ぬるくて痛い雨、そして(後編)
「……あ、更衣室にペンダントを忘れてきた」
モチコが胸に隠していたペンダントが無くなっていた。
さっき更衣室で着替えたときに、ハンガーに引っ掛けたままにしてしまったのだ。
仕方なく螺旋階段を待機室まで下り、回収しに行く。
ペンダントは、ちゃんとハンガーに掛かったままだった。
ペンダントを手にして更衣室を出ると、部屋のもっと奥のほうから話し声が聞こえた。
奥にはシャワーと仮眠室しかないはずだ。
ちらりと覗いてみると、シャワー室の前でミライアとマルシャが話しているのが見えた。
ふたりとも、奥の方を向いているので、顔は見えない。
マルシャの声がする。
「ミライア様、どうして魔法も使えない奴を、相方にしたんですか?」
う、あまり聞かない方がいい話題みたいだ。
モチコは聞かなかったことにして、早々に立ち去ろうとした。
それでも、立ち去る前にマルシャの声が続く。
「飛べないどころか、魔法自体が使えないんじゃ、才能がないと思いますけど」
「たしかに――」
今度はミライアの声がした。
モチコは先ほどの悪夢を思い出す。
この先は、聞いてはいけない――!!
「――モチコには、才能がない」
モチコには才能がない。そう聞こえた。
それは間違いなくミライアの声だった。
凛としたこの声を、聞き間違えるはずがない。
先輩がそんな言葉を言うなんて信じられなかった。
モチコが一番嫌いな言葉。
一瞬、聞き間違いかと思った。
でも次の瞬間には。
やっぱりそうだよな、という気持ちで心が塗り替わった。
手が震えた。思わず手に持ったペンダントを落とす。
かしゃり、と床に落ちる音がして、音に気づいたふたりがモチコの方へ振り返った。
マルシャはしまった、という顔。
先輩は、驚いた顔をしていた。
「モチコ、今のは――」
モチコはすぐにペンダントを拾いながら、小さく震える声でミライアの言葉を遮る。
「分かってました……」
震える手が冷たい。
声をしぼり出す。
「もともと、分かっていたことです。私に才能はありません。魔法が使えない人間が、ここに居たって……」
口の中が乾いてうまく声がでない。
でも、言葉は勝手に溢れてくる。
「ここに居ても役立たずです。居るのがおかしいんですよ。私は居ない方がいいんです」
「モチコ」
先輩が、諭すように名前を呼ぶ。
でも止まらない。声が大きくなる。
「本当にご迷惑をおかけして、申し訳ありません」
息が苦しい。
感情が昂ぶる。
「今日で辞めます!」
最後は、もう絶叫に近かった。
「今まで、ありがとうございました……っ!」
モチコは頭を下げながら叫んだ。
顔を上げられない。先輩の顔を見ることが出来なかった。
「モチコ」
ふたたび名前を呼んで、ミライアが手を伸ばしてきた。
モチコはその手を振り払い、全力でその場から走り去る。
途中までミライアは走って追いかけてきた。
だが、シグナスの建物を出たところで、モチコが横の茂みに突っ込んだ。
そこは小柄な人間しか入れない狭い隙間で、ミライアは行く手を阻まれた。
ミライアは走って追うのを止め、一旦ホウキを取りに戻ったようだ。
その隙に、モチコはタワーのある島を出て、橋を渡り、魔導トロッコの駅へ向かって走り続けた。
夜が明け始めた街には、小雨が降っている。
気がつかないうちに、服も身体も濡れていた。
先輩にも、シグナスのみんなにも迷惑をかけてしまった。
そもそも、いま思い返せばどうして、私が魔女になれるかも、なんて考えたのか。
なぜ私が空を飛べるなんて思ったんだろう。
魔法学校時代からずっとダメだったじゃないか。
才能にあふれる先輩がたまたま一緒に居てくれたおかげで、こんな私でもほんの少しだけ活躍できるかも、と錯覚していた。
私に魔法の才能なんてないのに。
身の程知らずもいいところだ。
ああもう!
馬鹿みたいだ。馬鹿みたいだ!
――馬鹿みたいだ!!
駅につくころには全身ずぶ濡れで、自分が泣いているのかどうかも分からなかった。
息が切れてもう走れない。
真夏の明け方に降る雨は、ぬるくて、いつもは気持ちいいくらいのはずなのに。
いまはただ痛かった。
ずぶ濡れの姿で魔導トロッコに乗るわけにもいかず、とぼとぼと歩く。
駅の近くに、誰もいない小さなもの置き小屋を見つけて、しばらくそこで雨宿りして過ごした。
雨が止み、服もある程度乾くころには、もうお昼近くになっていた。
もの置き小屋を出て、ふらつく足取りで駅に向かう。
台風一過の空から降り注ぐ真夏の日差しが、色も温度もなく、ただ痛みとして身体に突き刺さってきた。
夏とはいえ、ずぶ濡れで夜明けを過ごしたせいか、熱っぽい。
申し訳ないけれど、お屋敷の仕事は数日間だけ休ませてもらおう。
帰る途中にある郵便屋で、メイド長あてに速達メールを送った。
なんとか魔導トロッコに乗って自宅へたどり着くと、郵便受けに紙切れが入っていた。
ミライアからの短いメモだった。
『ごめん。また来る』
走り書きの文字は、雨にぬれて滲んでいた。
あの後、ここまで追いかけてきた先輩が、慌ただしく残していったのだろう。
いまは何もかもが、どうでもいい。
熱も上がってきたみたいだ。
モチコは家へ入ると、扉の鍵を閉め、すべての窓とカーテンを閉ざし、倒れるようにベッドに沈み込んだ。
閉ざしたはずのカーテンの隙間から、真夏の強い光が漏れて、部屋に差し込んでいる。
ぼやけていく意識のなか、その光が嫌になるほど目にしみて――。
モチコはまぶたを閉じた。




