第九話 宝石の栗鼠①
カーヤは素早く辺りに視線をめぐらせた。
その表情はいつにも増して真剣で、抜き身の刃のような鋭さを醸し出している。
「先程からどうされたのです、カーヤ。落ち着きがないようですが」
「――いる気がする」
呟いてカーヤはすっと地面に片膝をついた。
尋常ではない様子にロナは口を噤んでカーヤを見守る。
不意に、視界の隅でなにかが動いた。
視線だけ向けると、教会と民家の間の路地におかれている木箱の陰から覗く小さな顔がある。
その額に輝く赤い宝石。
カーヤはこれでもないくらい目を大きく見開いて立ち上がった。
ふんわりとした狐の用な尾を膨らませ、長い耳をぴんと立てて全身で威嚇する、栗鼠のような小動物。それは滅多に見られる存在ではない。街中にいて良いものでもない。
近づこうと一歩踏み出すと、それはぶんぶんと尾を振った。
カーヤはぴたりと動きを止める。
足を引いても尾は止まらずカーヤは困り果てた顔で呟いた。
「どうしよう。他の人に見つかる前に保護したいところだけど……」
「カーヤ、あの子を保護すればいいのですね」
確認するように問いかけてきたロナに頷き返した。
すっとロナが前に出た。
「少々そこでお待ちください」
「あれ警戒と敵対行為だから下手に近づくと、保護できない」
「大丈夫ですわ。私、昔から小動物に好かれやすいんですの」
穏やかに微笑むロナに、カーヤはそれ以上何も言えず、ただ逃げるようなら無理に追いかけないように、と助言だけ行い見守ることにした。
木箱の前にロナが両膝をつく。
身体を屈めて、じっとしている姿しか見えない。様子は気になるが、下手に動いてあの子の警戒を煽ってしまうは避けたく、カーヤはそわそわしながら結果を待つ。
不意にロナが立ち上がった。
振り向いた彼女の手には幻獣がちょこんと座っている。
「……………………うらやましい……」
カーヤが近づこうとすれば、やはりその子は尻尾を揺らして警戒を露わにする。
敵対行動をとりたいわけではないので、カーヤは肩を落として諦めた。
「カーヤ、この子は幻獣、ですわよね」
「聖獣バンルーカクです。その子の額にある宝石を手に入れたものは富と名声を得ると言われています。見つかると面倒なので、服の中か鞄の中に隠してください」
ロナは表情を引き締めた。
「狭いですが、少し辛抱をお願いします。あなたを求める人の手に渡すわけにはいきませんから」
そう囁いて、服と服の合間に幻獣を隠す。
一見するとそこに幻獣がいるとはわからないため、カーヤは大丈夫という意味を込めて深く頷いた。
ロナとともに東門へ向けて歩き出す。
「言わなかったのは、信用ができないから、ですわね」
「敵と味方の判別がつかないからね。私たちの場合、この街に来て日が浅いから余計に」
同意するようにロナが頷いた。
言葉少なに東門へ辿り着いた。渋られたが、門番をする人たちが出入りする専用の出入り口から街の外へと案内され二人はひたすら歩みを進める。
「ここまでくれば大丈夫かしら。カーヤ、なぜこの子がいるとわかったのです?」
「勘です」
きっぱりと断言されてロナは困惑したように眦を下げた。
「あの場所、幻獣の気配がする気がしたんですよねぇ」
今にも踊り出しそうな足取りで、満面の笑みを絶やすことなくカーヤは言う。
勘をあなどるなかれ。それはロナとて理解している。
長らくその仕事に携わってきたからこそ分かる些細な違和感。他の人ならば見逃していたであろうささやかな違い。
カーヤのそれは第六感にも近しいものなのだろうが。
「ところでロナ、あの子大丈夫ですか? 大丈夫なら、セアナトのもとにつく前にちょっと囓られてみたいんですけど」
「あなたの毒牙にかけるわけにはまいりません」
カーヤのお願いをロナは素気なく一蹴した。
服の合間からぴょこっと顔を出したバンルーカクにカーヤはでろっと笑みを蕩けさせた。
「ちょっとでいいの、小指をちょっと囓るくらいでいいの、かぷっとしよう、かぷっと」
耳を立てているバンルーカクに差し出した手がぴしゃりとはたき落とされた。
「いい加減になさいまし。怯えている子を更に怖がらせるのではありません」
はたき落とされた手の甲を撫でながらカーヤはそれでもバンルーカクから目を離さない。
隠すように身体の向きを変えるロナにカーヤはくるくると彼女の周りを回った。
ロナの懐からするりとバンルーカクが飛び出した。
「あ」
カーヤから隠れるように、ロナの身体の陰に隠れた。
首の後ろに回ったバンルーカクの尾が見え隠れする。それを視線で追いかけながらカーヤは眉間にしわを寄せた。
今、ちょっと動きがおかしかった気がする。
「どうしたんですの、眉間にしわをよせ、ひゃっ!」
カーヤはロナの首に手を回すような形で、首の後ろに隠れるバンルーカクを両手で挟み込んだ。
手の中で小動物が身体を強ばらせる。
