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クリスタルゲート発動【2】


 すると突然、時空が割れる様な闇夜の中に私たちは放り出されると、確かに空間はじわりと軋み、先ほどまでの風景の輪郭が歪み始める。そして救急車のサイレンの様な音が数秒聞こえる。


 自分の耳を疑ったその時、ピアノの音が、再び流れ出した。


 けれど、それはさっきまでの、澄んだ旋律じゃない。同じフレーズのはずなのに、どこか音が重く、遅れて響く。


 違和感を感じて視線を戻すと、先ほど見た映像の頃よりも随分伸びたロングヘアを靡かせる少女の背中が、わずかに丸まっていた。


 何かを庇う様にして、ぎこちない雰囲気で右手を鍵盤の上に乗せると、弾きだそうとした中指がほんの一瞬、躊躇うように止まる。すると、まるでドラマのワンシーンの様に鍵盤を想いきり叩いた。突然響いた大きな音に私たちは思わず耳を塞ぐ。


 壁に貼られていた赤井蓮のポスターが、ゆっくりと揺れた。


 いや、揺れているのは──こちらの世界の方か。



 ポスターの中の彼は、いつの間にかステージ衣装を纏っている。


 強いライトに照らされ、笑顔を作り、完璧に『世間から求められる姿』を演じている様にも思えた。つまり芸能人としては百点満点だ。


 少女は鍵盤から手を離し、その姿を見つめている。


 視線は、憧れと、苛立ちと、そして……わずかな拒絶を孕んでいた。


「……違う」


 直ぐに壊れてしまいそうなか細い声が部屋に小さく響く。


「貴方は顔だけじゃない」


「貴方は演技なんかしたいはずじゃない」


「貴方は音楽家なのよ…。貴方は一人のピアニストなの…。」


「人気になって満足?テレビに出れて満足?」


「私は貴方の事を一番知っている。それなのに──」




「貴方が生きるべき人生は、貴方が本当に生きたい人生は……そんな音を奏でる人生なんかじゃないでしょう!」



 ピアノの蓋が、きい、と不吉な音を立てて閉じる。


 次の瞬間、床板の隙間から、黒い靄が滲み出した。


 ゆっくりと、しかし確実に。


 まるで、この記憶そのものが呼吸を始めたかのように。


「推し活が行き過ぎたらこうなるのかな?」


 ひかりが、これから来るであろう怨念に備える様にしてステッキを握りなおすと、そんな事を私たちに尋ねた。


「そうとも言えるけど、そうとも言えない様な」


 エマの答えは、何ともエマらしい。


「推し活…なのかな」


 ミオは少し考える素振りを見せる。



「……あの子、自分の人生を赤井蓮の人生に背負わせようとしてたんじゃないのかな」


「え?どういう事?」


「中指が思う様に動かなかったんだと思う。最初にサイレンの音が聞こえたでしょ。多分、事故か何かで思う様にピアノを弾けなくなった。だけど、赤井蓮を尊敬し愛していた彼女は、また彼を目標に頑張ろうとしていた」


「……だけど、赤井蓮がアイドルになった?」


「だと思う。あの子は『弾ける子』やもん。それが、あんな風に中指が動かないのは可笑しいと思う。私、今まで怪我とかで思う様に楽器弾けなくなった子見てきてるからさ。何となく、本当直感だけどその子達とあの子が被った」


「だとしたら──」


 ミオが顎に手を当てて、少し考える様な素振りをすると、はっとした顔で私たちを見つめる。


「何だかわかる気がする。赤井蓮の事は今でもきっと大好きだし、昔から見ていた・知っていたっていう自負もある。だけど世間は赤井蓮のそんな事を見る事もしない。ただ顔が、スタイルがというだけで」


「そう、ミオの言う通り。でも、彼女本人はそういう悔しさや嫉妬に加えて、自分の人生をそこに赤井蓮に背負わせようとしている。貴方ほどのピアニストは、その道を行くべきではない。と」



「なるほどね、そしたら怨念にもなるわけだ。複雑すぎるもん」


 ひかりがそう呟くと、クリスタルゲートが閉まっていく気配を覚える。


 背筋を伸ばした私たちは誰が言うまでもなく四人で手を繋ぎ、見えるはずもない空を見上げた。



『私が……間違ってるって言いたいの?』



 問いかける相手は、誰でもないのだろう。多分画面の中の彼でも、私たちでもなく。そして、それは❝彼女自身❞当に気付いているはずだ。




 ──またも体育館に戻った私たちは黒い靄の中に、鈍く光るものを見つける。



「……黒水晶」


 エマが、小さく息を吸った。



 それは確かに単純な感情なんかじゃない。


 私は、はっきりと分かった。


「この怨念のこと、何か分かった気がする」


「取り残されたくなかったんだよね。本当は、赤井蓮を奪いたいわけでも、罰したいわけでもないんだよね」


 私はそう呟きながら一歩前へ出た。


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