お尻と魔窟ときゅっきゅっきゅっ(前編)
きゅっ。
と、気持ちのいい音が部屋に響く。
モチコは雑巾で窓ガラスを磨いている。
今日はお屋敷での仕事の日だ。
モチコの担当は、本館2階にある来客用寝室の掃除だった。
霧吹きで窓ガラスに洗剤を吹き、硬めの雑巾で汚れを落としたら、別の柔らかい雑巾で乾拭きして仕上げる。
きゅっ、という音がふたたび響いた。
掃除を担当するメイドたちのあいだで、密かに流行っていることがある。
それは、自分専用のオリジナル洗剤を使うことだ。
基本の洗剤に、お気に入りのハーブや果物なんかを加えてアレンジする。
日々の仕事を少し楽しくする工夫というやつだった。
「このブレンドは、なかなかいい感じかも」
モチコは、少量のミントとレモンをブレンドした洗剤を使っていた。
自宅で鉢植えにしていたミントが、わっさわさと育ってきたので、少しでも消費しようというもくろみでもある。
きゅきゅっ、と拭いたあとでガラスに顔を近づけると、ミントとレモンの爽やかないい香りがした。
磨き終わったばかりの窓ガラスから差し込む光は、なんだか新鮮な感じがする。
モチコは夏の日差しに目を細めながら、ガラス磨きの仕上がりをチェックした。
「よし、ばっちりグー」
これで予定していた掃除は完了だ。
ここは来客用の寝室で、普段はあまり使われない部屋だった。
そのためそれほど汚れておらず、予定よりも少し早く掃除が終わったようだ。
あまった時間で、普段は掃除しない場所も磨いておこうかと思い、部屋の中を見まわす。
すると、壁ぎわにある暖炉が目に入った。
暖炉の内側は、季節ごとの大掃除でしか掃除をしない。
せっかくなので、中の煙突が汚れていないか確認しておこう。
レンガ製の暖炉はシンプルなつくりで、炉の中は人間がひとり入れそうなくらいの大きさがある。
モチコはしゃがんで暖炉の中を覗き込んだ。
「うーん、内側も割ときれいだな」
今は夏。
暖炉を使う季節ではないので、炉内はほとんど汚れていなかった。
そもそも近年は技術の進歩によって、薪や石炭を大量に暖炉で燃やすことは滅多にない。
魔導具で簡単に着火できるし、燃料も魔導鉱石を使ったほうが安全だからだ。
そんなわけで炉内は割ときれいだったが、炉の上にある煙突にはゴミやほこりが溜まっているかもしれない。
モチコは暖炉に顔を突っ込んで、上の煙突部分を覗いてみた。
……が、暗くて何も見えない。
煙突につながる穴のところに、何かで蓋がされているようだ。
「ありゃま。なにか詰まってる?」
煙突の方へ手を伸ばして、詰まっている蓋のようなものに触れてみる。
意外な感触だ。
なんだか弾力がある。
やわらかいような、それでいて張りがあって固いような……。
指先でなぞって形を確かめていくと、大きな丸い球体のまんなかに、割れ目のようなくぼみがある。
例えるなら、大きな桃みたいだ……。
手のひらで優しくさすってみると、その物体はもぞもぞと動き出した。
「ぃやん」
突然、謎の物体から声がした。
モチコが驚いて暖炉から離れると、その物体が煙突の穴からズドンと落ちてくる。
金髪に桃色の瞳をした魔女が、膝を抱えて座ったポーズで暖炉の中にあらわれた。
「ぃやん。モチコはランラン氏のぉしりに興味がぁる感じぃ?」
どうやらモチコが触っていた物体は、ランランの尻だったらしい。
「……そんなもん興味ないわ!」
モチコは呆れながら答えた。
「ランラン氏はモチコのぉしりに興味ぁります」
「急に気持ち悪い告白はやめろ」
「モチコのぉしりはもっちもち?」
「知らん」
「では調査しなぃとぃけませんなぁ。ぃひひ」
暖炉から出てきたランランは、モチコの顔の前で両手を広げた。
そして、その指をわきわきと動かしてみせる。
「その変な動きはやめろ。仕事をサボってセクハラする気か。そもそも、暖炉を破壊した罪はどうしてくれよう」
モチコは、ランランが出てきた暖炉の中に落ちていた、レンガのかけらを拾った。
それは恐らく暖炉の内側の壁に付いていたもので、ランランが落ちてきた時に壊したのだろう。
モチコは拾ったかけらを手にしたまま、しゃがんで暖炉の中に顔を突っ込んだ。
ちょうど先ほどランランの尻が蓋をしていたあたりで、レンガが剝がれている。
そこに欠けたレンガをはめてみると、ぴたりと収まった。
ぎゅうと押し込むと、接着剤なしでも固定されたようだ。
「よかった。ランランが壊したとこ、直ったよ」
「ぃやっほー。ありがたゃありがたゃ」
「……おい」
「うぃ? どぅしたモチコぉ」
「私の尻を揉むのをやめろ」
モチコは暖炉に頭を突っ込んでいるので、尻だけが暖炉から出ている状態だ。
そこに後ろからランランが近づき、両手でモチコの尻を揉んでいた。
「揉むのはお気に召さなぃ? 優しくさすられるほぅがお好きぃ?」
「いや、そういうことじゃない」
「あ、叩かれるのがぃぃんでしたっけ?」
「違うわっ! ひとの尻に触れるなっ!」
「ランラン氏の感謝を込めたスキンシップなのにぃ」
ランランはようやく感謝が済んだようで手を離した。
モチコは暖炉から出て、ランランの脳天にチョップをかましておく。
そうこうしているうちに、午前中の仕事が終わる時間になった。
ランランはまた、ふらふらとどこかへ行ってしまった。
なぜ暖炉に入っていたのかは、あえて聞かなかった。
ランランの行動については、常識的な思考で考えるだけ無駄なのだ。
たぶんサボりだし。
――魔法学校の学生だった頃。
ランランは誰よりも、サボることに勤勉だった。
じっとしているのが苦手なのか、授業をサボって教室を脱出することには、特に命をかけていた。
ある日、ランランがサボっている姿が教室の窓から見えたので、何をしているのか眺めてみた。
すると、学校中に落ちているゴミを観察していた。
空き瓶とか、紙クズとか、リンゴの芯とか、落ちているものを逐一メモに記録する。
かといって、拾ってゴミ箱に持っていくわけでもなく、放置。
そのあとは大量の本を背負って校庭の木によじ登り、木の上でものすごい真剣に勉強していた。
なぜ教室でやらんのか。
こういう変なやつではあるのだが、モチコが魔法を使えないと知っても、何も変わらず話しかけてくる。
だから不思議と気が合って、卒業してからも友人関係が続いていた。
モチコが魔法を使えないことを貶すでもなく、かといって一切同情や心配をする訳でもない。
そもそもそんなことは全く気にしてない、という唯一無二のスタンスが、モチコの心を何度支えてくれたことか。
まあ、変人だけど。
そんなことを思い出しながら、午前中の仕事を終える。
モチコは掃除用具を片づけ、昼休みを取るためにメイド館へと戻るのだった。
(中編へ続く)




