【第2章】8.双子星の役目
翌朝、ノエルは部屋をノックする音で目が覚めた。ノエルは何度もノックをされるのを少しだけ不快に思いながら、眠気まなこを擦ってベッドから出る。
「はい……」
扉を開くと、そこには美しい少年が一人。
「おはようございます。ノエル様」
「えぇと……」
ノエルは目を擦りながら、彼を見る。青みがかった銀髪に、真っ白な肌。
「そうだ、昨日の……」
ノエルが思い出したように言うと、少年はニコリと微笑む。
「はい。僕はカスティルです。朝早くに失礼します。ノエル様にお届け物がございます」
「届け物?」
カスティルは両手に持っている大きな包み紙をノエルに差し出した。
「リラ様からのご要望です」
ノエルは包みを受け取ると、それを開いた。そこには魔技学院の制服が入っていた。
一気に眠気が吹き飛ぶ。ノエルは目を輝かせた。
「わぁ、これ制服!?やった!魔技の制服が着れるのか!」
ノエルのはしゃぐ様子を笑顔で見つめたカスティルは淡々と言った。
「ノエル様の剣は午前中までに直る見込みです。朝食を摂られましたら、また学院長室へお越しください。では、失礼します」
彼は丁寧に一礼をして、身を翻した。
「あ、ちょっと待って」
その後をノエルが止める。カスティルは足を止めた。
「一つ聞いていい?」
「はい」
「なんでカスティルって偽ってるの?」
「はい?」
「君、ポルセアでしょ?」
その瞬間、ポルセアは少し驚いたような表情を見せた。
「……ふふ」
そして、小さく笑うと応えた。
「よくお分かりになりましたね。……観察眼はいいと言うことでしょうかね……」
寮の朝は賑やかで、支度に急ぐ生徒たちがバタバタと廊下を走り回っていた。
「フフン」
ノエルは制服に袖を通すと、鏡の前で胸を張ってみた。その制服はよく身体になじみ、サイズもぴったりだ。ノエルは憧れの制服を意図せず着れたことに、得をした気分だった。
「嬉しいな。こんな日が来るなんて。カイやロシェにも見せたかったなぁ……。そうだ、リラに見せてこよう」
ノエルは意気揚々と部屋を出て行った。廊下ですれ違う生徒は、ノエルが制服を着ているためか、誰も来訪者だとは思わず「おはよう」と声をかけてくる。
「おっはよー!」
ノエルはまるで自分が学院の生徒になった気持ちだった。
リラはすでに食堂へ行っており、端っこの席に座り、一人で黙々と朝食を食べていた。
「お、美味しい……」
この寮の朝食はバイキング形式で、前方の長テーブルに大量の、種類豊富な品が並んでいる。リラはお皿にさまざまなおかずを乗せて、それらをしっかりと味わっていた。
「おはよう、リラ」
ノエルが声をかける。大きな口を開けてボイルウインナーを食べようとしているリラはその声にハッとすると、ゆっくりと口を閉じて、フォークを置いた。
「おはよう」
ノエルはリラの服装を見てパッと顔を明るくする。
「リラも制服、着てるんだな!俺たち、この学院の生徒になれちゃったな」
「そうだね。まぁ、校舎を歩き回って調査しても怪しまれないようにと思って貸してもらっただけなんだけど」
「それでも、魔技学院の制服を着れるなんて光栄だよ。あっ、俺も朝食取ってこようっと」
ノエルはどこか浮き足だった様子でバイキングコーナーへ向かって行った。リラはその後ろ姿を見送ると、フォークに刺さっていたウインナーをナイフで一口サイズに切り直し、先ほどとは打って変わって丁寧に口の中に運び、静かに咀嚼をした。
少ししてノエルはたくさんのおかずをお皿に乗せてリラのいるテーブルに戻ってきた。向かいに座ると早速フォークを手に取る。
「どれも美味そうだな〜」
まずは香ばしく焼かれた厚切りベーコンを口にする。ジュワッと肉汁が溢れ出す。
「う〜ん!」
