自分の小説をつまらなく感じる時があるのは、悪いこと?
はじめましての方もそうでない方も、こんにちは。
執筆はじめて恐らく四年目。まだまだ未熟な書き手、星影と申します。
突然ですが、皆様は「つまらない病」という、物書きがかかる病気を御存じでしょうか。
これまで楽しく書いてきた自分の小説、もしくは、ここから書く予定の展開に対して「つまらないんじゃないか?」と思ってしまう病です。
書く事に面白さを感じなくなってしまうのもまた、つまらない病です。
そんな「つまらない病」ですが、今回なぜこんなテーマで筆をとったのかと言いますと、先日私「つまらない病」にかかり、それについて書いた活動報告がとても賑わいまして。
頂いたコメントを拝見し、つまらない病に対して否定的なコメントが多いことに気付いたのです。
さらには、他の方の活動報告にまで「つまらない病について書くこと」が、飛び火する事態になりまして。
ひょっとしたら書き手にとって興味がある話題なのかもしれないな、と思ったこともあり、自分の思う「つまらない病」について書いてみようと思った、というわけです。
と、まぁ、そんなわけで、やっとこさ本題に入りますが、申し訳ないことに“書くことに面白さを感じなくなってしまうタイプの症状”については、出たことがないので、正直なところ、よくわからないのです。
ただ、頂いたコメントを読んだり、推測してみた限りだと
他人の評価を気にし過ぎていたり
他のことが楽しくなっていたり
執筆以外のことで何か気がかりなことがあったり
書くことを楽しむ余裕や時間がなくなっているのかな、というイメージを抱きました。
こういう時は、無理に書くとしんどいだけですし、思ったように書けなくて、負のループに入ってしまうのではないかなと思います。
思いきって書くことから離れて気分転換をしてみたり、充電期間を入れてみるのも良いかもしれません。
そして、ここからは、私がお伝えしたかった、「つまらない病」の症状のもう一パターンになります。
これまで楽しく書いてきた自分の小説、もしくは、ここから書く予定の展開に対して「つまらないんじゃないか?」と思ってしまう症状についてです。
私がかかるのは、毎度こちらのタイプです。
今回私が発症したつまらない病の症状は「ここから先の展開を考えた時に、つまらない気がする」というものでした。
感覚の問題なのでうまく伝えられないのですが“違和感”とはまた違う感覚なんですよ。
どこがおかしいのかは分からないけれど、ここから先のお話が確かに「つまらない気がする」んです。
「だったら、つまらない小説って何?」
そんなことを思い、ネットの海を泳ぎまして“つまらない小説とは何か”を書かれているサイトをめぐってまいりました。
そこで書かれていたことをまとめると……
①展開について
展開が早すぎてついていけない
遅すぎてダラける
同じような展開が続いて飽きる
②キャラについて
主人公が成長しない、挫折しない、葛藤しない
性格がブレブレ
生き生きしていない
いらないキャラが多すぎる
③文章力について
日本語が変
④全体について
価値観が合わない
光るものがない
ドキドキしない
設定がだらだらと書かれている
なんの話なのかよくわからない
書き手の自己満足な話になっている
こんなようなことです。
「面白さやつまらなさなんて人それぞれだし、調べる意味もなく、気にする必要もないと思う」と、数名の方からアドバイスをいただいたりもしました。
確かに他人から見た面白さや評価ばかり考えていると、わけがわからなくなりそうで、書くのも辛くなりそうです。
その人特有の良さも死んでしまいそうですし、他人の評価はそこまで気にしなくてもいいのかもよ、というのは、同感です。
ですが、自分から見た“つまらなさと面白さ”を考える上では、この“つまらない作品とは”の項目、かなり役立ちました。
だって、まず自分が面白いと思えないと、読み手はもっと面白くないと思うんです。
以前書いたエッセイ「小説とは料理である」にも繋がりますが、美味しく食べてほしいのなら、まずは自分が美味しいと思うものを作らなきゃいけないよね、と。
そこで実際、この先の何がつまらないか、を、さっきの項目にあてはめて考えてみたのですが、キャラクターが生き生きしておらず、光るシーンも、ドキドキする言葉や展開もなく、設定だけがだらだらと垂れ流しにされていたんです。
「物語の中で必要なシーンだし、書かなきゃな」としか考えてなかったのですが、よくよく考えてみれば確かにこのシーンは、魅力に欠け、だらけていてつまらない。
何よりキャラクターが監督の指示によって、動かされている感じになっているのが、一番つまらない。
演者が感情をのせておらず、さらには設定ばかりを朗読している芝居なんて、見ている側からしたら、退屈なものでしかないと思うのですよ。
活動報告にいただいたコメントへの返信や、このエッセイを書いている最中にようやく気付けたのですが、私にとっての「つまらない病」とは、魅力に欠けるシーンを教えてくれるアラームのようなものなのかもしれません。
(ただこれ、精神状態によって、たまに誤作動あるのが困りどころですが……)
ですので、自分のお話がつまらない、と突然感じた方がもしいらっしゃいましたら、「気のせいだ」とはじめから決めつけるのではなく「どこがつまらないんだろう」と一度考えてみるのを、個人的にはオススメしたいと思います。
つまらない原因は
表現の仕方なのかもしれませんし
展開かもしれません。
もしくは、キャラクターがらしくないことをしていたり
テンポの問題
さらには、緩急に欠けているということもあり得ます。
ひょっとしたら、キャラクターたちが「こう言いたい!」と書き手に伝えようとしてきているのかもしれません。
探すのはとても大変ですが、原因を見つけようと奮闘してみてください。
つまらないかも、と自分が思うところは、いまの自分の実力でも、もっともっと面白く書ける場面なのだと思うのです。
「つまらない病」は書き手を苦しめてくる、困った病です。
筆はのらなくなるし、なんだかモヤモヤするし、自信が徐々に失われていくこともあります。
私のような趣味で執筆をしている人からすると、楽しく書けなくなるのは、辛いことです。
目をそらしたほうが、よっぽど楽だったりもします。
さらには、誰かに相談したところで「自分の作品がつまらないと言うなんて、かまってちゃんなの?」とか「つまらないなら、なぜ書いているの?」と、否定的に見られることも、ひょっとしたらあるかもしれません。
ですが、それでもつまらない病を嫌ったりしないで、向き合って欲しいんです。
ここで唐突にタイトルへと戻りますが「自分の小説をつまらなく感じるのは、悪いこと?」つまりは「つまらない病は悪者か?」と、誰かに問いかけられたら、私はこう答えます。
「嫌だと思う時もあるけれど、私にとっては必要不可欠なものです」と。
必死に悩んで探して、キャラクターに問いかけて、見つけて直して、納得する。
そうやってつまらない病を克服しようとすると、退屈な一カットだったところが、面白い一幕へと変わっていく気がするんです。
ひょっとしたらその面白さは、自分限定なのかもしれません。
それでも、以前よりもっと魅力的なお話にできるのです。
工夫を重ねたぶん、自分の物語をさらに好きになれて、つまらないどころかはじめよりもぐんと面白くなり、物語を大切に育てていきたくなるんです。
「つまらない病」を悪者にして遠ざけるか、真剣に向き合って味方につけるか。
それは書き手次第、なのかもしれません。
そんなことをふと、趣味の物書きなりに思ったりしたのでした。