美女のおっさんと護衛騎士
◎1:昼下がりの羞恥と牛丼屋
「そんな色々勘違いされそうな発言を、牛丼屋のカウンターで言うんじゃありませんっ!」
昼下がり。
牛丼屋のカウンター席。
佐藤英里緒(37歳)が、なぜこんな羞恥の極みみたいな目に合わされなければならないのか?
話は、前日に遡る──。
§
その朝、部長が連れてきたのは中途採用の新社員。
「田中玲央です。よろしくお願いします」
22歳の好青年の、元気な挨拶は部内でも好印象だった。
高身長、イケメン、紳士的。
一瞬にして部内の女子社員の心をつかみ、ハキハキとした礼儀正しい態度は、男性社員の好感度も上げた。
──忙しい部署に、頼りになりそうな新人。これはちょっと期待できそうだな。
係長職の英里緒は、田中が少しでも早く部内に馴染むように……と考えた。
──でも、今どきは飲み会を提案すると、アルハラだとか言われかねない。
英里緒は少し考えて、こう言った。
「じゃあ、田中君の歓迎を兼ねて、明日の昼は牛丼屋で俺が奢ってやろう」
部内がワッと盛り上がった。
「太っ腹ですね!」
「さすが係長! 弁当持ってきてる女子にも気を使って!」
というわけで、翌日の昼休み、英里緒は部下を引き連れて牛丼屋に繰り出すことになった。
§
少し早めに仕事を切り上げ、会社の近所にある牛丼屋へ向かった。
仲の良い女子社員はテーブル席に固まり、男子社員は適当にカウンターへ散らばる。
「この注文、全部まとめて僕に回して」
英里緒は店員に言付けて、最後に席に座った。
ふと気付くと、隣に田中が座っている。
──同年代の連中と仲良くしてたみたいに見えたのに……。
不思議に思いつつ、並盛にたまごを注文すると、田中も同じものを頼んだ。
「あの……」
「どうした? 仕事で分からないことでもあるか?」
「いえ……あなた、エリザベート様ですよね?」
口をつけかけたお冷を、吹き出しそうになった。
「はい?」
「僕です。護衛騎士のレオンです」
英里緒は、相手の顔をまじまじと見つめてしまった。
相手のことを〝電波を受信しちゃってるオカシイ人物〟と思った──わけではない。
英里緒には、〝エリザベート〟という名前に心当たりがあった。
もちろん〝レオン〟にも。
「ひ……人違いじゃないかな……」
冷や汗をダラダラ垂らしながら、努めて冷静を装い、英里緒は答えた。
ハーフリムの眼鏡の位置を調整し、相手に目を見られにくい角度に留める。
「いいえ。間違いありません」
田中は真顔で続けた。
「あの晩、バルコニーで僕に抱かれたあなたの、愛に蕩けた心も体も、全て僕は覚えてます!」
通る声ではっきりとそんなことを言われて、思わず叫んだ言葉が──冒頭のアレである。
「そんな色々勘違いされそうな発言を、牛丼屋のカウンターで言うんじゃありませんっ!」
だが、焦りのあまりそう叫んだのは、まずかった。
最初の田中の発言で、カウンター席の男性社員の衆目を集めていたところに、英里緒の叫びでテーブル席の女子社員の注意まで引いてしまった。
牛丼屋の店員も含めた、店中の人間の視線が集中している。
「……え……、係長?」
「意外……、係長ってそっちの人だったんですか?」
「違うから! ドラマの話だから!」
英里緒は必死に弁明したが、部下たちの目は明らかに疑っていた。
──死にたい。
心の底から、そう思った。
◎2:前世の記憶と黒歴史
英里緒には、前世の記憶がある。
それは、どこの国ともどこの世界とも知れない、曖昧な記憶だった。
だが当時の名前がエリザベートで、領主か小国の王女か定かではないが、深窓の令嬢だったことは覚えている。
容姿端麗、才色兼備。
完璧な令嬢と呼ばれたエリザベートは──しかし、その心は割と大雑把な性格をしていた。
責任感ゆえに、貴婦人としての所作や教養を身につけ、いつか政治的な理由でどこかに嫁ぐのが当たり前と理解していたが。
──コルセットのない生活がしてみたいですわ。
とずっと思っていた。
前世の記憶は、幼少の頃からあった。
ただ英里緒は、エリザベートだった頃から周囲の空気を読む力が強かった……と言うか、〝臨機応変〟というべき対応力が備わっていて。
自身が男性であることも、置かれている環境が違うことも、ほぼこだわりなく受け入れていた。
──休日にゆるゆるのトレパンで、昼からビールとか最高!
