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媚びない美しさと心の重さ【5】


 そのとき、ポケットの中で、微かな振動と聞き慣れた通知音。


 まさか、と思って画面を見ると、想像とは少しだけ違った人物からのメッセージが目に映る。


「ん?どうしたの?」


「いやっ…」


 スマホの画面を伏せる様にして机の上に置いた。そして、リンの心配そうな瞳に答える。


 ここで千海里からの連絡を期待した私は大バカ者だ。そして、メッセージの送信主である『健吾』という名前を見て、少し落胆した自分の気持ちに驚きを隠せない。


「エマ?大丈夫?」


 こうやって考えている間も煩く鳴り響く私のスマホ。


「……ゴメン、一回見るわ」


 そう呟いた瞬間、伏せていた画面が、もう一度、短く震える。


 ……つれない思いでロックを解除した瞬間、通知が一気に流れ込んでくる。未読の数字が、やけに現実的だった。



「……うわ」


 思わず声が漏れる。


「何何、見せてよ」


 人懐っこく…いや、少し図々しい程に距離を近づけてきたリンは、私のスマホをのぞき込むと「エグッ」と小さく呟く。そして、ひかりとミオも、何事なのか。と言う様に私のスマホをのぞき込んだ。


「なに、これ」


 リンが身を乗り出し、ひかりも眉をひそめる。


「彼氏から」


 私は、画面を伏せたまま言った。


 ラインの内容は簡単に言うとこうだ。『お前の着物姿が綺麗とか何とかでツイッターで出回ってた。どこに行くとか聞いてない。何をしていたんだ』という様な所。


「はあ…。」


 ため息をつきながら、お茶を啜った。


 健吾は私の事になんか今更興味無い。だから今日のお茶会もわざわざ連絡を入れなかった。


「『クソビッチ』とか普通自分の彼女に言う?」


「ひかり、マジでソレ。何でクソビッチとかいう単語が出てくるん…。普通に自分の彼女が美人過ぎたから誰かがエマを女優か何かと勘違いして掲載しただけやとしたら──まあ、プライベートな問題はあるけど、彼氏からしたら鼻が高いくらいでいいやんな」



「エマ……」


 事情を知っているミオが、悲しそうな顔をした。


「ミオのせいじゃないよ」


「健吾は…良い服を着るのも、美味しい物を食べに行くのも、全部自分が私にしている事じゃないと気に喰わないの」


「だけど、それって完全なモラハラやん」


 ひかりが大げさに怒ってみせる。


「こういう男に限って自分は好き勝手するよね」


 リンがひかりの言葉に同調してみせた。


 ──確かに健吾は私に全てを見せるのを極端に嫌がる。何時に帰ってくるの?なんて聞いた日には、一生既読なんてつかない。


「……まあね」


 そんな時、ミオが、少し戸惑ったように言葉を選ぶ。


「でも……心配、なんじゃないですか?」


 その優しさに、私は苦笑を浮かべる。


「うん。たぶんね。心配も、本音やと思う」


 スマホを見下ろしながら、言葉を続ける。


「でも、それ以上に……“自分の管理下にない私”が嫌なんやと思う」


 私は、湯のみを指先で回した。


「最初はね、優しかったの。勿論、気遣いもあった。頼れるし、安心感もあった」



 誰も、口を挟まない。


「いつの間にか、それが当たり前になって。私も特殊な家庭環境で育ってるから、情が入れば入るほど捨てられるのが怖くなって、良かれと思って相手に尽くすんだよね。掃除して、ご飯作って、洗濯して。そしておとなしく帰りを待つ。それが私の仕事になってた。」


「みんなの中での私はきっとクールなイメージだと思う。でも実際はクールでも何でもない。今住んでいる家も、この着物も、バッグも。全部、今迄お付き合いしていた人がプレゼントしてくれた物。」


「どんなに距離を置こうとか、今回は良い感じのお付き合いをしよう。と思っても、相手に尽くされれば尽くされるほど、私の気持ちって、可笑しくなるのよ」


「………」


「私の母親は男に狂ってた。メチャメチャ美人でスタイルも良いし、気立ても良い。だから、モテ続けていたの。今もね。だけど、その代償は私に全て来た。小さい時から放置なんて当たり前だし。」


