3.8
八月に入り数日経った頃。
僕は明日に迫った出発の日に備え、旅の荷物を纏めていた。
2週間ほど泊まるつもりなので、当然荷物の量も増える。少しばかり溜息をつきながらトランクに服を詰め込んでいると、携帯が鳴った。
こんな時に誰だろうか、と思ったら昴だった。
「村上君、こんにちは」
ふむ、明日からの旅の事か。
「勿論それもあるけど、ちょっと君を誘おうと思って。今から一緒にランチに行かない?」
壁にある古い時計を見る。
朝からじっくりと持ち物を推敲しながら用意をしたせいか、時を忘れていたようだ。それはあと少しで正午を迎える事を示していた。
「そう、もう食べちゃってたらどうしようと思ったけど杞憂で済んで良かった。それじゃ、1時に北駅の中央広場で集合でいいかな?」
今家を出ても十分間に合うな……それに断る理由もない。
「良かった、じゃあまた後で」
さて、一段落したら行くか。
無駄に膨れ上がった都市の北地区に位置する、北駅。
やはり無駄にいる人々の中、僕は彼女を待っていた。
癖で集合時間の10分前には来てしまうのだが、今日ほどそれを後悔した日は無い。
噎せ返る香水や人の臭い。人混みから溢れるもわりとした熱気。無駄に五月蠅い巨大モニタの広告。
ああ、煩わしい。満員電車の比ではなく。
だがしかし。
「ごめん、待った?」
喧騒の中、確かに聞こえた彼女、昴の声がそんな気分を吹き飛ばすのであった。
「実はさ、いい穴場のお店があるって知り合いから聞いたの。イタリアンらしいよ」
それは期待が出来るな、穴場の店ならばこんな混沌の中でもゆっくりと過ごせるし。何より僕は意外とイタリアンが好きだ。
「へー、そう言えば村上君は食べ歩きが好きなんだよね?」
確かにそうだが……彼女に言った記憶が無い。
まあ遼太郎辺りが漏らしたのだろうが。
「そうそう、だからまた今度美味しいお店に連れて行って欲しいな」
勿論だ。とは言っても次など何時かは分かりはしないのだが。
そんな事を喋りながら、僕と彼女は大通りを歩き続けた。そして、二人の間には自然と繋がれた手があったのだった。
大通りからひとつふたつと角を曲がり路地を少しだけ進み、散々室外機の腐った空気を吹き付けられたその先に、店はあった。
古びたドアを開けると、そこには外からは想像できないような落ち着いた空間が広がっていた。正に穴場である。
洒落た音楽が流れるなか、壁に掛かったメニューに目を通す。
本日のパスタか……ナスやトマトなどの夏野菜をふんだんに使ったバジルパスタらしい。よし、これにしよう。
「私は……アラビアータにしようかな」
どうやら彼女も決まったようだ。
さて、頼むか。
結論を言うと非常に美味だった。
おそらく新鮮なのだろう、香り豊かな夏野菜をこれまた良いバジルソースが引き立て、パスタと良く絡むことによって素晴らしい味を演出していた。最早文句の一つも言いようがない。どうやらそれは彼女も同じであったらしく、かなり機嫌が良い。
そんな事を考えていると彼女に声を掛けられた。
「さて、ランチだけもあれだし何処か寄ってく?」
ふむ……わざわざ市内に出て来てランチだけというのも確かに勿体ない。とは言っても僕には他に何をしようかなど思いつきもしないのだが。
「うーん、本屋巡りをしない?」
それは良い案だ。確かに市内ともなれば大規模な書店が幾つもある。
「じゃあ早速行きましょう」
彼女はそう言うと、やけに瞳を輝かせながら、駆け足で歩き始めた。
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