【第1章】4.トルン村の秘密
「まいど!また利用してくれよ」
「こちらこそ、ありがとう。気をつけて戻ってください」
トルンの村へ入る手前で馬車は停止し、ノエルたちはそこで馬車を降りた。御者の男が三人に軽く挨拶をすると、ノエルたちもそれに応え、彼らと別れた。
「ノエルさん、ここまで送ってくださり、ありがとうございました」
ユキは改めてノエルに深々と頭を下げる。
「いいんだよ。それにしてもここは空気が美味しいな」
ノエルは大きく深呼吸する。トルンの村はラオニスよりも標高が高い場所にあるので、心地のいい涼しい風と春の温かい香りが鼻腔を抜ける。
「ユキはここにうちがあるんだよね」
「はい。村の入り口から少し奥に行った――」
そう言いながら村の奥を指差した時、彼女はハッとした顔をした。ゆっくりと村を見渡す。
「ここ……あれ……?」
「どうかしたか?」
ノエルが声をかけると、ユキは伸ばしていた手を下ろして俯いた。
「いえ、なんでもありません。あの、ノエルさん」
「うん?」
「送っていただいた早々で申し訳ないのですが、わたし、用事を思い出して。あの、ここまで送ってくださったお礼は必ずしますので。失礼します!」
「え?ちょっと、ユキ!」
ユキはノエルの静止を振り切って村の奥へ駆け出して行ってしまった。ローブの人物もいつのまにかいなくなっており、ノエルは一人その場に取り残されてしまった。
「……まぁ、いいか」
彼女をここまで送り届けることが役目だったので、一応それは果たせたのだ。これからはまた本来の任務のために旅を続けよう、そう思い身を翻した時。
「ん?」
ユキの去った場所にあの薬の袋が落ちているのを見つけた。ノエルはそれを拾うと、袋についている乾いた土を払い落とす。そして肩をすくめて小さく笑うと、
「仕方ないな」
と呟いて、村の方へと歩き出した。
トルンの村は小さな村であったが、最低限の物資は揃っているようで、それらを扱っている小さな店にノエルは立ち寄った。中には中年のふくよかな女店主がいる。
「いらっしゃい。おや?見ない顔だね。旅の人かい?」
「ええ。この薬を落とした子を探しているんです」
そう言い、懐から薬の袋を取り出してみせる。女店主は薬の中身を見るとすぐに納得した顔をした。
「ああ、この薬ね。これは村長が飲んでる薬さ。この村の一番奥にその村長の家があるから届けてやったらどうだい?この村でも一番大きな家でそばには『雪の花の樹』が立っているところさ。と言っても、今の時期は花は咲いてないけどね」
「雪の花の樹?」
「ああ。そうか、よそから来た人には少し珍しい樹だろうね。雪の花の樹はその名の通り、冬に真っ白な花を咲かせる樹さ。正式な名前は別にあるみたいなんだけど、村の連中はみんな雪みたいな花を咲かせる樹『雪の花の樹』って昔っから呼んでるんよ」
騎士養成所で歴史や植物など一通り勉強したつもりだったが、初めて聞く特徴の樹だった。
「へえ。初めて聞きました、そんな樹があるなんて」
「そうだろうね、あの樹はほとんどこの辺りにしか咲いてないって話だからさ」
「そうなんですか。この辺りの風土にあった樹なんでしょうかね」
何気なくそう聞いた時、女店主は待ってましたと言わんばかりに突然、真剣な顔つきになるとノエルの耳元にぐっと近寄り、ヒソヒソと話し出した。
「違うんだよ。これは村のやつらしか知らないんだけどさ、実はあの樹は『呪われた樹』って言われてるんさ」
「えっ、呪い?!」
突然の話に思わず大声を出してしまう。その様子を見て女店主はさらにおどろおどろしい声で語る。
「そうさ。その昔、この村にはとある大魔法使いがいてね。その魔法使いが世界を呪うために開発した魔法の樹と言われてるんさ……。冬に咲く花はその呪いを一時的に抑える力があるが、それ以外の季節に樹に触れた者はその魔法使いによって呪われてしまうという!!」
「!?」
耳元で大声を出されたかと思いきや、パッと顔を離すと女店主はニコニコした笑顔で言った。
「逸話があったりなかったり〜」
「ないんですか!」
反射的にノエルはツッコんでしまった。女店主はその様子を面白がるように笑った後、カウンターの下から何やら小さなカゴを取り出した。
「まぁ、信じるも信じないもあんた次第ってやつだけどさ!ほら、一応これ」
彼女はカゴから一つ、丸い小さなガラス玉を並べて作った腕輪を見せた。
「お守り♪ 村のやつらはみーんなつけてるよ。兄ちゃんも持っておいた方が魔除けになるよ〜。今なら旅人価格で安くしとくさ!」
「えぇっ?」
ずいっと目の前に腕輪を差し出される。そのきれいな淡い色味を含んだガラスの腕輪は確かに魔除けの効果がありそうな――いやいや。
