第一話 「適性ゼロの落ちこぼれ」
ソラリス大陸には、千年前から語り継がれる伝承がある。
召喚獣と人が共に歩んだ“十二階梯の黄金期”――世界を創り、空を割り、海を従えた神獣たちと、彼らを呼び出し力を借りた召喚士たちの時代だ。
だがその栄光は、突如訪れた《裂界災厄》によって終わった。大陸中央を割り、人間社会を半壊させ、同時に召喚術体系の大半を消し去った。十一等級、十二等級の神獣は姿を消し、現代では召喚士が扱える上限が六等級にまで低下した。
それでもなお、召喚士は国家戦力である。
大陸三列強――魔導帝国、鋼鎚王国、聖教国。それぞれが召喚士を奪い合い、学院を監視し、上位適性者を囲い込もうと常に画策していた。
そんな国家の思惑が渦巻く中心にあるのが、王立召喚学院。
そこへ通う僕――レイン・アークライトは、学院の誰よりも弱いと見なされていた。
理由は簡単だった。
一度も召喚に成功したことがないからだ。
僕の家、アークライト家はかつて九等級召喚士を出した名家だったが、今では没落し、落ちこぼれ貴族と揶揄されるほど凋落していた。それでも、父は僕を責めなかった。
「レイン。召喚士は心だ。誠実であれ。召喚獣は強さではなく、その心に応えるものだ」
そう言って、父はいつも幼い僕に絵本を読み聞かせてくれた。
十一階梯の光の神獣――人を選び、秩序を与え、世界を照らした“創世の獣”。
父の言葉は真っ直ぐで、優しくて、僕の道標になった。
その記憶があったから、たとえ才能がないと思われても、僕は召喚士を目指した。
だが現実は、想像以上に厳しかった。
入学してからの授業で、僕だけが召喚陣を展開できなかった。
周囲の生徒が簡単に行う初歩召喚――1等級の光の精霊すら呼べず、教師たちは困惑し、クラスメイトたちは落胆し、やがて嘲笑に変わった。
「アークライト家も終わったな」
「名家の末裔がこれじゃ笑えないよな」
そんな声が毎日のように飛んだ。
唯一救いだったのは、ミーナ・セラフィムという少女の存在だった。
凛とした瞳で、自分にも他人にも厳しいけれど、弱い者を見捨てない強さを持つミーナ。
彼女は学院でただひとり、僕を“笑わなかった”。
「レインは頑張ってるよ。……才能だけで上に立つ人には分からないだけ」
ミーナの言葉に何度救われたか分からない。
兄妹のような距離で、だけど確かな絆で――彼女は、僕が折れない理由のすべてだった。
そんな僕たち一年生の大きな節目が訪れる。
――召喚適性検査。
一年生の最初の正式評価であり、召喚士としての未来を左右する重要な儀式。
各国の特務官が視察に訪れ、上位適性を示せばスカウトされることもある。
逆に、低い者は“下位クラス”扱いとなり、将来が閉ざされる。
つまり今日は、僕を含む全生徒にとって――人生が決まる日だ。
訓練場にずらりと並ぶ一年生。
石畳に円形の魔導ラインが引かれ、中心に適性石が置かれている。
教師が説明する。
「触れるだけで、召喚可能と判断される等級が自動で判別される。1〜3等級は一般。4〜6等級は才能あり。7等級以上は学院史に残る才能だ」
ざわめきが広がる。
生徒の間では、首席のカイルが注目を集めていた。
貴族の中でも選ばれた名門の生まれで、既に4等級召喚を成功させている天才。
「カイル、何等級が出るかな」
「五等級も夢じゃないだろ」
期待の声があちこちで上がる。
その中で、僕の胸は重く沈んでいた。
「だ、大丈夫? レイン」
ミーナが心配そうに覗き込む。
「……緊張してるだけだよ」
「平気。レインの努力は、誰よりもわたしが知ってるから」
その言葉に少しだけ気が楽になる。
ひとりずつ適性石に手を触れていく。
黄色、橙、赤――順に光が灯る。
そしてカイルが前に進むと、空気が変わった。
彼が手を触れた瞬間、
――強烈な深紅。
訓練場全体を染めるほどの光。
皆が息を呑む。
「五等級だ……!」
「やっぱり天才かよ」
歓声の中、カイルは鼻で笑ってこちらを見た。
そして、僕の番が来た。
手が震える。喉が乾く。
ミーナの声も遠い。
石に触れた。
祈るように目を閉じ――ゆっくりと開けた。
光らなかった。
灰色のまま、何も変わらない。
ただの石のように。
「……え?」
訓練場がざわめきで満たされる。
「嘘だろ」「マジで無反応?」「ありえねぇ……」
カイルが冷笑しながら呟く。
「言っただろ、レイン。努力では乗り越えられない現実があるって」
足が震えた。
胸が押し潰される。
世界が揺れる。
ミーナが叫ぶ。
「違う! レインはもっと……!」
だが、その声は届かなかった。
僕は逃げるように訓練場を走り去った。
背中には、嘲笑と失望の声が痛いほど突き刺さっていた。
学院の裏庭を抜け、僕はただ走った。
どこへ向かうかなんて考えていなかった。
誰もいない場所――誰にも見られない場所へ逃げたかった。
胸が痛くて、息が苦しくて、涙が止まらなかった。
