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2 魔王の城

 ロールプレイングゲームが、本当にゲームとして遊び出されたのがいつからか、明確にはわからない。

本来は、自分の現在の社会的位置、家族、経済状況ではありえない状況に置かれた場合を想定し、疑似体験をするものだ。

 テーブルトークと呼ばれ、大まかなルール以外は自由に設定できる形式から、ある程度の世界設定があるボードゲームに進化し、さらには1人で遊べる家庭用ゲーム機で爆発的にヒットした。


 1人で遊べる形式になった段階で、本来の目的とは大幅に性格が変わってしまったともいえる。だが、その後ゲーム業界を牽引する一ジャンルにまで成長したのは間違いない。剣と魔法や宇宙旅行といった架空世界を1人で楽しみたい、また勧善懲悪の正義の味方として活躍したいという要望が、いかに高かったかを証明することになった。


 さらにインターネットの普及や携帯電話の高度化に伴い、1人でいながら世界中の人間と同じ世界で遊ぶことのできるMMОと呼ばれる形態や、ソーシャルゲームと呼ばれる交流を前提としたゲームが展開され、一定の支持を得た。

 しかし、家庭用ゲーム機の進化が止まることはなく、バーチャルリアリティーと呼ばれる機器では、家にいながら本当に架空世界にいるかのような感覚でゲーム世界を体験できるようになった。


 残念ながら、進化しすぎたゲーム機からは、過去のブームを超えるヒット作は生まれなかった。ゲーム機の性能が高度に進化すれば、それをプレイするのにはある程度の金がかかる。自由に金を使える立場の人間は、架空世界に対しては冷めた視線を送る。

 リアリティーを追求したばかりに複雑化していくシステムも問題で、ゲームを遊ぶのに現実より複雑なシステムを覚えたくはないという声もあった。


 そんな中、幾多のネットゲームの中で、あまり期待されることなくひっそりと始まったのが、キューブ大戦である。

 古来の根強いファンを持つチェスをベースに、バーチャルリアリティーのシステムを取り入れながら、戦闘を重視し、ソロでも遊び方次第で最高難度のクエストをクリアできる仕様のキューブ大戦は、徐々に広まった。


 特に、一度MMОロールプレイングゲームにはまりながら、人間関係に嫌気がさして引退した経験がある人間に、これなら、と思わせた。

 キャラクターネーム『ニニギ』もその1人だった。

 仕事はルーチンワーク的にこなし、給料は安定して家庭もない。友達をつくるのも不得手で、余った時間と金の使い道に悩んでいる時、キューブ大戦の存在を知った。


もし、次回ネットゲームにはまる時があったら、ある程度の課金を前提にしようと初めから思っていたこともあり、ニニギはどんどんキューブ大戦にはまっていった。

 気がつくと、プレイヤーキャラクターだけでなく、いくつものノンプレイヤーキャラクターが最高レベルに達し、最高レベルに到達したキャラクターしか装備できない希少装備のナノアーティファクトすら、キャラクターの数だけ揃えることができた。


 基本的には1人で遊んでいたが、人との関わりを拒絶していたわけではない。束縛の少ないギルドには所属していたこともある。ギルドとは、プレイヤーの互助組織のようなもので、情報や目的を共有する、仲間である。

 ごく稀に、悪質なギルドの噂を聞く。ニニギのレベルを知り、助けを求める声もある。

簡単には動かない。ニニギは正義の味方ではないし、人に恨まれるのも遠慮したい。だが、万に一つ、見逃せない時がある。


 ギルド、ヤサイ白書の時がそうだった。

 ギルドを解体に追い込むつもりなどなかった。ただ、気に入らなかったので喧嘩を売っただけなのだ。

 後悔はしていない。悪いことをしたとも思わない。ヤサイ白書のいやがらせも、遊び方の一つだ。ならば、そのギルドを潰すのも、同じことである。

 こういうことの繰り返しで、ネットゲームは興隆と衰退を繰り返すのだろう。


 キューブ大戦は、戦闘メインのゲームではあったが、それだけではなく、全体としてよくできていた。チェスを模倣した戦闘システムから、駒となるノンプレイヤーの作成、アイテムの製造、材料の調達など、多岐にわたる項目を、遊ぶ側の負担にならない程度に楽しめる。その意味では、洗練されたシステムだったともいえる。


