18 予見の姫アムレーリアの現在
勇者ロベルトは、壁を上がってくるような不自然な物音で目覚めた。
隣には、神官のネモが寝ていた。全裸だった。幾度となく交わり、いつの間にか、眠っていた。
「なに?」
ロベルトが起き上がったところで、ネモも目覚めた。すぐに疑問を口にしたのは、外から聞こえてくる物音が、尋常のものではないと理解したためだろう。
「わからない。壁を登ってくるような知り合いはいない」
「……魔物?」
部屋の中は明るい。明かりは落としていたが、天窓に覆いはなく、外から降り注ぐ星明かりが直接部屋の中を照らしている。互いの顔がはっきりとわかった。
「たぶんな。ネモ、服を」
「はい」
ロベルトは全裸のまま、ネモの腕を引いて背後に隠した。背中で、ネモが服を身につけるのを感じる。いずれにしても、ネモの装備はこの部屋には下着しかない。
戦いになれば、誰かが飛び込んでくるかもしれない。ごまかすのは大変だろうが、そんなことを言っている場合ではないかもしれない。
壁からの音が、確実に大きくなっているのだ。近づいてくる。
音だけなので確かなことは言えないが、下から登ってくるようだ。
壁に立てかけておいた剣を取ると、ネモが腰巻でロベルトの股間を隠した。
音が止まる。
ちょうど、目の前の高さだった。
静寂と緊張の後、破壊音が轟いた。
壁を打ち破り、白く細い腕が部屋の中に突き出されたのだ。ロベルトの前に、握りこぶしが突き出される。壁から生えた、小さな拳だ。
だが、木製であり、頑丈とはいえないとはいえ、壁を撃ち抜いたのだ。指がへし折れているのがわかった。
「……レイラ?」
「なに?」
ネモが聞き咎めた。だが、勇者ロベルトは確信していた。目の前の拳は、レイラのものだ。幼いころからずっと見てきた拳だ。ハレルヤという婚約者がいなければ、諦めなくてよかった拳が、目の前にある。
ゾンビとなって、巨大なトカゲを足止めし、役割が終わったために、帰還したのだ。
最短距離を踏破するために、壁をよじ登ったのだ。レイラはゾンビだ。それ以外の選択ができなかったのだ。
「……レイラ、お帰り。よく、帰った」
壁がめしめしと音を立てて壊れる。ただでさえ痛んでいた肉体をぼろぼろにしながら、昔からずっと見てきた顔に、絵に描いたような無表情を張りつかせ、勇者ロベルトの足元にレイラが跪いた。
体が壊れ、立ってさえいられないのだろう。ロベルトが身をかがめた。
「ただ、いま、戻り、まし、た」
たどたどしい、呂律が回らない口調ではあったが、レイラが言葉を発した。
ゾンビがただの動く死体であったのなら、あり得ないことだ。だが、人間だった頃の外見を保持しているというだけで、列記としたモンスターであれば、さらに成長することもあり得る。
「レ、レイラ……」
レイラの姿をしたゾンビは、意味がわからないように首を傾けた。ロベルトは、レイラがもはや立ち上がれないほどに痛んでいるのだという解釈は、していなかった。レイラのゾンビは、自らの意思で、それが正しいと判断して、支配者であるロベルトに対して跪いているのだ。
「お前の、名前は?」
「ござい、ません」
レイラの顔をしたゾンビは答え、動かずに、指令を待った。
「では、たった今から、レイラというのがお前の名前だ」
ゾンビはモンスターである。ただ死体が動いているだけではない。そのことを、ロベルトははっきりと理解した。モンスターとなった者に、生前の記憶はない。レイラは、もはやどこにもいない。だが、新しく別のレイラが誕生した。
このレイラを大切にしよう。ロベルトは跪いたまま表情を変えない、ゾンビを抱きしめた。
背後でネモが舌打ちをしていたが、ロベルトは気づかなかった。
※
更に10日が経過した。
魔帝国は広大な領地と魔物による大軍を持ち、全軍を13に分割している。
第8軍の将、ド・ブラドーは吸血鬼である。外見は人間に似ているが、長く突き出た牙を持ち、肌は白よりも青に近い。
コウモリやオオカミを眷属として使役することができ、形態変化して自らも巨大なコウモリになることができる。
眷属の召喚はコウモリ、オオカミ、ネズミといった動物に限定されるが、人間や亜人も、血を啜ることでみずからの眷属、または下僕に変えることができる。きわめて広範囲な能力を持った魔物である。
