小説家の条件とは?
このサイトの皆様に、何かしらの参考になればと思い、執筆いたしました。
先週、僕がこのサイトの作者としての操作法、具体的には、頂戴する「感想文」の取り扱いについて無知であったため、論議がまきおこってしまった。
その経緯は割愛するが、途中、あらためて気が付いたことがあるので記してみたい。
このサイトに作者として参加してる方々の過半数は、できれば、か、ぜひとも、はさておき、作家を志望してらっしゃる方に違いないことから、ご参考になればと思ってのことである。
僕の作品、『使命感が煙の中に』の中でも、吉行淳之介さんには少し触れ、機会があれば、吉行さんとの電話での会話を作品として残しておきたいと書いたように記憶する。
その機会があろうとなかろうと、先に賢明なる皆様にお伝えするほうが得策か、との判断もある。
その夜、吉行さんは機嫌がよかった。
体調も良好で、お仕事も一段落片付いた、といったようなことであったか。
色々と会話は弾んだのだが、ふと思いつき、次のような質問をしてみた。
「ところで、作家になるための条件って何でしょうねぇ?」吉行さんは特に考えるといった風もなく、
「智、情、それに意でしょうね」
と、おっしゃった。なんだか、漱石の『草枕』の冒頭かと思ったので記憶に残った。
「智と情というのは、何となく解るんですが、『意』って、解りにくいですねぇ‥‥受験生が鉢巻きするような」
「あはは。そんなんじゃあ、ないなあ。少々、自分が踏み込みたくないことなり分野なり、各自、あると思う。そこに敢えて足を踏み出していく、そんな姿勢を僕は『意』と、とらえてる」
吉行さんからそのようにお聞きしても、当時の僕にはぴんとは来なかった。
今、あらためて考えてみると、関心のない分野にも好奇心はもつように心がけるようにとおっしゃったようにも思う。
また吉行さんに《恐ろしい場所》という作品があるのだが、そういった作品に触れるにつけ、嫌で嫌でたまらないこと、拒絶反応を起こしてしまうようなことを敢えて探ることにより、作品は生まれてくるんだと教えていただいたのかもしれないと思うようにもなってきた。
この作品の冒頭、まきおこった議論があったことを記したが、そんなこともある程度予想しつつ、『この場を借りて』を投稿した。
その作品は、当事者だけに宛てた積りであったのだが、案外にそうでもなかったようで、僕の作品としてはアクセス数がはじめから高かった。
また論議のさなか、皆様の誠意も感じたし‥‥‥要するに一言でいって、このサイトに投稿なさる方々の智、情、意が伝わってきた。
吉行さんとの会話の一部ですが、創作を目指す方々のご参考になればと、執筆しました。
皆様のご感想、この作品に就きましては、より強く望んでおります。
感じとっていただける点ございましたら、幸いです。