【第1章】5.交錯する想い
その薬は雪の花の樹の皮から作られる薬で、他の植物の葉や種を組み合わせることで生薬となる。
「私がいうのもなんですが、村長もそれなりにお年を召されておりましてね。それにより病にもかかりやすくなっておりまして、この薬を煎じて毎日飲まれているんですよ。老衰は魔法ではどうしようもできませんでね」
聖職者であるその老人は枯れた木を見上げていった。
「この樹は樹齢およそ300年と言われておりまして、その昔、この村に住む魔法使いの手によって生み出された樹だと言うそうです」
ノエルはふと女店主の言っていた逸話を思い出した。
「まぁ、その魔法使いがどんな者で、そしてなぜ生み出されたのかはわかりませんが、この辺りで春なのに枯れている木はその全てが雪の花の樹だと言います。この樹には特別な魔法をかけられており、その皮を煎じて飲むことで老化を遅らせる効果があるそうです」
「老化を……」
「ええ。なので植物や薬草に詳しい者たちの間ではこの樹は不老の樹と呼ばれているそうですよ」
世界には数えられないほどの植物が存在するが、その中には人間を助けるための力を持つ植物や、その存在は書籍にのみ記されている伝説の大樹などもある。一見すると、あまりにも突飛な話のように聞こえるが、この世界を生きる者からすれば、それは当たり前の存在として受け入れられるのだ。
「ただね」
ふと、老人はとても静かな声で言った。
「この世界に『万能』はないのですよ。命あるすべての生き物は必ず死にゆく。森羅万象の時の中で、生まれて死ぬことは、まるで鳥が空を羽ばたくかのように当たり前で、生き物が呼吸を必要とするように、『そうであるべき』ことだからです」
ホッホッホと老人は明るい声で笑った。
「いやぁ、ちと長話ししすぎましたね。老人は無駄話が好きなもんでね。さて、それではこちらを」
そう言ってノエルに薬袋を返した。
「とても複雑な術式のものですが、どうやらそれ自体の力は弱かったようで、少し撫でてやったらすっかり良くなったようですよ。中の薬も問題なく使用できることでしょう」
それではこれで。と老人はノエルに頭を下げて歩き出した。ノエルはその時あることが気になり、再び老人に声をかける。
「あの、すみません。こちらの村長さんは、もう今日のお薬は飲まれたのでしょうか」
老人は足を止めると少しだけ振り返った。
「ええ」
それだけ返すと老人は村を去っていった。
ーー
「はぁ……はぁ……」
息を切らしながら、森の奥を歩く少女が一人。彼女はおぼろげな記憶を頼りに、ある場所へと向かっていた。
この場所は何かおかしい。そしておそらく、その違和感はこれから向かう場所にて晴らされることだろう。
ただ本能だけが知っている。本能だけで歩いている。
「わたしは……わた、し、は……」
「あなた」
「!?」
突然背後から女性の声で声をかけられ驚いて振り向く。そこには見覚えのあるローブの人物が立っていた。
「誰」
少女は問う。すると、ローブの女はゆっくりとフードを取った。その顔を見た瞬間、少女は目を見開き、汗が身体中からあふれ出した。全身は小刻みに震え出す。その様子を、女はじっと見つめている。
少女は息を荒くしながらやっとの思いで一言。
「やっと見つけた」
その声はずっと聞いていた彼女の声とはまったく違う女の声のように感じた。
ーー
その日の夜、ノエルは宿屋の簡素で少し埃っぽいベッドに寝転がり、うーんと唸っていた。傍らには薬袋がある。
「あれから結局、村長さんには渡さなかったんだよなぁ……」
聖職者の老人と別れたあと、ノエルは一応村長宅を訪れた。中から使用人と思わしき若い女性が出てきて、ノエルは事情を説明した。しかし、そちらの家では薬をラオニスで買ってこいと誰にも頼んでいない上に、ユキという少女も知らないという。
