365回目でループを抜け出せた(らしい)婚約者から、本日午後より溺愛が始まりました!〜今までの冷遇はどこいったんですか?〜
部分的にちょっと重たい内容もあるかもしれませんので、超軽めなお話をお求めの方は、そっとブラウザバックでお願いします。
それは、本当に一瞬のことだった。
階段を降りる途中で、段を踏み外し……でも、咄嗟に誰かが、私の腕を掴まえてくれた……次の瞬間!
ガッシャーーーーン‼︎
パリンパリンパリンパリンッ……
貴族学院の校舎中央に位置する大階段、その天井に設置されていた豪奢なシャンデリアが落下し、辺りに振動と破砕音を響かせた。その衝撃により飛び散ったクリスタルガラスの欠片が、窓から差す太陽光を反射させ、キラキラと輝く。
………………
あ……危なかった……あの下敷きになっていたら、恐らく私は死んでいただろう。
………………
あれ? そういえば、階段から落下した衝撃はこの身に感じたはずなのに……不思議とどこも痛くない。なぜ?
「きゃーーーー‼︎」
「お、おい! 早く先生を呼んでこい!」
「誰か倒れているぞーー⁉︎」
騒然とする周囲の音が……声が……少しくぐもって聞こえる。それが、私を抱える誰かの腕で両耳を塞がれていたからだと気づくのに、暫しのタイムラグがあった。
カチンッ!
ボーン、ボーン、ボーン、ボーン、ボーン……
階段正面に置かれているアンティークな柱時計……その文字盤の長針と短針が頂点で重なり、規則正しく12回鐘を鳴らした。
その音が一回一回鳴る度に、呆けた頭が徐々に現実へと引き戻される。
私を抱きかかえているのは、一体……誰?
「ミュエル……」
「⁉︎」
その時、聞き覚えのある声が私の名を呼んだ。
パッと顔を上げると、すぐ目の前には心配そうな彼の顔。どうやら、相手の上に倒れ込む様な形で、私の全身が丸ごと乗っかっているようだが……理解が追いつかない。
なぜ、貴方が……嫌いな私のことを護ってくれたの?
パチッと目が合った途端、彼の整った顔が反射的に歪む。だが、いつものような鋭く険しい表情ではない。見たことのないくしゃくしゃな顔……そして、その両眼からボロボロと大粒の涙が溢れ落ちた。
「……え?」
「い、生きてる……ミュエルが……生きてる!」
「ア……アトラ……様?」
「やっと……やっとループから抜けたんだーーーー‼︎」
「⁇⁇」
今まで私を冷遇してきた婚約者が天を仰ぎ、歓喜の声を上げた。その胸に私を強く抱き締めたままで……。
◇◇◇◇
怪我や体調の確認、事故状況の簡単な聞き取り等で慌しく、お昼の休み時間はあっという間に終わってしまった。
シャンデリアの落下事故は、幸いにもほぼ怪我人が出なかった為、午後の授業は通常通りに始まった……のだが、教室内が未だかつてないほど、ざわついている。
前方に座る生徒達がちらちらと後ろを振り返り、淑女のお手本のような先生でさえ、ずり落ちた眼鏡を押し上げ、まじまじと私達の方を見つめてくる。
まぁ、己の目を疑いたくなる光景よね。私自身、この状況にものすごく驚いているんだから……。
『学院内では俺に話し掛けないでくれ』
これは、入学初日に婚約者である彼から言われた言葉。だが、私は特に反論することなく、今日まで律儀に守ってきた。その言いつけを破るのが一瞬、憚られたが……先に話し掛けてきたのはあちらの方だ。
私はふうっと小さく溜息を吐き出してから、彼に声を掛けた。
「アトラ様……」
「何だい、ミュエル?」
「……見過ぎですわ」
いつもは最前列中央の座席が彼の指定席。なのに今、最後列にある私の席の隣にわざわざ座って、頬杖をつき、じぃーーーーっと真横から私のことを見つめてくる。
頭に包帯を巻かれ、骨折疑いのある左腕は三角巾で吊られている痛々しい見た目。今回の事故、彼が唯一の負傷者らしい。
本来なら教室で授業なんて受けている場合じゃない。すぐに帰って受診すべきだ。それなのに、保険医に勧められた早退を断固拒否し、今ここに座っている。
今日のアトラ様は、本当にどうしたのだろう? 次から次へと理解し難い行動ばかりだ。
「なんだかご様子がいつもと違いますが、一体、どうなさったんですか?」
私の問いかけに対し、彼の口からは信じられない言葉が飛び出した。
「ミュエル、もう俺は……片時たりとも、愛しい君の側から離れたくないんだ」
「……はい?」
「ミュエルがここに生きていてくれるだけで、俺は幸せだよ」
「え……えっと……」
世界で一番愛おしいモノでも見つめるように、潤んだ瞳を私に向けてくる。この人は……本当にあのアトラ様なのかしら?
