【第2章】2.花の立つあと
トルンの村の事件がひと段落し、ノエルはとある場所に来ていた。トルンの村の入り口には初見じゃ気づけないような森の奥へと続く小さな小道がある。そちらへ向かい、小川を越え、さらに深い森の奥へと進んでいくと、しばらくして小さな小屋が見えてくるのだ。
そして、その小屋の入り口には小さな看板があり『薬』とだけ文字が書かれている。
ノエルは、リラが営むと言う薬屋へ来ていたのだ。
中は小さく、カウンターの奥には壁一面に薬棚が置かれており、さまざまな色をした液体の薬や薬草などがある。窓から差し込む光に薬瓶が反射して、深い森の奥なのにこの小屋だけは明るく感じた。
「それで、さっきの件、もう少し考え直してくれないかな」
ノエルは、薬草を瓶に詰めているところのリラに聞いた。リラは瓶に蓋をするとノエルを一瞥する。
「あなたと旅をするのはお断りだって、何回言えばわかるの」
ノエルはそれを聞いてカウンター越しに勢いよく頭を下げる。
「そこをなんとか!君だって、これからこの村を離れるんだろう?」
リラは今回の魔族の襲撃をきっかけに、自分が村にいては村が危険だと考え、ここを離れることを決めたのだった。ノエルはそれを聞き、もしかしたら魔王討伐の仲間になってくれるかもしれないと思い、仲間になるよう懇願し続けているところだ。
「ええ、村は離れる。でも、あなたと行く気はない。弱さは戦いにおいて致命傷。そんな人は邪魔でしかないの。はい、これ、あなたの傷薬ね」
そう言いながら深い緑色をした液体の入った瓶を渡す。
「でも、俺が弱いかなんてまだわからないだろう?君は俺の戦い、まだ一度しか見てないわけだし」
なおも食い下がるノエルにリラは言い放つ。
「弱いか弱くないかなんて、戦わなくても見ればわかる」
ノエルはその言葉にぐっと息を飲み込んだ。彼女の言い分は正しい。強い剣士は所作からすでに違う。いつどんな時でも戦えるように、呼吸、視線、身体、全てを鍛えている。顔つきも、雰囲気までも、圧倒的に違うのだ。
リラは沈黙するノエルを横目に旅支度を始める。彼女が杖をふわりと振ると、たくさんの薬瓶はひとりでにふわふわと浮き始める。そしてカウンターそばに置かれた木箱に丁寧に列をなして入って行く。
たった一つの木箱に数十本はあるすべての瓶が仕舞われていき、最後の一本が入り終えるとパタリと優しく蓋が閉じ、カチャリと鍵がかかる音が響いた。
「その薬はどうするの?」
ノエルが問うと、リラはカウンターに置いていた手のひらサイズの土を手に取ると、自分の髪の毛を一本抜き、杖を振った。
すると、今度は土と髪の毛がくるくると混ざり合い、やがて人の形を作り始めたかと思うと、瞬く間に手のひらサイズの小さなリラが出来上がった。リラは『小人リラ』をノエルに見せる。
「これは土で作った、わたしの代理人形。この店は一部の旅人界隈では知られているから、この店を訪ねてきた人にこの子が対応するの」
小人リラは、本物リラよりも愛想良くノエルに手を振った。ノエルはぎごちなく手を振り返す。そして、小人リラは木箱の上へ立ち、二人にペコリと礼儀正しくお辞儀をすると、魂の抜けた人形のように倒れて身動き一つしなくなった。
「さて、わたしも行こうかな」
そう言うと、ドアの近くに置いていた旅人用のコートとバッグを手に持った。
「ちょ、ちょっと待ってよ!まだ話は済んでないだろ」
ノエルが慌てて制すと、リラはため息をついた。
「はぁ。こっちはもう済んでるよ。済んでないのはあなたの覚悟でしょ」
「でも!」
