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第三話「特務官による圧と観測」

 森を抜け、学院が見えた頃には、夜明けの光がすっかり世界を暖め始めていた。


 肩の上で光の精霊が、小さく欠伸をする。


『ふあ〜……眠い……。アンタ、歩くの遅いんだよね』


「文句言わないでよ……初めてこんな夜を過ごしたんだから」


『初めての戦闘で四体倒したくせに、歩くのだけは初心者ってか? 可愛いね、アンタ』


「かわいくない!」


『かわいいよ?』


 からかうような声に、胸がくすぐったくなる。


 だけど、学院の門が近づくにつれ、胸のあたりが重くなった。


 逃げ出した訓練場。

 ミーナ。

 クラスメイトの視線。


 そして――〈適性ゼロ〉。


(どうせ、みんなもう噂してる……)


 胃が締め付けられるようだった。


 だが、一歩踏み出した瞬間。


「レイン!!」


 名前を呼ぶ声が、どこか切羽詰まっていた。


 振り返ると、

 息を切らし、目を潤ませたミーナが走ってきた。


「レイン……っ! よかった……無事で……!」


「ミーナ……」


 ミーナは胸に手を当て、安堵したように息をつく。


「昨日からずっと……探してたのよ。学院中を……!」


「ご、ごめん……」


「ごめんじゃないでしょ! あんな風に逃げて……心配させて……!」


 涙がにじんだミーナを見て、胸が痛くなると同時に温かくなった。


『へぇ〜、アンタ、こんな女の子に心配されちゃってるわけ?』


「黙ってて……!」


『うわ、恥ずかしいヤツ〜』


 精霊の声が聞こえるが、ミーナには聞こえていないようだ。姿も見えていないみたいだ。


 ミーナは深呼吸し、表情を整える。


「……とにかく、戻ろう。先生たちも探してたわ。

 適性石の件で、たぶん“面談”になると思う」


「面談……」


 嫌な予感しかしない。


 ミーナが僕を手で促しながら歩き始めたとき――


 視線を感じた。


 訓練場の塀の陰。

 そこに寄りかかってこちらを見ていたのは、


 カイル。

 金髪が朝日に輝き、整った顔が冷たく歪んでいる。


「……帰って来たんだ。無適性が」


 低い声は、努力で隠していた怒りを含んでいた。


 ミーナがすぐに前へ出る。


「カイル、やめて。レインに構う必要なんて――」


「あるよ」


 カイルの目に宿るものは、昨日までの嘲笑とは違った。


 “焦り”だった。


「おかしいんだよ」


「……何が?」


「昨日、訓練場での魔力の流れ……お前だけ、妙に濁っていた。

 適性ゼロのはずなのに、お前の魔力は――

 “読めなかった”」


 ぞくり、と背筋が震えた。


(先生たちの反応と……同じ?)


 カイルは僕を覗き込むように歩み寄る。


「レイン。昨日……どこへ行ってた?」


「あ、えっと……森で……」


「森?」


 カイルの目が細くなる。


「学院が“立入禁止”にしている森だぞ。

 ……何か、見たのか?」


 心臓が一瞬止まる。


 精霊が肩でぴくっと震えた。


『バレちゃ困るよ?』


(わ、分かってる……!)


 僕は無理に笑って誤魔化そうとしたが――


 その瞬間。


「そこまでにしろ、ヴァルステッド」


 低く、響く声が割って入った。


 振り返ると、黒衣をまとった男が立っていた。

 胸には帝国の紋章。

 昨日、適性検査を静かに見ていた男――“帝国特務官”。


 圧があった。

 教師ですら近寄りたがらないような雰囲気。


「お前が詮索する話ではない。学院が扱う案件だ」


「……ですが特務官殿、僕は――」


「下がれ。これは命令だ」


 カイルは悔しげに唇を噛み、視線を逸らした。


 そして特務官の男は、僕へ視線を向ける。


 深い黒の瞳。


 吸い込まれるような冷たい光。


「レイン・アークライト。

 お前には、学院長のもとで“個別に話すべきこと”がある。

 今すぐ来い」


「え……あ……はい……」


 心臓が騒ぎ始める。


 精霊が肩の上で囁く。


『ねぇレイン……あの人、アンタの魔力に気づいてる。

 下手したら、わたしの存在にも……』


(どうすれば……?)


『絶対に隠しなよ。バレたら……アンタ、研究用の檻行きだよ?』


 背筋が冷たくなる。


 精霊を隠しながら歩き出す僕。

 ミーナは心配そうに小声で言う。


「レイン……怖くなったら、いつでも呼んで。

 わたし……ずっと味方だから」


 その言葉に、足が少し軽くなった。


 けれど――

 学院長室が近づくにつれ、胸の奥の不安は大きく膨らんでいった。


 廊下に並んだステンドグラスから朝の光が差し込み、

 床石に色を落とす。


 けれど、その美しさとは裏腹に、

 胸の中の鼓動はずっと落ち着かない。


(精霊……大丈夫?)


 肩に乗った光の少女は、輪郭を小さくして囁く。


『大丈夫じゃないよ。めちゃくちゃ緊張してる……!

 アンタ、絶対に変なこと言わないでよ?