だって今日の午前中は、お決まりの座席で通常通り授業を受けられていたし、こんな風に話しかけてくることもなかった。時折、妙に熱い視線をどこかから感じたような気もするけど……違和感といったら、その程度だ。
もしや、階段からの転落で頭を打って人格が故障ってしまったのかしら? それとも、気絶してる最中に見た悪夢でとち狂われたの? はたまた最近、巷で流行りの『前世を思い出したーー!』とかいうやつでしょうか?
う〜〜ん……どれもこれもあり得そうではある。それぐらい目の前のアトラ様が、私の知る彼とはまるで別人なのだ。
◇◇◇◇
私達は、幼少期から婚約関係にある。
アトラ様の父君は元々、平民の商人だった。伯爵家当主である私のお父様が、その商才を見抜き、彼に投資したことで事業は大成功。商会はあれよあれよと大きくなり、ついには王家から子爵位を賜った。つまり、ハイルエンド子爵家にとって、我がロービズ伯爵家はいわば恩人なのだそう。
そのご縁で両親が取り決めた婚約だから、これは政略結婚では無い。だが、傍目にはそうは映らなかった。
地味なロービズ伯爵家と華やかなハイルエンド子爵家……誰がどう見ても、不釣り合いに見えたのだろう。その為か、色々な噂が後を経たなかった。
ロービズ伯爵家は、貴族には珍しく『質素倹約』を家訓としている。流行に疎く、外見上あまり裕福そうに見えない為か、『伯爵家はハイルエンド子爵家に買収された』というデマも流れたっけ。
事実を斜めに切り取って、面白おかしく話を振り撒く。それが真実かどうかなんて、皆どうだっていいのだ。操作された情報の波に乗れるか、それとも飲まれるか……それが貴族社会の理である。
ちなみに、流行の最先端……いや、『流行の仕掛け人』とも呼ぶべきハイルエンド商会で、広告塔な役目を担っているのが、このアトラ様だ。彼の周囲には常に人が集まる。そして……華やかな彼にとって、地味な私は嫌悪の対象だった。
そう……私は幼い頃から婚約者のアトラ様に嫌われている。
初対面のご挨拶時に、全力で敵意を剥き出しにされたのは、幼心に衝撃だった。言葉を交わす前の拒絶……それは私の冴えない容姿のせい? それとも、己よりも高位な貴族への拒否反応? 何が原因かはわからなかった。
そして、婚約者同士の交流として顔を合わせる度に、あの綺麗な顔が歪むのを幾度となく見てきた。
だが基本的に、爵位が下位の者から婚約破棄は言い出せない。だから、入学初日にあの発言……私の方から白紙撤回を言い出すように仕向けてきたのだ。
彼の意図を理解した私は、ここぞとばかりに、入学式のあったその日すぐ動いた。お父様にもハイルエンド卿にも事情を説明し、婚約解消になるよう働きかけた……のだが、なぜか少しも進展する素振りがみられなかった。
いや、もしかしたら手続きやらに色々と時間が掛かるのかもしれない……そう思い直した私は、アトラ様と極力関わりを持たぬよう、学院生活を送ってきたのだった。
◇◇◇◇
ボーン、ボーン、ボーン……
校舎内に大時計の鐘の音が響き渡る。気づけば、午後の授業がいつの間にか終わっていた。先生の言葉なんて何一つ私の耳には入って来ず、机上のノートは綺麗に白いままだった。
ちらりと隣を見遣ると、アトラ様はさっきと同じ角度から微動だにせず、片手で頬杖をついたまま私を嬉しそうに見つめていた。
えっ、嘘⁉︎ もしかして、ずっと見続けてたのーー⁉︎
微笑を浮かべたその甘い表情は、ハイルエンド商会の店舗外に置かれた大看板の絵姿そのものだ。普通の令嬢達なら顔を赤らめるでしょうが……なにか得体の知れない恐ろしさを感じた私は、サァーーッと青褪める。
「そ、それでは……」
そそくさと荷物を通学バッグに仕舞い、急いで退出しようと立ち上がった私の手を、彼が『逃さない』と言わんばかりに素早く掴む!