「わたしはわたしのやるべきことをやる。それじゃあね」
リラはスタスタと小屋を出る。ノエルは焦って思わず声を上げていた。
「じゃあ俺と勝負してくれ!」
リラは足を止める。
「何?」
ノエルは口から出た自分の言葉に驚いてしまい、一瞬「あ、いや……」と口を閉ざしかけたが、首を横に振ってそれを振り切った。
「俺と一戦だけ勝負をしてくれ。それで俺が負ければ、その時は引き下がるから……」
リラはノエルをじっと見つめる。どこか不安そうに、けれどその目はしっかりとリラを見つめている。リラはまたため息をつくと、ノエルに背を向けて歩き始めた。ノエルは無視されたのだと思い、その背中を追って小屋を出る。
「ちょっと、待って。リラ!」
ノエルが小屋を出たか否かの時、リラはコートとバッグを持っていた手をそっと離す。
刹那――。
「――!?」
ノエルは本能的に危険を感じ、その場から飛び退いた。見ると、自分のいた位置に鋭い剣先があった。
「え!?」
視界には、リラが細剣を握り自分に斬りかかってきている一瞬が飛び込む。しかし、そんなことを理解させる間もなく次の一手が襲ってくる。ノエルはなんとか横に避けるが、そのまま身体はバランスを崩して倒れ込む。そして、驚いて固まるノエルの鼻先に剣が向けられた。
「はい。勝負あり」
リラは当然と言うようにノエルを見下ろす。
「反射神経はいいようだけど、剣を抜けない様じゃあ剣士とは言えないんじゃない」
「くっ……」
ノエルはその言葉に反抗するように、リラの足を自身の足で薙ぎ払った。
「!」
油断していたリラはバランスを崩す。ノエルはその隙に剣を抜きながら立ち上がり、リラに斬りかかった。
しかし、リラは体勢を立て直すとそれを簡単に受ける止める。
「しつこいね」
「な、なんで君は剣を握っているんだ?一体どこから?それに君は魔法使いじゃないのか!?」
リラはノエルの剣を横に流すと二人は距離を取った。リラは手に握る細剣を胸の前にかざす。
剣の柄には、赤く光る宝石が埋め込まれている。
「わたしの杖に使われている芯は特別な木からできているの。持ち主が念えば剣にでも斧にでも、弓にでもなる」
「そんな杖が……」
「わたしは魔法使いだけど、時にはあなたと同じ剣士にもなれるんだよ」
そう言い、再びノエルに斬りかかった。しかし、今度は彼女の剣をしっかりと受け止める。さすがのリラでも純粋な力ではノエルには及ばないようだ。
「安堵してる場合?」
リラはノエルの思考を読み取ったように、剣を薙ぎ払うと、凄まじい速さで連続攻撃を繰り出した。
「くっ!」
ノエルはその攻撃をなんとかすべて受け流す。けれど、反撃する隙もなく追い詰められて行く。
「くそっ……どうにか隙を……!」
ノエルは攻撃を受けながらも、しっかりとリラを見た。彼女の動きには無駄がない。しかし、何度も受けているとだんだんと、その動きには種類がないこともわかってきた。そして、ノエルは剣をグッと握ると、リラが攻撃と攻撃の合間についた一瞬の吐息の間を狙い、剣を強く弾き返した。
「えっ……!?」
弾き返されたリラは体勢を保とうと一本引き下がる。その瞬間にノエルは剣を振り上げた。
「はぁあ!!」
「――!」
その瞬間、ガキン!と鋭い金属音がし、ノエルの剣は真っ二つに折れて、剣先が宙を舞う。
見ると、リラの手には細剣ではなく杖が握られている。二人は固まって目を合わせた。遠くで、折れた剣先が地面に落ちる音が響く。
「え?」
突然の状況にノエルは頭が混乱する。リラは杖を握りしめ、また驚いた表情でこちらを見ている。そして、ノエルの剣を見ると、冷や汗を流しながら苦笑いをした。