ド・ブラドーは苛立っていた。
剣の国アムノリアを利用して魔王ゴルゴゾーラを倒すというのは、ド・ブラドー配下の魔女の提案だった。魔皇帝に提言し、全権を委ねられたのだ。
第13分隊を偵察に出し、魔王討伐に行ったはずの勇者一行と鉢合わせしたものの、魔王を討伐したかどうかの確認もできずに逃走を許したという。
討伐に向かったことは確認している。ならば、遭遇した場所がおかしい。魔王ゴルゴゾーラは、決してその強さゆえに放置されていたわけではない。
トーキン城の地下に潜むマグマの支配者と昵懇の間柄で、魔王ゴルゴゾーラを殺せば、確実にマグマの支配者ガリゾンの怒りを買う。止めることができなければ、この世界がマグマに覆われるかもしれない。だから、人間たちにやらせたのだ。
魔王ゴルゴゾーラが死亡した恨みを人間たちに押し付け、人間たちが滅ぼされた後、冷静になったガリゾンを支配する。
世界を滅ぼすほどの力である。魔皇帝のものとすることができれば、ド・ブラドーは13人いる将軍たちの中でも、皇帝に次ぐ地位についたはずだ。
だが、勇者ロベルトがトーキン城から戻ったのが、魔王討伐を終えたのであれば、すでに山からマグマが吹き出しているはずなのだ。
ならば、勇者ロベルトは魔王を討伐できずに逃げ帰ったということになる。その判断は正しいだろう。勇者であろうが、人間に倒せる相手ではない。魔王ゴルゴゾーラが恐れる相手ではないのは、それが魔帝国の将軍だからであり、人間から見れば、とても叶う相手ではない。
だから、ド・ブラドーは魔王の血を引くロベルトが力をつけるのを待っていたのだ。勇者ロベルトが父である魔王を殺さざるを得ない状況まで追い込んだのだ。息子が、どうしても魔王を殺さなければならない状況においこまれば、あの人のいい魔王は自らの命を差し出すに違いないと考えたのだ。
ひょっとして、マグマの支配者が暴れ出せば世界が滅びることを危惧して、魔王は勇者を説得してしまったのだろうか。
いずれにしても、計画の変更は免れない。
もうすぐ長い間温めてきた計画が実を結ぶと考えていたド・ブラドーは、人間の女を吸血鬼として魔物化した下僕たちが恐れるほどに苛立ち、ぶつけようのない怒りをまき散らした。
将軍として与えられた城を大股で歩く。空を飛ぶことはできるし、その方が早いが、足を石畳に叩きつけて歩きたい。そんな衝動に駆られていた。
魔帝国にも貴族位はある。だが、それは家柄ではなく個人の強さにあたえられる称号や財産である。結果的に、将軍位と貴族位は同じものとなった。
長い通路を進み、荒々しく扉を開ける。
薄暗い一室である。
宙に浮いた、年若い娘がいた。まだ、10代の前半だろう
周囲を年老いた老婆に囲まれていた。魔女たちは、魔法を使う人間ではない。魔女という名の、モンスターである。老婆の外見をした魔法の使い手であり、何より人間の不幸を願ってやまない者たちだ。
その魔女たちが10人以上で魔法を用い、少女に対して様々な魔法をかけ続けている。
少女の名はアムレーリア、剣の国アムノリアの宝とまで言われる、予見の姫である。
剣の国アムノリアの王宮深くで大切に育てられていたアムレーリア姫をさらったのは、力づくではない。
むしろ、姫から飛び込んできたのだ。
ド・ブラドーには理解できないことをわめきながら、絶望した姫が魔物たちの手に落ちた。
姫は、死を望んでいたとも聞いていた。
ド・ブラドーは姫に死を与えるという約束の代わりに、姫が生まれ持った不思議な力、未来を見るという強力な能力を、解明することに協力させることに成功した。
予見の魔法などはない。だが、姫はきわめて正確に未来を予見した。
その中には、ごく近い未来から、はるか遠くの未来のものもある。だが、近い将来の予見のあまりの正確さから、その力はきわめて強大なものだと理解されていた。
アムレーリア姫の能力は、生まれつきのものらしい。だが、どうして生まれつきそのような力があるのか、他の者では使えるようにならないか、調べることをアムノリアの人間たちは考えなかったらしい。それが姫であったこともあるだろう。魔法という存在を、剣の国の人間たちは理解していないのかもしれない。