ぱしっ!
「ア、アトラ様⁉︎」
手背側から掴まれたはずの私の左手が、するりと流れるように、恋人繋ぎへと持ち替えられた。
「なっ⁉︎」
「ミュエル……俺達は婚約者同士なんだから、今日からは一緒に帰ろう、ね?」
「……え?」
出逢ってから十年以上経つが、今までこんなこと一度もなかった。そもそも、こんな滑らかに彼が話し掛けてくること自体が異常だ。アトラ様の真意は全くわからないが……絶対に、何か裏がある。
神経を尖らせたまま視線を動かすと、小首を傾げ、懇願するような上目遣いの彼の……ぐるぐる巻かれた頭の包帯に目が止まった。
「あ……」
この怪我は、私のことを身を挺し庇って下さったせいだ。ちょっと何考えているか全然わからないが、助けてくれた恩人を無碍にすることはできない。
………………
観念した私は彼の方にくるりと向き直り、そっと頭を下げた。
「……わかりましたわ」
「ふふっ! ありがとうミュエル!」
そう言うとアトラ様は、私の手の甲に軽く口づけをしてから、その繋いだ手をけして離すことなく、椅子から立ち上がったのだった。
◇◇◇◇
バタンッ!
煌びやかで最新式なハイルエンド子爵家の馬車に乗り込み……私は困惑した。
教室から馬車までの移動も、アトラ様はなにやら挙動不審だった。まっすぐに行けば近い通路をぐるりと迂回し、小さな段差にすら警戒する。校舎内の所々で、一瞬だが怯えるような表情を見せることもあった。そして、終始……私に対してハイパー過保護! 怪我をしていなければ、私をお姫様抱っこしかねない勢いだった。え? なぜ⁉︎
「事故の件で屋敷にはすでに一報入れてあるし、ミュエルを一晩お借りすることも、ロービズ伯爵家には伝達済みだから安心して、ね」
………………
いえ、むしろ不安しかないのですが?
一体、いつ、そんな連絡を入れる時間があったのだろう? というか、子爵家にお泊まりするとは一言も聞いていない! もしや『一緒に帰ろう』って……『一緒の家に帰ろう』って意味だったの? 正気⁉︎
……はっ! そうか!
怪我の代償もしくは保護の報奨として、ロービズ伯爵家に何かを要求する気なのね。ハイルエンド子爵夫妻に説明させる為に、私の時間を拘束するつもりなのだ。なるほど。
それにしても……今、この状況は……何? 普通は向かい合って座るはずの座席が、ちゃんとあるにも関わらず、私がアトラ様の膝上に座らされているのはなぜ⁇
私の背中側から彼の右腕が回り、三角巾に吊られた左前腕部を下から支えるような形で、両手が繋がる。それにより、私の身体は後ろから抱き締められるように、がっちりホールドされていた。逃亡阻止?
これでは『下ろしてください!』とジタバタ暴れることもできない。ちょいと身じろぐので精一杯。
「ふふっ。前にミュエルをうちに連れ帰った時は、ほぼほぼ拉致監禁だったからね。こうして、ちゃんと我が家にお招きできる日が来るなんて……」
嬉しそうにそう語る彼の口から……今、物騒な言葉が飛び出さなかった?
だが……おかしい。私はハイルエンド子爵家に行ったことは一度もない。交流のお茶会の場所はいつもロービズ伯爵家だったはず。アトラ様、もしかして別な女性と勘違いしてる?
