21 食事の工夫
事務長の無茶振りは、だいたい午前中に来る。
忙しくなる前に投げておけば、こっちが断りにくいからだ。人間社会はそういう最適化でできている。
PHSが鳴る。電話として鳴る。
「高槻です」
「先生、SNS、次のテーマ決まったよ」
嫌な予感が、ちゃんと当たる。
「食事の工夫。病院食、栄養、減塩、そういうの。今の季節だと、食欲落ちる人もいるでしょ。親しみ、ね」
「親しみ」
「そうそう。あと、先生と一ノ瀬さんで“中の人感”」
“中の人感”が、今週の呪文らしい。
「了解です」
口が勝手に言う。俺の人生は、こうして面倒を増やしていく。
◇
昼休憩、ナースステーションの前を通ると、一ノ瀬さんがこちらを見た。
目だけで分かる。
この人、事務長の匂いを嗅ぎ分ける。
「先生」
「はい」
「食事の工夫、来ました?」
「来ました」
一ノ瀬さんの指が、記録入力の上で止まらないまま言う。
「じゃあ、昼に撮りましょう」
「早い」
「早い方が面倒が減ります」
面倒が減ります。完全に感染している。
「何を撮るんですか」
一ノ瀬さんは端末画面から目を離さずに答える。
「職員食堂」
「職員食堂?」
「病院食っぽいものが置いてあります。顔を出さずに、トレーと手元だけで“それっぽく”できます」
それっぽく。現場の人間がよく使う魔法の言葉だ。
「栄養士さん、呼びます?」
「呼びません」
即答した。登場人物を増やしたくないのもあるし、何より説明が増える。
一ノ瀬さんは頷いた。
◇
職員食堂は、病院の中で一番“普通”に近い空間だと思う。
白衣じゃない人がいて、笑い声があって、カレーの匂いがして、午後の仕事を忘れそうになる。忘れないけど。
俺は日替わりの「減塩定食」と書かれたやつを取った。焼き魚、野菜の煮物、味噌汁。いかにもだ。
一ノ瀬さんは、同じく減塩定食を取ってから、なぜか小鉢の納豆を追加した。
「納豆、好きなんですか」
「先生、食事の工夫です」
「納豆が工夫?」
「タンパク質が足りないと、面倒が増えます」
面倒で栄養を語るな。
席に座ると、一ノ瀬さんがスマホを取り出し、手慣れた動きでカメラを起動して、トレーの端に立てた。角度調整が早い。日常に溶け込む努力が、こういうところに出る。
「先生、手」
「また手か」
「先生の手は医師っぽいので」
医師っぽい手の定義を、いつか学会で発表してほしい。
撮影が始まる。
一ノ瀬さんは小声で指示を出す。
「まず、全体。はい。次、焼き魚。箸で一口。先生、コメント」
「コメント?」
急に振られても出ない。俺の脳は内視鏡画像と抗菌薬の用量でできている。
「……減塩だけど、味はちゃんとしてます」
硬い。骨格だけで歩いてる。
一ノ瀬さんが小さくため息を吐いた。
「先生、そのままだと“病院の掲示物”です」
「病院の掲示物に親しみを持てと言ったのは事務長です」
一ノ瀬さんは納豆を混ぜながら言った。
「じゃあ、先生。例え話してください」
「できません」
「ですよね」
言い切るまでがワンセットみたいになってきた。
一ノ瀬さんはカメラに向かって、自分で言い直す。
「病院食って“薄い”イメージがあると思うんですけど、薄いだけじゃなくて、ちゃんと工夫してます。例えば魚は香りで満足感が出ます」
言葉が柔らかい。息ができる文章の人だ。
俺が小声で言う。
「それ、栄養士さんの台詞じゃない?」
一ノ瀬さんは真顔で返す。
「現場は、だいたい兼任です」
兼任。看護師は兼任でできている。
撮影が続く。味噌汁にカメラが寄る。
一ノ瀬さんが言った。
「先生、味噌汁は“塩分の塊”って思ってません?」
「思ってます」
「ですよね。だからこそ、量と具で調整してます。あとは食事全体で調整する、とか」
「患者指導っぽい」
「SNSは指導じゃなくて、提案にします」
「提案」
「『調整する』って言うだけで、だいぶ楽です」
その“楽”の言い方が、どこか自分に向いている気がした。
俺が焼き魚を一口食べて、無理やりコメントを絞り出す。
「……確かに、薄いっていうより、優しい」
一ノ瀬さんが箸を止めた。
「先生、今の、いいです」
「どこが」
「優しい、は息ができます」
なるほど。俺の文章が掲示物になるのは、呼吸がないかららしい。
◇
食事が半分くらい進んだところで、俺はふと気づいた。
一ノ瀬さん、普通に食べている。
箸の持ち方も、咀嚼も、飲み込みも、全部普通。
吸血鬼が普通に昼定食を食べる。