未来を正確に知ることができれば、全てにおいて正解のみを選び得るのだ。
だが、吸血鬼であるド・ブラドーも魔法のことは詳しくなかった。配下の魔物たちに命じ、魔法について詳しい者たちを呼び集めた。その結果、人里から隠れるように住んでいた魔女たちを集めることになった。
姫は自らの意思で逃走した。自らの死を望んだのである。
そのことを、アムノリアの人間たちは知らない。姫は周囲に侍女たちしかおらず、自分の苦悩を言うことはなかった。どうして苦悩したのか、何を予見したのか、誰にも言わず、ド・ブラドーは偶然手に入れた姫を利用し、人間たちに魔王ゴルゴゾーラと決別することを決意させた。
人間たちは、魔王を殺せば姫が戻ると思っている。
姫は、研究が終われば速やかに死ねると思っている。
吸血鬼ド・ブラドーは、どちらの約束も守る気はなかった。
「調子はどうだ?」
「色々と試しておりますが、この娘の何が未来を見せているのか、皆目わかりません。わしらが操る魔法とは、違う原理なのでしょう」
魔女たちの束役をしている老婆、鉤鼻のハルマと呼ばれるしわがれた女が意見を述べる。魔女には老婆しかいないと思われているが、実際はそうではない。若い時代は、人間と同じようにある。ただし、年齢を重ねると、その分老いる。老いはするが寿命はない。結果的に、魔女の老婆率が上がっていくことになる。
吸血鬼ド・ブラドーは種族としての能力については詳しかったが、魔法についての知識はなかった。魔女であれば魔法に詳しいだろうという、一方的な思い込みで魔女たちを集めたにすぎない。
「魔法に、原理なんてものがあるのか?」
「そう言われておりますよ。その原理を解明したのが誰もいませんが、確かに……あるらしいです」
「結局、わからないということではないか。魔女でわからないのなら、誰ならわかるんだ?」
「……さて? 魔法を現在の形にしたのは、人間たちだと聞きます。魔法については、人間が一番詳しいのでは?」
魔女たちが使う魔法とは、煎じた薬の効能を変えたり、箒に乗って空を飛んだり、昆虫たちを使役したり、といった些細なものが多い。魔物としては弱い部類に入る。そもそも、戦闘に使用できるような力ではない。
人間たちが発見した現在の魔法とは、訓練と詠唱によって発動する不可思議な破壊の力だ。一部低級なものは魔法陣により再現され、マジックアイテム化することによって便利な道具を生み出した例もあるが、大抵は対象を破壊するだけのものだ。それも仕方の無いことで、最も弱い種族である人間が、なんとか生き残るために見つけ出した不思議な力であり、魔物を倒すこと以外に進化させるような余裕はなかったのだ。
「それはダメだろう。何しろ、人間のところから逃げてきたのだ。人間に解明できるのであれば、逃げてくる前に別の方法を考えるはずだ。なにしろ、王族の姫なのだからな」
「いずれにしても、この娘の力を解き明かすのは時間がかかりましょう。ならば、使える者に使わせる方が簡単でしょうな」
「やはり、そうなるか」
なんども考えたことだ。一番簡単なのは、ド・ブラドーがアムレーリア姫を懐柔して未来を予見させることなのはわかっていた。これまでそうしなかったのは、姫の血が実に美味そうで、目の前にして我慢できる自信がなかったためだ。しかも、吸血鬼に血を飲まれると、吸血鬼の力の一部が流れ込み、本人も吸血鬼と化す。ド・ブラド―が血を飲んだことで、アムレーリアの能力がなくなっては意味がないのだ。
「仕方ない。重要な情報なら、他の者に聞かせるのは危ない。姫を、こちらに」
「承知しました」
魔女、鉤鼻のハルマの声に合わせて、浮かび上がったまま空中で横たわっていた姫が移動してくる。
ド・ブラドーの目の前で止まる。
手を伸ばして、抱き支えた。姫の長い睫毛が、ゆっくりと持ち上がる。
「アムレーリア、何か見えたか?」
まだ幼く、自らの力ゆえに絶望していた姫は、うっすらと笑みを浮かべた。
この日、突然アムレーリア姫の態度が変わった。ド・ブラドーは、血を吸いたくなる欲求を抑える自信がなかったためにもともとあまり近寄らないようにしていたが、毎日悲嘆に暮れる姫の様子は報告を受けていた。