その後、何軒か尋ねてみたが、皆一様に薬の件もユキという名前の少女も知らないと言うのだった。
そうしていたら日も暮れてきたので、小さな宿屋で一泊することになったのだ。仕切りのない部屋にベッドが四台と、小さなサイドテーブルが置かれているのみの簡易宿屋。トルンの村は来訪者が少ないので泊まりを必要とする人がいる時以外は、宿屋の店主は別で畑仕事をしているらしい。
「結局あれからユキにも会えなかったし……」
どうしたものかと考えていると、ふと、外が騒がしいように感じた。
バタバタと忙しなく走る音と、複数人の話し声が聞こえる。
「なんだ?」
その時、窓の外から異様な光を感じた。すっかり日も暮れているはずなのにやけに明るい。そして、赤い。
「あれは……!?」
見ると村のすぐ近くの森から大きな炎が上がっているのが視界に入った。急いで外へ出ると、村の人たちが炎を指差して声を上げている。宿屋の向かいにある、昼間立ち寄った店の女店主も慌てた様子で村をかけていたので、ノエルは声をかけた。
「何があったんですか!?」
「ああ、昼間の旅人さんかい!それが、どうやら墓地のあたりにある森が燃えてるらしいんだよ!」
「墓地?」
「あの炎が見える場所に、このトルンの村の墓地があるんよ。今、村の男どもが消火活動をしてくれてるんだけど、この様子じゃあ全然収まる気配はないし……このまま火が広がれば村長の家も危ないさ!」
どうやら墓地は村長の家の裏手に位置するようで、炎の手は少しずつ村へと伸びてきている。
「なんとかしないと……!」
ノエルが火の手の上がっているところまで駆け出そうとした時、
「きゃぁあ!?」
突如、そばにいた女店主が悲鳴をあげた。
「あ、あ、あれ……!!」
指差した方を見ると、そこには人間の身長の半分くらいの身長で、身体はぶくぶくと太った、顔が豚の異質なもの――。
「魔物だ!」
ノエルの声を皮切りに、村からたくさんの悲鳴が上がり、人々は散り散りに逃げ出した。その動きに反応して、豚型の魔物は手に持った大きな木の棍棒を振り上げる。ノエルはそれに呼応するように腰に携えた剣を抜きそれを受け止めた。
「くっ……!」
騎士団時代に何度か戦った相手だったため、すぐに身体が反応できた。ノエルはそれを全身で受け止めると、押し返しながら棍棒を薙ぎ払い、バランスを崩した魔物の隙を逃さず斬りかかった。
「グガァァア……!」
魔物は不気味な声を上げながら倒れる。間髪入れずに背後から悲鳴が次々と上がった。
「きゃぁあ!こっちにも魔物が!」
「あっちもだ!うわぁぁあ!」
振り返るとノエルは目を見張った。何体もの魔物が村に侵入してきている。
「どういうことだ……!?」
ノエルは勢いよく駆け出すと村人を襲おうとしている魔物の前に立ちはだかった。
「下がって!」
そして襲ってきた魔物をなんとか力で斬り払う。しかし斬り込みが甘かったのか、魔物は血の代わりに黒い瘴気を流しながらも、こちらに狙いを定める。
「クソッ、浅かったか……」
未熟な剣士一人が大勢の敵を相手に戦いながら村人を守るのは至難の技だった。ノエルはあたりを見渡す。
「どうしてこんなに魔物が……」
動物型の魔物は本能で生き、群れをなすことはない。単体で生きているため、基本的には人の多い場所には現れない。それに夜行性の魔物もいるが、今ここにいる魔物の多くが昼行性の魔物だ。
見ると、先ほどノエルが倒した豚型もいれば、黒毛に赤い目をしたオオカミ型の魔物が多くいるようだ。これらは森に棲息し、獲物が近くにいれば反応するタイプで、近くに獲物がいない限り自らこんな人の多い場所まで降りてくることはない。
「何かが、こいつらを呼び寄せたのか?」
「ぎゃぁぁああ!!」
考えに気を取られている隙に魔物は別の村人に襲いかかった。
「しまった――!」
ノエルは駆け出すが時すでに遅く、魔物は村人目掛けて棍棒を振り下ろした。
間に合わない――!!!