 一時はネットゲームの人気ランキング上位まで上り詰めたこともあったが、やはり時の流れには勝てない。次第にフィールド上で他のプレイヤーにあうことも少なくなり、ゲームとしての先が見えてきた頃に起きのが、ニニギによるヤサイ白書の襲撃である。






 ニニギは、壮麗な装飾に彩られた巨大な王の間にいた。

 運動会でもできそうな広い空間に、今にも動き出しそうな見事な彫刻が柱となって天井を支え、滑らかな石が敷き詰められた床は、足を踏み出すのもためらわれるほど、磨き上げられていた。

 ゲームの中にいたはずだ。


 相対する先に、威圧するかのようにそり立つ玉座があった。いままでギルドマスターの拠点として見ていたものより、はるかに大きく、はるかに精緻な作りであることは一目瞭然だ。

 正面の玉座には、禍々しい姿をした存在が佇み、その前には100人近い、異形の影が平伏していた。

 魔王の玉座と配下の魔物というのが、最初の印象だった。

 ニニギの認識では、突然発生した転移魔法陣で転移したはずだった。


 ギルド、ヤサイ白書がトラップを仕掛けていたとは、直前の様子からは思えない。未発見のトラップに気づかず、ギルド拠点としていたのかもしれない。

 悪質な罠だと思った時、ニニギの左右に、空中から吐き出されるかのように、頼もしい仲間達が出現した。

 黒い鎧を纏った7人の戦士は、全てニニギが1レベルから育て上げた可愛いキャラクターたちだ。キューブ大戦というゲームにおいて、ノンプレイヤーキャラクターは全て1レベルから育てなくてはならないのだ。


 ノンプレイヤーキャラクターは、最初の7人はプレイ上必須であるためゲーム開始時から所有しているが、その他はガチャと呼ばれる課金配布である。

配布された段階で、運により種族は決まっているため、狙いどおりのキャラクターがなかなか出ないということは頻繁に起こる。もちろん、ガチャの課金分は運営会社の収益であり、より多く課金させるため、希少種族というのが存在する。


 ニニギが最も困難な場面で使う7人は、1人を除いて希少種族で固めてある。それだけ、強いからだ。

 しかし、それだけ頼もしい味方の出現に、ニニギは動揺した。

 まだ、戦闘の選択をしていない。キューブ大戦というゲームにおいては、戦闘方法の選択をしなければ、戦闘は開始されず、7人の駒が出現するはずがないのだ。


「強制戦闘か?」

「はい」


 答えたのは、ニニギの右手にいたキャラクターだ。黒い鎧で全身を隠しているが、クイーンの駒であり、中身は妙齢の美女である。

 だが、そもそもどうして答えたのか。ノンプレイヤーキャラクターをいかに可愛く思っても、会話をできる仕様なのは、チュートリアルで案内役を務める妖精1人のはずなのだ。


 その妖精は、全プレイヤーにあたえられる箱庭の王城と呼ばれる異空間の本拠地に常駐しているはずで、この場では会えない。だから、誰も答えるはずがない。

 幻聴かと思いながら、キューブ大戦の新たらしいイベントだろうと判断し、ニニギは指示を飛ばした。


「ポーン兵召喚。クイーンは魔法、『9階層の氷結』、ビショップ、種族固有特技、『獣覇王の咆哮』」


 いつもの通り、自分の行動を選択し、駒への命令を2つ行う。口に出しながら、次の一手の選択と、敵の動きの確認のため、右手元に視線を下ろし、硬直した。

 スクエア戦闘時に必ず出現する、スクエア盤の俯瞰図が出ていないのだ。つまり、現在はまだスクエア戦闘が開始されていない。


 そう思った時、右隣のクイーンが動いた。禍々しい黒い鎧に似つかわしくない小さな武器を振るう。手にしているのは、技術の粋と高価な素材を集めて作り上げた、クイーンに与えた武器の一つ、『清流のワンド』だ。瀟洒な細工が施されたワンドを振り、魔法を発動させた。


