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【第1章】終.祈りは時を越え

 穏やかな鳥の声に目を覚ますと、見慣れない天井が視界に入った。

「ここは……」

 ノエルはゆっくりと身体を起こす。右胸に鋭い痛みを覚え、そこを抑えた時、胸に包帯が巻かれていることに気がついた。ぼんやりとしていた頭ははっきりとし、夜の出来事を思い出す。

「そうだ、俺はあの時胸を刺されて……」

「お目覚めになったかな」

 ふと、穏やかな老人の声がした。見るとそばにはあの聖職者の老人が立っていた。

「あなたは聖職者の……」

「グレゴールと申します。ノエル殿」

「俺の名前を知っているんですね」

「ええ。あなたをここへ運んできた魔法使い殿に聞きましてな」

「ここはグレゴールさんの家ですか?」

「いいえ、ここはトルン村の村長の家ですよ。村長があなたをこちらで介抱するように言われたのです。さて、それでは傷の方を見ますので、身体を横にしてください」

 ノエルは傷を庇いながら言われた通り横になった。グレゴールは包帯の上に手をかざした。ポウ……と手元が淡く光出す。

「あれから、村はどうなったんでしょうか」

「ええ。私も今朝ここへ来て聞いたのですが、魔族とやらが倒れたあと、魔物は一斉に逃げ出したそうです。残った魔物は、あの魔法使いの彼女が一掃したそうです。村の人たちも皆無事で、深い傷を負ったのはノエル殿だけですよ。……おや、これはこれは」

 グレゴールは傷の観察を終えると、少し驚いたような顔をした。

「傷口はもうほとんどふさがっていますね。いやはや、本人の身体の治癒力もありますが、きっと彼女の手当てが良かったのでしょうな。この分なら三、四日ですっかり傷は良くなりますでしょう」

「リラが手当てを……?」

 再び、ノエルは身体を起こした。グレゴールはサイドテーブルに置いてある粉薬をコップの水に入れかき混ぜる。

「ええ。彼女はこの村の外れで薬屋を営んでいるそうで。私も今まで知らなかったのですが」

 そして薬草の溶けた、濁った深緑の水をノエルに差し出した。

「さぁ、お飲みください」

 ノエルは食欲の失せるその色に、ためらないながらも一気に飲む。全て飲み干したが、苦く独特な風味に思わず苦い顔をしてしまった。それを見てグレゴールは笑った。

「ホッホッホ。これは村長が飲んでいる薬の内容を少し変えて作ったものですよ。雪の花の樹も使われておりますので、きっとすぐに身体に活力も戻ることでしょう」

「雪の……そういえば、ユキは!?」

「おっと、落ち着いてくだされ」

 ノエルは飲み干したコップをテーブルに置くと、痛む傷を抑えて立ちあがろうとする。

「ユキに会いに行かないと、俺は……!」

 その時、コンコンコンと部屋をノックする音が響いた。グレゴールが「どうぞ」と声をかけると、扉を開けて入ってきたのは、リラと長い白髪を後ろで束ね車椅子に轢かれた老男性だった。聖職者のグレゴールよりも少し若く見え、その顔は凛々しい印象を感じる。

 この人が村長だと、ノエルは察した。

「目覚めたか」

 老男性は使用人の若い女性に車椅子を引かれて、ノエルのそばまできた。

「私はこの村の村長、エディルモントだ。この度は私の村を魔物から救っていただき、心から感謝する」

 そして村長のエディルモントは深々と頭を下げた。ノエルは慌てて両手を横に振る、。

「い、いえ、俺は何も……。この村を救ったのはリラで……」

 リラを見ると、昨日とは違いローブを着ていなかった。白のブラウスに膝丈の茶色いパンツ、そしてふくらはぎまである長い上着を着ていた。リラはノエルを見る。

「墓地の消化も夜のうちに終わった。まだ墓石の修復は終わっていなくて荒れた状態だけど……。それでもいいなら。行こう――」


 聖職者のグレゴールを先頭に、一同は村長宅の裏手にある、火事のあった森へ入っていく。少し歩いてすぐにあたりは開け、そこは悲惨な状態が広がっていた。

 火事による木々の焦げた跡や、倒れた木などで墓石は割れ、誰の墓があったのかわからない状態になっている部分もある。そして、それら割れた墓石のカケラを丁寧に魔法で集め修復作業を行なっている魔法使いが数人いた。

