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2-1

 その日は朝からついていなかった。後にスミスはそう語る。

 いつものように朝五時に起床すると、阿呆の志熊の発注ミスで山のようなもやしが届いていた。足の速いもやしを、大の段ボール三十個。急遽モーニングにももやしを提供することと相成った。無論、志熊の今後の食事ももやし中心だ。米の代わりにもやし、もやし炒め、もやしサラダ、もやしのおひたし……もやしをおかずにもやしを食べねばもやしが死ぬ。その日の賄いからもやしを大量投入することを決めた。

 そうかと思えば今度は馬鹿の玩馬がランチほっぽり出してストーカー退治に志熊も連れて行ってしまった。居候の分際であの兄弟は図々しいにも程がある。SGSは副業であって本業は喫茶店なのだ。絶対にヤキを入れてやる。胃袋への報復を誓った瞬間だった。

 ランチも終わって一段落した頃。今度はやはり志熊の発注ミスで紅茶の茶葉が切れていたことに気づいた。仕方なく買い出しに出ようとすれば今度はハニーベルの猛攻。どこ行くの何しに行くの何時に帰ってくるの……他にもいろいろ聞かれたが全て受け流して店を出た。いつもの店でいつもの茶葉を買ったまではよかったのだが、賑やかな音楽と景気のいい電子音に誘われ、スミスの長い脚はふらふらとパチンコ屋に吸い寄せられていった。それは確実にスミスのミスであり、スミスのラックが欠けていただけなのだが、ここで五千円もすってしまった。

(あの時止めていれば三千円は勝っていたのに……)

 溜息混じりに家路を辿りつつあった時、地下鉄の駅で一人、少女が蹲っているのを見た。

 白いセーラーカラーのワンピース。気品ある紫と黒と白の織りなすリボン。濃紺のラインと折り目正しいプリーツに今時白の三つ折り靴下。

 間違いない。名門・しののめ女学園の制服、しかも夏服だ。まだ肌寒い日が続いているというのに。

 スミスは所謂、制服というものに激しい興奮を覚える質の、変態である。地元名門女子校・しののめ女学園の制服を似せて作った衣服をハニーベルに着せようかと画策したこともあったが、現存するものを真似るのはスミスの矜恃が許さなかったので諦めた。しかし今でもスミスは街ゆく女子高生の制服を愛しのハニーベルに着せたいと妄想を抱いている。

 その制服フェチ・スミスの目に少女はとまった。第一、平日の授業のあるであろう午後三時。校則の厳しいしの女の生徒がこんなところにいるのはおかしいではないか。スミスは善良なる一市民。胸の高鳴りを抑えつつ大人として少女に声をかけた。

「嬢ちゃん、大丈夫かい?」


 ――全てはスミスの下心が招いたことか。スミスは深い溜息をつき、自らの行いを反省した。

 しかしスミスは生粋の英国紳士。困っている女性を放ってなどおけない。やはり自分は正しいことをして、しかるべき不運の結果としてここにいるのだと改めて納得した。

「本当に……すみませんでした!」

 制服の女子高生――澁澤茉弥(しぶさわまや)は何度もスミスに頭を下げた。脳震盪くらい起こしそうな勢いだ。

「私が助けてくださいなんて言ったばっかりに無関係のスミスさんまで巻き込んでしまって……なんて言ったらいいのやら……」

 時折顔を上げてはスミスに謝り続けた。左右両方に一つずつついた泣き黒子が印象的な少女だ。潤んだ瞳と神妙な声で陳謝する彼女に、スミスは若干頭痛を覚え始めた。

「うん、何も言わずに考えてくれ。ここからどうやって出るかを」

 見渡す限りの闇。饐えた水の匂い。時折聞こえる小さな高音はネズミの鳴き声か。

 突き抜けるような青空は丸。二人はマンホールの中でそれを恨めしげに見上げていた。

「三十四年生きてきたが、マンホールに落ちたのは初めての経験だ」

 榛色の髪をがしがし掻きむしりながらスミスは呻いた。下水の匂いが腹立たしい。

 通常、マンホールは下水や電気配線の作業用の穴のはずだ。当然、足場も備えてあるべきなのに……スミスと茉弥が落ちた穴には、およそ足場らしきものが欠落していた。かろうじて壁面に鉄の棒で足がかりがついているが、スミスの長身をもってしても届かないほど高くにある。下の方にあった鉄棒は、どうやら時間と共に朽ちてしまったようだ。

「大体マンホールが開いているなんて……経済大国日本のくせに杜撰だぞ……」

「わ、私の知り合いは、よく落ちたりしますけど……」

「慰めにもならん。とりあえず黙っていてくれ」

 突っ慳貪に言い放ち、スミスは見知らぬ女子高生を落ち込ませた。

「兎にも角にも、脱出手段がここにはないな」

 外に連絡しようにも、彼女は携帯電話を持っていなかったし、スミスの携帯も紅茶の葉と共に水没し、ブラックアウトしてしまった。

「方角的には、こっちに行けばいいな」

 覚えていた太陽の位置から方角を割り出し、スミスは少女の手を引いて下水管を歩き始めた。

「方向感覚には自信がある。俺の頭が狂っていなければ、おそらく地上に出られる」

「あ、ありがとうございます!」

 大きな瞳を輝かせながら礼を言う。反響する少女の声に耳を痛くしながらも、スミスは歩みを止めなかった。

「ただし、きっちり教えてもらうからな」

 握る手に力を込め、榛色の瞳で少女を睨む。

「君が追われている理由を」

 ふ、と少女の目が暗くなった

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