それだけで、世界の奇妙さが増す。
俺は冗談の形で聞いた。
「吸血鬼って、減塩とか気にするんですか」
一ノ瀬さんは納豆を口に運びながら、淡々と言った。
「気にします」
「え」
「血圧が面倒になるので」
面倒に帰ってくる。
俺が笑うと、一ノ瀬さんは少しだけ真面目な顔になる。
「先生、吸血鬼って“何でも平気”って思われがちなんですけど」
「不死性とか」
「そういうの、昔の話です。今は、普通に生活習慣病が怖いです」
「吸血鬼もメタボになる?」
一ノ瀬さんは真顔で言った。
「なります。運動不足は全人類の敵です」
「全人類」
「全人類です」
そこへ来たか。
俺がさらに聞く。
「鉄分はどうなんですか。よく、貧血にはレバーとか言うじゃないですか」
一ノ瀬さんは箸を置いて、真顔で言った。
「先生」
「はい」
「その話、吸血鬼に振るの、結構攻めてます」
「すみません」
「いいです」
いいんだ。
一ノ瀬さんは少し考えてから、結論だけ言った。
「レバーは、おいしいです」
「そこ」
「血の話にすると面倒が増えるので、味の話にします」
さすが。線引きが完璧。
◇
午後の仕事に戻る前、撮った動画を確認する。
トレー、手元、箸、湯気。顔は映ってない。音声は最小限。
ちゃんと“中の人感”がある。中の人って、だいたい湯気だ。
一ノ瀬さんがスマホで文章を作る。
「病院の食事は、塩分や栄養に配慮しながら“おいしく食べられる工夫”をしています。体調に合わせて無理せず、できる範囲で続けてみてください」
硬くない。呼吸がある。
俺だと「適切な栄養摂取が重要です」になる。掲示物だ。
俺が言う。
「これ、いいですね」
一ノ瀬さんは少しだけ口角を上げた。
「先生の“優しい”が出たので」
「俺の功績?」
「焼き魚一口分の功績です」
安い。だが妥当。
◇
夕方、事務長に原稿を送ると、返信がすぐ来た。
「いいね! 次は“おすすめの飲み物”で!」
おすすめの飲み物。
病院のSNS、だんだん健康雑誌になっていく。
俺はスマホを伏せて、深呼吸した。
面倒が増える前に、面倒を減らす。
それが最近の生存戦略になっている。
◇
終業後、職員通用口の外。
自販機の光。今日も支配者は自販機だ。
一ノ瀬さんが先に立っていた。今日は少しだけ機嫌が良さそうだ。完璧な人間が、ほんの少しだけ“軽い”。
「先生」
「はい」
一ノ瀬さんは自販機を見上げて言った。
「今日の口止め料、選んでください」
「口止め料?」
「先生、昼の“鉄分”の話、危なかったので」
「危なくないように着地したでしょ」
「私が」
自分で言うのが強い。
「通貨はココアでしたよね」
一ノ瀬さんは頷く。
「今日は、期間限定で“豆乳”が追加されました」
「豆乳が通貨になる世界」
「タンパク質は正義です」
「正義まで来た」
俺は笑って、結局ココアを押した。
缶が落ちる音が、いつもより少しだけ気楽に聞こえた。
一ノ瀬さんもココアを買って、プルタブを開ける。
「先生」
「はい」
「今日の投稿、炎上しませんよね」
「炎上しようがないです。焼き魚だし」
一ノ瀬さんは真顔で言った。
「世の中、焼き魚でも燃えます」
「どうやって」
「どうやってかはわかりません。」
わからないなら、避けようがないじゃないか。
俺が言う。
「じゃあ次は魚ではないものにしましょう」
一ノ瀬さんは頷いた。
缶ココアを一口飲んでから、彼女がぽつりと言った。
「先生、食事って、面倒ですか」
急に真面目な角度で来た。
俺は少しだけ考えた。
「面倒です。けど、面倒じゃないときもあります」
「どういうとき」
「誰かと食べるとき」
言ってから、余計だったかもしれないと思った。
でも、引っ込めるのも余計だ。
一ノ瀬さんは、少しだけ目を細めた。
「……先生、そういうの、たまに言うんですね」
「たまにです」
「たまにが一番危ないです」
「何が」
一ノ瀬さんはココアをもう一口飲んで、淡々と返した。
「面倒が増えます」
結局そこに戻るのに、なぜか嫌じゃなかった。
病院の蛍光灯は今日も白い。
日常は続く。
吸血鬼の看護師も、飛ばされた内科医も、続いていく。
面倒と一緒に。
1章終わりです。
少しでも、
「面白い!」
「続きが気になる!」
「更新がんばれ、応援してる!」
と思っていただけましたら、
広告の下↓にある【☆☆☆☆☆】をタップして、
【★★★★★】にしてくださると嬉しいです!
今後ともよろしくお願いいたします。