美味しさで思わず声を上げた。リラも、丁寧に切ったオムレツを口にし、咀嚼したあと美味しさで口元を綻ばせた。
「美味しい」
リラはその後も、丁寧な所作だが早いペースで、食べ物を口に運び、その度に「美味しい」と呟いていた。
「良かったな。そんなに美味しいんだ」
ノエルが笑うと、リラはまたハッとし、ナプキンで口元をそっと拭いた。ほんの少し頬を赤らめる。
「わたし、500年くらい食に興味がなかったから。こんなに食の技術が発展してたなんて知らなかったの」
「へぇ。500年、何食べてたんだ?」
「……基本的には森で木の実やきのことか見つけて食べてた。トルンの村でたまに作物を薬と交換してもらったりもしたな」
「そっか。たまには違うものも食べてみようとは思わなかったのか?」
「ええ。空腹を満たせるなら、なんでもよかったから……」
食べなくても彼女は死なない。けれど、生きてる限り空腹はやってくる。一時期は自暴自棄に陥って土や石を食べたりもしたが、さすがに極度の腹痛を起こしたのでやめた。
リラは、手元の料理の乗った皿を見つめて呟いた。
「ご飯が美味しいなんて、いつぶりだろう……」
「それじゃあ、これからは俺が美味しい店に連れて行ってあげるよ」
「え?」
リラは顔を上げる。ノエルは笑顔を浮かべていた。
「食べることは楽しいことだからさ」
「……そうだね」
リラは小さく微笑んだ。
その後、食堂を出た二人の前にカスティルが現れ、学院長室まで案内してくれた。
部屋にはポルセアがいたが、テオルダンの姿は見えないようだった。
「テオルダンは?」
リラが聞くとカスティルが応える。
「本日、会議のため不在でございますよ」
「そう」
「お二人とも、うちの制服がよく似合っていらっしゃいますね」
カスティルが二人の姿を見て褒める。ノエルは嬉しそうに「ありがとう」と応えるが、リラは目を伏せるだけだった。
「ノエル様」
ポルセアが大きな布の包みを持ってノエルの前にきた。
「こちら、預かっておりました剣でございます」
「あぁ。ありがとう、ポルセア」
ノエルは受け取ると、布を外した。そこには傷一つついていない騎士の剣があった。
「すごい!新品みたいだ!」
「新品でございます」
すかさずポルセアが言う。彼らの言う『修復』は物体の時を戻して、物体の本来あるべき姿に戻すこと。つまり、ノエルの剣は刀鍛冶が作り上げた最初の時間まで戻ったのだ。
「ノエル様」
ポルセアが声をかける。
「そちらの剣は、騎士の剣でございます」
「え?ああ。そうだよ?」
ポルセアの隣にカスティルが並び、彼も言った。
「ノエル様は、現在も騎士なのですか?」
「え?」
ドクン、と胸が鳴るのを感じた。カスティルが続ける。
「そちらの剣の記憶を読ませていただきました。その剣は持ち主と共に、王国を守る信念があるようです」
「信念……。この剣に?」
ポルセアが応える。
「無機物でも、一度人の手に渡れば、その人間の想いが込められるのですよ。あなたの、王国を守る騎士としての使命がその剣には込められているのです。剣の持つ信念は、つまり、ノエル様の信念でもあります」
剣を見つめる。騎士として入団した際に授かり、愛着を持って共に戦火を潜り抜けてきた唯一無二の相棒。頼りない騎士だけれど、その想いはこの剣には伝わっていたようだ。
「ですが」
カスティルが静かに言う。
「その想いが、最近、持ち主とすれ違っているようなのです」
「それは、俺とってこと?」
「はい。僕らが読み取ったのはここまでです。少し気になったので、お伝えさせてもらいました」
「想いの、すれ違い」
確かに、騎士団を抜けてからは厳密には騎士ではない。けれど、自身の剣士としての根幹は騎士養成所で作られたものだ。
俺は、今、騎士なのか?剣士なのだろうか?