毎日行われる怪しげな儀式に積極的に協力していたのも、1日も早く結果を出して、死なせて欲しいのだと公言していた姫が、この日から変わったのだ。
かつての2倍近い量の食事を摂るようになり、暇な時は庭を散策し、城の中を歩き回った。成果を上げる前に衰弱死されることを恐れていたド・ブラドーは歓迎したが、姫に何があったのか、ついに聞き出すことはできなかった。
間違いなく、姫は何かを予見したのだ。その結果が姫に希望を見せたのだとしたら、それは魔帝国にとっての災厄ともなりうる。
聞き出す必要がある。ド・ブラドーはそう強く思ったが、一度は絶望のために死を希望した姫は意思が強い。死ぬことを恐れない人間ほど、扱いが難しい者はいない。
魔女であれば、姫が見たものを聞き出す方法も持っているかもしれない。戦いにおいては役立たずでも、意外な力を持っているのが魔女だ。
だが、それは同時に、魔女たちに情報を漏らすことでもある。
結局、ド・ブラドーは実行を保留することにした。姫が何を見ていようと、これまで、アムレーリア姫に対して酷い仕打ちはしてこなかった。むしろ、アムノリアを恨んでいた姫である。黙っているとしても、魔帝国やド・ブラドーに致命的な情報ではないだろう。当面、姫は現状どおりに軟禁することにした。相変わらず魔女の実験には拒否を示すわけでもない。ならば、放っておいても構わないと判断したのだ。
そうなれば、問題は魔王ゴルゴゾーラとマグマの支配者ガリゾルの動向である。ガリゾルがおとなしくしている以上、ゴルゴゾーラは生きているのだろう。集めた情報に間違いがなければ、そのはずだ。
では、アムノリアが反旗をひるがえしたのか、勇者ロベルトが失敗したのか、あるいはアムレーリア姫を見限ったのか。
可能性はいくらでもある。
姫に変化が現れた日の翌日、ド・ブラドーの副官であるドクロコウモリのブギーを呼び出した。顔が人間のドクロとなっているコウモリだ。コウモリといっても、翼を広げた全長は3メートルを超える。知恵が周り、配下に人面コウモリを多数従える上位モンスターだ。
「お呼びで?」
呼び出すと、すでに頭上にいた。たまたまだろう。ドクロコウモリに、瞬間移動の特殊能力はなかったはずだ。
「俺の直轄部隊と、他の動かせる部隊に全て戦闘の準備をさせろ」
「どこに攻めるので?」
「決まっている。アムノリアだ」
「よろしいのですか? 魔皇帝陛下のご命令は受けていないはずですが」
ド・ブラドーが歩き続けたので、ブギーは器用に天井を逆さに歩きながらついてきた。
「アムノリアの件は、私に一任されている。任されているのは、マグマの支配者ガリゾンの指揮権だ。そのために、あの国を攻め滅ぼすことは何の問題もない。ガリゾンが魔帝国の敵となる可能性があるのならば、お伺いを立てなければならないだろうがな」
「なるほど……しかし、マグマの支配者殿がアムノリアの敵となっているという確証がなければ、滅ぼすのは危険ではありませんか?」
「アムノリアを滅ぼすとは言っていない。滅ぼしたところで、ガリゾンを支配できれば問題ないと言っただけだ。戦闘準備をさせろと言ったのだ。動かした全軍を、すぐに戦争に突っ込むわけではない」
「なるほど。アムノリアから情報を引き出し、その結果しだいでは、ということですな」
「そうだ。わかったら行け」
「承知いたしました」
ブギーの形が崩れる。副官には瞬間移動の能力はなかったが、壁を通り抜けることはできるのだ。ドロドロと黒い塊に変化し、天井にシミが広がる。その跡が、徐々に薄くなる。気密性の高い壁ほど抜けるのに時間がかかると、かつて言っていたことがある。自分の体を液体状に変化させているのだろうか。
ド・ブラドーは次に姫の部屋に向かった。この城に姫は一人だけである。アムレーリア、予見の姫である。
か弱い人間であることや、過酷と思われる魔女の研究に協力していることも考慮して、一番快適な状態で生活できる部屋を与えてある。
「入るぞ」
大きなベッドの上で、もぞもぞと小さな影が動いていた。
まだ早朝である。吸血鬼は日光が嫌いだが、活動できなくなるほどの拒絶体質というわけではない。時間に関係なく活動する不死族の将軍は、部下たちから迷惑がられているとは、現在でも気がついていない。実際に、ド・ブラドーの部下には、コウモリなどの眷属か不死族しかいないが、自分の活動時間が長すぎることが原因だとは、なかなか解らないものである。
