第五話「名前未遂と、迫り来る影」
カイルは廊下に立ちふさがっていた。
レインの前にまっすぐ立ち、逃げ場を塞ぐように。
その目は怒りではなく――探るような、確信めいた光を帯びていた。
「レイン。昨日の“魔力乱れ”……
本当に、お前は関係ないと言い切れるのか?」
肩の上で、精霊がびくっと震える。
『レイン……この人、本気で怪しんでる……!
やばいやばいやばい……!』
(し、静かに……!)
カイルは一歩近づく。
「昨日の中心は……“何か”だ。
でも、今日のお前の魔力、変だろ? 安定しすぎてる」
ミーナは後ろで不安げに見つめていた。
「カイル……そんな言い方しないで……!
レインは――」
「ミーナは黙っててくれ。
こいつに危険があるなら、お前だけでも守らなきゃならない」
その言葉に、ミーナの表情が曇る。
(……僕が危険?)
カイルはもう一歩踏み込んできた。
至近距離。逃げられない。
「レイン。
お前――“何か”隠してるだろ?」
胸がざわつく。
すると、肩の精霊が僕の耳元で怒鳴った。
『言わせちゃだめ! この人、わたしの存在に気づきかけてる!!』
(でも、どうすれば……?)
『逃げる!!』
(ここで!?)
『ここ以外にどこがあるのよ!!』
しかし、カイルが逃げ道を塞ぐように腕を伸ばした。
「レイン。答えろ」
そのとき――精霊が叫んだ。
『レイン!! 後ろ!!』
(えっ――)
とっさに振り返ると、特務官が廊下の奥からこちらへ歩いてくるところだった。
黒衣の男は、一歩一歩、床を踏みしめるたびに冷気を残すような気配を漂わせて接近する。
「なぜここに固まっている?」
鋭い声が、廊下を切り裂くように響いた。
カイルはビクッと肩を震わせたが、後ずさりはしない。
「特務官殿。
昨日の魔力乱れの件……
私はレインが何か知っていると思っています」
「根拠は?」
「直感です。でも……外れたことはありません」
特務官の眉がわずかに動く。
「貴様は優秀だが、思い込みは排除しろ。
――ただし、監視対象は増やす価値がある」
(か、監視対象って僕のこと!?)
精霊が小さく震える。
『レイン……ごめん。わたしのせいだ……
アンタが疑われてる……!』
(違うよ。精霊のせいじゃない)
『違わなくない!!
アンタの魔力、わたしが整えたせいで逆に目立ってるの!!』
精霊が泣きそうな声で叫ぶ。
『隠すつもりだったのに……
アンタがズレてて……タイミング悪くて……
全部バレるじゃん……!』
(なにその言い草!?)
特務官はレインの顔を覗き込むように近づいた。
「レイン・アークライト。
お前の魔力、今日だけ異常に澄んでいる。
昨日の乱れとは別種の異常だ」
(別種……?)
「まるで“外部の精霊”が干渉したような整い方だ」
ドクン、と心臓が跳ねた。
精霊は肩の上で完全に固まり、小さな声で言った。
『……やばい。
この人、ほぼ正解に辿り着いてる……』
(どうしよう……)
『逃げて! 今は誰とも話さないで!』
しかしカイルが再び腕を広げてきた。
「レイン。逃げるな。
俺は……お前が危険なら止めないといけないんだ」
その言葉は真剣すぎて、嘘に聞こえなかった。
ただ――
「……誰も見えてないんだよね?
君のこと」
僕が小さな声で精霊に問うと、精霊は肩で震えたまま答えた。
『うん……アンタだけ。
アンタにしか見えないし、聞こえない』
(なんで……?)
『理由なんて……後で言うって言ったでしょ!?
今は逃げなきゃ!!』
精霊の焦りが伝染し、僕は咄嗟に一歩下がった。
カイルが目を見開く。
「レイン、待て!」
特務官の声も鋭く飛ぶ。
「アークライト、止まれ!」
しかし僕は振り返り、廊下を駆け出していた。
精霊が僕の肩で叫ぶ。
『レイン!! 走れ!!
今は誰も信じちゃダメ!!』
胸が激しく脈打つ。
カイルの声も、特務官の怒号も聞こえなくなるほど必死だった。
なぜ走っているのかもわからない。
ただ――
“精霊が必死で震えている” そのことだけが胸に刺さっていた。
どれだけ走ったのかわからない。
気づけば学院の裏手にある、小さな中庭に来ていた。
誰も来ない、人気のない場所。
肩で息をしながら、壁に手をつく。
「はぁ……はぁ……っ」
すると精霊が僕の胸あたりに降りて、震える声で言った。
『レイン……ほんとに……バカ……
あんな走り方……捕まるかと思った……!』
(ご、ごめん……!)
『……でも、ありがとう。
わたしのために走ってくれて……』
胸の中が熱くなる。
精霊は小さく拳を握って、ぎゅっと目を閉じた。
『あのね……
名前のことなんだけど――』
空気が止まった。
精霊が名前を言おうとしている。
そのとき――
中庭の空気が一瞬震えた。
(……何?)
精霊の光が強く脈打つ。
『……っ、やだ……いや……!
アンタの魔力……わたしのと混ざって……っ』
(精霊!?)
『触らないで!! 今触られたら……暴れる……!!
アンタの器、おかしいんだってば!!』
僕は思わず手を引いた。
精霊の身体からほとばしる光がゆらめき、空気を震わせる。
小さな声が震える。
『わたし……こんなつもりじゃ……!
名前言うだけのはずなのに……!』
(なにが起きてるの!?)
『アンタの魔力が……優しすぎるの!!
受け入れられ方が……強すぎて……
わたしの側が……耐えられない……!』
光が破裂しそうに膨らむ。
(や、やばい……!?)
『ごめんレイン……!
でも……名前だけは……言う……
絶対……言うって決めたから……!』
光が収束し、精霊は必死に息を整えた。
『わたしの名前は――』
その瞬間。
「また魔力異常か!?」
「ここだ!!」
二つの影が中庭に飛び込んできた。
ひとりは特務官。
もうひとりは――学院の別の監視官らしき人物。
光が一気に萎む。
『……っ!!』
名前は、言えなかった。
特務官が鋭く叫ぶ。
「アークライト!! 今の魔力反応は何だ!?」
(し、しまった……!)
『レイン……ごめん……
もう……隠しきれない……』
精霊はかすれる声で呟いた。
(大丈夫だよ。僕が守る)
『っ……!
やめて……そんなこと言われたら……
もっと……壊れる……』
精霊が胸にすがりつく。
その姿は小さく震え、
名前を告げられなかった悔しさと恐怖に染まっていた。
そして――
「レイン。お前はやはり、異常だ」
廊下からゆっくり現れたのはカイルだった。
先ほどの怒りはもうない。
ただ、真剣なまなざしだけがあった。
「お前……何を抱えてる?」
精霊はぎゅっと僕の服を掴み、小さく囁いた。
『レイン……お願い……
まだ言わないで……
名前……次こそ……言うから……』
僕は小さくうなずいた。