「盾よ」
瞬間、棍棒は金属音を響かせて何かに弾かれた。見ると村人の前に薄い、光る膜のようなものが現れている。
ノエルはハッとした。
「魔法……!?」
すると、悲鳴と咆哮溢れる喧騒の中に、一人の見覚えの主ローブの人物がゆっくりと現れた。
「あなたは……」
ノエルは呟く。その人物はそっとフードを脱いだ。
その髪はノエルの髪色よりも薄い、星の色をしており、左右の耳の下で編まれた二つの三つ編みを輪っか状に結んでいる。左右に髪の輪が二つ並んでいる見た目だ。それぞれの耳元には大きな花飾りを留めている。
若葉を思わせる深い緑の瞳は魔物を見据え、その口は真横に強く結ばれていた。
彼女は魔物の目の前に立つと、先端に緑色に揺らめく水晶玉のついた細長い杖を振った。
「矛よ」
瞬間、水晶玉から強い光が放たれ魔物を貫いた。魔物は黒い瘴気を溢れさせながら消える。
その無駄のない動きに全員の目が彼女に集中した。魔物は爆発音を聞き、彼女の元に集まってくる。
ノエルは急いで彼女の元に駆け寄った。
「あの!あなた、あの時のローブの……」
彼女はノエルを一瞥すると、淡々と言う。
「早く村の人たちを避難させて。魔物はあの墓場にいるやつが呼び寄せている。村の入り口の方にいる魔物は全員倒したから」
「え?じゃあこの魔物たちはやっぱり……。でも一体誰が?」
「気づいてないの」
彼女は静かに聞いた。
「え?」
ノエルは彼女を見る。彼女は集まってくる魔物を一歩も動かずに、魔法で倒しながら言った。
「弱い魔物は強い魔物の呼び声によって集められる。そして反対に強い魔物の周りに弱い魔物は近寄らない。いたでしょう?あなたのそばに」
ドクンと胸が鳴る。不意に脳裏にトルンの村までの道中、魔物に一切襲われなかったことを思い出す。
「い、いや……そんな、まさか」
「それだけじゃない。ラオニスの街まで徒歩で移動したのに一度も魔物に襲われなかったのも」
弱い魔物が自分を避けていたから――。
「嘘だ!」
反射的にノエルは叫んだ。
「そんなはずない!だって……そんな……ユキは――!」
「ノエルさん」
その時、聞き慣れた明るい声が聞こえてきた。ノエルは全身が硬直するのを感じる。おそるおそる声のした方を見ると、そこにいたのはユキだった。
「ユキ……」
彼女は燃え盛る炎を背に笑っている。
「ノエルさん、迷惑かけてごめんなさい。本当はあなたを巻き込むつもりはなかったんです。優しい、あなたを」
ユキの顔は満面の笑みを浮かべているのに、その声はとても悲しそうで、とても異様な雰囲気だ。
「どうしてだよ、ユキ!ユキは、魔物だったのか!?」
「アハ、ハ、ハハ、ア」
ノエルの叫びに、ユキはまるで壊れたおもちゃのような笑い方をする。そしてその身体も壊れ物のように、五体がそれぞれぎごちなく動く。あまりにも様子がおかしかった。
「ユキ?」
近づこうとするノエルの腕を魔法使いの女が強く引っ張った。
「ダメ。もうタイムリミットよ」
「何?タイム……リミット?」
彼女はカクカク動くユキを見据えて言った。
「あの子といる時、おかしなことがあったでしょう」
「え……」
「まず、あの子が肌に触れたものに泥がついていたこと」
ラオニスの店主がユキの腕を掴んでいた腕に異臭のする泥がついていたことや、ユキが旅の途中眠ってしまった時に、抱きかかえたノエルの手や腕、服に泥がついていたこと、トルンの村で落とした薬袋についていた泥。
断片的に記憶が甦り、ノエルは息を呑む。と、同時にある『泥を使った特別な魔法』が脳裏に過ぎった。彼女は続ける。
「そしてこの村の話をする時に起きた記憶障害。また、村に着いた時に見せた彼女の行動。村人全員がつけている腕輪をあの子だけがしていないこと」
「ちょ、ちょっと待って!!」
ノエルは嫌な予感を振り払うように彼女の言葉を制止した。彼女は横目でノエルを見る。ノエルは全身から冷や汗が流れるのを感じた。
「記憶障害に泥の肉体って……まさか……ユキは……」