はっきり言って、現状のほうが英里緒の性格には合っている。
英里緒という名前も、前世と音が重なる部分があったので、すぐに馴染めたのも良かった。
前世の記憶は断片的なので、教養の方はあまり役に立たなかったが、所作は親や他人から好印象を得た。
そんな英里緒にとって、護衛騎士レオンとの記憶は、現状〝黒歴史〟以外の何物でもない。
英里緒は、史上最速で牛丼をかっ込むと、部下の視線が微妙に居たたまれない空間から、そそくさと退場した。
支払いも済ませてある。
あとは昼休みを堪能して、それぞれ帰社してくれれば問題はない。
とにかく、一人になりたかった。
§
「エリザベート様!」
一人になりたくて、逃げるように牛丼屋を出た英里緒の背後を、人目も気にせず大声で呼びかけながら田中が走ってくる。
英里緒は、後ろを振り返らずに脱兎の如く走り出した。
「エリザベート様!」
だが、37歳のSE──毎日コンピューターに向かって、肩こりと腰痛に悩む中年と、爽やかイケメンでまだまだ体力に余力のある22歳では、差がありすぎた。
その距離はあっという間に縮められ、さらに英里緒は息が切れて走れなくなった。
「大丈夫ですか?」
「だ……だれの……せい…………だ……」
ぜえはあ……ぜえはあ……と息切れ甚だしく、英里緒は言った。
「なぜ、逃げるんです?」
「ひ……と、ちがい……だから……だ」
「あの……エリザベートという女性名を聞いただけで、人違いとおっしゃる時点で、お認めになってらっしゃいますよ?」
冷静な田中のツッコミに、英里緒は「……あ」と言ったまま、言葉を失った。
「それに、僕がエリザベート様の魂を見誤ったりしません」
そんなキリッとした顔でドヤ顔されても……と英里緒は思ったが。
「わかった。降参だ」
英里緒は両手を上げて、大きく息を吐いた。
◎3:愛と勇気と羞恥心
田中改め、元護衛騎士レオンの玲央は、それでも英里緒の「その話をちゃんと聞くのは、仕事が終わってから」という言葉を、ちゃんと理解してくれた。
曰く「エリザベート様だと気づいてから、お話しできる機会を伺っていたので、軽率でした」だそうだ。
そして退社時刻となり──。
現在、二人は会社から離れた大きめの公園のベンチに、並んで座っていた。
なぜここを選んだのかと言えば、人目がなさそうで手近な場所だったからだ。
「僕は、あのあと鞭打ちの刑になり、放逐されました」
「えっ! それで済んだの?!」
英里緒の言葉に、玲央はやや呆れたような、困った顔をした。
「いや……済まん。騎士にしてみりゃ、罷免されて鞭打ちなんちゅー奴隷同然の刑を受けることになるんだ。死んだも同然だよな」
「刑そのものは、苦でもありません。僕を庇って、あなたが死んでしまったことのほうが、ずっと痛かった」
政治的な理由で嫁ぐことまで〝当たり前〟と理解していたエリザベートだが、心のどこかで常に、全てに縛られた生活から逃げたい衝動は持っていた。
護衛騎士のレオンと心を通じ合わせ、手に手を取って逃げるという選択は、今から思えば若気の至り以外の何ものでもないが──当時は、憧れの全てが凝縮した希望への一筋の道に見えてしまったのだ。
──どえらい年齢の離れたヒヒジジイのとこに嫁がされそうだったのも、理由の一つだけどな。
逃げたところで、後ろ盾の何もない護衛騎士と深窓の令嬢では、すぐにも追手に追いつかれる。
射手がレオンを狙い、気づいたエリザベートが身代わりに射たれた。
父親は騎士を殺してでも娘を取り戻せと命じただろうが、全く逆の結果になって頭を抱えたことだろう。
§
「本当言うと、俺は当時のことは断片的にしか覚えてないんだ。レオンと逃げたことは、わりとちゃんと覚えてるが……逃げるに至る理由の詳細とか、どこの国のなんて家の娘だったとかは、曖昧だ」
「僕もです。ただ、夜会で人目を避けて、バルコニーで踊ったことは、鮮明に覚えてます」
英里緒は思わず、両手で顔を覆った。
──ええー! なんだその小っ恥ずかしい記憶!
