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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

月の上で赤いペチュニアを摘み取る

作者: かぬりす

初短編、ポストアポカリプス系となっております!

 暑い。


 拠点を出て5分しか経っていないにも関わらず、体からは滝のように汗が噴き出ている。

 まあ、暑いのは7月下旬だから当然だ。


 さらに結菜ゆいなの着ている分厚い防護服がその暑さを助長させているのは最早疑いようがなかった。


 だが、この状況で防護服を脱ぐ訳にもいかない。

 防護服を脱げばたちまち残留放射線などで被曝してしまう。そうしたら最終的に待っているのは死だ。



 暑さを我慢しながらザクザクと音を立てながら結菜は灰で覆われた地面の上を歩く。


 この灰は核の炎の残滓である放射性下降物—いわゆる“死の灰”と富士山の火山灰が入り混じった物だ。


 そんな結菜の付けている放射能マスクに映る景色は、延々と続く灰で覆われた白い台地に所々に黒く焼け焦げた建築物があるだけの、昭和の白黒写真を彷彿させる物だった。


 そしてその白と黒だけの大地とは対照的に、目に染みるほどに澄み切った青を空は映し出していた。



 早く食料を調達しにいかなければ。そう思い、結菜は足を早めた。



     ◇      ◇      ◇  



 2025年6月23日、ウクライナに侵攻していたロシアは遂に核兵器を使用した。

 そこにアメリカやヨーロッパ諸国、中国や北朝鮮も参戦し、恐れられていた「第3次世界大戦」へと発展した。


 アメリカ等からの声もあったのだろう。

 日本政府は超法規的措置を取り、戦争に参加した。いや、参加‘させられた’のだ。



 だが、第3次世界大戦はそれほど長くは続くことはなかった。

 なぜなら各国が核兵器を使用したため、すぐに戦闘継続が困難なほどの壊滅的な被害を受けたためだ。


 戦争に参加した日本国土にも実に20以上以上の核兵器が投下された。

 アメリカやロシアなどとは比にもならないが。


 世界の大半が核の炎によって焦土と化し、世界人口は数千万人にまで減少した。




 そこで終われば良かった。





 だが、核の炎からなんとか生き延びた者達に神々は慈悲をくださらなかった。




 7月5日、巨大地震が全世界を襲ったのだ。巨大津波が発生、さらに巨大地震に誘発されたあらゆる山々が一斉に火を噴いた。


 火山周辺は火砕流や火山灰に、海抜30m地点以下は海に呑まれた。

 火山周辺は噴火で、海抜30m以下は海面上昇や地盤沈下が原因だった。



 その地震や津波、噴火によってただでさえ少なくなっていた人類の殆どが死んだのは言うまでもない。





 驚くほど一瞬で、そして呆気なく人類史は壊滅したのだった。



     ◇      ◇      ◇  


 食料調達場所である富士宮市まではまだ2時間ほどかかるだろう。


 道中にシェルターがあればいいが恐らくないだろうな、と結菜は思う。


 シェルターは市役所など重要施設の下以外には殆ど無いことを結菜は知っていた。



 シェルターはこういう有事の時のために政府が秘密裏に作っていたようで、市役所など重要施設の地下や近くにある。

 シェルター内には大量の食料品、生活用品などが備蓄してある。


 生き延びた人々は皆シェルターに逃げ込んだ。だが、その避難から1週間も経たない内に各地のシェルター内で殺し合いが起きた。

 ただでさえ少ない消耗品を全員で使えば、あっという間に無くなってしまう。

 そのため消耗品を自分のものにして少しでも長く生き延びようと、他人を排除する作戦に出る輩が多かったのだ。


 かくいう結菜もこれまでに3人殺している。結菜も6月までは普通の女子高生だったのにも関わらずだ。


 だが、殺人をしても罪の意識に苛まれることは無かった。

 これは結菜がサイコパスだからではない。この異常な状況下で精神が麻痺しているのだ。


