ふたりだけの証(後編)
そして、ひと呼吸置いて。
ミライアは話し始めた。
「私には、生まれ持った才能が無いんだ」
「えっ?」
才能が無い?
魔女として二つ名まで持つほど、魔法の才能に溢れている先輩が、何を言っているのか分からなかった。
「私に才能は無い。だけど――」
ミライアはそう繰り返した。
そして告げる。
「才能なんて無くても、魔法で空は飛べる」
ふたりだけの部屋に響いた、その言葉に。
モチコは衝撃のあまり、しばらく返事が出来なかった。
「才能が……無くても……?」
ようやくモチコが声を絞り出したとき。
ミライアは、傍らにある本棚に手を伸ばしていた。
そこには「魔女子とコドモドラゴン」の絵本があった。
「ああ、これ。懐かしいな」
ミライアが絵本を手に取って、話し始める。
話によると、それはミライアの本だった。
幼い頃のミライアがいちばん気に入っていた絵本。
大事な宝物なので、魔窟にしまっておこうと考えた幼き日のミライアは、ここに絵本を隠した。
「母上も気づいていただろうけど、そのままにしておいてくれたんだね」
ミライアは絵本を開いて、懐かしそうにページをめくっていく。
そのストーリーは、子供の魔女が、子供のドラゴンと一緒に、いろいろな方法で魔法の力くらべをして遊ぶという内容だ。
魔女子と子供ドラゴンが、空を飛ぶスピードで勝負をするシーンが、ミライアの一番のお気に入りだった。
世界最速で飛べる生物だと言われるドラゴン。それに挑む魔女子。
その絵本では、ふたりとも飛んでいるうちに迷子になって、勝負がお預けになるという結末だった。
「小さい頃、この本を読んで、誰よりも速く空を飛びたいと思ったんだ」
「……これが、先輩の原点なんですね」
幼き日のミライアは、その後、空を飛ぶために努力を始める。
魔法の勉強に一心不乱に取り組み、魔法の技術はどんどん上達していった。
お屋敷の部屋の窓からときどき見える、シグナスの魔女が空を飛ぶ姿。
それが夢と希望を与えてくれた。
だが、グランシュタイン家は土魔法の家系。ミライアの生まれ持った魔法も土属性だ。
空を飛ぶには風魔法が適している。
風と土。相反する属性では半分も力を発揮できない。
「私も最初は、全く飛べなかったよ。本当に全然ダメ」
「飛べない先輩なんて、今じゃ信じられません……」
空を飛ぶなんて、敢えて不得意なことをするのは、ムダだと言う周りの人々。
ミライアが土魔法士として、母ヴェネルシアの後を継ぐことを期待する、たくさんの声。
魔法学校を卒業する年頃になったミライアに、母であるヴェネルシアは卒業後の留学を手配する。
それは、王都にいる土魔法で有名な魔法使いへの弟子入り留学だった。
「そのときは……もう、必死だったよ」
空を飛びたいミライアは反発し、家出する。
当面の生活費を貯金でまかなうために、安い冒険者街のアパートで暮らすことにした。
街の中で、お屋敷から一番遠い場所を選んだという理由でもあった。
そこからはシグナスに入り、ひたすら仕事の日々。
飛ぶ練習を繰り返し、いつしか二つ名がついていた。
「土属性で空を飛ぶ才能が無くても、努力すれば空は飛べる」
「す、すごい……」
話を聞くだけでも、その努力が相当なものだったことは分かる。
そりゃあ飛ぶことに憑りつかれているようにも見えるはずだ。
「誰よりも速く飛ぶことが、私が生きていることの証――」
ミライアは凛とした声で言った。
「そしてこれは、モチコが空を飛べることの証でもある」
「私が……飛べる、証……」
モチコは、ミライアの黄金色に輝くオーラを思い出していた。
どうして今まで気がつかなかったんだろう。
ただその美しい輝きに見惚れるばかりだった。
黄色のオーラは土属性の証。
だからシグナスの他の魔女はみんな、風属性の緑色のオーラで飛ぶ。
ミライアだけが黄金色だ。
人と違うオーラでも、空は飛べる。
モチコの、泡のようなオーラでも、きっと。
ふたりだけの夜空で、何度も飛んできたことが、その証だった。
「ああ、この香りは……」
「奥様……お母様の香りですよね?」
ミライアが開いた本のページから、深い森に煙る霧のような、神秘的な香りがした。
魔女子と子供ドラゴンが、楽しそうに空を飛ぶ絵が描かれたページだ。
「このページを、毎日のように母上にせがんで読んでもらっていたからね」
「そうだったんですね」
「あのころ幼かった娘が、大人になって家出するなんて。……とんだ親不孝だな」
そう言ったミライアの口調は、珍しく後悔を滲ませるような言い方だった。
モチコは、本を持つミライアの手に、上からそっと自分の手を重ねる。
「この絵本が、今でも魔窟で大切に保管されているということは……。お母様も、先輩に空を飛んでほしいと思っているんじゃないでしょうか」
比べるのは恐れ多いが、モチコも奥様と同じく本を愛する人間であるからこそ、分かってしまう。
自分にとって大事な本棚に、本を入れるということの意味が。
先輩が空を飛ぶきっかけとなった本を、ここへ大切に置いておく、その気持ちが。
モチコの言葉に、ミライアははっと息を飲んだ。
そして、ゆっくりと口を開く。
「……ああ、そうだね。モチコ、ありがと」
それから、どちらからともなく立ち上がり、絵本を元の場所に戻すと、魔窟を後にした。
図書館を出ると、もう日が落ちて暗くなっていた。
お屋敷の本館までの道を、ふたりで並んで歩く。
「……まさか、先輩がお嬢さまだったとは」
「ふふ、似合わないかな?」
「いや、むしろ思い返せばいろいろ納得ですけど。先輩の名字って『アシュフォード』じゃなかったんですか?」
「それは、父の旧姓だね。グランシュタインは母方の一族だから」
なるほど、と思いながら聞いていたモチコに、ミライアがすこし真面目なトーンで続ける。
「モチコ、私の正体は、これからも黙っておいてほしい。シグナスのみんなにも」
「分かりました」
「身分がバレると、余計なことで狙われたりして、周りのみんなまで危険にさらしてしまうから。あと、私は家にとらわれず自由に飛びたいし」
「ふふ、先輩らしいですね」
ドレス姿の先輩は普段と違う格好だけれど、こうして隣に並ぶとしっくりきた。
エメラルドグリーンのシンプルなワンピースドレスは、とても先輩に似合っていて素敵だ。
周りからみたら、かわいらしいお嬢様に寄り添う、従者のメイドに見えるだろうか。
そんなことを考えながら、モチコはミライアの横顔をひそかに眺め、月明かりのなかを歩いていった。




