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【第1章】1.歯車の音

 「ダメだ!!!!」

 その声にハッと目を覚ます。キーンとした耳鳴りが止み、穏やかな鳥のさえずりが聞こえてきた。酷く汗ばんだ身体をぐっと起こす。小さな部屋の小さな窓からは温かな朝日が差し込んでいる。

「夢……」

 ぐしゃっと寝癖だらけの前髪を掻き上げる。ふと、目元に当たった手のひらを見ると、涙ようなしずくが付いていた。

 泣いていたのか?

 直前まで見ていた夢を思い出そうとしたが、もうすでにほとんどに靄がかかり思い出すことは難しくなっていた。けれど、胸の奥に切なさのような寂しさのような『心残り』があることを感じた。その正体が何者であるのかは定かではない。ただ、夢を見たことに由来することだけはなんとなく心が覚えているようだった。

 ズキン――。

「痛っ……」

 突然、左胸に鈍痛がした。寝巻きの首元をぐっと引き下げる。

「なんだ、これ……」

 見ると、ちょうど心臓のある部分に、まるで何かの紋章のような形の青黒いアザが出来ている。驚いて慌てて部屋の壁についている鏡の前で服を脱いだ。

「これは……」

 そのアザは直径1cmほどの円で、円の中には複雑な線が蜘蛛の巣のような形を作っていた。

 それは指で押しても大きな痛みを感じないが、どこかズキズキと疼いているようにも感じる。

 コンコンコン――。

 と、ふと扉をノックすること音がした。

「ノエル。起きているのか」

 低く静かな声が扉越しに聞こえる。ノエルと呼ばれた彼は慌てて扉を開けた。

「起きてるよ、父さん。おはよう」

 180cmを超えるであろう高い身長に、鍛え上げられた大きな身体の父・グラン=フェルディアは全く表情のない顔をノエルに向けている。彼はノエルや彼の住むこの国――ヴェルシオン王国の王家直属の近衛騎士だ。剣の才に恵まれ、その腕は近衛騎士の中でも一位二位を争うと言われている。そしてノエルはグランの一人息子。グランと同じ空色の澄んだ瞳に、母親譲りの温かい金の髪を持つ。しかし、剣の腕前はグランとは正反対である。生まれた時からグランが厳しく騎士として育てられきたにも関わらずノエルの剣は花開かず、剣士養成所でも「無能」と呼ばれるほどだった。しかしグランはそんなノエルを否定することはせず、ただ来る日も騎士としての礼儀や振る舞いを厳しく教え続きていた。

「それで、どうしたの?父さんが呼びに来るなんて珍しいじゃん」

 ノエルは無表情の父に笑顔を向ける。ノエルは自分に厳しく甘えを許さない父を、それでも心の奥では自身を愛してくれていると知っていた。だから、ノエルは父の教えを忠実に従い、慕っていた。

 父はぶっきらぼうに「いや……」と応えるが、ふとその視線はノエルの左胸に向いた。

「アザ……?」

 少しだけ父の瞳が揺らいだように見えた。ノエルは咄嗟に脱いだ服でアザを隠し、取り繕う。

「これ?もしかしたらどこかでぶつけたかもしれなくて。まぁ、全然痛みはないんだけどね」

 ヘラっと笑うノエルを父はじっと見つめ、静かに口を開いた。

「今日で17歳か」

「え……?」

 思わず聞き返す。

 今、誕生日って……?