「あ……間違えた」
「ええぇぇぇえ!!?」
折れた剣を見て絶叫するノエルにリラは言う。
「ご、ごめん。やられると思って咄嗟に防御魔法使っちゃって……」
そんな言葉に耳を貸す暇もなく、ノエルは膝から崩れ落ちる。
ノエルの剣は、王国騎士団に入団した時に国から授かったもので、この国の騎士であると証明するための誇り高い代物であった。それをあっけなく叩き折られ、ノエルは言葉を失った。
リラは、地面に転がる折れた剣先を拾う。そして項垂れるノエルに近づいた。
「ごめんなさい……」
ノエルは顔を上げてリラを見た。バツの悪そうな顔をするリラを見て、ノエルはなぜだか、だんだんと笑えてきた。
「君でもそんな顔をするんだ」
「は、何」
リラは馬鹿にされたのかと思い、少しだけ怪訝そうな顔をする。ノエルはそれを見て笑うと立ち上がり、折れた剣を見た。
「いいや。さすがリラだね。まさか剣を折っちゃうなんて。俺も、いつまでも食い下がってるのは騎士としてカッコ悪いし、勝負は俺の負けだ。この先は一人で行くよ」
そして、折れた剣先を受け取り慎重に布で包み、それを仕舞うとリラに向いて手を差し出した。
「ありがとう、リラ」
それは握手を求める手だった。しかし、リラはその手を見つめて少し考える様子を見せると、握手には応えず、くるりと小屋の方へ向く。
「?」
ノエルは行き場を失った手とリラを交互に見る。
リラは数歩、小屋に近づくと杖を両手で握り、大きく息を吸い込んだ。
すると、彼女の足元に魔族と戦っていた時にも見た魔法陣が現れた。リラはそのまま杖を小屋に向けて振ると、突然、地面から太い蔦が何本も生え、小屋を包むように伸びていく。
「おぉ……」
ノエルはその光景を驚いた顔で見る。蔦はやがて、小屋全体に生えるようにして伸びると、そこで動きを止めた。
「まるで廃屋みたいだ」
そう呟くと、リラはノエルに向いた。
「さぁ、行こうか」
「え、行くって?」
「さっきから自分で言ってたでしょ。わたしに来てほしいって」
「えっ、一緒に来てくれるのか?」
「いいえ。来るのはあなたの方」
「んん?」
ノエルが首を傾げると、リラはほんの少し申し訳なさそうな顔をしながら言った。
「あなたの剣を折ってしまったお詫びに、剣を元通りに直してくれるところへ、わたしが案内する」
トルンの村の入り口には村長と数人の村人が待っていた。皆、ノエルとリラの見送りに来てくれているようだ。
「長い間、村を守ってくれて感謝するよ」
車椅子に座ったエディルモント村長が言った。リラはそんな彼に微笑む。
「こちらこそ。長い間ここへ置いてくれてありがとう。ハルも、みんなも元気で」
ハル。それが村長の名のようだ。村長は下の名前を呼ばれたせいか、気恥ずかしそうに鼻の頭を掻く。
「まったく……。もう私はその名で呼ばれるほど子どもじゃないよ」
すると、リラはふわりと、とても優しくて鈴の鳴るような愛らしい声で笑った。
「ふふ。子ども扱いしてるつもりはないよ。あなたはわたしの友人だからね。……ユキも、みんなも」
その笑い声はノエルにとっては初めて聞く声だったが、村長にとっては慣れ親しんだ声のようで、懐かしむように優しい笑みを浮かべた。
「君は変わらないな」
そして二人は固い握手を交わす。
「ハルが生きてる間に、また顔を見せにくるから」
「ああ。楽しみに待っているよ。君の昔話はどれも聞いていて飽きないからね」
そうしてノエルとも簡単に言葉を交わした後、皆に見送られ、二人はトルンの村を後にした。