「あっ……おはようございます」
たった一日で、驚くほど明るく健康的な顔つきに変わったアムレーリア姫が顔を出す。ベッドの上ではあるが、膝をついて深々とお辞儀をした。まだ10代前半とは思えない礼儀の正しさである。姫としての教育のたまものだろうか。
「私が来た理由はわかるか?」
「私の血をご所望ですか?」
「違う。また、冗談でもそのようなことを聞くな。我慢できる自信がないのだ」
「申し訳ありません。将軍様も、耐えているのですね」
姫はくすりと笑って見せた。昨日まで、まるで感情がないかのように、表情を見せなかった少女だ。見せる感情はただ一つ、絶望だけだったというのに。
「姫の故郷、アムノリアを攻める準備をしている」
「……そうですか」
姫の表情が曇る。だが、それだけだ。
「いかに剣の国と呼ばれ、民が強かろうと、所詮は人間だ。私が率いる全軍をもってすれば、皆殺しにすることも難しくはない」
「……そう、なのでしょうね」
「どうして姫にこのような話をするか、わかるか?」
姫は足を崩して座り直した。ベッドからぶらりと垂れた生の足に、ド・ブラドーは生唾を飲んだが、かろうじて表情に出さずに堪えた。
「わたしが、どうして未来を見ることができるのか、わたし自身にもわかりません。そのことについては、以前に申し上げたとおりです。嘘偽りはございません。ですが……わたしが見たものを話すのは……まだ、誰にも話したことがないことを多く含みます」
「誰にも告げない予見など、役に立たないだろう。どうして隠す?」
「誰にも、どうにもできないことだからです」
「嘘だな。誰にも、どうすることもできない未来であれば……何が変わった? お前に見えたものに、変化のきざしが現れたのだろう。だからこそ、ただ死ぬことを望んでいたお前が、そうして私に冗談を言って笑いかけているのだ」
「ご不快でしたら謝罪いたします」
姫は再び深く頭を下げようとしたが、ド・ブラドーが止めた。
「そんなことを言いに来たのではない。お前と話をするのは、不快ではない。それに、お前自身が言う気にならなければ、どんなことをしても口を割らせることはできないことも知っている。拷問などして、お前の力そのものが失われては、意味がないのだからな。私が知りたいのは一点だ。お前の見た未来は、魔帝国に害が及ぶか?」
「お答えできません。わたしは、見たいものを見られるわけではないのです。突然、目の中に定められた未来が浮かび上がるのです。それが、魔帝国に関わりがあるかどうか、わたしは判断できるだけの知識を持ちません」
「では、お前が見た者の中に、マグマをまとった巨大な魔物がいたか?」
「いいえ」
姫は小さく首を振った。マグマの巨人ガリゾンについては見ていないということだ。では、まだトーキン城の地下にいるのだろう。
「一つお答えしました。一つだけ、お尋ねしてもよろしいでしょうか?」
「なんだ?」
「アムノリアはいつでも滅ぼせたはずです。どうして、今になって滅ぼそうとしているのでしょうか?」
「あの国を滅ぼさなければならない理由がなかったが、それができたかもしれない。そういうことだ」
「それが、マグマをまとった巨大な魔物なのですね」
ド・ブラドーは姫を見つめた。真面目な顔をしているが、絶望も悲嘆もしていない。自らの母国が滅ぶことにすら、心配している様子はない。あまりにも、巨大な絶望を知っているからこそ、なのだろう。その絶望がとりはらわれたのだ。一体何が変わったのか、ますます知りたくなったが、まだ10代前半の姫は、ド・ブラドーが認識している以上に聡明なようだ。
だが、人間だ。あまり多くの情報は与えたくない。
「アムノリアに戻りたいか?」
最後の質問のつもりだった。当然そうだろうと思った。あるいは、魔帝国が滅び、アムノリアが勝利する光景でも見たのかとも思ったのだ。だが、アムレーリア姫は意外なことを口にした。
「お会いしたい方がいます。その方がどちらにいらっしゃるかで、変わると思います」
「ほう……そのお方の特徴は? 探してやってもいい」
