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第三話 鎮魂(たましずめ)の鳥①

 ロナの朝は早い。

 日の出の前に起きて身支度を調える。

 三十分ほど瞑想して体内の魔力を練り、それが終わったら街の外壁をぐるりと五周して宿に戻る。


 そのころにようやくカーヤが目を覚ます。

 起き上がるも座ったまま動かない彼女を急かして身だしなみを整える手伝いをする。

 そうでなければ、寝癖がついたままの髪で人前に出ようとするのだ。


 庶民はそこまで気にしないし、気にしても今日は寝癖がひどいね、そうだね、という会話にしかならないとカーヤは言うが、ロナからしてみれば、そんな不埒な姿を人前に晒すことの方が信じられない。


 現に、街中でみる他の人々は、一部を除き、しっかり身なりを整えている。


「はい、できましてよ」


 湿らせた髪を丁寧に梳いて時間を掛けて乾かし終えたロナは櫛を鞄に収め、日課を宣言した。

 どうしましょう、とぴょこんと跳ねた自分の髪を抑えて途方に暮れていた過去が懐かしいくらい、すっかり手慣れてしまった。


「いいとこのご令嬢様が人の世話を焼くのになれていらっしゃる」


 大きな欠伸を零して、眠たげな声で感心する相方の頬をロナは摘まんだ。


「あなたで慣れたんですの、あ・な・た・で」


 旅の途中で教えてもらったものの中には髪の梳かし方もあった。なんとなく知っていることではあったが、いつもはするりと抜ける櫛が髪に引っかかってしまい、狼狽したのは少し恥ずかしい思い出だ。

 それがきっかけであったが、やりかたを教えて貰って以降、毎日のように続けていれば慣れないわけがない。

 婚約破棄をされる前の自分に、未来の自分は他人に世話を焼くような生活をしていると伝えても、鼻で笑って一蹴するに違いない。

 それくらい信じられないことだが、生活するのになにもできなかった自分にあれこれ教えてくれた相方には感謝はしている。


「うん、ありがとう」


 気の抜けた顔でカーヤが笑う。

 その様子に、今日は大丈夫だと判断したロナは手を離す。


「おやすみなさい」


 待っていましたと言わんばかりに、速攻カーヤがベッドに横たわった。

 体を丸めて完全に寝る体勢に入った相方にロナはまなじりを釣り上げた。


「二度寝しないでください!」

「四度寝だからだいじょうぶ……」

「毎朝毎朝、貴方って人は……!」


 先程の感謝を返せなどと狭量なことは言わないが、その素直さを、起床することにも発揮して欲しい。

 ロナは再び夢の世界に旅立ちかけているカーヤの身体を両手で揺らした。


「起きてくださいませ! 街の中の魔獣を狩りに行くのでしょう。ぐずぐずしていては他の方にとられるのではありませんの?」

「魔獣!」


 かっと目を見開いて跳ね起きたカーヤにロナは深いため息を吐き出した。

 引っ張っても軽く叩いてみても布団から離れようとしないカーヤにのみ効果的な魔法の言葉には毎度助けられている。それがなかったら昼前までなかなか起きないのだ。


「ロナは体調大丈夫なの?」

「大丈夫ですわ」

「ロナの大丈夫はあてにならない」

「大丈夫ですわ。…………恐らく」


 すっと濃紺の瞳を横にずらした。

 この国に向かう行程は強行軍に等しかった。弱音の一つも吐かずについてきた彼女は、三ヶ月もの異動を終えて、カーヤの目的地の一つであったこの街についた途端、倒れた。


 疲労から倒れたところに風邪をひいてこじらせた。そこに拭いきれない精神的な疲労が身体症状として現れてくるという追い打ちによって、体調は本調子と言えない。らしい。


 よくわからないというのがロナの本音だ。

 体が重いのも頭が痛くなるのも、今までずっとそうだったから。それが違うというほうが信じられない。


 じっとりと不信の目を向けるカーヤを誤魔化すように、ロナは咳払いをした。


「二度も倒れるような醜態は晒しませんわ」

「まぁいいか。今日は街中の予定だし。でも無理はダメだからね」

「ご迷惑はおかけしませんわ」

「…………無理を無理とわかってない気もするけど、一応、信用するからね?」

「わかっています」


 信用をいただいているのだから、その無理というのをして迷惑をかけないためにも、彼女が指摘したことには一層気をつけなければ。

 言い当てられてぎくりとしつつ、何食わぬ顔でロナは頷いた。








 狩人(ハンター)ギルドで受注した一枚の依頼書を手に二人は街の中央にある噴水へ続く道を歩いていた。

 綺麗に舗装された街を、荷車を引いたヒグフォリポが横を追い越していく。

 それをにんまりと見つめたカーヤは、ふふん、と鼻歌を歌う。


「『一ヶ月前に家主が行方不明になった家から夜な夜な子どものような声が聞こえるため、調査及び解決を』。こういう依頼はよくあるのかし……よくあるの?」


 依頼者を手にしたロナがカーヤに尋ねた。


「うーん……それなりに、かな。家の騒音問題って、だいたいガルポタスイートだったりモラキーキやウブニーラが関わってることが多いけど、家主がいない家にはあまりいないはずなんだけどね。該当する子、他にいたかなぁ」