ノエルは首を振った。確かに魔法使いも呪術もこの世界は当たり前のように存在しているが、どうにも話しの繋がりがおかしく、作り話感が否めない。
「ご、ご厚意とてもありがたいのですが、遠慮しておきます……」
アハハ……と必死に笑顔を店主に見せた。それを聞くと明らかに不機嫌そうに店主は口を曲げる。
「はぁ。やっぱり、こんな作り話じゃ誰も買ってくれないわなぁ……」
作り話と認めてしまった。
「やっぱり、作り話なんですね……。あ、でも店主さんも腕輪をされているんですね」
ノエルは肩を落とす女店主の左腕に先ほど見せてもらった腕輪と同じものを付けている。
「ああ、そうだよ。数年くらい前に村興しだーって村長が言い出してからさっきの変な話しも出来上がって、こんな胡散臭い物まで作られたんだけどさ。そもそもここまでよその人が来ることも少ないし、来たところでさっきのあんたみたいな「嘘くさぁ……」って顔されるだけさ」
「俺、そんな顔してましたかね……」
「してたさぁ!はぁ〜ぁ……」
小さい店にしろ、物を売る商人が売り物に文句を言っていて大丈夫なのだろうかと思いつつ、それを顔に出さないようにノエルは笑顔だけを向けた。
「ま、こんな調子でまったく売れないからさ、この村のやつら全員に売りつけてやったよ!明日にでも死んじまいそうな年寄りから最近生まれた赤ん坊まで一人残らずね」
ガハハと笑う女店主にノエルは笑って受け流すしかなかった。商売気があるのかないのかわからない人だなと心で思った。
店を出て再び村の奥を目指して歩いていると、女店主の言っていた大きな家が見えてきた。そのそばには季節外れの大きな枯れ木が立っている。
「あそこか」
すると、ちょうど中から一人の老人が出てきた。その老人に使用人と思われる人物がお辞儀をしている。
パタンと扉が閉まり老人が一人になったところでノエルが声をかけた。
「あの、すみません」
老人はゆっくりとノエルを向く。白く長い口髭を蓄え、長い礼服を着ている。『聖職者』のようだ。
「私に何か御用でしょうか、旅のお方」
ゆったりとした穏やかな口調で老人は言う。
「ええ。この家の方に少々用がありまして。失礼ですが、こちらの家の方とお知り合いでしょうか」
「知り合いというほどの者ではございませんが……。まぁ、最近はよくこちらへ来ているので、知り合いになりましょうか」
ホッホッホと笑う老人は、ふと、ノエルの懐に何か気づいた様子で指をさした。
「おや、その懐にあるのは……」
ノエルは少し驚いた様子で懐から薬袋を取り出す。
「ええ、実はこの薬をある人から預かっておりまして。村の入り口の方にある店の店主からこの薬はこちらの村長さんが使っている薬だとお聞きして」
「ふむ。それを貸していただけますかな」
そう言われてノエルはシワだらけの老人の手に袋を渡す。老人は中を見る前に、手に持った瞬間に「やはり」と呟く。
「これは『呪術』がかけられていますね」
「呪術?」
突然のことにノエルは聞き返した。
「ええ。負の力を強く感じますね。こちらは誰から?」
「えぇと、こちらに住む女の子から」
「ふむ。女の子ですか」
聖職者は主に教会におり、彼らは魔法使いとは違い、完全な『白魔法』のみを使うことを義務付けられている。大きな傷や重い病を治療する魔法も聖職者のみ使うことが許されている。日々、白魔法を極めるための修行をしているので、普通の人間よりも負の力に対する感度が強いようだ。
老人は薬袋を撫でる。するとその手が淡く光る。どうやら呪いの種類を鑑定しているようだ。老人は低く唸った。
「うーむ……。これは私にはわからないですね」
「え、わからない?というと……」
「複雑な術式です。あなた、これを本当に女の子から預かったのですか?」
ノエルは薬を手にする最初の時を振り返る。ユキが持っている前はラオニスの街にいる商人が売っていたものだ。まさか、あの商人が……?しかし、彼を思い出してみても至って普通の人物だったように思う。
「薬はラオニスの商人から買いました。ここに住む女の子……ユキという名前の子が、誰かに頼まれてこれを求めていたようで」
「そうですか。あいにく、私はここの住民ではないのでその子が誰で、なぜこんな物を買ったのかはわかりませんが……おや?」
老人は薬袋の中を開ける。
「ふむ。確かにこれはここの村長が飲まれている薬草ですね。しかし――」
老人は顔を上げてノエルを見た。
「この薬ならこの村でたくさん作れますよ」
「えっ?」
老人はゆっくりと自分とノエルのそばにある、その樹を指差した。
「この薬は雪の花の樹から作られるものですから」