声が震え、喉が詰まる。魔法使いの彼女は静かに頷いた。
「あの子はもともと死んでいた。そして誰かによって一時的に甦らされた。……『命なき傀儡』という禁術を使って」
「!!!」
世界にある魔法は、人智を越えすぎたために世界共通で使用禁止とされている魔法がある。それを使用した者は規模や種類によらず極刑となる。
その中の一つに『命なき傀儡』がある。これは一時的に死者の記憶と肉体を『ほぼ完全に蘇らせる』魔法だ。
蘇らせる工程で、死者は土の中に含まれる養分から肉体を得る。そして骨に残った本人の記憶を呼び起こすと、まるでそこに生きている人間が立っているかのようになる。
しかし、そこにいるのはあくまで『泥人形』。時間が経てばやがて崩れ去る運命なのだ。
魔法使いの女の言葉に呼応するかのように、時間を迎えたユキの肌は、まるで乾いた泥のようにボロボロと剥がれ落ち始める。内臓は支えを失い黒い泥となり、ビシャっと音を立てて落ちる。その泥の中に先日食べた肉や野菜が腐った状態であるのを見て、思わずノエルは吐き気を堪えた。
歯茎だったものから歯が抜け落ち、美しい長い髪は塵のように姿を変え全て抜け落ちる。
あまりに酷すぎる光景にノエルは口元を抑え、目を逸らす。
「……エル……さ……」
すると微かに、ユキの声が聞こえ、ノエルはハッとユキを見た。その『かつてユキだった』者の、支えを失った目はこぼれ落ちる寸前に一粒の涙を流す。
「ご……ぇん……さ…………」
『ごめんなさい』――。
ユキはそう呟くと全身は砕け落ち、全て露わになった彼女の骨だけが無造作にそこに散らばった。
「あ……あぁ……」
ノエルは震える腕を伸ばした。
「ああぁぁぁああ!!!」
絶望の叫びと共に、ノエルは膝から崩れ落ちる。どうにもならない後悔が押し寄せてきて止まらなかった。魔法使いの彼女も、骨から目を逸らさずただぐっと下唇を強く噛んでいた。
しかし、戦いはこれで終わりではない。
「あーあ!もう崩れちゃったかぁ」
不意に、この場に最も相応しくない気の抜けた女の声が響く。空を見上げると、そこに一人の女がこちらを見下ろしていた。その女はノエルたちを見てニヤリとすると、ふわりと優雅に降りてきた。
闇よりも深い黒を基調としたドレス。袖とドレスの裾に拵えたフリルは鮮血を思わせるような赤で染められ、その長い髪は耳よりも高い位置で、両サイドに品よく巻かれている。手足はまるで骨と皮だけのようにガリガリに痩せこけ、肌は血色さを失っているほどの青に近い白色をし、今にも折れそうな手には、夜であるにも関わらず、ドレスと同じ黒と赤の日傘をさしていた。年齢はユキと同じくらいに見える。
そして、その少女はノエルの隣にいる魔法使いを見ると、落ち窪んだ目を見開きながら、ニッコリと真っ白な歯を見せた。
「会いたかったわ、リラ!」
「リラ……?」
リラと呼ばれたその魔法使いは、表情をぴくりとも動かさずに鋭い目つきで少女を睨む。その反応に少女は、挑発するように笑った。
「あらぁ?リラったら、怒っているのかしら?あ!もしかして〜」
そいつは足元に転がるユキの骨を無造作に蹴り上げ、狂気じみた声で言った。
「この子、リラの『お友だち』だったからかしらぁ!きゃはははは!」
「やめろ!」
咄嗟にノエルは叫ぶ。少女は目玉をギョロリとノエルに向けた。
「ん〜?あなた、この子と一緒にここまで来た人間だったっけ。ふふふ。ごめんねぇ?あなたなんか最初から用はなかったの」
「なっ……。どういうことだ」
ノエルが問うと、隣にいたリラが説明した。
「あの魔族は、最初からわたし目当てでユキを送り込んだんだよ」
「は?」
「わたしも、あのラオニスの街にいたの。だから、あなたたちの騒動を全部見ていたけど、ユキはあいつの命令で、わたしを追ってラオニスの街までやってきた。そして薬を盗んでわたしの気を引こうとした。けど、その前に」
「その前に、俺が現れた……?」
リラは頷いた。そして魔族の少女に向く。