「そんな母親を見て、私だけはそうならないって思ってた。強く生きよう、自立しようって。だけど──まあ、美人って中々の罪なのよ。自分で何かを求めなくても相手が授けてきてくれる。そしてそれを受け取ると、人並みに情もあるもんだから、その相手に本気になってしまう」


「まあ今思えば、今までの彼氏も健吾にしても、私を着せ替え人形にしたいから与え続けていただけの話……かもしれないけど」



「美人って意外に大変なんや…」


「うん」


 ひかりの言葉に私は、素直に頷いた。


 変に重苦しい雰囲気にもっていかないこの三人に感謝する。私は昔から、共感していないのに表面だけは共感している様に見せる、女特有のあの空気感が苦手だった。



「連絡無しに帰ってきて、体だけ求められて、作ったご飯に手ぇ付けられへんときさ」


 一拍置く。


「私、何なんやろって本間思うよ」



 そう言って、私は少し笑った。



「私、今迄誰かにこうやって恋愛の話なんてした事なかった。全部ひとりで抱えて、爆発して、メンヘラみたいになって振られて、病んで。」


「でも今はこうやって言葉にできてる。」



 そのとき、リンが姿勢を正した。


「なあ、ちょっといい?」


「……私さ」


 そして彼女は、少し照れたように続きを紡ぐ。


「本当は、大阪音大に行きたかってん」


 ひかりが、目を見開く。


「え、初耳」


「やろ。誰にも言ってへん」


 リンは、畳を見つめたまま続けた。


「昔から音楽一家でさ。それなりに才能あるから、一発合格できるって誰しもが思ってた。でも結果は落ちて……。その時、浪人して、もう一回挑戦するって選択肢も確かにあってん」


「でもな、あのときの私は逃げな無理やってん」


 声が、少しだけ揺れる。


 いつもの明るくて無鉄砲なリンの瞳と、今、自分の過去を私たちに曝け出してくれているリンの瞳はどういうワケだか少し色が違う。


「悔しくて、自信なくて、どうにかなりそうで。……だから、逃げた。で、結果と言えば、今の大学なんて何一つ面白くないし、その過去から逃げる様にクラブやバイトに明け暮れる日々」


「だけど、こうやって『怨念』とか『人間』とか底知れぬ生き物に向き合う様になってさ…」


「あの時って逃げたのが正解やったんかなって思える様になった」



「逃げるのが正解?」


 私がキョトンとした顔でそう聞くと、リンが目いっぱいの笑顔でウン、と一回だけ頷く。



「うん。嫌な事から距離を置いた。逃げた。他人からしたら弱い選択かもしれない。でも、あの時の私は確かに弱かった。そう認めれる様になった。」


「何回も言うけど、大学なんて本当に面白くない!親友っていう親友も居る様で居ない!未だにテレビでオーケストラなんて見た日には胸の内にドス黒い感情がわいてくる」


「だけど、切り替えたから今がある。皆とも出会えた。こうやって昔の自分とも向き合えた」


「これから先、どんな選択をするかは私次第やと思う。でも少なからず…あの時に逃げてなかったら、どうにかなってた自分が居た。それをこうやって認めて、誰かに言える。それだけで、あの時よりも自分自身に向き合えてるんやろうなって思うねん」


 その言葉に、ミオがゴン太を撫でながら静かに微笑む。


「……素敵だと思います」


「やろ?逃げるのも、才能やで」


 そのとき、ずっと黙っていたゴン太が口を開いた。




「過去の傷はね」


 全員が、そちらを見る。


「自分でしか、癒せない」


 淡々とした声。


「他人に癒やしてもらおうとするから、執着になる。誰かに埋めてもらおうとすると、依存になる」



「弱いとか強いとか、そんなんじゃ言い表せない事もある。捨てることは、失うことじゃない。手放すことは、守ることかもしれない。」



 胸の奥が、静かに鳴った。


 私はスマホを見つめ、ゆっくりと電源を落とす。



 まだ、答えは出ていない。


 でも。


 ここには私が『自分で自分の生き方を選び直していい』と思わせてくれる時間があった。



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