「あれはオーディスから派遣された魔法使いたち。ここへ立ち入る許可はもらっているから、気にしなくていいよ」

 リラが隣でそう説明してくれた。

 そんな二人の横をエディルモントが横切り、ある一つの墓の前まで進んだ。

「これは、我が先祖たちが眠る墓。そしてここにあなた方が出会ったユキ=エディルモントは眠っている」

「えっ、ユキは村長さんの娘さんか、お孫さんだったんですか?」

 「いや。彼女が生きていたのは300年も前だ。だから、彼女は私の先祖になる。顔も声も知らない、遠い人物だよ」

「そうだったんですか……」

 ノエルは、それならユキを彼の元に連れて行ってあげたら良かった、という思いが浮かんできた。しかし、エディルモントは、彼の思考を読み取ったかのようにふっと口角を上げた。

「しかし、どんな人物だったかは知っている」

 その言葉にノエルが反応する前に、グレゴールがゆっくりと墓の前にしゃがんだ。そして、墓についた落ち葉や土を手で軽く払う。

 墓石は一部が欠損し、表面にも多くの傷が入っており、ところどころの文字は読めないが、かろうじて読める文字から推測するに『エディルモント系先祖の墓』と記されているようだ。

「さて、始めましょうか」

 グレゴールはそう言うと、懐から小さな書籍を取り出し、胸の前まで持ってきた。そしてそこに右手をかざす。すると、そこに小さな黄色く光る魔法陣が現れ、ページがひとりでに捲られ始めた。

 グレゴールは静かに、穏やかに、言葉を紡いだ。

「この地に眠る全ての魂よ。捧ぐ言葉は、やがて糸となり、想いはやがて形となる。祈りは絶えず、我が胸に。悠久の眠りに、花束を」


記憶の花(オルメリア)――!」


 グレゴールの声と共に、墓場一面に美しく、そしてとても優しい光が降り注いだ。

「すごい……」

 それはまるで、光の花びらが舞い落ちるかのようにどこまでも柔らかい。

 オルメリア。これは聖職者のみが使用を許される魔法で、故人と生前の温かな記憶を、心に、映像のようにはっきりと蘇らせる魔法だ。

 ノエルの心にはユキと過ごした、短くも楽しかった日々が蘇る。その全てにユキは無邪気な笑顔を見せてくれている。

「――っ」

 ノエルは拳を強く握った。

 助けてやりたかった。もっと、彼女の気持ちに早く気づいてあげられたら良かった。

 後悔が押し寄せて止まらない。出来ることなら、時を戻してほしいとさえ願った。

「どんなに歳を重ねても、大切な人との別れは寂しいものです」

 グレゴールは降り注ぐ光を見上げ、そっと言う。

「別れはいつも突然で、呆気ない。死にゆくものが穏やかな顔をしていても、生きている者は悲しみや後悔ばかり。

 けれど、それは悪いことではないのですよ。

 人はこの世に生まれ落ち、幸せや苦しみや、あらゆる感情を抱きながら必死に生きています。それは人間が罪深いからではなく、人間は……人の心というものは、尊く美しいものだからです」

 彼はノエルに向いた。いつの間にか、ノエルの頬を温かい涙が伝っていたが、ノエルは瞬きもせずただじっと彼を見つめた。

「この世界で生きることは辛く険しい道のりです。けれど、彼女はそんな中でも幸せに笑っていた。あなたを見ているとそう感じますよ、ノエル殿」

 グレゴールはノエルの手を優しく両手で包み込むように握ると、笑った。

「その涙は彼女への温かな思いがある証拠。きっと彼女はあなたの涙のおかげで悔いなく旅立てたことでしょう。だから、私たちは彼女の幸せを願いましょう。遠い向こうの世界で、魂だけとなった彼女が幸せに過ごせるように。またあなたが前を向いて進んでいけるように。このオルメリアは故人との日々に感謝し、幸福な気持ちで送り出せるように優しい気持ちにさせてくれる、()()()()()()ですから」