『9階層の氷結』は水魔法と熱魔法を同時に使用するものだ。低音度に周囲を氷漬けにするものである。呼び出された大量の水が一瞬で凍りつき、その温度はマイナス30度にまで達するため、生命活動を行なっている生物であれば、通常活動停止に陥るし、生命活動をしていない魔物であっても、氷の中に閉じ込められて身動きがとれなくなる。また、氷を適正に溶かせば回復するため、捕獲するには便利な魔法だ。


 キューブ大戦の仕様上、『9階層の氷結』という魔法が存在しているわけではない。十一系統の基本魔法は、何度と威力によって10階層に区分されている。魔法の使用は、系統の指示と階層の指定、対象の選択によって行われる。

 その選択により、魔法の消費魔力や威力が決まる。複数の魔法系統を同時に選択し、対象を敵フィールド全体とすることで、同じ効果は得られる。だが、毎回同じような魔法を使うのであれば、指定そのものが面倒ではある。そのため、よく使用する魔法系統と階層効果範囲をあらかじめ設定し、名前をつけることで、オリジナルの魔法を作成することが可能となった。


 ニニギがクイーンのオリジナル魔法として設定したものの、『9階層の氷結』なのだ。

 出会いがしらの威嚇として使用するための魔法であり、ニニギが普段プレイしている場所では魔物たちの動きを鈍くする程度の効果しかなかった。だが、それで十分だった。まずは、相手に出方を見定めることこそ、もっとも重要なのだ。


 クイーンの魔法により、王の間が氷で埋め尽くされる。それと同時に、ニニギの前にポーン兵が出現した。ニニギたちがいる第一の前、第2列の前に八体のポーン兵が出現した。その前、第3列より先が、氷で埋め尽くされている。

 1人、困った人物がいた。


「ご命令どおり、咆哮したほうがよろしいでしょうか?」


 自分よりレベルの低いキャラの行動を奪うスキルの発動を命じられた、ビショップである。

 すでに最初の魔法の一撃で、全ての魔物が凍りついていた。

 だが、ニニギが驚いたのはそこではない。


「……喋ったのは、アレグリア、お前か?」

「ご、ご不快だったでしょうか?」


 返事までする。しかも、なぜか怯えているようである。


「戦闘中よ。気を引き締めなさい」


 注意したのは、クイーンだった。

 いや、お前も喋るのか。と突っ込みたくなったが、ややこしくなりそうだったので黙っておく。


「いや。すまなかった。なんでもない」

「謝罪など、おやめください」


 頭を下げたのはクイーンだ。ニニギが見回すと、召喚したポーン兵を除いた7人の全員が、ニニギに注目している。まるで、一言でも聞き漏らすまいとしているかのようだ。


「抵抗することなく、全員が氷漬けか……強制戦闘のイベントなど初めてだが、その割にあっけなかったな。あるいは、誰も見つけていなかっただけで、初期のイベントだったのか? あるいは、サクヤの力が突出していたのかもしれないが」


