第四話「名を呼ぶ資格」
学院長室での事情聴取から一夜が明けた。
昨日と同じ学院のはずなのに、空気がまるで違うように感じる。
視線の密度も、足音の響きも、胸を締めつけるように重い。
理由は――
「レイン・アークライト。今日も護衛兼監視として同行する」
昨日と同じ黒衣の特務官が、影のように背後を歩いていたからだ。
「え……今日も、ついて来るんですか?」
「当然だ」
短く冷たい声は、反論の余地すら与えない。
肩の上で、僕にしか見えない精霊が震えた。
『ひぃっ……この人ほんと無理……!!
アンタ、歩くの早くして! 背中ゾワゾワする!』
(僕だって怖いよ……! ていうかさ、えっと、精霊さん?
本当に他の人には見えてないの?)
『は? 見えてたら昨日の騒ぎで即バレしてるでしょ?
アンタ以外、わたしの姿も声も“認識できない”よ』
(それ……すごすぎない?)
『わたし高位精霊なんだけど?
アンタ、ほんと失礼だな!?』
(いや、だって……そんな重要なこと、昨日言ってなかった……)
『アンタが泣いたり怒ったり忙しかったからでしょ!
わたしの説明タイムどこで取れっての!』
(ご、ごめん……!)
そんな小声の応酬をしながら訓練場に向かう。
すでに生徒たちが集まっていて、僕を見るなりヒソヒソと囁きが起きた。
「(あれが適性ゼロの……?)」
「(昨日いなくなってたよね?)」
「(なんで監視がついてるの……?)」
「(学院長に呼ばれたって聞いたけど……)」
刺すような視線が痛いほど突き刺さる。
『アンタ、すごい噂されてんじゃん。人気者だね〜』
(こういう人気いらない……!)
すると、ひときわ鋭い視線が僕を射抜いた。
カイルだ。
昨日までのような嘲笑ではなく、何かを見透かすような表情。
(……絶対、何か気づいてる)
「レイン!」
ミーナが駆け寄ってきて、僕の腕をそっとつかんだ。
「本当に……よかった。昨日見つからなかったから、ずっと心配してたのよ」
「ごめん、心配かけて……」
「ううん。レインが無事なら……それでいいの」
一息ついたようにミーナが微笑む。
けれど、その温かい時間は長く続かなかった。
授業開始の鐘が鳴り、教師が前に立つ。
「本日は“魔力共鳴の測定”を行う」
最悪の内容だ。
(終わった……僕の魔力、昨日めちゃくちゃだったのに……)
『ちょっと。アンタ落ち着きなよ。
わたしが魔力の流れ、整えてあげるって言ったでしょ?』
(できるの……?)
『できなかったら言わないの! 静かにして、胸触るよ』
(な……胸!?)
『位置的にそこが一番効率いいの!! 変な意味じゃない!!』
精霊がちょん、と僕の胸あたりに触れると、
昨日までのざらついた魔力がすっと整っていくのを感じた。
(すご……)
『あとで褒めてね?』
(今褒めてるよ!)
『今じゃなくて、正式に!』
教師が名簿を読み上げる。
「――レイン・アークライト」
僕は深呼吸をし、前に出た。
石板に触れた瞬間――
魔力が静かに“整列”していく。
(これ……精霊のおかげだ)
教師は目を見開いた。
「……昨日とはまるで違う。非常に安定している」
特務官がすかさず口を挟む。
「安定しすぎている。
まるで誰かが魔力を矯正しているようだ」
精霊が肩でびくっと震えた。
『やば……この人鋭すぎ……! アンタ、息するのも慎重に!』
(どう息すれば!?)
どうにか測定を終え席に戻ると、ミーナが駆け寄った。
「よかった……レインの魔力、すごく安定してたね。
なんていうか……優しい流れだった」
(優しい……?)
『ほら照れた! レイン照れた!』
(照れてない!!)
『照れてる〜! アホかわいい〜!』
(アホ呼ばわり!?)
そのとき、僕は思い出した。
(そうだ……名前)
「ねぇ……君の名前、なんていうの?」
『っ!?』
精霊は一瞬固まり、目に見えて動揺した。
『い、今!? 今そういうの聞く!?
タイミング悪すぎでしょアンタ!!』
(いや、普通に疑問だったから……!)
『乙女にいきなり名前聞くなっての!! 心の準備が……!!』
頬を染めてバタバタしている――かわいい。
「じゃあ準備できたら教えて……?」
『~~~~ッ!!
わ、わかったから!! 後で!! 後で言う!!』
その瞬間――。
「レイン・アークライト! 職員室まで来てもらう!」
教師の怒鳴り声が訓練場中に響く。
『はぁぁぁぁ!? なにそれ!!
わたしの名前タイム邪魔されたんだけど!!』
(ご、ごめん……!)
こうして精霊の名前はお預けになった。
職員室へ向かう廊下を歩きながら、僕は深くため息をついた。
肩の上では、精霊がぷりぷり怒っていた。
『ほんっと最悪! あとちょっとで名前言えたのに!
