何故失速するかって?そりゃネタ思いついた時と比べて書く勢いがなくなるからだ
人間、ノンストップで全力疾走できないもんです。
相変わらず、深夜は剛体法の型を崩す事なく三人の進路――即ち食堂に近い階段を塞いでいた。今から道を引き返して反対側の階段から行こうとすれば確実にカツサンドの購入は望めないだろうし、だからと言ってここで時間を潰されているのも同じ事だ。詰まる話、打つ手はない。
「……あ。いや、あるな」
と、不意に何らかの策が思い浮かんだのか、三時は手をポンと叩いた。訝しむ昇と正午を見て、訊ねる。
「あのさ、ここって二階だよな」
「うにゃ? まぁそうだけど、それがどうかしたんかにゃ?」
「今はそんな分かりきった疑問を言っている場合――」
ではない、と続ける事なく、正午もふと何かに気付いた。恐らく、三時の言わんとせん事が分かったのだろう。
三時と正午は顔を見合わせる。そのアイコンタクトの意味が分からない昇と、そもそも話を聞いていない深夜を捨て置き、二人は廊下の窓ガラスを勢いよく開けて階下を見下ろす。舗装されたアスファルトの地面が見える。高さ的には4メートルとちょい。
普通の人間ならば思わず怯んで仕舞う高さだが、蹴り主体の体術であるテコンドー使いの三時と、足腰を主に鍛えて瞬発力を限界値まで引き上げた正午にしてみれば、それは『大した高さではない』。
「にゃ……? まさか、お前ら……」
嫌な予感がした昇は、頬をひきつらせたまま二人を見つめる。三時と正午は同時に振り返り、同時に言う。
「「[俺/僕]は先に[行くぜ/行かせてもらいます]」」
「ちょ――」
昇が制止する暇もなく、
三時と正午は勢いをつけて窓から飛び降りた。「なば、馬鹿じゃねぇのかアイツら!?」と我知らず地を出した昇は急いで窓から頭を覗かせ、下を見た。
タトトン、と二つの軽快な足音が聞こえる。アスファルトの地面に『怪我一つなく』立っていた三時と正午は、昇を見上げながら言う。
「それでは。僕はこの辺りで失礼します」
「深夜を攻略しない限りはどうにもなんねぇぞ」
「ぶばっ、馬鹿だろテメェら! 正気かよオイ!」
「おいおい、動揺のあまり地が出てんぞ、地が」
「情けないですね」
「おい、コラッ! テメェらちょっと、待て……!」
割と悲痛な、というか寂しげな昇の叫び声を余所に、三時と正午は学食へのショートカットを果たしたものの共闘という意識はなく、ドカバキと激しい衝突音を響かせながら走り去っていった。
その場に残された二人――即ち昇と深夜は互いに顔を見合わせる。何というか、沈黙が突き刺さる様に痛い。
「……あ〜、何だにゃ。……俺もそこを通っていいかにゃ?」
「……」
「強行突破!」
深夜が無言で首を横に振った瞬間、昇は先に向かった二人を逃がすまいと、全身全霊を賭けて深夜に襲いかかった。
―Φ―
ズドバババババババババババッ!
ザガギキュキュキュキュキュッ!
三時と正午。凄まじい蹴りの怒濤の連打と、フットワークと全身のバネを使った手刀が飛び交う。互いの一撃が少しでも触れれば火花が飛び散りそうな勢いではあるものの、全て紙一重の距離感を保ち、擦過する事なく通過していくだけだ。
しかも何よりも驚くべき事は、その激しい攻防を繰り広げていながら、走る速度は決して衰えていないという事だ。通常速度で走りながら戦う二人を、学食戦争の為に走っていた足を止め唖然と見つめる周囲の生徒ら。
「なかなかやりますねぇ三時!」
「オマエモナー(´・ω・`)」
「しかし、貴方では僕には勝てませんよ! 何故か分かりますか!?」
「俺は負けてねぇ! ……フッ、まぁいい、言ってみろ。戯言を聞いてやる!」
「……貴方は、『コロンブスの卵』という話を知っていますか?」
「あぁ、何か聞いた事があるな」
「かつてアメリカ大陸を発見したコロンブスの手柄を妬んだ輩共が、『アメリカ大陸は誰にでも見つけられた』と非難した。しかしコロンブスは非難した輩共に対し『ならばこの鶏の卵を逆さまに立ててみろ』と言い放ったという、有名な話です」
「けど、誰一人として卵を逆さまに立てられる奴は、いなかった……だっけか?」
三時の言葉を聞いた正午は、自分の教え子が難しい問題を解いた様にフッと優しげな笑顔を浮かべた。ただしその小柄な身体から繰り出される手刀や関節技を極めようとする攻撃の手は決して止まっていないから、なかなか不気味な演出である。
