「ハ、ハレルヤ、誤解だ。誤解なんだ!」
扉の隙間から出て来た女性は、白い肌に大きな目をした、いかにも可愛らしい顔をしていた。明るい茶色の巻き毛が育ちの良さを感じさせる。ただ、この時は眼光鋭くロベルトを睨み、深窓の令嬢然とした佇まいは、微塵も見られなかったが。
「誤解? あんたがこの子の処女を散らしたのは、事実でしょうが」
ペテネラが言うと、ロベルトは驚愕の表情で振り返る。両手を合わせて首をふった。その襟首を、白くたおやかな手が掴む。
「あらっ、意外と力強いんだね」
扉の中に引きずられていくロベルトの姿に、ペテネラが妙な関心を示している一方、ネモはロベルトの屋敷に背を向けた。
走り出すのがわかったペテネラは、ネモが動き出す前に、片腕で抱きとめた。
「どこへ行くのさ?」
「もう、いいです。今の……綺麗な人が婚約者なのでしょうから……私なんか……」
「いいのかい? ロベルトは、これからあの女の尻に敷かれて、息も詰まるような生活を強いられる。こんな屋敷に住んでいるんだ。人間の中じゃ、ちっとは身分も高いんだろう?」
何かに気づいたように、ネモは背後を振り向いた。ロベルトの屋敷を見上げたのだ。見ているのは、屋敷そのものの大きさよりも、屋敷が意味するロベルトの背景だろう。
「ロベルトは、魔王の父と、王族の母を持つはずです」
「なら、結婚相手を自由に選べるってわけにはいかないよね」
「……はい」
ペテネラが言ったのは、当て推量だ。だが、このままネモを帰したくなかった。この屋敷の中で面白いことが起きている。そう感じていた。中に入る理由が欲しい。何よりネモを連れていって、当事者の1人になりたかったのだ。
「あんたが、正妻のこだわるのでなければ……やりようはあるよ」
「神官としては、そうあるべきなのでしょうけど……相手がロベルトなら……許されることです」
「なら、決まりだろ? これからあんたの愛しいロベルトは、あの女に従えられて、牢獄の中に繋がれたような生活を始める。少しぐらい慰めが必要だ。あんたがここで名乗りを上げなければ、間違いなく、あんた以外の誰かにそのお鉢が回ってくる」
「ロ、ロベルトを、私が……助ける……」
「その通りさ。それができるのは、あんただけだ。そうだろう?」
「……そうね」
ネモは頷いた。ペテネラは、顔の表情だけで笑った。
ロベルトの屋敷に踏み込むと、忽然と老人が現れた。人間ではない。ペテネラはすぐに悟った。人間の姿をした、何者かだ。
「勇者ロベルト様のお屋敷です。許可なく立ち入ることはできません」
執事だとでも言うのだろうか。執事服を着込んだ老人の姿の魔物は、丁寧に腰を折る。ネモが心配そうにペテネラを見上げた。ペテネラはネモの前に出た。
「ロベルト様ってのは、さっき、白い肌をしたお人形みたいな人間に引きずられていった奴だろ? そのロベルト様は、この子に来て欲しいと思っているはずだげとねぇ。あんなおっかない女と、2人きりになんかなりたくないはずさ」
「……そうですか?」
執事は迷ったようにネモを見て続けた。
「そちらは……以前にも来たことがおありですね。冒険者のネモ様ですな?」
「はい。神官をしております」
老人は、深く腰を折った。いかにも執事らしい、優雅な礼だった。
「ロベルト様のお友達でしたら、無下にはできません。主人の許しをいただきますので、お待ちいただけますか?」
「ダメだ。この子は先に行かせる。あんたには、聞きたいことがある」
ペテネラは、ネモの背中を押して屋敷に追いやった。老人はそれを追わなかった。ペテネラから目を離せなかったというのが正しいだろう。
「なんでしょう?」
「質問は二つだ。どうしてあんたみたいな化け物が、クズみたいな人間に仕えている? それともう一つ、あれはなんだい?」
ペテネラは、庭の隅に置かれていた、氷漬けの彫像を指差した。その彫像は、樹木によく似ていた。白い表面に、立ち枯れた木のように、ただ枝のみを伸ばしている。厳重に氷に閉ざされてはいるが、それが魔物であることも、ペテネラは見て取った。
「私は、ロベルト様のお父上、魔王ゴルゴゾーラ様にお仕えしておりました。魔王様の命令です。魔王様が死んだ今でも、その命令を違えるつもりはありません。あれでしたら……街であばれている魔物をロベルト様が……いえ、あなたに嘘を言っても、通じないでしょうな。このお屋敷に滞在されている、サクヤ様が封じられました」
「サクヤが? この屋敷に?」
ペテネラが眉根を寄せた。
「お知り合いですか?」
「ああ。よく知っているとも。あたしを通すか、ここで死ぬか、選びな」
数秒の逡巡の後、執事服を着た老人は、平伏してペテネラを通した。
ペテネラが屋敷に入ると、期待通り、中では面白いことになっていた。もちろん、あくまでペテネラの期待である。