 サクヤとは、普段クイーンとして使用している片腕でもあるノンプレイヤーキャラクターの名前である。キューブ大戦では、種族名だけでなく、名前をつけることもできる。


「お褒めいただき、ありがとうございます」


 クイーンの声は、あきらかに嬉しそうだ。顔が隠れているのに伝わるのだから、相当なものなのだろう。

 ニニギは戸惑いながらも、巨大な氷塊と化した王の間に手をかざした。


「せっかく力をふるってもらったところで悪いが、少し溶かさせてもらうぞ。このままでは、調査もできないからな」

「はっ。御心のままに」


 大げさだ。とは思いながらも言わず、ニニギは氷塊に手のひらを当てた。鋼鉄の全身鎧をまだ身につけたままなのだが、魔法の発動に問題はない。

 熱魔法で温め、凍りついた魔物たちを除いて、余計な水分を蒸発させる。

王の間に、凍りついた魔物たちが残る。


「さすがは主様、見事な魔力操作です」


 褒めてきたのは、ナイトの1人だった。褒められたことに、今までで1番驚いた。

 褒めた。つまり、命令とはまったく関係のないことを口に出したことになる。

 ニニギは動揺しながらも、とりあえずは気にしないことにした。まず、目の前の魔物たちをどうにかしてからにしようと決めたからである。


 とりあえず玉座にいる魔王が本当に氷詰めになっているか確認しようとして、足の踏み場もないほど、魔物が並んでいることにあらためて気づく。これ自体、あり得ない事だ。戦闘に参加出来るのは、最大で16人までなのだから。

 踏み出そうとした足をとめ、ニニギは周囲に目を向けた。強制的に呼び出された7人の味方は、まだ誰も帰還せず、呼び出された位置に留まっている

 つまり、戦闘状態が解除されていないということだ。

 油断は禁物だが、この場で立ち尽くしたいてもどうにもならない気がした。

 何か命じてみようと思い、ニニギは前列に並ぶポーン兵に声をかけた。


「ゴーレムたち、凍っている連中が邪魔だ。壁際に移動させておけ。積み上げてもいいが、壊すなよ」


 まだ、何が起こるのかわからない。とニニギは思い、単なる氷結した魔物を、あえて殺すことはないだろうと考えたのだ。

 不安を抱きながら命令したが、ポーン兵として召喚された8体のゴーレムが滑らかに動きだした。

さすがに高レベルのゴーレムだけあって、まるで生き物のようにスムーズだ。

 王の間に凍ったまま佇んでいる魔物を持ち上げ、まるで引越し業者のように移動させていく。


 ニニギの指示で、まず玉座までの通り道を確保させた。

 戦場でのノンプレイヤーキャラクターは通常、戦闘以外のことはしないようになっているはずだ。仕様が変わったのだろうかと思いながら、ニニギはゆっくりと玉座に近づく。

 背後に足音がした。振り向くと、クイーンをはじめとした7名の駒たちが付き従っている。

 しばらくその姿を見つめていたニニギに、何が尋ねたいことがあるのか、先頭のクイーンが可愛らしく小首をかしげた。


「質問か?」

「いえ。ニニギ様がお尋ねになりたいことがありそうでしたので」


 見事な返しだ。プログラムされた言葉とは思えない。


「そうだな……まだ、敵が残っていると思うか?」

「いえ。ニニギ様に敵対する愚か者どもは、全て凍りついているはずです」


 全員が同じように黒い兜を頭からかぶっているため、顔を見ることはできない。表情ではわからないが、反論する者もいない。同じ意見のようだ。


「では、なぜお前たちはここにいる?」


 敵がいない。つまり戦闘状態ではない。ならば、ノンプレイヤーキャラクターは帰還しなければならない。それが、ニニギの常識だった。


「ニニギ様のお側にお仕えしてお守りすることこそ、我らが存在意義です」


 何を言っているのだろう。ニニギはしばらく考えたあげく、結論にはたどり着けそうにないと放棄した。

 きっと、仕様が変更になったのだ。そのうち、帰るのだ。

 そう自分に言い聞かせた。

 振り返ると、玉座の前まではまっすぐに道ができていた。まだ、左右ではゴーレムたちが働いているが、しばらく任せておいていいだろう。

 ニニギは足を踏み出す。足音からして、確認しなくても背後に駒たちが従っていることがわかる。


 玉座の前は階段になっており、配下の者や謁見者を見下ろす構造になっている。伝統的な王の間のつくりだ。

 そのまま階段を上ると、いまだに凍りついたままの、玉座の主がいた。

 魔王、と呼ばれるそのままの存在がいた。

 全体の形状は人間種に似ているが、皮膚は真っ赤で、立ち上がれば身長は2メートルを軽く超えるだろう。


 顔つきは精悍ともとれるが、まるで世界そのものを恨んでいるかのように鋭い目が、真っ赤に染まっている。口は大きく、長い牙が唇を割って突き出ていた。

 肥大した筋肉を隠すように豪華なローブを身にまとい、肩や腕、足元を覆う金属は、それが武装であることを示している。


 体が大きすぎて全身を覆う鎧が作成できなかったのではないかと一瞬だけ思ったが、これだけ立派な玉座の主がそんなはずはないと思い返す。たぶん、自分の強さに絶対の自信があるのだろう。あるいは、全身を覆うような鎧を身につけられない呪いをもっている可能性もある。

