ふたりだけの証(前編)
モチコは、逃げ切ったはずだった。
図書館まで追いかけてきたミライアから逃げるために、最終手段だった魔窟のカギを使ったのだ。
魔窟へ逃げ込み、内側から鍵をしめる。
この扉は先輩には開けられない。
……はずだったのに!
先輩が扉を開けて入ってきた。なぜ!?
お嬢さまだから、合鍵でも持っていたのかも。
扉の近くにある本棚の前で座り込んでいたモチコは、もう逃げられないと悟った。
慌ててミライアに背を向け、膝を抱えて顔を隠す。
ドゴォーン、という重低音が響き、魔窟の扉が閉まる。
ミライアは何も言わない。
魔導ランプの明かりを点けてモチコの傍らの床に置くと、無言のまま、座っているモチコを後ろから抱きしめた。
驚いて、身体をこわばらせるモチコ。
それでもミライアは無言のままだ。
ぎゅう、と強く抱きしめられたあと、すぐに解放される。
それと同時に、モチコの身体からも力が抜けていった。
しばらくして、ミライアが口を開く。
「モチコ、久しぶりだね」
「はい……」
聞き覚えのある、いつもの先輩の声。
凛とした響き。さらに今日は、いつにも増してやさしい。
「身体は大丈夫?」
「はい……」
「よかった」
そこから、またしばらくの無言。
モチコは先手を打った。
「先輩。私は、シグナスには戻りません」
「どうして?」
「私は魔法が使えません。魔法が使えないのに、シグナスに居ても、役に立てません」
「そんなことないよ」
「そんなことあります!」
先輩はやさしく答えてくれたが、こうして話していると、色々な想いが溢れて感情的になってしまう。
「魔女になることも、空を飛ぶことも。……才能の無い私には無理でした」
「……」
「私には才能がありません。最初から無謀な夢だったんです。たまたま先輩に拾ってもらえて、夢の期限がすこし延びたように見えただけ。先輩のおかげで、ほんの一瞬でも夢が見られた。それで充分です!」
想いを言葉にするほどに昂っていく感情。
最後にはもう爆発してしまった。
「……先輩!! もう私のことは諦めてください!!!」
言い切ったモチコは、はあはあと息が切れていた。
手は冷たくなって震えている。
もうこれでシグナスとも、先輩とも関係は終わりだ。
終わりにしないといけない。
しばらくお互いに無言だった。
お互いが呼吸をする音だけが聞こえる、静かな部屋。
その静けさを破る、何かを見つけたようなミライアのつぶやき。
「ん? これは?」
ミライアが、モチコのメイド服の襟元に手を触れる。
その指が胸元をかすめて、モチコが胸に隠していたペンダントのチェーンを捕らえた。
「モチコ、アクセサリーなんてしてたっけ? あ、いま流行ってるってやつ?」
モチコは身をよじって抵抗したが、ほとんど効果は無かった。
ペンダントがメイド服の胸元から、難なく引き上げられる。
服の中から現れたペンダントには、赤い石が輝いていた。
それは、ミライアの瞳の色だ。
凛々しさを湛えた、赤。
「これが今も胸にあるってことは、まだ私のことは信じてくれてると思ってもいい?」
言い訳はできなかった。
モチコはシグナスを去ってからも、ペンダントを外さなかった。
魔女になる夢はあきらめても、先輩への気持ちまで無かったことには、どうしても出来なかったのだ。
モチコは観念した。
小さくうなずいたときに、青い瞳から涙がこぼれた。
「はい……」
「そうか。よかった」
ミライアはペンダントをモチコの胸に戻す。
そしてモチコを後ろから抱きしめたまま、膝を抱えていたモチコの手を、上からそっと握った。
冷たくなっていたモチコの手に、温もりが宿る。
抱きしめられている背中からも、ミライアの体温が伝わってきた。
温かかった。
「いつもホウキに乗っているときと逆だね」
「……そうですね」
「モチコの背中はあったかいんだね。モチコがいなくて、寂しかった」
先輩は、私の背中が温かいと言った。
私も背中から、先輩の温かさを感じている。
そうか、とモチコは気づいた。
私がホウキの上で先輩の背中を温かいと感じていたのと同時に、先輩も私の温かさを感じていたんだ。
寂しかったのは私だけじゃない。
必要としていたのは、私だけじゃなかった。
「モチコに才能がない、なんて言ってごめん」
「いえ……それは事実ですし。それに、先輩は本当はそう思ってないって、分かってます」
先輩はそれを聞いて安心したのか、一度大きく息を吐いた。
そしてふたたび口を開く。
「あの言葉には、続きがあるんだ」
「え?」
「ちょっと長い話だけど、聞いてもらえるかな?」
「……はい」
そして、ひと呼吸置いて。
ミライアは話し始めた。
(後編へ続く)