 密閉されたシェルター内で突如として起きた生き残るための殺し合い。殺さなければ自分が殺される状況だ。

 こんな状況で精神を正常に保つのは不可能に等しい。





 とりあえず急ごう、と結菜は思った。道中にシェルターがなかった場合、モタモタしていると熱中症で倒れてしまう。







 ——2時間後。


 意識が朦朧としかけていた。

 目に映る景色はぼやけて中々像を結ぼうとしない。


 典型的な熱中症だった。



 だが、この辺りにシェルターがあるはずだ。

 その希望を頼りに結菜は重い足を懸命に前に蹴り出した。



 その時、結菜の脳がシェルターへの入り口と思われる建物が灰の上にポツンと立っているのを認識した。

 やっと着いたのだ。



 暑い。

 水が飲みたい。

 疲れた。

 休みたい。


 そんな欲求を抑えながら結菜は入り口の扉を開けた。

 階段が地下へと続いている。結菜は階段を降り始めた。

 僅かにひんやりとしていて涼しかった。


 その僅かな冷気が猛暑の中を歩き続けてきた体を癒してくれた。


 結菜は階段を降りながら防護服のポケットから拳銃を取り出した。

 戦時下だったのだ。拳銃くらい普通に出回っていた。


 階段を降りると扉があった。


 拳銃を構えふうっ、と深呼吸をしてから結菜は扉を勢いよく開いた。


 普通の家となんら変わりのない部屋だった。だが、最初からこうはなっていない筈だから居住者が改装したのだろう。


 普通の家と違う所はその広さだ。何十人が生活することを想定していたためとても広い。



 扉を開ける音に反応したのかソファに座っていた30代ほどの男がビクッと震わせ立ち上がった。

 そして結菜の方をみて踵を返し、逃げ出そうとした。

 結菜の手に拳銃が握られていることに気づいたからだろう。


 男に狙いを定めた。

 躊躇わず指に力を込める。



 パンッと乾いた音が室内に響き渡った。


 発射の反動で手が痺れる。




 弾丸は見事命中し、狙った男の胸を紅く染め上げる。


 その赤に結菜は目を奪われた。

 白と黒と青の世界を歩き続けた彼女の目に赤は新鮮に映った。


 その鮮やかな赤を見て、結菜は高校で自分が美術部だったのを思い出していた。

 人を撃った直後なのにも関わらず。



 撃たれた男は呻き声を上げる暇もなく地面に倒れ伏した。

 だが、結菜はその男の事よりも、自分が美術部だった事を忘れていたという事実に戸惑っていた。


 なんで忘れていたのだろう。

 私の夢だったじゃないか。

 画家になって絵を描いて暮らすというのが。


 別に儲からなくたっていい。

 好きな絵を描いて、見てくれた人が笑顔にできればそれでよかった。


 こんな細やかな夢でさえもこの世界では叶わないのか。



 今私が握っているのは人を笑顔にさせる絵を描く筆ではない。

 その笑顔を奪うための鉄細工だ。






 そう思いながら結菜は少しばかり呆然としていた。汗の不快感や喉の渇きすらも忘れて。



 だが、今そんな事を考えていても仕方がない。

 今は生きるのに精一杯なのだ。




 忘れろ。少なくともこの状況が続いているうちは夢なんて骨董品でしかない。


 結菜は自分にそう言い聞かせた。




 そして暑さや喉の渇きを思い出し、結菜は放射能マスクを取り、防護服を脱いだ。


 クーラーでよく冷えた室内が気持ちいい。

 シェルター内に電力が生きているのは外にソーラーパネルが設置されているからだ。


 結菜はキッチンに行き、冷蔵庫を開けた。

 そして天然水のペットボトルを取り出し、口に含む。

 ごくりごくり、と喉を冷たい水が通過していく感覚が気持ちよかった。


 気づけばペットボトルは空になっていた。

 結菜はペットボトルをゴミ箱に放り込んだ。


 そして先ほどまで男が座っていたソファに寝転んだ。


 30分ほどゴロゴロした後、結菜は男の死体が邪魔だな、と思った。

 彼女は防護服と放射能マスクを装着し、男の死体を引き摺る。


 3分ほどかけ男の死体を階段の上まで運んだ結菜は男の死体を担ぎ、灰の上に放り投げる。