父の言葉が頭に浮かぶ。
――誠実であれ。
――召喚獣はその心に応える。
「……嘘だよ……そんなの……!」
心があっても、努力を続けても、
現実は僕を裏切った。
〈適性ゼロ〉。
最低じゃない。
本当に“ゼロ”だった。
学院で一番下どころか、存在そのものを否定されたような“完全な無反応”。
どれだけ願っても祈っても、石は光らなかった。
やがて足が止まり、僕は学院裏の古い森の手前にいた。
学院では「夜に入るな」と厳しく禁止されている区域だが、
そんな規則はどうでもよかった。
僕はそのまま森へと一歩踏み出した。
木々が高くそびえ、薄い霧が漂い、光がほとんど差し込まない。
まるで、世界から隔絶された空間。
ゆっくりと苔むした太い木の根元に座り、顔を両手で覆った。
「なんで僕だけ……」
堰を切ったように涙があふれた。
誰にも見られないと思うと、もう抑えられなかった。
「なんで……なんで……!」
父の願いにも、ミーナの言葉にも応えられなかった。
努力しても才能がなければ意味がないと、世界に突きつけられた。
その時だった。
――キィィィン……
耳の奥に直接触れるような高い音が鳴った。
音というより、呼びかけられたような感覚。
胸の奥を揺らす、不思議な響き。
「……え?」
気づけば僕は立ち上がり、
その音に導かれるように森の奥へ進んでいた。
霧の濃い小道を抜けると、
そこに淡い光が揺れていた。
半ば崩れた石碑の上。
天から零れ落ちるように光粒が集まり、
やがて“人のかたち”を取っていく。
掌ほどの小さな少女――
いや、少女の“シルエット”だった。
輪郭だけが光り、顔は見えない。
けれど、その存在感は圧倒的だった。
『……ねぇ、人間。何泣いてんの?』
「っ!!?」
声が響いた。
耳ではない。
胸の奥に直接。
その声は小悪魔のように挑発的で、
どこか楽しそうだった。
『こんなとこでメソメソしてる弱虫、初めて見たよ?』
「だ、誰……?」
『誰って……アンタ、人に名前聞く前にまず自己紹介でしょ? フフッ、人間ってほんと不器用』
その軽口に、なぜか心が少しだけほぐれた。
光の少女はふわりと浮かび、僕の目の前でくるりと回る。
『弱いくせに、けっこう面白い魔力してるじゃん。ねぇ人間――わたしのこと、助けたい?』
「助けたい……?」
『そ。理由なんていらないよ? わたし、ほんの少し“支え”がほしいの』
よく見ると、光の輪郭が揺れ、不安定だった。
気づけば僕は手を伸ばしていた。
「……大丈夫?」
『っ……!』
光が微かに震えたが、逃げない。
むしろ吸い寄せられるように、僕の掌に落ちてきた。
ほんのりとした温かさ。
それだけで胸が締めつけられるほど、愛おしい存在に思えた。
『アンタ……変わってるね。わたしに触れて平気な人間なんて、初めて見た』
「触れたら……どうなるの?」
『普通は魂が焼けて狂うよ? 高位精霊ってそういうもんだから』
「っ!」
『でもアンタは平気。ほんと、不思議……』
少女は僕の胸に手を当てる。
『……借りるね。アンタの“変な力”』
「変な……?」
次の瞬間、世界が白く弾けた。
光の紋章が視界を走り、
耳の奥で古代語のような囁きが響く。
『やっぱり。“干渉再現”だよ、それ』
「か、干渉……再現?」
『召喚獣の力をコピーして、自分に上乗せする――人間には不可能なスキル』
「そんな……」
『アンタだからできるの。だから好きだよ、そういう“変なとこ”』
その言葉に心臓が跳ねた。
でも、考える暇はなかった。
『来るよ、人間。最初のお客さん』
その瞬間、森の奥から咆哮が響いた。
――ガアアアアッ!!
木々を押し倒し、巨大な狼型魔獣〈フォレスト・ウルフ〉が姿を現す。
牙をむき、殺意の塊のような視線を向けてくる。
「……無理だ……!」
『行けるよ? アンタ、もう弱虫じゃない』
精霊の声が、まるで背中を押すように響く。
身体が軽くなる。
血が熱くなる。
視界が鮮明になる。
フォレスト・ウルフが跳びかかってきた瞬間、
僕は初めて――本能的に、確信した。
「……やれる!」
地面を蹴った。
風を切り、わずかに遅れてウルフの爪が空を裂く。
僕は掌を握りしめ――
――ドンッ!!
拳がウルフの顎を撃ち抜き、巨体が宙を舞った。
地面に叩きつけられたウルフは動かない。
僕は息を呑んだ。
「僕……勝った……?」
『ほんっと、弱虫のくせにやるじゃん。……まあ、わたしのおかげだけどね』
精霊がふわふわと僕の肩に乗る。
けれど、その瞬間――森の奥から複数の影が迫ってきた。
『あーあ、来ちゃった。次の相手』
三体の〈ダスクハウンド〉が牙を剥いて現れる。
僕の胸は恐怖で震え――
でも、その奥に燃えるものがあった。
「……まだ、やれる」
『いいね、その顔。じゃ、もっと貸すよ――わたしの力』
身体にさらに熱が宿り、視界が鮮明さを増す。
僕は三体の魔獣に向かって、もう迷わず踏み込んだ。