右手の中指から小指で胴体を支えるように、示指で頭の後ろを支え、親指を顎の下に添える。
そっとバンルーカクを回収したカーヤはじっとその小さな体躯を見下ろしてあ。
「カーヤ、離してあげてください」
窘めるロナに返答せず、カーヤはそっと手足に触れた。
右手。左手。右足。
そして左足に触れた瞬間、ぶわりと尾が膨れ上がった。
「きゅっ!」
抗議するように親指が噛まれた。
がじがじと噛まれている指から血が流れ落ちる。
「カーヤ! その子をお預かりします、手当てをしなくては」
「大丈夫だよ」
そのときになってロナは初めて気がついた。
念願のバンルーカクに囓られたという望みが叶ったにしては全く嬉しそうではない。
「ロナ、この子持ってて」
カーヤは口にするやいなやバンルーカクをロナに押しつけた。
背負っていた荷物を下ろしてカーヤは地面にしゃがみ込んだ。
身体を屈めて、草をかき分けて辺りをうろつく。
「何を探しているんですの」
「幻獣に効く薬草。ここはウトン地域とさほど気候は変わらないからあるはず」
カーヤは慎重に視線を滑らせた。
バンルーカクは左足を怪我している。捕まったときにのものか、どこからか逃げ出した時のものかはわからない。
それを放置するのは幻獣偏愛家としての名が廃る。
カーヤは地面に突き刺さったような茶色の棒を手折った。
ヒケイと呼ばれる植物だ。人が摂取すれば毒だが、幻獣にとっては解熱鎮痛の効能を持つ。
近くに落ちていた細い枯れ枝を拾い、カーヤはロナの元に戻った。
鞄の中から布を取り出して地面に敷く。その上にすり鉢を置いて、カーヤは詠唱も鳴く出した水の球でさっとすり鉢を洗った。
一度水を捨てて新しい水の球の中で先程採取したヒケイを丁寧に洗い、再び水を捨てる。ヒケイの外側を布の綺麗な面で丁寧に拭き取り、カーヤはそれを両手で持って大きく深呼吸をした。
「水の神よ、風の神よ、神々の御手に希い給うは、これより水を払い吹き飛ばす力、天日の三日なるものを神々に還し給う――乾燥」
「――え?」
ロナの呆けた声はカーヤの耳を素通りした。
ヒケイがみるみるうちにしなびていく。
手の中ですっかり乾燥したヒケイを片手に鞄の中から短剣を取り出した。
布の上に短剣を置き、膝で鞘を押さえてそっと引き抜く。
「え……、え、ちょっと待ってくださいカーヤ。今なにしたんですの?」
「乾燥させただけだよ」
カーヤは淡々と事実を述べて短剣でヒケイの皮を削った。
これができるようになるまで、かなり苦労したのを覚えている。干からびすぎてあるいは乾燥が足りなくて生薬として使えなかったり腐ったり、試行錯誤を重ねてきた結果だ。
それは学園に入学する前のことで、流石に初級魔法と比較すると無詠唱での行使はまだできないが、天日干しや煎るよりも早く乾燥させることができるため、とても重宝している。
「だけ、ではありません! 二属性の同時発動、いえこの場合は複合魔法でしょうか。そんな高等技術を使えるのはもちろん、新種の魔法の公表をしれいれば、わたくしに巻き込まれたとしても婚約破棄されることもなかったはずです!」
「前にも言ったけど、もともと出奔する予定だったので婚約はどうでもいいですねぇ」
話ながらもカーヤは手を止めることなくヒケイを細かく削っていく。
半分程の長さになったところで削るのをやめ、今度はすりこぎで削ったヒケイをすり潰し始めた。
「どうでも……」
「私が転移魔法を使えるようになったのはなんのためだと思います?」
「……ずっと、国のためだと思っておりましたわ」
ある意味においては正しい回答をするロナ。カーヤは作業を続けながら少し顔を上げて見せた。
「違います。転移魔法が使えたら、私が会いたいと望んでいる幻獣の元へ行けるのではないかと思ったからです」
今だからこそ納得できてしまう回答にロナは何も言えなかった。
「あとは、幻獣……特に聖獣を召喚しようだなんて馬鹿な研究をしている方々もいますが、会いたいなら自分から会いに行けば良いんです。なんで自分たちが会いたいのにわざわざ相手に来させるんですか。私なら用があるならお前らから来い、と蹴り返しますね」
「…………それは、確かにそうね」
「でしょう。使えたら、一瞬では飛べなくても近づけるかも知れない。そう思ったから使えるようになりたかった。それだけなんです」
荒さはあれど細かくなったヒケイの粉を脇に置いてカーヤは新たな器を出した。
そこに小麦粉と水を入れて、ぐちゃぐちゃと混ぜていく。ある程度固まったところで小指の爪くらいの生地をとり、カーヤは指で押し広げた。
そこへ先程すりつぶしたヒケイの粉を調薬用の匙ですくい取ってのせ、包む。
「ロナ、そのままその子を抑えててね」
「で、ですが」
「はいバンルーカクちゃん。左足、ひびが入ってるか折れるかしてるから、疼痛緩和してあげないと」
カーヤは小指の爪ほどに丸めた簡易丸薬をバンルーカクの口元に近づけた。