 ノエルの父はその性格上、一度もノエルの誕生日を口にすることはなかった。仕事柄、家にいることもほとんどなく、祝いの言葉も聞いたことがなかった。

 ノエルは父が初めて自分の誕生日を認識してくれたことに純粋に喜びを見せた。

「そ、そうだよ!父さん、俺の誕生日覚えててくれたんだ」

 その言葉にハッとした表情を一瞬見せた父だったがすぐに冷たい目つきへと変わった。

「今日はお前に大切な儀式に参加してもらう。用意が済んだら城へ来い」

 半ば早口で父はそう告げると踵を返した。

「え?ちょ、ちょっと待ってよ!儀式って、俺なにも聞いてないよ」

 ノエルが声を上げると父は肩越しに彼を睨むように見つめた。

「早く用意をしろ」

 背筋に針が伸びるような感覚にノエルはそこにとどまった。

「はい……」

 父に聞こえたかもわからないような声でノエルは返事をした。



 ここヴェルシオン王国は大陸の中でも特に広範囲に領土を持つ大きな国である。各機関の中枢部分が集まる重要な国であるとともに、経済、軍事力、教育さまざまな分野でも充実した国である。そして、その王国を治める現王はヴェルシオン王国第40代国王・イゼルド=ヴェルシェイドだ。イゼルド国王は歴代国王の中でも先見の明に秀でた人物であると知られている。国民に対しても平等に接し、国民を第一に考えているとして、国民からの信頼も厚い。

 ただ一つ、彼には人とは違うものがあった。

 ノエルの頬にひと滴の汗が垂れる。彼が片膝をつき首を垂れる先にいるのはそのイゼルド国王だったからだ。

 ノエルは王国騎士団の新人団員として昨日まで国王まで仕える身だった。そのため国王のことを知らなかったわけではない。しかし、その国王にたった1人で対面することも昨日までなかったのだ。

 国王の側には父であるグランはいつもは近衛騎士として王の側にいるが、今日この時はノエルの父親として少し後ろに片膝をついて控えている。

 俺は、何かしてしまったのだろうか……。

 最近の行いを振り返ってみるが、どうにも国王の眼前までくるほどのことはしていない、と思う。

 ノエルはそっと目だけを動かして国王を見た。

 国王のその特徴的な顔の傷を。

 イゼルド=ヴェルシェイド国王は誕生したその時から顔の右半分が、まるで皮膚を落とした跡のように赤黒い傷痕のようになっており、その右目は白濁とし光を見ることができなくなっているそうだ。通常の病気とはどれも当てはまらないそうで、一部の者からは『悪魔の子』とささやかれているとの噂がある。

 少し日に焼けた健康的な肌にシュッとした高い鼻、艶のある黒い長髪と、グランにも負けない体格はどんな女性も虜にしてしまうほどの美しさがある。他人は王の容姿について傷跡さえなければ美しい国王だと言うが、ノエルは傷跡を含めてイゼルド=ヴェルシェイドという人間なんだろうと、思っていた。

「なんだ?」

 しっとりとした低い声が響く。ノエルは頭を下げることも忘れイゼルドを見ていたのだ。ノエルはハッとし慌てて頭を下げる。

「なんでもございません。失礼しました」

「私の顔が気になるか?」

「いいえ……!」

 ノエルが冷や汗を垂らす様子に、イゼルドはふっと笑った。

「気にするな。気にしておらん。……グラン」

「はい」

「この者はお前の息子だな」

「はい――」

 グランがノエルの紹介をしようとした時、すかさずノエルが声を上げた。

「ノエル=フェルディアと申します。国王様」

「ふむ」

 イゼルドは視線をグランからノエルにやる。

「君は本日で17を迎えると聞いた」

「はい。そうでございます」

「そして『勇者の証』が発現した」

「え?」

 思わずノエルは顔を上げた。

「勇者の証、ですか?それは……」

 以前に耳にしたことがある。『勇者の証』が出た者は王の直々の命令で『ある任務』を与えられると。

「それは、魔王討伐だ」

 強い口調で割って入ったのはグランだった。ノエルは驚いた表情で父を振り返る。そしてその真剣な眼差しは父が覚悟を決めていることをノエルは悟った。

「王様」

 ノエルはイゼルドを見た。

「一体どういうことでしょうか。俺が魔王討伐って……。それに勇者の証とはなんなのですか!?」

「ノエル!」

グランが強く制し、ノエルは反射的に姿勢をただし、頭を下げた。

「し、失礼しました。王様の許可なく発言したことをどうかお許しください」

「良い。突然聞かされたのだ。私から説明しよう」

 イゼルドはそう言うと背後の玉座におもむろに腰掛けた。

「まず、魔王討伐は今から1000年前に始まり、約100年前後の間で一人、この国から選ばれてきた。直前に行ったのは今から約95年前。先先代の国王の時だ。しかし、今日に至るまで魔王討伐は完遂していない」

