脳は夜ふかし、眠れよ乙女(後編)
「ぃやあ、こんばんわぁ」
「……は?」
思わず間の抜けた声が出たモチコ。
その前にあらわれたのは、桃色の大きな瞳をした魔女――。
ランランだった。
予想外の出来事に固まって動けないモチコを見て、ランランが不思議そうに名前を呼ぶ。
「モチコぉ?」
「……びっっっっ、くりしたぁぁ……。っていうか、うちのドアを壊すな!」
そう言って、床で粉々になっているガラスを指さした。
ランランは表情をすこしも変えることなく言う。
「今夜は月が綺麗でしたので、最新の入室方法を試みてしまぃました」
「新しすぎだろっ!」
ランランがいつの間にか、モチコのいるベッドのすぐ脇まで近づいている。
「お詫びに、ちょっとだけ、モチコの身体を好きにしてもぃぃですね?」
「いや、ダメに決まってるし! もうツッコミどころが多すぎてどこから……」
モチコの答えを無視して、ランランはさらに近づく。
ベッドの上で起き上がっていたモチコは、ランランの両手でぐいぐいと押し倒されるようにして寝かされた。
ランランがそのまま覆い被さってくる。
「だめ。しばらく身体洗ってないから、くさいかも」
「ぃや、それはむしろご褒美でゎ?」
……もっと近づいて欲しくないわ!
とツッコミを返したかったが、モチコはいったん言葉を飲み込んだ。
ランランの瞳が、いつになく真剣だったからだ。
ランランの顔が近い。お互いの鼻の先が触れそうな距離だった。
桃色の大きな瞳が、モチコの顔をジッと見つめている。
「モチコぉ、しばらく眠れてなぃですね?」
「……うん」
モチコの目の下に出来ているクマに気づいたのだろうか。
ランランはモチコがほとんど寝ていないことを言い当てた。
熱が下がるまでは少し眠ったが、それ以降は考え事がループして、ほとんど眠れていない。
身体はかなり疲れているのに、目が冴えてしまうのだ。
そしてふたたび、考え事がループしていく悪循環。
「ランラン氏は、モチコの夜ふかしな脳を、眠らせに来ました」
「ランランの魔法で眠らせるの?」
「こわぃです?」
「こわくないよ。ランランだもん」
ランランは闇魔法士だ。
闇魔法は、一般的には催眠や拷問に使われると言われている。
きっとランランは、闇魔法をうまく応用して、眠らせようとしてくれているのだろう。
「ちょぃと強めにやれば、脳をぶちこわして廃人にもできます」
「こっっわ! それ、いま言うべきことじゃないだろ!」
「大丈夫。ぃたくなぃよ?」
「痛くなくて、脳も無事なやつで頼む……。マジで」
ランランはベッドに寝ているモチコに覆い被さったまま、オーラを練り始めた。
黒と紫の中間みたいな色のオーラが、ランランの身体を包む。
オーラをまとったランランの両手が、モチコの頭にそっと触れた。
「モチコぉ、魔法かけても、良き?」
「うん」
すぐには何も起こらなかった。
痛くはない。ほかにも、とくに何の感覚もしない。
ランランの顔は、相変わらず目と鼻の先にある。
揺れる黒紫色のオーラを見ながら、ぼんやりと頭に浮かんだことを口にする。
「……私、やっぱり魔女になれなかった」
「……」
「魔法の使えない私なんて、役立たずだ」
一拍おいて、ランランが答える。
「魔法が使えても使えなくても、ランラン氏にとって、モチコはモチコ。何も変わらなぃです」
「うん」
それからしばらく経っても、魔法をかけられている頭のあたりには、とくに何も起こらなかった。
だが、身体がぽかりと温かくなってきた。
黒紫色のオーラの向こうにある、桃色の大きな瞳をジッと見つめ返す。
「……魔法で、心を変えられたりしないの?」
モチコは尋ねた。
魔法で心を変えられたら、どんなにいいことか。
そしたら、魔女になる夢をあきらめたり、先輩のことを忘れたりできるのに。
ランランは、しばらくまばたきもせずに静止したあと。
桃色の大きな瞳の色を、一切変えずに言った。
「脳と心は別にあります。脳は単純、心は複雑なのです」
「心は、複雑……」
「闇魔法で脳をぃじれば、頭をぉ花畑にしてぁげられます。すんごぃ気持ちぃぃから、やってみます?」
ランランは奇妙な提案をしたのち、さらに続ける。
「一晩中踊り狂って死にますけど」
「うわ、遠慮しとく」
モチコは、身体からだんだんと余計な力が抜けて来ているのに気づいた。
力が抜ける前には、力んでいることすら認識していなかったのに。
「魔法で脳は操れても、心は変えられない」
ランランが、今までになく神妙な声で、そう言った。
相変わらず桃色の大きな瞳の色は少しも変わらず、ランランが何を考えているかは分からない。
まあ、無表情な自分も、人のことは言えないけども。
「モチコぉ、きもちぃぃ?」
「うん」
ランランの問いに、モチコは素直に答えた。
ランランの闇魔法は気持ちがいい。
身体がぽかぽかとして、ぬるいお湯に長いこと浸かっているような気分。
心地よくて、だんだんと眠くなってきた。
ランランはそのあと、無言でモチコに魔法をかけ続けた。
何も喋らないのは、モチコがこのまま眠れるようにしてくれているのだろう。
モチコは素直にそれを受け入れ、眠ることにする。
まぶたを閉じ、心地よさのなかに身を任せた。
「モチコぉ。……ねちゃぃました?」
眠りに落ちる直前に、ランランのささやく声が聞こえた。
「寝てるよ」と返してやろうと思ったら、口が動く前に、眠りの方が早く来た。
――その日モチコは、夢も見ずに深い眠りについた。
目が覚めると朝どころか、もう昼過ぎだった。
久しぶりに、かなりぐっすり寝たみたいだ。
ランランはすでに居なかった。
ベッドから起き上がってキッチンに行き、壊れたガラス窓を見てみる。
窓が無くなって穴が空いた部分には、ガラスの代わりに応急処置として蓮の葉っぱが張り付けられていた。
テーブルの上に、修理代だと思われるお金も置いてある。
数日間ほったらかしになっていた部屋は、ほこりっぽかった。
花瓶の花も、すでにしおれている。
今日は、部屋の掃除をして、新しい花を買おう。
色々と解決していないことはあるけれど、まずはお屋敷の仕事に復帰することにした。
仕方がないから、今度ランランにお菓子でも買っていってやるか。
モチコは部屋のカーテンと窓を開け、空気を入れ替える。
夏の日差しが部屋に差し込んできた。
久しぶりの光のまぶしさに目が痛くなる。
モチコは目を細めながら、その光をしばらくのあいだ見つめていた。