 ボフッという音と共に男の死体は灰に塗れた。

 白い灰が少しずつ赤く染まっていく。


 結菜はパンパンと手を叩きながら再び室内——これからの拠点である富士宮市役所のシェルターに入るのだった。





 結菜は冷凍庫からチョコミントのアイスを取り出した。

 殺人、そして死体遺棄をした直後だが、そんな事を気にするのは時間の無駄だ。


 そしてソファに座って蓋を開け、中身をスプーンで掬い、口に含んだ。


 ミントの爽やかな香りが鼻にこびりついた錆びた鉄の匂いを引き剥がしてくれた。

 そしてチョコの甘みが舌を包み込んだ。



 美味しい。



 そう思いながら結菜は5分もしない内にカップを空にした。



 ほっと一息ついたとき、結菜に強烈な睡魔が襲いかかった。

 肉体の疲労によるものだろう。


 今日もよく歩いたからな。



 結菜はその睡魔に身を委ねた。



     ◇      ◇      ◇      ◇




 瞼を開ける。

 蛍光灯の光が眩しい。


 結菜は体を起こし、部屋の中を歩き回る。

 なんかしら見つけられるのではないか、と期待しての行動だった。

 そして風呂を見つけることができた。


 結菜は迷った。風呂に入ってもいいが、水は有限だ。

 だが、汗でベタつくこの体を一刻も早く洗いたい、という欲に負け、結菜は風呂を沸かした。




 ——5分後、ピンピロリロリンという音と共に機械音声が風呂の湧き上がりを告げた。


 結菜は服を脱ぎ、浴室に入った。

 服も洗おうと思ったから服も手に抱えて。


 シャワーを使おうかと思ったが、流石に水が勿体無い。仕方なく結菜は桶を使ってバスタブの中の水を体にかけた。


 暖かいお湯によって体の汚れが流れていくような気がした。

 体や服を石鹸で洗った結菜は風呂に浸かった。


 これまでの疲労がたちどころに抜けていく感覚がある。

 勿論それは錯覚だろうが、結菜は風呂に入れることのありがたさを改めて実感した。



 風呂を上がった結菜は服を洗ったため、着る物がないことに気づいた。

 誰も居ないからといって裸で過ごすことには流石に抵抗があったし、洗ったばかりのびしょ濡れの服を着るのも嫌だった。


 結菜は箪笥を開け、先住人の男の服を着ることにした。


 着てみると男物でサイズも大きいためブカブカだったが、無いよりはマシだと自分に言い聞かせることにしよう。


 結菜は浴室から自分の服を取ってきて洗濯バサミで物干し竿に干した。



 結菜は壁に掛けられた時計を見た。7時30分過ぎだった。

 このシェルターに着いたのは昼頃だったから、どうやら5〜6時間眠っていたらしい。



 そろそろ夕飯にしよう、と思った結菜はキッチンに行き、戸棚を開ける。


 戸棚の中にはカップラーメンやアルファ米のご飯などが備蓄してあった。



 結菜は醤油味のカップラーメンを手に取った。今夜の夕飯はこれでいいか。


 結菜は薬缶の中に水を入れ、IHコンロにかけた。


 お湯を沸かしている最中、結菜はコンロがIHで助かった、と結菜は思っていた。


 ガスコンロだった場合、ガスボンベが無くなればそこで終わりだ。

 だが、IHなら電気さえあればどうにかなる。

 そして電気は太陽光発電だから尽きることはない。



 ピーッと甲高い音を上げ、薬缶がお湯ができた事を告げた。

 結菜はカップラーメンの容器にお湯を注ぎ、キッチンタイマーを3分にセットする。





 ジリリリリリリとキッチンタイマーが騒ぐ音が聞こえる。

 想像以上にうるさい。


 結菜は顔を顰めながらキッチンタイマーを止めた。


 結菜はカップラーメンの蓋を開けた。

 湯気が湧き上がる。


 箸を割り、カップラーメンを啜り始めた。

 熱いラーメンが疲れた体に染み渡る。


 うまいラーメンだった。


 結菜は汁まで飲み干し、カップを空にした。

 そしてカップと割り箸をゴミ箱に放り込む。


 結菜は布団を探すため、部屋の中の端という棚を手当たり次第に開けた。

 だが、布団が見つかる前の彼女の手は止まった。