心で絶叫したが、残念ながら言われたら思い出してしまった。
護衛騎士が令嬢と、ホールで踊ることなど出来ない。
抜け出したバルコニーで、微かに聞こえる音楽を聞きながら、身を寄せて踊った。
自分を見つめるレオンの優しい視線に、心臓がドキドキして、頬が熱くなったことを……。
──お……思い出したくなかった……。
「いや、待て! じゃあ愛に蕩けた心も体もって……ようはそのダンスの思い出ってこと?!」
「他にありませんよ。前世では、手を握るのがせいぜいでしたから」
英里緒は、大きくため息を吐いた。
「なあ、田中。俺はもうエリザベート様じゃねぇし、くたびれた中間管理職のおっさんだ。今更そんなこと言われても困るんだよ」
「それは……少々心外ですね」
「なにが?」
「それじゃあまるで、僕がエリザベート様の容姿に惑わされただけみたいじゃないですか?」
「全部そうだとは言わない。……むしろ、秘密の恋って燃料もあったさ。そこは俺も認めるよ?」
「じゃあ、エリザベートはあの時、なぜ僕を命がけで守ったんです?」
「そりゃ、将来有望な若い騎士が、むざむざ命を散らすのは……」
「それは英里緒さんの意見ですよね?」
「はっ?」
「そもそも、エリザベート様を連れて逃げた時点で、将来有望じゃありません。当時の僕は、どこか遠い森の中で、エリザベート様は毎日穏やかに歌を歌いながら暮らせるようにしたいと考えていました」
「当時は……つったな?」
「鞭打ちのあと放逐され、職もなく、ただ彷徨うだけの暮らしをして、初めて自分の考えが無謀極まりないものだったと痛感しました。あなたを連れて逃げるには、僕は子供すぎた」
「なんだ、意外にまともなセリフが出てきたな」
英里緒の言葉に、玲央はムッとした顔になった。
「人が営むには、生活基盤が必要だってこと。僕は全然分かってなかったことは認めます。人生に張りも希望もなく、さすらって……戦争が起きて、僕は兵士に志願して、死にました。後悔まみれの人生でした」
「…………あー、すまん……」
謝罪した英里緒に、玲央は不思議そうに振り返った。
「なぜ、謝るんですか?」
「だって……その後悔のきっかけ作ったの、俺だし……」
「いえ。それを言うなら、僕の方こそ謝らなければ……僕の誘いに、あなたは最初から応じたわけじゃない。責任を果たすために、嫁ぐのは仕方のないことだとおっしゃいました。それを無理やり連れ出したのは、僕です」
玲央はベンチを降りると、英里緒の前に跪いた。
§
「なっ……おい! よせってっ!」
「いいえ。僕は前世を思い出した時からずっと、今世は何があっても絶対に後悔しないと心に決めました。この広い世界で、あなたと偶然再び出会えた奇跡を、無駄にしたくありません」
「だから! 俺はもうくたびれた中間管理職のおっさんだっちゅーの!」
「それが何だと言うんです? あなたの魂は、あなたのままじゃないですか」
「待て! 待て待て待て! おまえだって先刻、エリザベート様と英里緒さんって、人格の使い分けしたよな?」
「いいえ。積んだ人生の経験値で、あなたの思考が変わったと指摘しただけです。あの時、あなたが僕を庇ったのは、紛れもなく、あなたが僕を愛していてくれたからでしょう」
英里緒は赤面した。
「頼むよ……この歳になると、さすがにそうも真っ直ぐ愛だ恋だと言われるのは、ちょっとキッツイ……」
メガネを外し、ハンカチで顔を拭く。
その手を、そっと取られた。
「ちょ……おまえ……」
「英里緒さん」
ぐいと顔を近づけられて、ギョッとする。
散歩道を歩いているカップルが、そそくさと離れていくのが視界の端に映った。
「よせってっ!」
「英里緒さん、僕の目を見て、言ってください。僕に、もう何の気持ちも残ってないって」
「俺は……おまえに……」
顔を逸らしているのを、頬に手を添えられて、そっとこちらを向かされる。
「本当に、僕にもう何の気持ちも残ってないんですか?」
「………………残って……ない……」
──わけがない。
性別云々を抜きにしても、レオンとの逃避行は、黒歴史と思うほどに強烈な印象として心に残っている。
自分を見つめた濃紺の瞳は、今は標準的な日本人らしい黒い瞳になっていても、その奥に燃える感情の熱量は、同じままだと理解できた。
「英里緒さん。……あなた本当に、昔から嘘が下手ですね」
顎を掴まれ、唇を重ねられる。
「んーっ! うう! んう……ん……」
慌てたのは束の間、とろりと甘やかな情熱のくちづけは、意外にも精神をドロリと溶かしにくる。
「あー! ママー!」
「見ちゃいけません!」
耳に聞こえた母子の会話に、ハッとなった。
「こんな公共の場で、こんなことしちゃいけません!」
ドッと玲央を突き飛ばし、英里緒はベンチから立ち上がると、再び脱兎の如く逃げ出したのだった。
終わり




