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【第2章】9.偽なる者は

「リラ」

 足早に校舎を歩くリラを追っていたノエルは、しばらく追いかけたのちに、彼女に声をかけた。リラはその声に立ち止まる。授業中なのか、辺りはしんと静まり返っている。リラは、ゆっくりと振り返った。その表情は、怒っているのか悲しんでいるのか、それとも、何かを後悔しているのか、どこか思い詰めたような表情だった。

 ノエルが声をかけた先の言葉を紡げずにいると、リラはふっと、愁いを含んだ微笑みを浮かべた。

「君からしたら、わたしも人間には見えないのかな」

 穏やかな声だった。

 ノエルは、リラを見つめる。彼女の過ごしてきた果てしない時間がどんなものだったのか、想像することすらおこがましいだろう。1000年と言う時間は、一人の人間には言葉に表現できないほど長すぎる時間だから。

 でも、ただ一つ、ノエルは知っていた。それを伝えるため、ノエルはリラにそっと近寄った。

「君は人間だよ」

「……。……なぜそう思うの」

「君には、感情があるから。後悔という辛さを知っている。人の温かな心を感じて、大切にできる。だから、君は人間だよ」

 その言葉は優しく、リラの心にじんわりと波紋を浮かべて広がった。彼女から、ほんの少しだけ緊張感が解ける空気をノエルは感じ取った。

「感情、ね……」

 リラはお礼や感想を述べるではなく、ただ小さくそう反復するのだった。


 ――その日は、教師陣の会議があるため、いつもよりも早めに授業が終わるとのことだった。生徒たちは空いた時間にどんなことをして過ごそうかと、あちこちで楽しそうに会話する声であふれていた。

 ノエルとリラは授業の邪魔はしないよう、食堂で早めの昼食を済ませると午後の授業が全て終わるまで待ってから、弓術コースの教室へと向かった。

「メルアは弓術を専攻してるって言っていたの。座学と実技があるのだけど、直前の時間は座学みたいだから、今から行けばまだ生徒たちはいるんじゃないかな」

 歩きながらリラはそう言った。いつの間に授業時間を調べていたんだろうとノエルは驚きつつ、それとは別にポツリと呟くように言った。

「彼女は本当に本の住人なのかな」

 昨日の図書室での出来事を思い出す。本の住人が抜け出すと言うことは、テオルダン学院長の言う『違和感』の正体と一致するかもしれない。

「確証がないから調べるんでしょう。それに――」

 リラは廊下の曲がり角の前で立ち止まると、声を低くして言った。

「もしも本当だったら、彼女はこの世界にとって『存在してはいけない存在』になる」

 ノエルはその言葉に思わず唾を呑みこんだ。リラの言う通り、確証はないし根拠もまだ不確かだ。身辺調査をした果てに全くの的外れだったらいいなと、ノエルはそう思いながら、リラに頷いた。

