1・それは理不尽や固定概念の感染による脳のバグなのか?。
「天野聖さん、
うちでは採用できません。」
目の前の黒服を着たオールバックの店長は、
イスに前のめりで座った状態で言い放った。
あたしは小さく、
「分かりました。」
と答えてソファを立ち、その店を後にした。
今日はキャバクラの面接を受けに来ているのだが、
軒並みどの店舗でも不採用だった。
その理由は、
「髪型がショートカットだから。」
である。
もちろん、
ウィッグは用意できますか?といった事を、
聞かれたりもしたが…。
あたしはそれを断った。
なぜなら自分を否定するみたいでイヤだったから。
そんな事をするくらいなら働く場所は、
キャバクラでなくてもよかった。
夜職を選んだのは単純に、
週末だけの短時間で稼げそうだと思ったからで、
こだわりなどは特になかった。
どうしてもという想いがある仕事なら、
きっともっと色々と考えただろう。
そんなあたしの本業は漫画家である。
10年程前の18歳の時から出版社に投稿し続け、
20歳の時にようやくデビューが決まった。
最初に読み切りを描き、
その後2つばかり連載作品を載せて貰えたが、
どちらもそれぞれ単行本3冊づつ分で終了してしまった。
デビューするまでも大変だったが、
こういった仕事はデビュー後も大変なのだと、
身を持って思い知った。
なので時々アルバイトをして生計を立てていたが、
最近体力が落ちて来て長時間働くのがキツイ。
ただでさえ一般的な職種が向いてない、
引きこもりタイプの人間で普通の労働はすごく疲れるのに。
その上今まで以上にスタミナが持たなくなっているのだ。
しかし無理をして疲労を解消できずにいると、
締め切りに間に合わすのが大変になる。
マンガの質が落ちることもある。
なのでできればバイトは短時間にしたかった。
あたしにはずっと前から、
描きたいジャンルのマンガがあるから、
まだこの先も続けて行きたいし。
辿り着いた駅前の広場にあるベンチに腰を下ろし、
ペットボトルの水をひと口飲んでから息を吐いた。
…そもそも世の中は理不尽だらけだ。
キャバクラが悪い訳では無いが、
あの感じには世間の男性の、
「女性はこうであらねばならない。」
という固定概念が見て取れた。
「髪はサラサラロングヘアが女らしい。」
「ショートのクセ毛はウケないからなんとかしろ。」
という概念である。
本能的なものなのか、
世間の常識の刷り込みなのかは分からないが。
ちなみに。
自分で言うのもなんだが、
あたしは顔立ちもスタイルも良い方だ。
周りからもそういう定評がある。
街を歩いていると時々、
モデルやタレントのスカウトを受けるくらいだ。
けれど髪だけはクセ毛で、
日本の良しとされる美しさとは違う。
そこで以前はロングヘアに縮毛矯正をかけていた。
その理由は、
「学校で先生に言われたから。」
と、
「父親に言われたから。」
だった。
学校では校則でパーマは禁止だからという理由だった。
しかしその時あたしは思った。
天然パーマは加工したものではないしむしろ、
縮毛矯正の方がパーマの一種なんじゃないかと。
父親からは女は女らしくしろという理由だった。
ショートは男勝りで印象が良くないとか。
しかしその時あたしは思った。
女性が社会で活躍する今の時代に、
その価値観はナンセンスなんじゃないかと。
そんな父は生真面目な公務員で、
ただ真面目なだけならいい事なのだが、
それを悪く拗らせた偏見の多い人間だった。
「〜であらねばならない。」
が口グセで、
本人のヘアスタイルも七三分けだったし、
黒縁メガネのキチッとしたスーツスタイルが多かった。
そういう彼からするとあたしは出来損ないだったようで、
顔を合わせるたびに小言を言われていた。
どんな小言かと言えばこうである。
あたしはお小遣いはある程度貰えていたので時々、
気に入ったマンガの単行本を購入していた。
しかしそれをとても非難された。
「そんな下らない物ばかり読んでいたらバカになるぞ!」
「マンガなんか買って無駄遣いするな!」
と。
あたしはその都度思ったんだ。
マンガを読んでても頭が良い人はいるし、
なんなら高学歴の人も多々存在する。
漫画家だってそうだ。
某巨匠作家さんは医師免許を持ちながら、
マンガに情熱を注いだというし。
さらに加えて思う。
それは本当にあなたの価値観なのか?と。
昔の世間の常識が刷り込まれただけなのでは?と。
脳がアップデートを拒否しているのでは?と。
「あらねばならないウイルス」に感染したのでは、と。
あたしだって勉強してなかったわけじゃない。
勉強もしつつ息抜きで、
貰ったお小遣いの範囲内で買ったものだった。
大人だってお小遣いの範囲内で時々贅沢するじゃないか。
現に父もお小遣いを貯めてたまに旅行に行っていたし。
あたしはこういう世間の常識や理不尽がイヤになって、
我慢するのを止めると決めた。
だから高校卒業後に家を出て、
やりたかった事をやることにしたのだ。
やりたい事とはマンガを描くことだった。
最初は慣れないペン先に苦戦したり、
消しゴムかけが上手く出来なくて、
紙を破いたりした。
トーンが下手で何度もやり直ししたりしたが、
それすらも愛おしかった。
バイトをしながらで睡眠時間が減ってしまい、
クタクタで大変だったがそれでも充実していた。
そうこうして2年程経過した辺りでようやく、
投稿した作品が合格して雑誌掲載が決まったのだった。
しかしやりたい事にも理不尽や、
世間の常識とか固定概念がついて回ったのだった。