「モラキーキといいますと、カーヤを食べかけたあの……、……ひと言では言い表せない姿の魔獣のことですわよね」

「顔は狼、白鳥のようなくちばしがあって、胴体は熊、足が鶏ですね。尾は犬で、その長くふさふさした毛が可愛いんです」

「……食べられかけましたわよね?」

「はい。もう少し気付くのが遅かったら右足はなくなってましたねぇ」


 カーヤはにこにこと笑う。

 ロナが体調を崩して元気になった頃、カーヤもまた調子を崩してしまった。

 それで大事をとってカーヤも長めの休息をとっているときに襲われたのだ。


「笑いごとではないですのよ」

「モラキーキに食べられそうな経験はなかなかできませんから。食べられてしまったらもう二度と他の魔獣に食べられそうな経験ができないわけですし」

「なんでご自分が餌になる前提なんですの」


 もっともな苦言にカーヤは視線を上にあげた。

 鮮やかな青い空にもこもことした白い雲が点在し、薄い膜のような雲が鮮やかな青をわずかに霞ませている。


 カーヤは右手を目の前に掲げて、握りしめた。


「死にそうな時が一番、生きてる……というより、ここにいるっていう実感が得られるから」


 隣で息を呑む音が聞こえた。

 両親に狩人になったことは伝えてあるが、あえて死にかけるような真似を毎回していることは伝えていない。

 知っていたら狩人を続けることに反対しただろう。優しい人たちだ。どこか周りと違う自分を否定せず、そのまま受け入れてくれる、本当に寛大な人たちだからこそ、言葉通り自らの命で遊んでいる自分が誤って死なないように手を尽くす。


 カーヤは右手を下ろして、奇妙なものを見る目をしているロナに問いかけた。


「どうして、私は今ここで生きているのでしょう?」


 困った顔をして答えられないでいるロナに、カーヤはにぱっと笑った。


「なーんて、冗談ですよ冗談。そんな深刻そうな顔をしないでください」


 ぱたぱたと手を横に振るカーヤを、訝しげにロナが見つめる。


「本当に、冗談ですの?」

「やだなー、食べられかける経験なんてそれぞれ一回で十分です」

「それぞれって……魔獣の数ほど食べられかける予定ではありませんか、それ」

「あはははは」


 笑って誤魔化して、カーヤは軽く前に駆け出した。

 遠くに見える一軒家を指さして、ロナを振り返ったカーヤが叫ぶ。


「ロナ、きっとあそこですよ、蔦だらけのボロ家!」


 広場の噴水を右に曲がり、街の外れに向かった先に目的地はあった。

 崩れかけた屋根。煉瓦が欠けてひび割れている壁。その壁を這う蔦。庭だったものには雑草が生い茂り、人の腰の高さほどまである。

 ひと月前まで人が住んでいたとは思えないほどの荒れ果て具合だ。


「……趣あるご住まいですね」


 立ち止まって待っていたカーヤの横に並んだロナが渋い顔で言う。

 目にするのは初めてなのか、怖気づいているようようにも見えた。


「ここで待っててもいいよ」

「いえ、参ります。わがままを言ったのはわたくし、……ではなくて、私ですから。何事も経験です」

「わぁ、図太い」


 思わず口からこぼれ出た感想に、はっとカーヤは両手で口を覆った。

 だが、一度声に出してしまった言葉は戻らない。


「なにか文句がおありのようね、カーヤ」

「な、なんでもないよ! ごめんね、ついうっかりぽろっと思ったことが止めるより早く出ちゃっただけで、ただの素直な感想であって他意はないから!」


 ぶんぶんと手を横に振って否定するカーヤを睨むように見ていたロナは、やがてつん、とそっぽを向いた。


「いいですわ、そういうことにいたしましょう、今回は」


 含みたっぷりのお許しに乾いた笑いをこぼし、カーヤは首を縦に動かした。


「ありがとう。さ、着いたよ。どんな魔獣がいるのかなぁ」

「……本当に、食べられるようなことはしないでくださいね?」


 念を押すロナにカーヤは笑って誤魔化して、ギルド経由で管理者から預かった鍵で解錠した。




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