「さ、ここが弓術コースの教室だよ」

 そして、角を曲がった先にある扉へ二人は向かった。

 扉は開放されており、授業を終えた生徒たちが出てきている。ノエルたちは怪しまれないように生徒たちに明るく挨拶をして扉の前まで行くと、そっと教室の中をのぞいた。

「うーん。いないな」

 生徒一人一人を見るが、メルアらしい人物はいなかった。そこでノエルは、ちょうど教室から出てきた二人組の女子生徒に声をかけた。

「ごめん、君たち、ちょっと聞きたいことがあって」

 女子生徒たちは足を止めてノエルを見る。

「この弓術コースにメルアって子はいないかな?」

 女子生徒たちは互いに目を合わせると、手前の髪の短い生徒が応えた。

「メルアなら最近は授業に出てないわよ。あの子、よく体調崩して寮で休んでるから」

 続いて髪の長い方の生徒が皮肉混じりに言う。

「どこぞの男に媚び売る体力はあるみたいだけどね」

「ちょっと。そんなこと言っちゃ可哀想でしょ」

 短い髪の生徒が、隣の生徒を制したがそれはどこかメルアに対しての嘲笑を含んでいるような、軽々しい物言いだった。

「それって、リアンセのこと?」

 ノエルは彼女たちの、鼻につく言動には突っかからずにそう聞く。再び髪の短い生徒が応えた。

「ええ。もしかしてあなたたち、剣術コース?なら、メルアがあの男子に近寄ってるの見たことあるでしょ?あの子に会いたいならそっちに行ったら?」

 リラが女子生徒たちの前に進み出る。そして、とても愛想の良い笑顔を浮べて口を開いた。

「教えてくれてありがとう。実はわたし、来週この弓術クラスに編入することになったの。それでわたしの親戚が先にここに入ったメルアさんのことを知っていたみたいで。せっかくならメルアさんと弓の勉強をしたらって言われたの。それで挨拶をと思って」

 さらりと作り話を言う彼女にノエルは口こそ挟まなかったが、驚いて目を見開いてしまった。しかし、女子生徒たちはそんなノエルには気づかず、リラの言葉に反応して苦笑した。

「あー、そうなんだ。そしたらその親戚から聞いてない?あの子、弓の腕が下手すぎて毎回『体調不良』って言って授業休んでるんだよ」

「え?そうなの?」

 リラがきょとんとした顔で首を傾げると、髪の長い生徒が笑いながら首を横に振った。

「そーそー!サボってるのバレバレだっつーの。まぁ、メルアってめちゃくちゃ弓の才能がないからサボりたくなる気持ちはわかるけどさー」

「ねー、最初の頃とか全然弓が引けなくて泣き出しちゃったかと思ったら、いきなり教室抜け出して。音楽室までクラス長の人が探しに行ってたっけ」

「音楽室?」

 リラはその言葉を聞き逃さなかった。生徒たちは頷き、短い髪の生徒が説明する。

「メルアは何かあるとすぐ音楽室に隠れてるって、友だちが言ってたのよ。もう弓じゃなくてピアノでも弾いてればいいのに」

「うまーい!」

 生徒たちはまたしてもクスクス笑う。見知らぬ人物にここまで相手のことを悪く言えるのかと、ノエルは少し怖いなと感じている隣で、リラはさらに言った。

「そうなんだ。じゃあなんで魔技学院に入ったんだろうね。音楽がやりたいなら、別の学校に行った方が良さそうなのに」

 その瞬間、生徒たちはピタリと笑い声を止めて互いに目を合わせた。

「そういえば、なんでだろう」

「さあ?親からここに入れって言われたんじゃない?」

「メルアって、確か『途中で編入してきた』よね……?」

 ノエルとリラは、その言葉に小さく反応を示す。髪の長い生徒は首を傾げた。

「そうだっけ?……あー、なんかそういえばそうだったかも?」

リラは「親戚からそんな話し聞いたことなかったな。いつ編入してきたの?なんで編入してきたんだろう」と二人に思考を巡らすよう促す。短い髪の生徒が言った。

「編入してきたのは去年の秋ごろだけど、理由は知らないわ。聞いても教えてくれなかったし。あの子、人と話すの苦手そうだったから」

「ねー!うちらが話しかけても無視してさ!」

 長い髪の生徒が同調するように声を上げた。リラはそれを聞いて彼女たちに笑顔を見せた。

「そっか。いろいろ教えてくれてありがとう」

 それに対して髪の短い生徒が苦笑いを向けた。

「あ、ううん。こっちこそ、なんかめっちゃ喋っちゃって」

「あぁ……。確かに言わなくていいことまで喋ってたね」

「え?」

 思わぬ返答だと言わんばかりに生徒たちはリラを見る。リラは唇に人差し指を立てて見せた瞬間、その目つきは鋭く、冷ややかな表情へ一変した。そして、彼女は生徒たちに静かに言う。