あの教師、空気読んでよ!!』
(僕に言われても……)
『“名前は後で”って言ったの覚えてる!? あれ本気だから!
……なのに邪魔されるし。タイミング台無し!』
(そんなに大事なの? 名前って)
『そりゃ大事でしょ!? 精霊にとって名前は……もう……すごいんだから……!
簡単に名乗るものじゃないの!』
(そうなんだ……ごめん。知らなかった)
精霊は少し黙って、ふっと小さく言った。
『……アンタが悪いわけじゃないけどね』
そんな会話をしながら職員室に入る。
奥の席にいたのは、召喚理論担当のエステル先生だった。
優しい雰囲気の教師だけれど、今日は眼鏡の奥の瞳がどこか鋭い。
「レイン君。座って。緊張しなくていいわ」
「は、はい……」
精霊は僕の肩の上でぎゅっとしがみつく。
『うわ……この人、頭良すぎる……
絶対気配とか読んでくるタイプ……怖い……』
(しーっ! 動かないで……!)
先生は静かに言葉を続けた。
「昨日の“魔力乱れ”の原因……まだ確定したわけじゃないけれど、
その中心にあなたがいた可能性は高いの」
「……はい」
胸がざわつく。
精霊が小声で囁く。
『落ち着きなっての。わたしが整えてあげるから……』
「けれど今日のあなたの魔力は……驚くほど安定していた。
昨日の乱れとはまるで別人のようにね」
先生は机上の水晶を指で叩く。
昨日と今日の魔力波形が並んで映る。
昨日:激しい乱れ。
今日:綺麗な波。
「これは、普通の回復では説明できないの。
まるで――“誰かに整えられた”ような魔力よ」
精霊が肩の上でビクッと跳ねた。
『ひぃっ……もう無理……バレる……!』
(落ち着いてってば!!)
特務官が低い声で言う。
「外部存在との接触の可能性もある。
学院として、帝国としても警戒すべき事案だ」
精霊は完全に固まった。
『しししししっ……しんだ……!?』
(死なないって……! たぶん……!)
しかし――
エステル先生は首を横に振った。
「いいえ。この波形……“害意”は感じないわ。
むしろ、あなたを守ろうとするような……
とても優しい魔力よ。あなた自身に寄り添うような」
その言葉に、精霊が小刻みに震えた。
『……なっ……なによそれ……
や、優しいとか……言わないでよ……』
(精霊……?)
『言ってない!! 何も聞いてない!!』
先生は続ける。
「だからあなたを罰するつもりはないわ。ただし、監視は必要。
あなたの魔力は今、とても繊細な状態だから」
安心しつつも緊張の残る空気のまま職員室を出た。
廊下に出ると、精霊が胸のあたりにぽすっと座り込んだ。
『つかれた……あの先生怖い……絶対わたしの存在に気づいてた……』
「でも……なんで誰も君を見えてないの?」
『……はぁ。アンタほんと鈍いね。
高位精霊はね、“見える資格”がある相手にしか見えないの。』
「資格……?」
『そう。魔力量じゃない。才能でもない。
……アンタの“魂の器”が、わたしを認識できるんだよ』
「器……?」
『アンタとわたしの波が……なんか、相性いいってこと!
……それだけ!!』
語尾が照れて跳ねるように上ずっている。
「そっか……ありがとう。守ってくれて」
『っ!?
い、いや……守ったとかじゃないし!?
アンタが勝手に危なっかしいから仕方なく……!』
頬を赤らめながら、精霊はそっぽを向いた。
僕はふと思い立つ。
(今なら……きっと聞ける)
「ねぇ……名前。
君の名前、教えてくれる?」
精霊の体がぴたりと止まった。
透明じゃなくても分かるほど、真っ赤になっている。
『……ほんとに、聞きたいの……?』
「うん。大事だと思うから」
精霊は両手を胸に当てて目を閉じた。
まるで深呼吸でもするかのように、光がふわっと揺れる。
小さく震えながら――
『……じゃあ……言う……』
そのときだった。
「レイン」
冷たい声が廊下に響いた。
振り返るとカイルが立っていた。
怒りでも嫉妬でもない――確信の目。
「お前……やっぱり何か隠してるだろ」
名前を告げようとした精霊の肩が小さく跳ねた。
『っ……!』
カイルは一歩踏み出す。
「昨日の“異常”……中心にいたのは、本当にお前じゃないのか?」
精霊が僕の服をぎゅっと掴む。
『レイン……やばい……この人、アンタの魔力の匂い覚えてる……!
逃げたほうがいい……!』
(逃げるって……どうやって!?)
カイルが手を伸ばしてくる。
「レイン。話せ。今すぐだ」
学院の空気がまた揺れ始めた。
そして――
精霊は、震えながら、しかしはっきりと僕にしがみついた。
『……レイン。
名前……後で絶対言うから……
今は……離れないで……!』
その小さな声に応えるように、僕は息を吸った。