 もっとも、現在は氷詰めだ。クイーンは最高位の魔法を使うことができる。最高レベルに達しているために、魔力もすさまじく、その威力も恐るべきものだが、まさか一撃で凍りつくとは思わなかった。


 情報を得る必要が生じたら、まずこの魔王から解凍してしゃべらせればいいと思いながら、それは、ゲーム世界ではありえないことだと思い至る。

 背後に視線を向けると、クイーンたちが階段の下で膝をついていた。

 ニニギは、ポーン兵に凍りついた魔王を移動させて玉座の隣に置かせると、自分が玉座に腰かけた。

 目の前の光景は、実に王の間の主を実感させるものだ。自分の前にすべてがひれ伏すような錯覚を起こさせる。


 なるほど、とニニギは気を引き締める。歴代の王がどうして悪政を敷き、革命を起こされるにいたったのか、少しだけ気持ちがわかったような気がしたのだ。

日頃からこんな光景を味わっていれば、自分の言うことに従わない者は抹殺されるべきなのだという思い違いをしても仕方がない。

 多分にニニギの妄想であるが、そう思わせるだけの光景だったのだ。


「立て。ひれ伏す必要はない。お前たちは、俺の大切な子供たちなのだから」


 膝をつき、階段下でかしこまっていた7人が一斉に顔をあげる。顔を兜と顔あてで隠されているので表情がわからない。だが、代表して言葉を発したクイーンの声は震えていた。


「我々のような者に、過分なお言葉です。われら7人、主様のためでしたら死に兵となって戦います」


 やはり、思いすごしではない。会話として成立している。ニニギは7人を見下ろし、表情を見たくなった。

 これが高度な人工知能の結果であれば、表情まで完全には再現できないだろう。

 ニニギはまず、自分が頭からかぶっていた鋼鉄の兜と面あてを外した。

 もともと二重装甲なので、現れるのは隠れていたもう一つの装甲である。ただし、内側の装備は最高レベル到達者だけが装備できるナノアーティファクトと呼ばれる代物で、構成するひとつ一つの分子が意識を持っているかのように姿を変え、最適な防御形態をとる。


 それ故、流体金属とも呼ばれるが、防御力は他のいかなる装備より高い。しかも、最も薄くなると、分子一つ分まで薄くなることが可能だ。鶏の卵ていどの材料で、充分全身を覆うことができるのだ。

 最高レベルに達していないと装備できないというのは、これが救済措置も兼ねているからである。


 まず、プレイヤーの最高レベルである400に達した者が、更に強くなる余地としての側面がある。ナノアーティファクトは、装備して経験を積むことで、最適化され、より洗練された形態になり、防御力や武器として使用した場合の破壊力があがる。見た目も、装備するようになったばかりの頃は焼け焦げたような黒だが、使い込むうちに銀色から、さらには黄金色を帯びる。


 ナノアーティファクトは最高レベルに達した者なら装備できるが、他人の装備を借りると経験がリセットされる。いくら賢い金属でも、何人分も憶えてはいられないのだ。

 人に貸せば、返ってきたときに本来の所有者のことも忘れているのである。

 もう一つの救済措置は、ノンプレイヤーキャラクターについてである。キューブ対戦の中では、種族ごとに最高レベルが異なっていた。


 プレイヤーは全て種族は超人とされ、最高レベルは400だったが、ノンプレイヤーキャラクターは上限が20程度から400まで多様である。

 では、レベル上限が低い種族は弱いのかといえば、最高レベル到達者で比べればその通りである。

 ただし、レベル400まで育成するのは非常に時間がかかり、かつ特殊能力を覚えるために必要なスキルポイントは、最高レベルの6割到達以降、または最高レベルの100レベル下に到達してから取得する仕様なので、育成すれば強いが、育ちきるまでは使い勝手が悪いという特徴を持っている。