 イゼルドの語気が強くなる。

「魔王討伐に選ばれる者にはある共通点がある。それはその者が17の年を迎えた日に発現する『アザ』だ」

 ドクンとノエルは心臓が強く鳴ったのを感じた。

「君にも、そのアザが出たとグランから聞いている。間違いないな」

 そう問われ、ノエルはおずおずと頭を上げた。

「はい。間違いありません。……ですが、たまたまかもしれません。どこかにぶつけたかもしれないですし……それに俺は剣の腕も良くないので、討伐の任は……」

 ノエルのはっきりとしない口調にイゼルドはふと遠くを見つめる。

「その約95年前に討伐に向かった者は新米の魔法使いだったと聞いている」

「え……」

「討伐に選ばれた者の中にはただのしがない物書きだったという記述もある」

「そんな……。それじゃあ、ただ、17歳になった日にアザがあっただけで?」

「それは違う」

 ノエルの言葉を遮るようにグランが切り出す。

「お前も自分のアザを見ただろう。皆、同じそのアザだったらしい」

「それじゃあ、これが勇者の証だって言うのか……!?」

 ノエルは思わず立ち上がり、父を見下ろした。その目は恐怖で揺らいでいる。

「同じアザが出ただけで、力のない俺が魔王討伐だなんて、父さんはおかしいと思わないのか?国王様も、どうして、力のない者を選ぶんですか?それじゃあ勝てるわけがないじゃないですか」

 ノエルは恐怖で昂ぶる感情を必死で抑えながら、なるべく冷静を装い、問う。

「このアザが発現する、共通のものでもあるのでしょうか」

 イゼルドはノエルを射抜くように鋭い目で見つめる。ノエルはぐっと息を呑んだ。イゼルドは静かに告げた。

「これは命令だ」

「っ!」

 そう。これは国王からの直接の命令だ。そしてこうして護衛等もつけず、国王ただ一人でノエルの前に座っている。誰がなんと言おうとこれは国王からの重大任務なのだ。

 そう考える度に汗が一粒、また一粒とこめかみに流れる。握った拳はさまざまな感情が混ざり、震える。

「ノエル……」

 グランは立ち上がり、ノエルの肩に手を置いた。ある日突然、国の重大な使命を背負うことになってしまった息子を、彼は父としてその重荷を受け止めてやりたいと思っていた。

 しかしノエルは震える拳をぱっと開くと勢いよく胸の前にあて、片膝をついた。

「わかりました」

 ノエルははっきりと言った。

「重大任務を与えてくださり、感謝いたします」

 

 ノエルは誰よりも剣の腕は下手だった。16歳で騎士団に入隊してからも功績どころか失態ばかりを繰り返していた。しかし、その経験は彼の心を強くしていた。

 そして父からはいつも「武を扱う者は身も心も常に誠実で強くあれ」と教わっていた。それをノエルは真摯に受け止め、実践できるよう心がけていた。それが今まさに彼の中の恐怖を追い払う手伝いをしたのだった。

 グランは成長した息子の背中に胸が熱くなるのを感じた。

「君は強い」

 イゼルドはそう呟くと立ち上がり、高らかに言った。

「ノエル=フェルディア。第40代国王イゼルド=ヴェルシェイドの名の下に、魔王討伐の任を課す」

「はっ!」

 春の穏やかな陽の光がノエルを照らし出していた。


 イゼルドは玉座に座ったままノエルの立ち去った後を見ていた。その側には今度は近衛騎士としてのグランがいる。

「グラン」

「はい」

「君には悪いことをしたな」

 王が言おうとせんことをグランはわかっていた。わかった上で彼は首を横に振った。

「あいつは……ノエルは我がフェルディア家の誇りです」

「そうか」

 イゼルドは口元にほんの少しの微笑みを浮かべた。それでもイゼルドの表情はどこか曇っているようだった。イゼルドはグランに下がるよう命ずると、しんと静まり返った部屋で一人、目を伏せた。

「運命が、回り始めてしまった」

 その響きは誰に聞かれることなく(くう)へ消えていった。

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