リビングと思われる広い部屋で、先ほどの人形のような美しい女が腰に手をあてて、大きな胸をそらしている。
その正面には、優雅なドレスを纏った、白い肌で黒髪の落ち着いた女性が対峙していた。どことなくサクヤに似ていると思ったが、すぐにそれがゾンビであることを看破した。
勇者ロベルトはおろおろと落ち着かない動きを繰り返し、まるで貞淑な妻のようにロベルトを支えていたのは、そばかすの浮いた落ち着いた顔をしたネモである。
4人の様子を見守るように、人間ばなれした、間違いなく人間ではないメイドたちが壁際に並び、少し離れた席で、ペテネラは見知った姿を見つけた。
不死族の頂に君臨するはずの、サクヤである。
サクヤもペテネラに気づき、皮肉な笑みを浮かべたが、何も言わなかった。
口を開いたのは、中央にいた態度の大きい女である。
「私はロベルトと正式に結婚の誓いを立てたのよ。それも、騎士隊長の名前においてね。王の剣である父が立ち会っている。それを覆すことはできないわ」
「私は、ロベルトの妻になるよう命じられました」
ハレルヤに対して、真っ向から反論したのは正面に立つゾンビである。ゾンビだから表情などない。そのはずだが、ペテネラは、そのゾンビに感情があるように見えていた。
「ずうずうしい! 誰が、なんの権利があって、そんなことを命じたのよ!」
「命じたのは私よ」
サクヤが口を挟む。こいつか。とは、ペテネラだけの感想だろう。壁際に並ぶメイドたちは、同意の頷きを見せた。
「あなたは何者なの?」
「私が何者かは、ロベルトに聞くといいわ」
「4人目の愛人候補、じゃないわね?」
ハレルヤの口調は丁寧だった。だが、なぜか凄んでいるように聞こえた。ロベルトが顔を青くする。
「まっ、まさか! サクヤ様は、この世界を救うと予見されたお方だ。予見の姫アムレーリアの言葉に従い、王の指示で招かれた……だから……」
「私の機嫌を損ねることは、ロベルトが仕える王に逆らうことになる。そうだったわね?」
サクヤの言葉が冷たく響く。ペテネラは、サクヤの機嫌が悪いことを察した。これは、からかわないほうが良さそうだ。
「……はい」
「でも、私と正式に結婚した。そうよね?」
ハレルヤが尋ねる。ロベルトはサクヤとハレルヤを見比べ、首肯した。
「……はい」
「でも、そこにいるネモはあんたに処女を捧げ、あんたは童貞を捨てた。そうだね?」
ペテネラが言うと、全員の視線がペテネラに刺さる。大勢の悪意を受け、ペテネラは自分が興奮するのを感じていた。
「……はい」
「それは、私だって……これから!」
「私は済ませました。同じです。生前のことは、わかりませんが」
ハレルヤが声を張り上げ、ゾンビの声が冷静に響く。ハレルヤが目を見開いた。
「ロベルトあなた、ゾンビとしたの?」
「……はい」
ロベルトはただうなだれた。
「こういう男よ。あなたのようなご令嬢には相応しくない」
サクヤの言葉に、ハレルヤは動揺したように見えた。ロベルトを捨てようとするだろうか。正式に結婚したと言っていたから、離縁するのだろうか。
そう思った時、ペテネラは、サクヤが何を考えているのか突如理解した。
ロベルトとゾンビの姿に、ニニギとサクヤの姿が重なった。サクヤは、ロベルトの妻にゾンビを据えて、人間が不死族を伴侶としている姿をニニギに見せたいのに違いない。だから、あえて言った。
「しかし、結婚の誓いは神聖だ。こんな男でも、ハレルヤ様は夫に選んだ。選んだ夫がダメな男なら、しっかりさせるのも妻の役目だ。そうじゃないか?」
「……ええ。確かに」
ハレルヤが迷いを見せる。サクヤの視線がペテネラを射抜く。この場にいるペテネラ以外であれば、そのまま死に誘われそうな視線だった。
「ペテネラ、何を企んでいるの?」
「こっちのセリフだよ。サクヤ、ニニギ様をものにするために、勇者を犠牲にってのは、ないんじゃないの?」
「ペテネラさん……私の……」
ネモが、裏切られたかのような声を出す。ペテネラが自分の口に指を立てた。任せておけという合図だ。ネモは、震えながら頷いた。
「ロベルトの妻には、レイラがふさわしいわ」
レイラというのが、ゾンビの名前なのだとペテネラは理解した。ペテネラは小さく首を振る。
「そうかもしれない。でも、すでにロベルトは既婚者なのさ。この国では、妻を3人、もてるのかい?」
ペテネラがとっさに3人といった理由は、その中にネモを入れるためである。そのことに気づいたのはネモだけだったが、答えたのはメイドたちの1人だった。
「妻は1人です。ですが、王族と王の剣と呼ばれる一族は、複数の妾を持つことが許されています」
「なら、話ははやいね。妻はハレルヤ様、レイラは3番目だ」
「2番目よ」
「3番だ」
「あの……私なら、3番でも……」