私の戸惑う横顔がよほどブサイクだったのか、彼がふっと小さく笑い……そして呟いた。
「365回……」
「え? それは……何の回数ですか?」
「俺が今日、六月二日の金曜日を繰り返した回数だ」
………………
彼の言っている言葉の意味がわからない。
馬車の中を暫しの沈黙が支配し、ガタゴトと車輪の音だけが、やけに私の耳の奥に響いた。
◇◇◇◇
「く、繰り……返す? 一体……何を仰っているんです?」
少し間を空けてから、ようやく私は聞き返した。
にわかには信じられない話だが……これほど真剣な声音の彼が、悪趣味なジョークを言うとは思えなかった。
それに、嫌いな相手である私に対して、彼が騙したり、嘘を吐いたり、貶める発言をしてくることは過去一度も無かったからだ。
すると、アトラ様が切なげな表情で微笑む。
「ははっ。『信じられない』っていう、その顔……久しぶりだな。俺だけがループしていた世界だから、今回のミュエルがわからなくて当然だよ」
「久しぶり? 今回?」
アトラ様が口を開く度に、私の頭に疑問符が増えていく。
「今日、11時59分までに……昼の時鐘を待たずして、ミュエルが死ぬ……もしくは、俺が死ぬ」
………………
「……し……死ぬ⁉︎ ええっ⁉︎ ……って昼? もう、とっくに過ぎたではありませんか! 今は夕刻ですよ? アトラ様、私をからかったんですね!」
己の見込み違いだったことに、正直ガッカリし、少しだけ腹が立った。
『やっぱり悪い冗談なのね』……そう言いかけて、ふと、昼間に彼が叫んだ言葉が思い出される。
『やっとループから抜けたんだーー!』
ループ……何かのキッカケにより時間が巻き戻ったり、同じ日を繰り返し抜け出せないという、アレのことよね? 空想の物語やホラー小説では読んだことがあるが……そんな不可思議なこと、本当にあるんだろうか?
だが、私の常識の範疇を超えた事象が、今、後ろにいる。このアトラ様の変貌ぶりをどう説明すればいいのだろう?
トンッ……
その時、困惑する私の肩に彼がもたれかかってきた。頭の重みを制服越しに感じ、私の顔の温度がグンッと急上昇する。
「ア、アトラ様⁉︎」
「あの日……始まりの六月二日……周りを他の生徒達に囲まれ、談笑しながら、俺はあの階段を上っていた。その時、静かに階段を下りてくるミュエルとすれ違った。目の端にちらりと捉えていた君が、俺の視界から消えた瞬間……背後でドタドタと激しい音が鳴って……」
まるで、言葉にするのも苦痛だと言わんばかりに、彼の声が微かに震えている。
「振り返ると、そこには階段を転がり落ちていくミュエルが……俺の目にはスローモーションのように映った。そして、最下段まで落ちたことで落下は止まり……向いては行けない角度に、首が折れ曲がった状態で……ミュエルは……絶命した」
私を抱き締める彼の腕に、グッと力が籠る。
「ミュエルの名を叫び、階段を駆け下り、君をこの手に抱き上げた、その瞬間……俺の真上にあのシャンデリアが落ちてきたんだ」
「あれが……」
頭の奥深くで、昼間の激しい反響音がリフレインする。
「俺は……ミュエルとは違い、即死ではなかった。君の身体を抱き締めたまま……真っ赤に染まる視界の中で、ただただ嘆き、悲しみ、悔やんだ。なんで……どうして……俺の大切なミュエルが…… 薄れゆく意識の中で、大時計の鐘の音が遠くの方で聞こえたような気がして……そこでブツッと、意識は途絶え…… 次の瞬間、目を開けるとそこは自分の部屋のベッドだった」
私の肩に顔を埋める彼の様子が、母親に縋りつく小さな子供の姿と重なる。
「最初は、ひどく残酷でリアルな夢だと思ったが……そうじゃない。既視感があるのは当然で……そしてまた同じ、六月二日の朝が始まった。このまま何もしなければ、ミュエルが転落死する道を辿る。焦り、考え、そして気づいた。俺が一回目と違う動きをすると、俺の知る未来と現実が少しだけ変わったんだ。……変えられる! ミュエルを救える! そう希望を持った。きっとこれは、時を司る神様がチャンスをくれたんだ、と……だけど……」