「でも、魔法は不完全だった。ユキの記憶障害は強くなり、やがて自分の元いた場所に帰ろうとした。あの、燃え盛る墓地に」
ノエルは衝撃を受けた。
「まさか、ユキは自分がすでに死んでいると……」
震える声で聞くと、リラは悔しそうに「そう」と応える。
「そしてあいつはユキを操り、魔物を呼び、墓地に火を放ったの」
「え、でも、なぜそんなことを?言い方は悪いけど、君がユキの前に現れれば、それで済むことじゃなかったのか?」
ノエルが半ば責めるように詰め寄ると、魔族の少女は高笑いをあげた。
「きゃははははは!!おっかし〜!人間ってほーんと、ノウミソ?で考えるのが好きだよねぇ!」
そして少女は両手を胸にあてると、頬を紅潮させ目を輝かせた。
「その方が楽しいからに決まってるじゃない!墓地に火を放てば、村の人間はみーんなそっちに気を取られる。その隙に魔物を送り込めば、リラを誘き寄せるだけじゃない……人間の阿鼻叫喚が聴けるからぁ――!」
「!!!」
刹那、ノエルは剣を強く握り少女目掛けて突進していた。あまりの邪悪さに身体が本能的に『今すぐに斬るべき相手だ』と察し、無意識のうちに反応していた。
「待って!」
リラの声を背後にノエルは大きく剣を振り上げた。
「この――!!」
「ん〜?」
ドス――と鈍い音が響く。
「あ……ぇ……?」
ノエルは振りかぶった姿勢のままそっと自分の身体を見下ろした。少女の左手がノエルの右胸に刺さり、そこから鮮血が流れた。それを見て少女は頬をあげる。
「ふふふふふ……きゃはははは!」
そして左手を大きく振り払うと、ノエルは地面に叩きつけられる。
「ぅぐっ!?」
「今アタシを傷つけようとしたね?アタシの美しい身体を、傷つけようとシタァア!!」
少女の態度が豹変し、ノエルの身体は強張った。
左手に血を垂らしながらゆっくりと彼女はノエルに近づく。
「この身体になるまでにどれだけの時間がかかったと思ってるの?この顔になるまでにどれだけ苦労したと思ってンの!?アタシを傷つけるのは許さない。許さないから、 あなたも殺して、あの子と同じようにアタシの傀儡にしてあげる……」
「くそっ……」
「死ね」
彼女は左手を刃のように向け、ノエル目掛けて振り下ろした。
「だまれ」
突如、声と共に地面から太い植物の蔦が突き出し、少女を取り押さえるように巻きついた。
「なに!?」
植物……?地面から……誰が……?
出血する胸を抑えながらノエルは肩越しに振り返る。
「!」
目を見張った。リラの足元に青白く光る大きな魔法陣が浮かんでいる。そして彼女は、氷のように冷たく鋭い視線で魔族を見た。
「お前のような低俗な魔物が、命を簡単に扱えると思うな」
それは低くとても静かで、しかし、言葉全てに怒りがこもっていた。
「はっ。なに?アタシが低俗な魔物?……んだよ。もっぺん言ってみろやクソアマァ!!」
「醜い女」
「!!」
その瞬間、少女は目を大きく見開き口を閉じた。リラは言う。
「これがお前の名前だったな」
ウグリナと呼ばれた魔族の少女は、わなわなと肩を振るわせ、張り裂けんばかりの大声を上げた。
「その名前で呼ぶなぁぁあ!!アタシにはナグルヴァス様から与えられた――」
ウグリナはハッと口を閉じる。リラは小さく口角をあげた。
「それがボスの名か」
「しまった……!」
リラはウグリナに杖を向ける。
「や、やめ……やめろ……!」
身動き一つ取れない状態の彼女は、必死に蔦から抜け出そうと身体を動かす。しかし、じわりじわりと蔦はどんどん絡まっていき、バキバキと骨の折れる音が響く。
「ウグッ……グゥ……!」
少女は痛みに顔を歪ませるが、そんなことお構いなしに、魔法使いの彼女は杖を振るった。
「去れ」
瞬間、強い光が杖の先から放たれウグリナの身体を貫いた。ウグリナは叫ぶこともままならず、一瞬にして全身が黒い瘴気となり空へ消えていった。
「すごい……」
魔力の感知に鈍いノエルでも、この時ばかりは彼女から溢れる強い力を感じていた。そして、次第に音は遠くなり視界は霞み、ノエルは意識を手放した。