 逆に、最高レベルが100以下の種族のノンプレイヤーキャラクターは、すぐに色々なことを覚えさせられる上、ナノアーティファクトの装備も早く、序盤においては非常に重宝する。

 特にフィールド戦闘主体のプレイヤーは、最高レベルが低い種族のノンプレイヤーキャラクターを使用する割合が高かった。


 ニニギは全身を覆う鋼の鎧を解除しようとして、装備着脱のコンソールが出現していないことを確認した。

 複雑な思いで、自分の頭部に手をかけ、力を込める。仕様では、これでは装備を外すことは出来ないはずだ。だが、鋼鉄の兜は手の中に落ち、ニニギは自らの顔を晒した。

 顔といっても、肌に張り付くように纏っているナノアーティファクトに覆われた顔だ。ニニギのナノアーティファクトは、全身を薄皮の様に覆い、黄金の輝きを放っている。表面にはさらに、魔方陣のような印が浮かんでは消えている。


 最高段階まで経験を重ねたナノアーティファクトの証しである。

 ニニギがナノアーティファクトの顔を晒した瞬間に、居並ぶ7人が動揺したような気がしたが、理由の詮索はいずれする事にして、まずは用意していた言葉を発する。


「面を上げよ。お前達も、兜を脱げ。顔を見たい」

「はっ」


 クイーンの返事に合わせ、7人が一斉に黒い兜を脱ぐ。フルフェイス型で、顔面から後頭部までを覆っていた兜を脱ぐと、ニニギが作成し、アバターとして見てきた通りの顔が、ナノアーティファクトに覆われたままで現れた。


 ナノアーティファクトに覆われていたため、顔の形がはっきりとはわからない。素顔にぴったりと張り付き、皮膚のようになる。というのは、ニニギのような圧倒的な経験を積み上げなければならない。7人のうち、固定させてクイーンとして使っている一名は銀色に輝いているが、他の6人のアーティファクトは黒と銀のまだらか、基本的に黒い。そのクイーンでも、まるでお面をつけているかのような顔になっているため、ニニギはナノアーティファクトを解除するように命じた。


 途端に、7人の顔が現れる。

 7人の駒のうち、5人は人間によく似た顔をしているが、人間という種族はレベル上限が60しかない。非常使い勝手がよく、ガチャで1番多く手に入るが、ニニギのように本気でやりこむプレイヤーにとっては、主戦力とはなり得ないのだ。


 プレイヤーキャラは、全て超人という種族に限定されている。レベル上限は400とされ、例外的に1レベルからスキルポイントを取得できる優遇された種族である。

 その他に、最高レベルが400という種族は決して多くなく、ガチャで手に入れるのも、確率として1%だと言われている。ニニギは主力の7人を、その稀少種族で揃えた。それだけ、高額の課金をしてきたのである。


 そのため、ニニギが有するノンプレイヤーキャラクターの数は数えるのも嫌になるほどだが、主力の7人プラス壁役のポーン兵8人以外に闘いをさせる機会はあまりなく、ダンジョンの攻略のように連戦が想定される場合の予備メンバーや、特定環境下に強いメンバーで固めた者、人間種限定イベントなどの対策として構成した者たちなど、中途半端な育ち方をしているキャラクターは数多くいるものの、レベル400に到達しているのは目の前の7人だけだ。

 ニニギを見上げる7人の目が、まるで感極まっているかのように見えたのだが、どういった理由からだろうか。


「俺の認識では、お前達が俺とともに行動するのは戦闘時だけだったはずだ。なぜ、まだ目の前にいるのだ?」

「この時が訪れるのを、我々は待ち望んでいました」


 クイーンが話すのは、7人を代表する立場としてなのだろう。チェスの駒として最強の駒であるクイーンは、やはり特別だということだろうか。


「この時、というのは?」

「主様と、こうしてお会いすることです」

「今までも、会っていただろう?」

「主様は、常に我々を率いてくださいました。しかし、我々は主様のご命令に従うばかりで、主様にお仕えできる喜びも、主様の見事な手腕にたいする感謝も、お伝えすることができませんでした。ですが……こうして機会を与えられましたこと、何よりの喜びでございます」