「……だけど?」
言い淀む彼に、先を促すようにそっと言葉を返す。
「それでも、ミュエルは死んだ。未来がわかっていたのに、俺は救うことができなかった。そこからは繰り返しだ……毎日毎日、君が死ぬんだ。何度も、何度も、何度も! 俺の目の前で! 場所を変えても、どんなに保護しようとしても死ぬんだよ! もう……気が狂うかと……いや、十回目にはもう既に……狂っていたかもしれない」
ふっと、私の肩が軽くなった。振り向くと、アトラ様は右手で顔を押さえて、静かに涙を流していた。
「繰り返す日々の全て……ミュエルのことだけを考え、必死に足掻き……ただ、君とこの世界を共に生きていきたいと……隣で笑っていて欲しい……それだけを願い……」
涙声で言葉を詰まらせる彼の言葉を疑う気は、もうどこにもなかった。
「でも……なんで? アトラ様は私のことを嫌っていたんじゃ?」
すると彼は、涙を手の甲で雑に拭ってから、困ったように微笑んだ。
「それは違う。逆だよ。俺がミュエルに嫌われていると思っていたから……」
「え? だって、アトラ様……」
「ごめん。俺がいつも、ミュエルに誤解を与えるような態度を取っていたせいだね。君を前にすると、緊張して話せなかったんだ。会えた嬉しさで、だらしない顔を晒すのが恥ずかしくて、必死に顔面を取り繕った。カッコつけたくて何を話したらいいか、グルグル考えてたら黙り込んだままになっちゃって……そして、だんだんと年齢が上がるにつれ、今度は人目や周囲の声が気になり出して……でも、ミュエルを全てから守れるほど俺はまだ強くなくて……」
あんな物凄い形相で終始黙っている相手が、自分を好ましく思っているだなんて、誰が想像できるだろう?
でも、本人の口から聞けたことで、私の心に深く突き刺さった棘がすぅっと溶け消えたような気がした。
私は臆病者だ。嫌われる理由を尋ねて改善を図ることも、自ら歩み寄ることもしなかった。他の人達には微笑み語らう人気者の彼が、どうして私にだけ、冷たい視線で無言を貫くのか……怖くて、聞けなかった。聞いてしまったら、社会の爪弾き者だという烙印を押されるような気がしたからだ。
ただ、自分の心が傷つかないように、壁を作り、この関係から逃げ出す機会を伺っていた。彼は私のことをこんなにも想ってくれていたのに……それに比べて、自分のことばかりな私。
なんだか、いたたまれない気持ちになっていたところに、アトラ様が思いがけない言葉を放ってきた。
「幼い頃、父上から婚約の話を聞かされた時は驚いたよ。『お相手は神様の御子だ!』って言うから……でも、初めてミュエルに会った日、その理由がわかった。雷に打たれたような衝撃が、身体中を走ったんだ! 君の全身から眩い光が放たれているようで、直視できずに……だって神様と女神様の間に、愛らしい天使様が立っているんだから……」
「て、天使⁉︎」
いやいや、ちょっと言い過ぎじゃない? ハイルエンド子爵家はロービズ伯爵家を神格化しているのか⁉︎
「父上から、『ミュエルが婚約解消を希望している』と聞かされた時は、心臓が止まるかと思ったよ」
「アトラ様から『話し掛けないでくれ』と言われたので、てっきり貴方も婚約解消を望まれているんだと思い……」
「実家の商会の関係で、自分には固定客もいるが、それと同じくらい敵も多い。俺の傍にいたら、きっとミュエルに嫌なことを言うヤツが必ず出てくる。心を曇らせるモノから君を遠ざけたかったんだ」
「私達は……互いを誤解しあっていたんですね」
「そうだな」
そう言って、またアトラ様は私を背後からぎゅっと抱き締めた。先程はただ戸惑うだけだったけど、今は違う。背中から伝わる体温をこんなに嬉しく感じるなんて……。
「俺と会う時の君は、いつも悲しげに笑っていたから……てっきり嫌われていると思っていた。でも、そうじゃないと48回目のミュエルが俺に教えてくれたんだ」
「……はい?」
また、彼の口から謎の言葉が出てきた。
カタンッ!
