6・死を目前にして開き直れるとは。
東京の都心にその会社は存在していた。
都下に在住のあたしには遠く感じたし、
人の多さに体力が削られた。
基本的にあたしは引きこもり体質だから、
人混みが苦手だし今は病気のせいで尚更だった。
そんな都会の高層ビルの一角にある出版社に到着し、
シックな会議室のドアをそっと開けた。
すると数名の目上らしき男性たちが着席していた。
木村くんに促されて空いている真ん中の席に座ると、
30代くらいのツーブロックヘアでオシャレな男性が開口した。
「僕は部長の冴川と申します。
先生から大切なご相談があるとお聞きしております。
どうぞお話しください。」
「あたしは冤罪ヒーローイサムーンを執筆している、
SEIこと天野聖と申します。
本名が聖だからペンネームをSEIにしました。
どうぞよろしくお願い致します。」
みんな忙しいだろうからダラダラせず、
挨拶をしてからすぐに本題を切り出した。
「ご相談内容ですが3つ程あります。
まず1つ目ですが…。
あたしは病気で多分もう長くありません。」
こう告げた瞬間室内はザワついて、
隣の席で木村くんがみるみる青ざめていくのが、
横目に見て取れた。
「けれど万に一つをかけて手術に挑戦し、
その後は薬物治療などをしようと思っています。
そのため入院が必要になるので、
2ヶ月程お休みを頂けないでしょうか?」
向かいの真ん中に着席している、
顎チョビヒゲで眼光の鋭い中年男性が答えた。
「編集長の殿村です。
確かにそれは大切なご相談ですね。
承知しました、手術と治療に専念してください。」
「ありがとうございます。
それから2つ目です。」
周囲からいくつか唾を飲み込む音が聞こえた。
「もしもあたしが死亡してしまうことを考えて、
医者から告げられている余命の期日までに、
冤罪ヒーローイサムーンを完結させようと思っております。
そうするとあと2年ちょっと程度になりますが。
運良く売り上げが伸びているので惜しいかもしれませんが、
産みの親のあたしとしては中途半端に終わらせたくありません。」
するとあたしの右隣りの席の薄毛でヒョロッとした男性が、
立ち上がって少し大きめの声を出した。
「主任の遠藤です。
それでは弟子を育てるのはどうでしょうか?」
その提案は想定内だったのですぐに応答した。
「弟子を育てる意思はありません。
もうすでに肉体的にキツイので、
臨時で雇っていたアシスタントを、
常勤にするつもりではいますが…。
もう育てたりする余力もありません。
そもそも漫画家は、
編集や出版社に言われたからではなく、
自分の自由意思で弟子入りを決めていいと思ってます。」
遠藤主任は小さくグゥと唸ってからガタンとイスに座った。
すると編集長が髭を指先で弄りながら口を動かした。
「分かりました。
先生の意思を尊重します。」
「そして最後の1つになりますが…。」
あたしは一度区切って深呼吸してから口を開いた。
「先日ファンレターを下さったファンに、
自立支援施設に入所中の8歳ほどの子供がいました。
この子に会いに行きたいと思うのですが。」
こう切り出すと先程の薄毛主任が、
またもや立ち上がって声を出した。
「それは、犯罪者ってことですよね!?
そんな人間に会ったりして問題になって、
ネットで炎上したり売り上げに響きでもしたら!」
これも想定内の懸念だったので即答した。
「その懸念はごもっともです。
出版社は本が売れてなんぼなのも承知しています。
けれどあたしは今の作品を描き始めてから決めていたんです。
もう自分の気持ちにウソはつかない、我慢しないと。
この作品で理不尽や固定概念、世間の常識を打ち破ると。
そして死を目前にしてさらに考えました。
後悔する生き方をしたくないと。
イサムーンのテーマは、
自分と他人を救うことです。
これは自分の信念でもあります。
あたしはこの少年に会って死ぬ前に信念に従い、
自分と他人を救いたいんです。
後悔しないためにこの想いを、
世間体などを考えて我慢したくないんです。」
これまで黙って聴いていた木村くんが、
手を上げて瞳をいっぱいの涙で潤ませながら、
唇を震わせてこう言った
「僕が一番先生の側にいて描く姿を見て来ました。
先生はなにがあっても諦めずに、
強い想いを心に抱きながらマンガに打ち込んでました。
だからSEI先生を尊敬していたし、
想いが叶うことを願ってました。
病気のことは知らなくて今知りましたが、
それなら尚更想いを実現させて欲しいです。
僕ができることは支援しますから。」
今度はオシャレ部長が顔を天井に向けたまま言った。
「僕も賛成ですね。
まぁ先生は外見をメディアに晒してませんし、
訪問しても分からないかとは思いますが。
念のため外には出ない様にして、
施設内で会うようにすれば大丈夫かとも思います。
もしなにかあったら言い訳でも考えましょうよ。」
「うん、そうだね。
なんとかするし、なんとかなる。
会うのも承認します。」
最後に編集長がその鋭い目尻を下げ破顔して答えた。
あたしは自分が死を目前にして開き直ったから、
関係者も開き直ったのかなと思った。
どうせ開き直るなら良い意味で開き直りたい。
後悔しないためにも自分の最善を尽くしたい。
己が変わると周りも変わるね。
さぁ、手術前に海斗くんに会いに行こうじゃないか。