ノエルが険しい顔をしていることに気づいた双子は優しく笑って言った。
「自身の心と向き合うと悩まれることでしょう。そこでこの剣におまじないをかけておきました」
「ノエル様の心が迷わないためのお守りです。一度きりですが」
ノエルは双子の言う言葉の真の意味はわからなかった。しかし、自分を心配してくれているようでノエルは素直に感謝した。
「ありがとう。二人とも」
「……ところで」
ふと、リラが双子に聞く。
「テオルダンはいつ帰ってくるの?」
「明日の朝です」
ポルセアが応えた。
「明日か……。それじゃあちょっと遅いね」
「どうかされたのですか?」
カスティルが聞く。
「依頼された件で、聞きたいことがあったの」
「なるほど」
すると、カスティルはパチンと指を鳴らした。奥の棚から茶色いバスケットがふわふわと飛んでくる。バスケットは四人の中心までくると、ひとりでにフタが開き、中からミニサイズの家具と食器が出てきた。そして、それはバスケットから出ると人間サイズまで大きくなって、四人の中心に静かに置かれる。ティーセットは温かい紅茶を注いで、それぞれのもとに、ふわりと置かれた。椅子はいつの間にか四人の後ろに配置されていた。
「すごい!」
ノエルは思わず拍手しかけた。
双子はノエルとリラに言った。
「立ち話もなんですから」
「ぜひ、お茶を召し上がりながら、お聞かせください」
「えっ、あなたたちが聞くの?」
リラが驚いたように聞くと、双子は笑った。
「これでも僕たち」
「学院長代理なので」
リラは気が進まない様子だったが、一応席に座った。ノエルも剣のことは一旦腰に収めて、依頼の話しに集中するのだった。
「……歌でございますか」
昨日の一連の出来事をノエルが説明したあと、自身が書いた走り書きのメモを渡す。そのメモを読みながらカスティルが言った。
「ふむ。これは『目覚めの唄』ですね」
「知ってるのか?」
ノエルが身を乗り出すように聞いた。
「はい。まさか、この歌に気づくとはさすがですね」
「それで、この歌はどんな歌なんだ?」
しかし、その問いにカスティルは目を伏せた。
「申し訳ありませんが、それはお答えできません」
「え、どうして?」
ポルセアが言う。
「この学院の根幹に関わることだからでございます。これ以上は何もお伝えできません」
「あなたたち星獣には関係ないことでしょ?」
リラが食ってかかるが、ポルセアは静かに応える。
「テオルダン様に関係あります」
リラは少しムッとした表情を見せた。ノエルが食い下がる。
「この歌と、図書室の違和感の正体に関係あるかだけでも教えてもらえないか?」
「それは僕たちにもわかりかねます。僕たちは直接、図書室を調査したわけではないので」
それに反応したのはリラだった。
「ねぇ、テオルダンがいないから、代わりにあなたたちに言うけど、今回の図書室で生まれた違和感の調査、そちらでやった方が簡単に解決できたんじゃない?普通の魔法より、あなたたち双子の力や星術を使えば、過去の出来事だって簡単にわかるでしょう?それに、もしこの歌と関係あるなら、それこそ部外者よりあなたたちの方がいい」
不機嫌そうに言うリラに、ポルセアが言った。
「きっとリラ様は、この件に難色を示すだろうとテオルダン様はおっしゃっておりました。そしてこれは、テオルダン様から預かった伝言でございます。『簡単に解決できる者が、解決していいとは限らない』」
「……っ」
リラはその言葉を聞いて、小さくため息を吐くと口を閉じ、紅茶を一口飲んだ。
「それって、俺たちが解決することに意味があるって言うことか?」
ノエルの問いにカスティルが言った。
「解釈はご自由に。ひとつ言えるのは、テオルダン様はお忙しいので、なかなかすべてに手が回らないのです」
リラはティーカップを置きながら怪訝そうに聞いた。
「あなたたち、いつからそんなに彼に忠実になったの?」
すると、双子は突然クスクスと笑い声をあげた。
「忠実に見えてるなら良かった」
「僕らはただ、遊んでるだけですよ」
リラは黙ったまま双子を見つめる。