その時、馬車が静かに停車した。窓の外を見ると、ロービズ伯爵邸が三軒は入りそうな敷地面積の貴族屋敷が目の前に聳え立っていた。まさかとは思うが、これがハイルエンド子爵邸⁉︎
◇◇◇◇
王宮かと見紛う程の豪華絢爛な屋敷の中を、私はアトラ様にがっちり手を繋がれたまま連れられ、来賓室に通された。
「ロービズ伯爵家の最上級に清廉された感じと違い、うちはごちゃごちゃしててちょっと恥ずかしいんだけど……」
「えっ⁉︎ いえいえ、そんな無用な謙遜なさらないで! むしろ誇って!」
うちのお屋敷は古くて質素なだけ、ロービズ伯爵家をあまり神聖視しないでください!
それにしても……馬車から降りる時も、彼の警護活動は凄かった。踏み台を叩いたり、車輪と馬を交互に見遣ったり……帰りの時の校舎でも不思議に思ったけど、もしかして……この場所でも私、死んだのかしら? 転落死? それとも轢死?
そして、門での出迎えにも驚いた。使用人達の数の多さ、ではない。彼らも皆、私と同じくアトラ様の変わりように衝撃を受けたのか、客人に見せてはいけないレベルの顔面リアクションを披露したのだ。なかなか圧巻でしたわ。
そんなことを思い出しつつ、私はソファにそっと座った。それを見計らい、控えていた給仕係のメイドが紅茶とお茶菓子をテーブルに運んでくれる。
すると、アトラ様がいきなり立ち上がった。
カチャリ……カチャカチャカチャ……!
私のカップにいきなりシルバースプーンを突っ込み、ぐるぐると高速で掻き回し始めた。もしや、毒の混入確認? 突然の行動に、給仕してくれた彼女は顔面蒼白。
お願いだから、せめて事情だけでも説明してあげて! びっくりして言葉を失ってるから!
「これでよし!」
青褪めたメイドを下げさせ、確認作業がひと段落した彼は、また私の隣に座った。二人揃ってようやく紅茶を啜る。……周囲がビチャビチャなのは見なかったことにしよう。
「はぁ……すまない。ミュエルがここに生きている。ループも抜けた。だけど……まだ怖くて……今、現実だと思っているものが、実は夢だったら……そう考えたら、俺は……」
握った拳を額に当てて、その目を硬く閉じているアトラ様。微かに震え、心なしか顔色も悪く見える。ループ世界が完全にトラウマとなっているようだ。
私にはたった一日だが、彼にとっては365回繰り返した日……つまり365日分。一年分の時間をかけて、ようやく脱した地獄。またそこに戻ってしまったらと、不安が襲うのも無理はない。恐怖心を払拭しようと奇妙な行動に出てしまうのは人として必然だ。
そして、昨日と今日とでアトラ様の態度が180度変化していたのも納得した。私だけれど私じゃないミュエルとの接触回数を重ねて、会話もスムーズになったのだろう。その回数時に出会ったミュエルとの交流で親密度を上げ、彼は私の情報を増やしていったようだ。
午前中のたかが数時間で、そんなに関係性が進展するものかとも思ったが、さっきの馬車の中だけでも、私の心は大きく揺さぶられた。真剣な彼の言葉は、他のミュエル達の心にも確かに届いたのだと思う。だって、亡くなってしまった彼女達も私自身なのだから……。
私は静かに、アトラ様へ問い掛けた。
「ループする世界なんて、地獄ですよね。時を司る神様に願えば、アトラ様だけでもループから抜け出せたんじゃないですか?」
「さぁ……俺がそれを願わなかったから、今となってはわからないよ。ただ一つ言えるのは、ミュエルがいない世界こそが俺にとっての地獄だ」
「アトラ様……」
私はそっと彼の手に自分の手を重ねた。
「ミュエル……」
「今、私はこうして生きています。それは、アトラ様が私を助けて下さったお陰です。貴方のことを誤解したまま死ななくて良かった。私の命を諦めないでいてくれて、本当にありがとうございます」
自分の知らないところで命を救ってくれた恩人に向け、私は心から感謝を告げた。
「抜け出せた今だからこそ思うんだ。悪いことばかりじゃなかったって……こうして、ミュエルとの拗れた関係が解けたから……」
そう言って、彼は私のことを抱き寄せた。今まで、交流らしい交流ではなかったせいか、まだ気恥ずかしい。
沈黙に耐えられそうにない私は、慌てて次の言葉を探す。
「あっ、で、でも、どうやってループから抜けたんです?」
「繰り返していく途中で、あることに気づいたんだ。本来の『六月二日』という現実との乖離が大きければ大きいほど、矯正力が強く働くのか、予想外の事態が起こる。隕石が降ってきたり、目覚めた熊に襲われたり、池の魚が口に飛び込んできたり……」
「隕石? 熊? 魚?」
だとしたら、私の死因はそれぞれ損傷死・失血死・窒息死あたりかしら?