 彼女の目に映ったのは真っ白なキャンバスとパレット、絵筆と絵の具だった。

 イーゼルも入っている。


 結菜は震える手でキャンバスを手に取った。


 キャンバスの懐かしい重みが手に伝わってきた。帆布の手触りも。匂いも。


 何日振りだろう。この感触は。



 今すぐに作品が描きたくなった。

 結菜は放り出してあった防護服と放射能マスクを装着し、キャンパスなどを抱えて外に出た。


 今までは夜に外に出ることなど無かったが。




 扉を開けると満天の星が煌めいていた。


 地面の白い灰と合わさり、さながら月の上のようだ。



 結菜は息をする事も忘れていた。

 あまりに綺麗で幻想的だったから。


 結菜は月の上をザクザクと歩き始めた。

 月の砂が舞う。それでさえ結菜の目を奪った。



 このまま飛んでいければいいのに。

 今苦しい事全部忘れてあの宇宙に浮かべればどんなに幸せだろう。




 結菜は足を止める。

 

 ここにしよう。


 月の上にイーゼルを立て、キャンバスをセットした。


 折りたたみ式の椅子に座り、パレットを広げる。


 この風景を描き上げるのだ。


 絵の具を混ぜ合わせ、結菜は筆でキャンバスに彩をつけようとした。

 だが、防護服の手袋のせいで上手く筆を操れないことに気づく。

 これでは絵が描けない。


 この景色を覚えてシェルター内で描く事も可能だが、そんなことはしたくなかった。

 この美しい景色に失礼だ。


 結菜は意を決して防護服を脱いだ。放射能マスクも外す。

 夜の空気は少しひんやりとしていて気持ちが良かった。


 こんな事をして取り返しがつかなくなる事くらい結菜も分かっていた。


 だが、ここで描かなければ画家としての結菜は死んだも同然だ。


 結菜は選んだのだ。

 画家としての自分を殺し、体を生かすか。

 体を殺し、画家としての自分を甦らせるか。


 その選択で結菜は後者を取ったのだ。



 今から私はあの鉄細工などではなく、筆を握るのだ。

 大好きな絵を描くために。

 骨董品の夢を叶えるために。

 もう邪魔はさせない。


 今から描くのは私の全てを賭けた最高傑作であり、最後の作品だ。


 深呼吸を1つしてから結菜は筆をキャンバスにつけた。そして滑らせる。

 帆布の上を筆が滑る感触でさえも懐かしい。


 思うがままに筆を滑らせた。


 3時間をかけ結菜は目の前の景色を見事に描き上げた。



 だが、結菜はその絵に若干の物足りなさを感じた。



 結菜は絵の真ん中に、いや月の上に赤いペチュニアを咲かせようと筆を滑らせる。


 赤いペチュニアは結菜が一番好きな花だ。家族で旅行に行った時のあのペチュニアの花畑が今でも忘れられない。可憐で可愛らしく、それでいて上品なその花は結菜の心を魅了したのだ。


 だが、結菜は半分描いた所でペチュニアを塗りつぶして消した。いや、摘み取ったと言った方が綺麗だろう。



 赤いペチュニアの花言葉は「決して諦めない」だ。

 人として生きるのを諦めた私にはとても合わない。



 物足りなくなんかない。これでいいのだ。



 結菜は絵の右下に小さく、「Yuina」と筆記体で書き記した。


 完成だ。

 これが私の最高傑作であり、遺作だ。


 その出来に結菜は満足して頷いた。

 頬を一筋の雫が伝う。

 堪えようとしたが、無理だった。

 目から涙が溢れる。




 結菜は防護服のポケットから拳銃を取り出し、自分のこめかみに当てた。



 死ぬのが怖くならないうちに。



 結菜は引き金を引いた。





 乾いた音と共に意識が弾け飛んだ。



 制御されなくなった体が月の上に倒れる。




 結菜の頭から滴る血が、月の上に赤い花を咲かせた。

 それは奇しくも赤いペチュニアのように見えた。



 そのペチュニアは“生きることを諦めた”結菜を嘲笑ったのか、“夢を最期まで諦めなかった”結菜を讃えたのか。





 その答えを知る者はいない。


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