姫は笑いながら首をふる。
「いずれ、嫌でも耳に入ってくると思っています」
人間でも魔物でもかまわないということだろうか。ド・ブラドーは、この姫が、おそらく世界の命運を左右するだろうと考えている人物がどこかに存在するという事実のみを記憶し、姫の部屋を後にした。
姫の部屋を出ると、逆さ吊りにされたドクロの顔があった。罪を与えられたわけではない。好んで逆さになっているのだ。
「ブギー、どうした?」
「はい。各部隊長への連絡を行いました。閣下直属兵15000のほか、偵察任務に出ている第13分隊以外の12分隊12000、計27000がいつでも出発できます」
「ふむ……人間たちには過ぎた軍勢だが……示威行為には、そのぐらいはあったほうがいいだろう。では、今晩にも出発する」
「はい。どうして、今ではないのです?」
「意味はないが、夜の方が歩きやすいだろう」
「……なるほど」
高位の吸血鬼であるド・ブラドーにはあまり意味はないが、配下には、夜行性であるがために日中は光が強過ぎて苦手とする者たちも多い。
ブギーは天井で器用に深く頭を下げると、前回と同じように溶け込んだ。
ド・ブラドーの前に、緑の海が広がっている。森の木々が密集し、一面がただ緑色に見える。
その間に、木々に紛れるかのように、30000近い魔物たちが潜んでいる。
魔帝国第8軍の直接戦闘部隊、ド・ブラドー直下は15000である。その全てがアンデッド系モンスターで、ド・ブラドーがその能力により自由に召喚できるコウモリやオオカミたちは含まれていない。つまり、常時動かせる兵がそれだけおり、実際の戦闘の際にはさらに膨大な数に増えることを意味する。
「全軍を、アムノリアとの境界線である森の端まで進める」
「はっ」
ブギーの声は、城の中で聞くとぼけた声ではなかった。鋭い返事を返すと、ドクロの頭部を持ち上げ、喉を震わせた。ドクロであるのは頭部だけなので、震える声帯は存在する。配下の中には、完全に骨だけになって声帯が存在しない種族もいるが、それらの種族も声を発するので、声帯がなくても話せるのかもしれない。その声の正体までを解明したいと思ったことは、ド・ブラドーにはない。
ドクロコウモリのブギーの声はド・ブラドーには何も聞こえなかったが、しばらくして森がざわめいた。
上空に、人面コウモリが大量に飛び立つ。ド・ブラドーの眷属ではあるが、副官を務めるブギーにも指揮権がなくては不都合が多いため、コウモリ族は特にブギーに従うようにしてある。
実務をさばき、第8軍の運営を直接担っているのは副官のブギーであるので、当然だとは思うが、自分より部下が多いのではないかという、複雑な心境になることもある。いまがそうだ。
ド・ブラドー直轄の戦闘部隊に加えて、様々な目的に対応した1から12までの分隊には、一部隊1000体の魔物がいる。それらを全て動かしたのは、今回が初めてだ。
飛び去ったはずの人面コウモリの一匹が、副官のブギーの前に降りてくる。
人面、といっても、どこにでもいるごく普通の人間の顔はしていない。責め苦を受け、殺してくれと嘆願している醜悪な人間の相を顔に浮かべているのだ。もちろん人面コウモリは、もともとそういう顔なのであって、本人が苦しんでいるということは全くない。
「どうした?」
「森の中に、人間の群れを発見しました。このままですと、森の端に着く前に遭遇します。どうしますか?」
「勇者ロベルトか?」
この森の周辺で、今回は参加していない第13分隊のコボドルが勇者一行に遭遇している。そのことが、現在の行軍のきっかけになったのだ。
「違うようです。人間は100人もいます」
「樵の群れか? ……構わない、血祭りにあげろ」
ブギー越しに話を聞いていたド・ブラドーが命ずる。人面コウモリはブギーの顔を覗き見た。
「将軍閣下のおっしゃるとおりに」
「はっ……一緒に魔物もいるようですが……」
「仲間でないのなら、殲滅しろ。人間の味方をした愚かさを、身をもって知らせてやれ」
「承知しました」
苦しそうな顔で受け答え、人面コウモリが、鳥類に比べるとやや不器用に飛び上がる。
人間の群れと遭遇しそうだという、最前線に飛び立ったのだ。
初戦の先端は、あまりにも意外な形で開かれた。