「えぇ、そうです。コロンブスは見事に卵を立てました、逆さまにね。卵の頭を潰して接地面積を広げる事で、卵は立ったのです。それからは誰一人として、コロンブスのカリスマ性及び天才性にケチをつける者はいなくなりました」
「……で? それと、この現状に何の関係があるんだ?」
「フッ。…………いい話ですよね」
「言ってみただけかよ! なっ、ちょっ、お前その為だけにこんだけ無駄な文字数稼いだの!? テメッ、ふざけんなよ絶対ェ殺す!」
―Φ―
「ふっふっふ〜ん、カツふっふ〜ん。サンドが欲しいぞ俺の物〜」
ゆうげは廊下をスキップ気味に歩いていて、更に鼻歌なんか歌っちゃってる。有頂天という言葉を辞書で引けば、例題に使えそうなノリだ。
「まぁアイツらにゃ悪いけど、最後に勝つのは頭のいい奴じゃん。だったら俺が負ける道理はないっての」
クックックと、口元を押さえてゆうげが笑った瞬間、
「待ァァァァァああアアてやゆゥゥゥううウうげェェェええエ!」
背後から聞こえた雄叫びと同時に、一閃。ゆうげは首を横に倒してその一撃を避け、冷や汗を垂らしながら構えて声の主と対峙する。まさか、とは思ったが案の定、そこにいたのは昇だった。
「……ゼッ、ゼェ……ハァ、ゼェ、お、追いつ、いて……やっ……たんだ、にゃ……こんチ、クショウ、……がにゃ」
「いや……何かお前、疲労で死にそうじゃね? どんだけ走って来たんだよ?」
「ぼ、ボクサーは……身体力と、耐久力が、売りだにゃ……。い、一キロ、を、一〇〇……メートル走の、速度、……で、走る事、なんて、……ワケないんだぜぃ……」
「……その割にはヘバってるじゃん。もう保健室行けよお前」
睨み合う――と表現するには昇の目の虚ろな焦点が若干抵抗を生むが――二人の元に、ようやく深夜が到着した。瞬発力はともかく、持久力では確実に昇より下であろう深夜は、無表情ながらも肩で息をしているし、長い黒髪で隠れた顔面はやや汗が垂れ流れている。
「っつか、まさか深夜を振り切るとはな……」
「あ、当たり前だぜぃ。世界レベルのプロボクサーは、1R三分で12R、フルで戦える身体を作るんだからにゃ。1R毎に休憩を取りはするものの、単純計算で三六分間は息を詰めて殴り合うハードな格闘技なんだにゃ。たかが十数分を想定した試合しかしない空手家が追い付く道理はないにゃ」
「ふむ。でもさ、それって一つ誤算じゃん?」
「にゃ?」
「だってさ――」
轟、と一閃。周囲の空気を巻き込む程に凶悪な一撃を、昇は驚愕に目を剥きながらスウェー(上半身を反らして避ける技術)でかわす。シュビ、と昇の髪を掠めた一撃は、まるでプロ野球選手が頭スレスレで素振りをしたかの如く、背筋を凍らせるには充分な破壊力を秘めている。
「だってさ、スタミナねぇ時に俺と戦うんだしさ、それは完全な誤算じゃん?」
「ラリ……アート……? ちぃ、プロレスかにゃ!」
「正確にはプロレスじゃねぇんだけどね。お前、KAKCって知ってっか? サクソン民族やケルト民族が英国に持ち込んだ投げ技や関節技主体の武術で、19世紀末から20世紀初頭にかけてアメリカに広く伝わり、現代のプロレスの基礎になった。空手なんかより遙かに多くの『技』が存在しているKAKCは――まぁプロレスもそうだが――技の組み合わせ次第で強くなれるのが利点だ」
昇はチッと舌打ちしながら、ゆうげのラリアートをかわした際に掠めた髪を掻きあげ、睨み付ける。
「……ハッ、たかが大衆向けに改良された様な格闘技が、本物の格闘技に勝てる訳がないんだにゃ」
「……ハッハ! だったら、試してみるといい、ヘタレ拳闘士!」
「その言葉、後悔すんじゃねぇぞ。……あ、にゃー」
バチバチバチバチ!
凄まじい『眼』のくれ合いが開始されると同時に、ようやく昇に追い付いた深夜はその光景を見て怯む。何というか、そこらを歩いている生徒も我関せずと遠巻きに横目で見ているくらい険悪で一触即発な空気が漂っている。
――刹那、互いに一閃。
手首の返し(スナップ)を効かせた昇の左ジャブがゆうげの髪を掠め、ゆうげの巨大な拳が放つ左の裏拳を昇は右手で掴んで止める。
ほんの一瞬の、僅かな時の中の攻防。二人は互いを鼻で笑い、一気に学食目指して駆けだした。二人にしか通じていない世界を展開しているらしいが、ようやく追い付いてその場にポツンと佇む深夜は一言、
「……また、走るの?」
ボソリと呟いた。