 大粒の涙は次から次へと流れ出す。けれどもう、後悔の気持ちは薄くなっていた。後悔がなくなったわけでは決してない。やるせない思いが消えたわけでもない。しかし、今は彼女と出会えたこと、共に過ごせたことに感謝の思いでいっぱいだった。頭の中はとても静かだ。ノエルは心のままに溢れる涙を受け入れた。

「ありがとうございます」


 しばらくしてオルメリアの魔法は消え、ノエルも涙を落ち着かせていた。

「それじゃあ先に戻っているよ」

 エディルモント村長とグレゴールは、ノエルとリラを残し先に村に戻って行った。

 ノエルは腕で目元を擦り、両手で頬を叩く。

「よし。もう、大丈夫だ」

 その様子を見てリラは、初めて小さく笑った。

「この国の騎士様は涙もろいんだね」

「えっ、笑った……?」

「は?」

 せっかく可愛らしい笑顔を見せたのに、ノエルの一言でまた彼女は表情を無くしてしまった。ノエルは慌てて笑って取り繕う。

「いや、ごめんごめん!思わず……」

 リラはそんなノエルを一瞥し、小さくため息をつくと、墓の方を向いた。

「……ユキは、この村を訪れた時に最初に出会った子なの」

 そして墓の前にしゃがみ込むと、ユキとの思い出を()()()()と語り始めた。

 

「当時、トルンの村の多くの人が、流行り病で命を落としていた。今はもうその病に効く薬が開発されて、死者が出ることは滅多になくなったんだけどね。ユキは、わたしが魔法使いだと知ると、病を良くする魔法を教えてくれとせがんだ。

 でも、わたしは聖職者ではないし、特定の病気に効く魔法もない。それに加えてあの頃のわたしは心を病んでいて、人のことを助ける気持ちもなかった。だから最初は断ったの」

 リラは思い出を振り返りながら、ふふっと小さく笑う。

「でもあの子は、何度も何度もわたしの元を訪れて、何度も何度も村の人を助けてほしいと頼んだ。そしてついに、わたしは根気負けした。ただそうは言っても、当時は特効薬もなく助ける術がなかった。だからわたしは作ったの。あの、雪の花の樹を」

「作った?」

 ノエルは首を傾げる。リラは頷いた。

「さまざまな植物や土壌の調査や研究をして、わたしが一から育てた魔法の樹。育つまでに数年かかって、それは雪の降る冬にだけ花を咲かせる不思議な樹になった。そして、その花を使って作った薬が、その病に効き始めたの。……でも、その薬が完成する頃にはユキも病で倒れ、薬を口にすることなく旅立って行った」

 リラは俯いたまま両手の拳を握って、ポツリと呟いた。

「悔しかったな。もっと早く、彼女の言葉を聞いていれば……」

 そして話し終えたのか、彼女はふぅと一息つくと立ち上がった。

「ただの昔話なんだけどね」

 きっとリラは、ノエルに少しだけでも心を許したから自分の思い出を話してくれたのだろう。しかし、ノエルはそんなリラの思いに反した返答をした。

「あの、ごめん、とても素敵な話だったのはわかるんだけど、あの、なんかすごい疑問が浮かんで、一つ、いや、二つ三つくらい聞いてもいいかな」

 空気を壊すような彼の発言に、解けかけたリラの心はまた強く固められた。

「なに」

 冷たく言い放つ。リラの視線に怖気付きながらもノエルはおそるおそる聞く。

「あの、リラって何歳?それにあの雪の花の樹はリラが魔法で育てたってどういうこと?君は一体何者なの……?」

「あぁ」

 リラは、そのことかと言わんばかりに頷くが、少しだけためらう様子を見せた。

「うーん。話してほしいなら、代わりにあなたも自分が何者か言って。ラオニスの街でのあなたの様子を見るにヴェルシオン王国騎士団員から旅人になったようだし、何かの任務でもあるの?」

 そう問われ、ノエルも少しだけ唸る。これは王からの直々の命令であり秘密の任務。仲間だった団員も団長を除いて、誰もノエルの行方を知らないのだ。それをよもや、自分よりも謎な人物に打ち明けてもいいのだろうか。