……あまりにバラエティ豊かに死にすぎじゃない⁇
「君から嫌われてないと知った時は嬉しくて、ミュエルへの想いが溢れるあまり……迎えに行ったり、朝に会えた瞬間に抱きしめてしまったり……ちょっと浮かれてしまってね」
それって……通常からの逸脱行動ですよね? 相当な回数を無駄死にしたんじゃない?
「200回を超えた辺りからは緻密に計算して……階段にいる人間の配置、角度、タイミング。あの日を忠実に再現しつつ、階段の落下からもシャンデリアからも君を守る。300回を超えた辺りからは階段で俺の意識が途切れていたから、自分が死ぬことの方が多かったみたいだ。ミュエルが傷つかなくて良かったよ」
「それは……」
「謝らないでくれ。俺が自分で決めて勝手にやったことだ」
もしアトラ様の自己犠牲の上で、私だけ生き残っていたら、その先の人生はきっと心から笑えなくなっていただろう。
彼も……私と同じなのかもしれない。婚約者を救えなかったことを背負い、生きていくのはあまりに重過ぎる。どちらかが欠けては駄目だったのだ。
「アトラ様は……凄いです。僅かな違和感に気づき、推察したってことですものね」
「まぁ、ループから抜けるためには色々試したからな」
「へぇ……具体的にどんなことをしたんです?」
「それは……まぁ……色々?」
急に、彼が目線を逸らす。なんとも歯切れの悪い言い方……もしや……私に言えないようなことをしたの? ん? 頬が赤いようですが……一体、何を思い出してるんですか⁉︎
………………
も、もしかして……恋人同士がするようなことも、何回目かのミュエルとお試し済み? 真実の愛でループから抜けるとか……ほら、物語でよくあるじゃない?
でもそれ、私じゃない私を相手に……でしょ? 何を……どこまで⁇ なんだろう。もやもやする。浮気にはならないんでしょうけど、これは……嫉妬⁇
ゔ〜〜っ! 自分の感情がよくわからないわ‼︎
私が悶々としているのを知ってか知らずか、アトラ様が話題を変える。
「ミュエル。俺は今夜、眠るのが怖い……目が覚めてまた六月二日が始まったらと思うと不安で……だからお願いがある」
「お、お願い?」
「今晩、ずっと俺の隣にいて欲しいんだ」
………………
「ええっ⁉︎ なかなかおかしなこと言ってますよ、アトラ様! 結婚前の男女がそんな……普通の概念がズレています!」
「わかってる。でも、今日だけは……こんな怪我では、君に変な手出しはできないから安心してくれ」
「ぐっ!」
わざとではないんだろうが、怪我のことを持ち出されると立場が弱い。
「え……でも……ご飯とか……お風呂とかも……」
「夕飯はもちろん子爵家で用意するし、俺が毒見する。風呂は……そうか風呂……またミュエルが溺死したら困るな。一緒に入るなら構わないが……」
「そ、そっちの方がもっと困りますーーーー‼︎」
私の叫びがハイルエンド子爵邸内に響いた。
なんでもスマートに、そつなくこなすイメージだったアトラ様。地獄のループのせいで頭のネジが何本かぶっ飛んだのか⁉︎
こうして、ループを抜けたことで、自分の心に素直になった……というか、素直になりすぎたアトラ様と、改めて関係を築いていくことになったのでした。
ちなみに、彼のトラウマ解消はまだまだ時間がかかりそうです。添い寝? ……しましたよ。
おしまい
最後までお読み頂きありがとうございました。
評価、いいね、感想等頂けたら幸いです。
もっとサクッと軽いお話にするつもりでしたが……予想外にこうなりました。なぜでしょう?