「一生の罪を背負いたくないなら、発する言葉を改めなさい。悪意ある言葉は人を殺せど、救いはしないのだから」

 怒気を孕んでいるその声は氷のように冷たく、空気すらも張り詰めるのを感じた。女子生徒たちは突然の空気に、ゴクリと唾を飲み込む。しかし、次の瞬間にはまた明るく笑顔を浮かべていた。

「まぁ、若い子には難しいかもしれないね」

 リラはノエルに視線で合図を送ると、二人は女子生徒たちに「それじゃあ」と軽く挨拶をし、その場を去った。

「なに、あれ。いきなり説教された?」

「ね。やばい子なのかも」

 女子生徒たちは怪訝そうに顔を見合わせていた。


 教室から離れた二人は人目につきにくい廊下の柱の裏に身を寄せた。ノエルが興奮を抑えたように小さい声で言う。

「さっきの言葉、すごくかっこよかったよ」

 すると、リラは少しだけ悲壮感を含ませたように笑った。

「万人が平等に使える魔法の一つに『言葉』がある。でも、当たり前にあるせいで、強大な力があることを忘れてしまっている。言葉はそれひとつで、相手の感情を自由に操ってしまえるの。(こと)の力を軽んじた瞬間、それはとても罪深く魂へ刻まれてしまうから、本当はとても気をつけて使わなければいけない術なの」

「正直、言葉に対してそこまで深く考えたことなかったよ。……俺も、気をつけないとな」

「ノエルは大丈夫だよ」

 リラは目を伏せて優しくそう言い、一呼吸置くと顔を上げた。

「この話はここまで。今はそれどころじゃないから」

 その言葉にノエルも気持ちを切り替えた。

「そうだな。彼女たちの話を聞く限り、メルアはあまり学校には来ていないみたいだね」

「ええ。なんというか……やっぱりね」

「やっぱりって?」

 そう聞くとリラはノエルを見た。

「彼女に最初に会った時、あの時間はまだ授業があるはずなのに寮にいたんだよ。体調を崩して休んでいるのかと思ったけど、もしかしたら違うのかもね」

 ノエルは、最初に食堂へ行った際に、リラがやけにメルアに積極的になっていることを思い出した。

「そういえば、メルアに対して何か気になっているようだったけど、あれは何かあったのか?」

 ノエルの問いに、リラは話すのを少しためらう様子を見せる。

「……本人から聞いたわけじゃないから、わたしの勘違いかもしれないんだけど」

 そう言って口を閉ざすリラだったが、ノエルが真剣な眼差しでリラを見つめていることに気がつき、やがて再び口を開いた。

「見えたんだよ」

「見えたって……」

「傷跡。腕に。刃物で斬りつけたような跡が無数に」

「え……?」

 ドクン、と心臓が強く鳴るのをノエルは感じた。

 人の心が痛みを負った時に、それを和らげようとする目的や、自分を罰しようとする目的で行う自傷行動。要因はさまざまだけれど、どれも、心に強い負荷がかかることが引き金になることが多い。