口を挟んだのはネモだった。ペテネラが睨むと、びくりと震えた。震えながら、ロベルトにしがみついた。
その様子に、ネモは本当にロベルトのことが好きで、自分が何番でもいいのだと思っているのだと感じる。
だが、ペテネラは悪魔である。
「あたしはこの子が2番じゃない気が済まない」
「私も一緒だわ。レイラを3番目になんかさせません」
「やるのかい?」
ペテネラが拳を打ち鳴らす。
「序列というものを、いつか教え込まなければならないと思っていたのよ」
サクヤが冷気を纏う。この場で争うつもりはなかった。だが、争うことを厭う理由もない。
「や、やめてくれ! 俺が悪いんだ。節操なく手を出した……いや、ハレルヤにはまだ……」
ついにロベルトが口を開いた。口を開き、這いつくばって頭を床にこすりつけた。
「結婚を誓って、口づけして、肌に触れのよ。それ以上に何があるの?」
ハレルヤは純粋に尋ねているようだった。ペテネラは笑う。
「お嬢ちゃんには、性教育ってのが必要なようだね。なら、ネモしかいないだろう。レイラは、ゾンビなんだろ?」
「その話はいいわ。ロベルト、何がいいたいの? ただ、謝りたいだけ?」
「いや……でも、3人とも好きだ。それは嘘じゃない」
「ロベルト」「ロベルト」「ロベルト」
3人が同時に声をあげた。1人だけ、全く意味が異なった。異なる声をあげた1人、ハレルヤがロベルトの胸倉を掴み上げた。
「よくもそんなことが言えたわね!」
「絶対、幸せにするから。8人だろ? 必ず作るから」
「……私だけで、8人よ」
「頑張るよ」
「……仕方ないわね」
なにやら、2人だけでわかる話のようだ。へたり込んだロベルトに、すぐにネモが寄り添う。レイラはただ動かずにロベルトを見つめていた。
こうして、ロベルトは妻と同時に2人の愛人を持つことになった。王の剣、第3の剣から後日大変なじられたらしいが、後日のことである。
さらに夜が更け、人間たちが寝静まったころ、ペテネラが教えられた部屋に行くと、サクヤが夜風に当たっていた。
「ペテネラ、何の用?」
サクヤは、ロベルトをトーキン城で助けた。ロベルトはそれを感謝し、予見の姫が見た救世主こそサクヤであると王に進言し、サクヤを探すことが使命として与えられたことは、ペテネラも聞いていた。サクヤがいたのは、最も贅を尽くした、客用寝室である。
だが、サクヤにはもったいないとも言える。サクヤは不死族の最高位者であり、眠ることはありえないのだから。
「クイーン殿にお目通りいただき恐悦至極」
「嫌味はやめて。さっきは悪かったわ。あなたと争う気はないの」
「ああ。あたしも同じさ。ただ、サクヤを恐れていると思われるのは、ちょっと悔しいからね。喧嘩するのなら、避ける気はないよ」
「そういう負けん気が強いのは、ニニギ様の好みなのかしらね」
サクヤはベランダに出たまま、室内に戻ろうともしなかった。ペテネラも並ぶ。トーキン城から見下ろした町並みが、横に見える。家が立ち並ぶ屋根を見ても、あまり面白くない。
「あたしが聞きたかったのは、そのニニギ様だよ。昨日の晩も、サクヤは一人だっただろう。ニニギ様、どこにいったのさ」
「明日探すわ。ニニギ様に何かあれば、わからないはずはないもの。きっと問題ないわ。それに……ニニギ様に託された命令を実行するほうが大切だもの。トーキン城からこっちに移動してくる人間、最低でも100人の住む場所を確保しなくてはね」
「そんなに難しいことかい? ゾンビが暴れたから、それぐらいの数が住める空き家はたくさんできたみたいだよ」
「ただ住めればいいというのではないわ。あの人間たちも、ニニギ様の財産よ。きちんとした扱いをさせなければ。明日、ロベルトの紹介で王に会ってくるわ。できれば……王宮のどこかで客として扱わせたいわね」
「まあ、頑張りなよ」
「人間といえばペテネラ、珍しいものを連れていたわね。あの人間、いいの? あれで」
「いいって?」
「本当に、ロベルトの愛人でいいの? 納得しているとは思えなかったけど。後になって、後悔するんじゃないの?」
「あたしがそこまで知るかい。でも、いいんじゃないか? あたしは、面白いもんが見れた。それに、お嬢ちゃんの望み通りにしたから、あの子の魂はあたしのもんだ」
ペテネラは、契約書を取り出して見せた。悪魔であるペテネラが魂を欲しがるのは、固有魔術の素材として重宝するからだ。契約書があれば、契約書の魂を使役して強力な悪魔を召喚することも、強大な魔術を使用することもできる。それは、主人であるニニギの役に立つことを意味している。
「さすがは悪魔ね。で、ソレアはどうしたの?」
「さあね。馴染んでいるみたいだよ。人間と」
「そう。趣味が悪いわね」
それは、サクヤの本心なのだろう。ペテネラは静かに肩をすくめた。