 クイーンといっても、配置するノンプレイヤーキャラクターの性別に制限はない。ニニギは、クイーンに『不死の霊峰』という特殊な種族を据えた。

もともとそういう種族名だったわけではなく、アンデッドだったのが、レベルが上がり、クラスチェンジを重ねるうちに、そういう種族名になっていたのだ。名はサクヤとしてある。もちろん、神話からとったものだ。


「お前たちは、何が起きたのか理解しているのか?」


 起こり得ない現象が起きた。ゲームのバグ、エラー、バージョンアップなど、様々なことがあり得るだろう。しかし、どう考えても、この状況は理解できない。


「確かなことは申し上げられません。ただ、我々にとっては、造物主であり、父であり、指揮官であり、王である尊きお方に、こうして感謝を告げる時が与えられただけでございます。これまでは、お顔を拝見することもできませんでした……我が君の……お姿のお美しさに、我を忘れるほどです」


 戦闘時に呼び出す以外は、装備の変更やスキルポイントの割り振りをすることぐらいである。設定画面場で行うので、会っているという感覚ではなかったのだろう。と考えながらも、ニニギはますます混乱していた。


「推測でいい。俺がこうして、お前達と話している。これは一体、どういうわけだと思う?」

「おそらく……世界の変質かと……」

「世界が変質した? お前達も、この俺の体も……実体を持たないデータの集積でしかない」


 クイーンは少し寂しそうな表情をして立ち上がる。真っ白い肌をした、目鼻立ちが整った絶世の美女だ。アバターがこれほどの美女だったとは記憶にない。首から下はまだ黒い鎧を身につけたままだが、脱げば漆黒のドレスが似合う素晴らしいスタイルをしていることは知っている。


「お側に寄らせていただいても、よろしいでしょうか?」

「構わない」


 サクヤは寄り添うようにニニギの側に立ち、ニニギの手をとった。鋼鉄の手甲を外し、ナノアーティファクトに覆われた黄金の手をとると、自分の頬にあてがった。

 柔らかく、すべすべとした感触は、人の肌としか思えない。とても、データの集積ではありえない。


「お前達は、生きているのか?」


 信じられないことだ。だが、サクヤが主張したいことは、まさにそれだ。


「私でしたら、生きてはおりません。ただ、実体を伴っていることと思います」

「実体を……そうだな。サクヤは、不死族の頂点にある存在だ。生きているという表現は間違いか。ただ‥全員、同じ思いなのか? つまり……俺と直接面会して、ということだが」


 6人の頭が一斉に下がる。


「お前達は本物……これは、現実……か?」

「御意。なんなりとご命令ください。我ら、主様のために死ぬことのみが存在の証しでございます」


 ニニギは、まだ手を離さないサクヤを見た。実に美しい。

 視線を向けられ、サクヤは花が咲き誇るように微笑んだ。だが、この女はアンデッドの頂点に君臨する者である。

 視線を、ひざまずいたままの6人に転じる。


 全員が400レベルだ。周囲では、ゴーレム達がまだ片付けに勤しんでいる。命令通り、氷漬けの魔物達を丁寧に扱っているようだ。あのゴーレム達も、全員が380レベルだった。ゴーレムは、スキルポイントを取得できないかわりに、特別なイベントを経ずに400レベルまで育成できる種族である。少しレベルが低いのは、ポーン兵であるため、呼び出さないことも多いためである。


 この世界の住人の強さはわからない。しかし、魔王の軍勢が、クイーンのただ一度の魔法で完全に氷漬けになったことからも、それほど強いとは思えない。

 引き連れている一人一人が、設定上世界を滅ぼせるだけの強さを持つものたちである。

 ニニギは、まるでペットが主人にするように顔を押し付けているサクヤを見て、今まで抱いてきた空想が現実になったことに、ただ恐れていた。


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