 リラは右手を顎に当てて考え込む素振りを見せる。

「弓の腕が上手くないことが原因なのか、周りのあの態度が原因なのか、編入したことに原因があるのか」

 リラが考えるそばで、その言葉ひとつひとつを自分と重ね合わせたノエルは、ふと、呟いていた。

「たくさんのことが、重なったのかもしれない」

 リラはノエルを見る。彼は腰に携えられた剣を優しく撫でた。リラは、ノエルが過去に親との葛藤があったことを思い出すと、小さく「そうかもね」と応えた。

 ノエルは沈みかけた心に一呼吸置くと、気持ちを切り替えるようにリラに言った。

「次は音楽室に行ってみよう。もしかしたら、また何かわかるかもしれない。……次は俺も、愛想の良い学生を演じてみせるよ」

 ノエルはリラに向かって調子良く笑って見せた。リラはそれを見て、彼があまり思い詰めていなかったようでほんの少し安心したように肩をすくめた。

「まぁ、愛想良く見えてたなら良かったよ」


 音楽室は三階にあり、そこは教室というよりもひとつの小ホールのようだった。

 天井には装飾されたシャンデリアが吊るされ、壁際に沿って数々の楽器がガラスケースに保管されている。

 窓際には生徒たちの座る椅子が配置されており、出入り口から一番遠い位置にグランドピアノが鎮座していた。

「ここも豪華だなぁ」

 ノエルは部屋をぐるりと見渡して言った。天井が高いせいか、ノエルの声が反響して聞こえる。

「ここにもいなさそうだね」

 リラは教室を見て周りながら言う。この教室は直前に授業が行われていなかったのか、照明は落とされ、人の気配はない。

「やっぱり、リアンセのところかな」

 ノエルも歩き回りながらそう言った。そして、ちょうど近くにあったグランドピアノに何気なく触れようとしたその瞬間――。

「わぁ!」

 突如、ピアノが、ノエルの手を嫌がるようにひとりでに不協和音を響かせた。

「び、びっくりした」

 伸ばした手を引っ込めてノエルは息を吐いた。そこへリラがやって来る。

「こんにちは、ピアノマン。……レディかな?」

 リラがピアノに向かって挨拶をすると、ピアノはそれに応えるように鍵盤がひとりでに音を鳴らす。

「ピア……ニ……スト。ピアニストって呼べばいいんだね」

 リラは鳴らされた鍵盤を見てそう言った。ノエルは感心したように言う。

「へぇ!リラは楽器の言葉もわかるんだ」

 この世界の楽器は、魔法を込めると人間のような振る舞いをする。中には音で言葉を伝える楽器も存在する。しかし、それは鳴らされた音を音名に置き換えて人間の言葉に翻訳する高度なもののため、実際に楽器と会話できる者は少ない。

 リラはノエルに言った。

「少しだけね。それにピアノ以外はわからないよ」

「それでもすごいよ。俺も楽器言葉、勉強してみようかな」

 ノエルが再びピアノに触れようと手を伸ばすと、またしても大きな音で不協和音が響いた。驚いて退くノエルを見てリラはクスッと笑う。

「ピアニストはプライドが高いんだね。気安く触れると怒られるみたい」

「そ、そうなのか。それは、失礼しました」

 ノエルは行儀良く頭を下げる。グランドピアノは「わかればよろしい」と言うように和音を鳴らした。その反応に胸を撫で下ろしたノエルは、ふと、リラに質問する。

「もしかしたら、ピアニストならメルアのこと知ってるんじゃないかな」

「聞いてみようか。ねぇ、ピアニスト、わたしたち探してる人がいるんだけど」

 リラが言うとピアノは相槌を打つように音を鳴らす。リラは続けた。

「弓術コースのメルアって女の子、知ってる?よく音楽室に来るって聞いたんだけど」

 すると、ピアノはゆっくり一音ずつ音を鳴らし始めた。それは少しの間続き、やがて静かになる。

「なんだって?」

 ノエルがリラに聞く。リラは少し考えているようだった。

「えぇと、ちょっと待って。たしか、最初の音は……」

 リラがピアノに近づく。右手をそっと鍵盤に乗せて、リラは思い出しながら、先ほどピアニストが鳴らした音を辿っていく。

「それで、最後は……」

 最後の一音が静かな音楽室に響いた。音が消えていく中、リラは沈黙していた。ノエルは、不自然に黙ったままのリラに声をかける。

「リラ?どうした?なんて言ってるんだ?」

 ノエルが促すとリラは小さく呟く。

「……ディア」

「え?」

 リラはノエルを見上げ、もう一度しっかりとした口調で言う。

「『ファサディア』。ピアニストが、そう言ってる」

 その言葉がノエルの耳の奥でこだました。その言葉はこの国にある、特定のものを指す言葉。ノエルは慎重にその言葉を繰り返した。

「『偽物(ファサディア)』……つまり、メルアは本当に、存在しない者……?」

 リラは静かに、そしてしっかりと頷いた。

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