 しかし、彼女のことを知りたい気持ちもあった。魔族との戦いも、あれはリラを狙ってのことのようだったし、なぜ300年前に生きていたユキと、交流があったかのように話すのか、疑問ばかりだ。

 ノエルは思考を重ねた数十秒後、決意した顔で言った。

「わかった。それじゃあ俺から自己紹介をしよう。俺の名前はノエル=フェルディア。現国王より魔王討伐の任を授かった者だ」

「ん?魔王?えっ。え?魔王?……討伐!?」

 リラが驚いた表情をするのは、きっと珍しいことなのだろうとノエルは思った。リラは呆気に取られたような顔で呟く。

「そうか。このタイミングで、か……」

 そして、彼女はしばらく考え込んだのち、はぁ、とため息をついた。

「運命、だろうな……」

 その呟きはとても小さく、ノエルの耳には届かなかった。リラは深呼吸を一度すると、何事もなかったかのようにノエルに向いた。

「わかった。それじゃあ、次はわたしね」

 そして彼女は姿勢を正し、まっすぐにノエルを見る。

「わたしは『植物の魔法使い』リラ。訳あって1000年の間生き続けている。そして……」

 彼女は少しだけ俯くと、ほんの少し寂しさを感じさせるような微笑みを浮かべて言った。

 

「わたしは、来年のこの季節に、死ぬ運命にある」

 

 サァ――と春の穏やかな風が吹き抜ける。心地の良い風と彼女の衝撃の言葉が混ざり合い、その場はとても異質な空気に包まれた。ノエルは、驚きでなんと言葉を返していいかわからず口をつぐむ。

 しばらくの静寂のあと、リラはくるりと方向を変え、村へと歩き出した。

「なーんてね」

「え!?ちょ、ちょっと!」

 ノエルを置いて早足でその場を後にする彼女を慌てて追いかけた。


 

 墓地から村へと戻った時、村人がザワザワしていることに二人は気づいた。どうやら皆、村長の家に集まっているようだ。

 その中から二人を見つけたグレゴールが手を振った。

「おぉ、お二人とも。こっちに来てください」

 二人は何事かと思い、走って近づいた時、その視界に美しい光景が広がった。

「こ、これは……!」

 ノエルは目を見開いた。

「雪の花の樹が、咲いている!」

 その名に相応しいほどに、白く美しい花が咲き乱れている。そして、その場にだけ冬が訪れたかのように純白の花びらがふわりと舞っている。

「そんな……これは……」

 リラはこの光景を誰よりも驚いているようだった。彼女はゆっくりゆっくり、樹に近づくと、そっとその幹に触れる。

 ふと、リラの中にとある思い出が蘇ってきた。


 ーー


「ねぇ、リラ。この樹はなんて言う樹なの?」

「え、名前は決めてないよ。そう言うの考えるの得意じゃないし」

「そう。それじゃあリラが育てたから『リラの樹』はどう?」

「それは安直すぎるというか……。ユキも一緒に手伝ってくれたんだし、ユキの名前を入れたらどう?」

「それも安直じゃない?うーん。そうだなぁ。じゃあ、わたしとリラの樹だから『ユキリラの樹』はどう?とっても綺麗な響きじゃない?」

「結局変わらないじゃん」

「あはは!いいの!それじゃあ、ユキリラの樹さん、これからずーっと綺麗な花を咲かせてね!」

「ふふ。それは難しいんじゃない?」

「いいのー!」


 ーー


「……これは『ユキリラの樹』」

「え?」

 リラは優しく樹を撫でた。

「この樹の名前はユキリラの樹。ずっと言えなかったけど……。これが、この樹の本当の名前」

 それを聞いたエディルモント村長は、その樹を見上げて言った。

「綺麗な名だ」

 リラの頬に一筋の雫が流れた。

「ありがとう。ユキ」

 ひらりと、白い花が優しく頬を撫でた。

 この美しい奇跡がいつまでも続くようにと、ノエルはそっと心の中で祈るのだった。

第1章、お読みくださりありがとうございました。

ノエルの旅がここから本格的に始まります。

ぜひまたお読みいただければ幸いです。

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