「遊んでるだけ?」
言葉を繰り返したのはノエルだった。双子は互いに目を合わせる。カスティルが言った。
「人間の人生は短いですからね。僕らにとっては一瞬の時間です。一瞬の時間だから、忠誠を誓ったって意味がない。だから、これはただの『友人ごっこ』ですよ」
その言葉は、ノエルにはとても軽く聞こえた。事実、彼らにとっては、人の人生なんて気に留めるほどのものでもないのかもしれない。ただ、それでも彼らがテオルダンと共にいる選択をしたのは、遊び相手を見つけただけではないのではないだろうか。そんな気もした。
彼らがリラやテオルダン学院長と出会った経緯をノエルは知らないが、ノエルは言った。
「でも、俺には君たちと学院長に絆があるように感じるな」
「絆、ですか」
「ふふ。人は面白いことを考えますね」
カスティルとポルセアはノエルの言葉に、さらに笑った。そこにリラが口を開く。
「あなたたちにとっては、ただの暇つぶしかもしれないけどね。テオルダンにとっては違うよ」
双子はピタリと笑うのやめて、リラを見る。リラは真剣な表情で、まっすぐ双子を見た。
「彼の人生のほとんどにあなたたちがいる。人間にとって、それがどれだけ大切なことなのか、学んでおきなさい。テオルダンが死ぬとき、あなたたちが後悔しないようにね」
「後悔?僕たちが?」
鼻で笑うカスティルに続いて、ポルセアも言った。
「リラ様、あなたは普通の人より何倍も長く生きていらっしゃる。気持ちとしては僕たちと近いかと思いましたが」
リラはその言葉に少し苛立ったように立ち上がると、双子を冷たく見下ろす。
「わたしは人間だよ。どれだけ長く生きていようが、あなたたちの気持ちに近づきたいとも思わない」
行こう――とリラはノエルに声をかけて、出入り口の扉を開けた。ノエルも慌てて立ち上がる。リラは部屋を出る直前、吐き捨てるように言った。
「人間は尊い生き物なの」
そうして二人は足早に部屋を出て行った。双子は扉が閉まるまで、立ち上がって丁寧にお辞儀をしていた。
パタン、と扉が閉まる。
「『人間は尊い生き物』か」
カスティルが頭をあげながら呟く。ポルセアも含み笑いをしながら応える。
「いまだに縛られているね。彼女は」
「仕方ないよ。彼女は人間なんだ。僕らにはない感情をたくさん持っているんだろう」
カスティルは頭の後ろで手を組んでそう言った。ポルセアはバスケットのフタを開いて片付けをする。
「1000年も前の言葉に縛られ続けるなんて、人間は苦労するね」
「ああ。理解しがたいな」
そう言うとカスティルは窓際まで行って、澄んだ空を見上げた。
「ねぇ、ポルセア」
「なぁに?カスティル」
「後悔って、どんな気分なんだろう」
「さぁ。セオナスは前に、とても辛いことって言っていたよ。でもそれも、過去に戻してしまえば関係ないんだけどね」
「やっぱり、僕らには関係ないことなんだろうな」
「あ、そういえば」
バスケットを棚に戻したポルセアはあることを思い出した。
「人間の死は、戻しちゃいけないって『あの方』が言ってたな」
「ふぅん……。そう言えば、あの二人、ついに目覚めの唄を見つけてしまったね」
カスティルは『あの方』の話をしたくないというように話題を変える。ポルセアは気にも留めずに応える。
「うん。さすがに、歌が示す内容はリラ様にも言えなかったけどね」
ポルセアはカスティルの隣にくる。二人は手を繋いで窓の外を見た。
「ねぇ、カスティル」
「なに?ポルセア」
「1000年目がくるよ」
「うん。彼女が動き出したのもきっと偶然じゃないだろうな」
ポルセアは、窓の外から見える湖を見つめてポツリと言う。
「あのノエルって人、見つけられるかな。目覚めの唄の、その先を」
「……さぁね。でも、何があっても僕らのやることは変わらないよ」
「……うん」
二人は、繋いだ手を強く握りしめた。
第二章8話、お読みくださりありがとうございました。
ここでタイトルを「君が救う最期の物語」→「祈りと花の終焉譚」に改めさせていただきます。
どうぞよろしくお願いします。