 バレたら、ほんとに捕まるからね?』


(うん……気をつける)


 表情に出ないよう必死だった。


 精霊を見せれば、僕は即“危険対象”。

 干渉再現なんてバレれば、国家に研究される。


 絶対にダメだ。


 特務官は黙ったまま前を歩く。

 時折こちらを横目で見てくるが、表情は読めない。


 だが、その冷静さの奥に――

 昨日の適性検査とは違う“興味”を感じていた。


 学院長室の前に到着すると、

 特務官が扉を軽く叩き、開いた。


「入れ」


 言われるままに僕は一歩足を踏み入れた。


 部屋には三人の教師、学院長、特務官。

 全員の視線が集まる。


 喉が乾く。


 精霊が小声で囁く。


『うわ……なんか嫌な空気。

 ここ、逃げ道ないね……』


(黙ってて……!)


 学院長は白髪の老人だが、ただの老人ではない。

 学院を守る結界の管理者。

 大陸有数の召喚理論の権威。


「レイン・アークライト」


「……はい」


「まずは無事で何よりだ。昨日、行方が分からず教師たちが探していた」


 優しげな言葉なのに、視線は鋭い。

 僕の魔力の奥を覗こうとするような、そんな目。


 学院長の隣で、特務官が腕を組む。


「本題に入ろう。

 適性検査――お前だけ、適性石に“反応がなかった”」


「……はい」


「反応がないということは、適性が低い、ということではない。

 “測れなかった”可能性もある」


 背中を冷たい汗が流れた。


(測れなかった……ってことは……)


『レイン、ヤバいよ。スルーできないレベルで疑われてる』


 学院長は机に置かれた水晶球を指先で触れる。


「昨日、訓練場にはいずれの教師も把握していない“異常な魔力の乱れ”があった。

 我々は、その中心にレイン――お前がいたのではないかと考えている」


「…………」


 言葉が出ない。


 学院長の視線が、さらに深く潜り込んでくる。


「正直に話しなさい。

 あの後、どこへ行ったのだ?」


 ここが分岐点だ。


 森へ行ったと言っていいのか?

 でも、十一等級の気配のことを話せば、間違いなく騒ぎになる。


 その時――精霊が僕の肩で、そっと言った。


『嘘でも真実でも……“わたしの存在だけは隠して”。

 アンタまで死ぬ』


(うん……分かった)


 僕は口を開いた。


「……学院裏の森に、行きました」


 教師たちがざわめく。


「やはり……」「危険区域だぞ」


 特務官が身を乗り出す。


「何故、森へ行った?」


「…………落ち込んでいて、誰にも見られたくなかったんです」


「何か……見たか?」


 喉が鳴った。


 脳裏にあの“黒い揺らぎ”がよぎる。

 魂を潰されそうな気配。


(言えない……言えない……!)


「……ただの魔獣を見かけました。怖くて、すぐ逃げました」


 嘘ではない。

 けれど、大部分を隠した。


 学院長はしばらく僕を見つめ、

 やがてゆっくりと椅子に座り直した。


「そうか。……だが、魔力の乱れは説明がつかん」


 特務官が淡々と言葉を挟む。


「学院長。我々帝国は、昨日の揺らぎを“観測”しています。

 あれは明らかに人間の魔力波ではない」


 教師たちが戸惑ったように顔を見合わせる。


「まさか……そんな……」


「裏森の封印結界は健在のはずだ!」


 特務官は僕をまっすぐ見て言った。


「レイン。

 昨日の夕刻――

 学院裏の森で“十一等級に類する波形”が微かに観測された」


 心臓が跳ねた。


 精霊が凍りつく。


『……ヤ、ヤバ……。完全に感づかれてる……!』


「十……一等級……?」


 僕は震える声で繰り返すしかなかった。


 学院長も険しい表情で腕を組む。


「十一等級の存在は、千年前の裂界災厄以降、記録から消えている。

 だが、“残滓”ならばあり得る」


(残滓……?)


『十一等級が実体で来たら、アンタもう死んでるよ。

 でも“気配”だけだったなら……まだギリギリ助かったってだけ』


 精霊の声は珍しく震えていた。


 特務官はさらに口を開く。


「だが不可解なのは――

 その波形の発生源付近にいた生徒は、レイン、お前だけだった」


 部屋の温度が下がるような空気。


 視線が、重い。

 冷たい。

 鋭い。


(終わった……?)


『レイン、落ち着いて。

 バレてはいない……まだ“確信”されてない』


 学院長が深く息を吸う。


「レイン。

 お前の魔力には通常とは違う“揺らぎ”があるようだ。

 念のため、お前にはしばらく“監視下”での授業を受けてもらう」


 監視――。


 自由は失われる。

 精霊の存在も危うくなる。


 だけど、断れない。


「……はい」


 それしか言えなかった。


 学院長が手を振る。


「今日のところは下がりなさい。

 ただし、森への立ち入りは禁止だ。二度と行くな」


「……はい」


 僕は頭を下げて部屋を出た。


 扉が閉まる直前――

 中から特務官の声が漏れた。


「……あの少年、器の“匂い”がする」


「ほう……?」


「帝国は見逃さない。あれは――危険だ」


 聞こえてしまった言葉が、胸に重く沈んだ。


 廊下を歩きながら、精霊が僕の耳元で囁く。


『レイン……アンタ、本当に大変なことになってるよ。

 でも……』


「でも……?」


『わたし、逃げないから』


 精霊の声は柔らかく、照れくさそうで、

 でも確かな強さを持っていた。


 僕は小さく笑った。


「僕も逃げないよ。

 どれだけ怖くても……それでも、この力を捨てたくない」


『うん。……それでこそ、わたしの人間』


 朝の光が廊下を照らす。


 僕は拳を握り、静かに歩みを進めた。


 落ちこぼれのはずだった僕の“日常”は、

 もう戻らない。


 代わりに――

 運命の歯車が大きく回り始めていた。

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