第二話 水辺の魔獣②
「約束ですから一ヶ月は頑張りますけれど、わたくし、狩人としてやっていけるのでしょうか……」
ノクティス歴一五三七年、シェデス国。聖獣たちが住まう国が存在するランテ平原に接する国の一つだ。
これ見よがしに故郷を出た二人は、そこ、ロヴォールの街で魔獣狩人として生計を立てることを目的としていた。
だが、初の魔獣狩りですっかり弱気になったらしい。ギルドに報告を終え、宿に戻ってきたロナは開口一番に告げた。
浮かない顔をしているロナを見ながらカーヤはベッドに腰を下ろす。
「スーデェストでも大差ないですよ。男爵家やうちみたいな貧乏子爵家とかでは、わりと身を立てる手段の一つです」
「……王都に籠もって幻獣避けの結界から出たことがない、ただの箱入りが狩人として身を立てようなど、やはり過ぎたこと」
「ロナ」
カーヤはいつになく強い口調でロナの言葉を遮り、咎めた。
「討伐対象と聞いて、即座に剣を抜いて前衛を務めようとしたでしょう。初めてでそこまで動けたのなら十分にすごいことです。自分で自分を貶めないでください」
「あの程度、できて当然のことです」
「当然じゃないです。あの騒動の時も思ったけど、ロナは怒っていいんだよ」
半年前。ロナ――ロザンナ=ツァイベルグは婚約者であった第一皇子フェリアン=ド=スーデェストに婚約を破棄された。
フェリアンがどこぞの男爵令嬢に熱を上げた。忠言耳に逆らうと言わんばかりにロザンナの忠告を二人は無視して、最終的にありもしない、なおかつ罪に対してあまりにも重い罰をロザンナに押しつけた。
「いいえ。完璧であれなかったわたくしが悪いのです。怒れ、というならば、カーヤこそ怒りなさい。あなたこそ、わたくしの罪に巻き込まれたのですから」
カーヤは首を横に振った。
ロナの言うとおり、婚約破棄騒動でカーヤはなぜかロナの取り巻きで在り実行犯としてつるし上げられ、カーヤもまた婚約を破棄された。雲上の方々に囲まれて小動物のように怯えた顔をしていた元友人との接触はなかったのにも関わらず、だ。
その方が皇子たちにとって都合が良かったんだろう。そしてそれはカーヤも同じだった。
「国外追放なんて合法的に国を出る理由をいただけて感謝感激です。ありがとうございます。冤罪は対価と思っていますので、怒る理由はないですねぇ」
「……故郷に、戻れませんのよ?」
表情はあまり動いていないが、その弱った声音は案じているからこそのものだとカーヤは知っている。
あの日、見ていられなくてロナの手を取って国外に出たのは間違いだったとは思わない。
「貴族子女が狩人をしている噂ってすぐ回るんですよね。おかげで婚約者からも野蛮と貶されいましたたし、社交界でも噂の的で家族にも迷惑を掛けていたので、婚約破棄万々歳です。家族とは、爵位を継ぐ弟も含めてしっかりと話し合ってきたので大丈夫です。――それに、戻れなくても手紙は出せますから」
「…………どうすれば、私もあなたのように、家族に愛されたのかしら」
カーヤはベッドに両手をついて天井を見上げた。
ロナの実家であるツァイベルグ公爵家について、カーヤは詳しくない。両親に連れられて社交パーティーには何度か顔を出したことはあるが、下級貴族である子爵家にとって、公爵家は雲の上の存在。
実しやかに流れる噂くらいしか知らず、その噂でさえカーヤは話半分にしか聞いていない。
とはいえ、半年もの間ロナと過ごせばわかることはある。
「ロナの実家と王家の期待に十年以上応え続けてきたロナに落ち度はないと私は思いますよ」
完璧でなければならない、そうでなければ認められない、認められなければ意味がない、自分に価値はない。
珍しく感情の滲んだ声で吐露したロナが泣いたのはつい先日のことだ。
完璧淑女と呼ばれていたロナの苦悩をカーヤはその時初めて知った。
あとどれだけ頑張れば立派な皇子妃として認めてもらえたの。父や母に褒めてもらえたの。
そう告げる悲痛な声を今もカーヤの耳に残っている。
愛する努力さえしないのだから愛されるはずもないだろうと、皇子は言った。期待に応えようとするのは愛とは違うのだろうか。
ロナが皇子妃に選ばれた理由は知らない。興味もない。
ただ、そう告げた皇子自身こそ、ロナを愛する努力をしていたのだろうか。
学園では図書室にこもりきりで幻獣図鑑を見て遊んでいたからその辺りのことはさっぱりわからないカーヤだ。
「愛する、愛されるってなんでしょうね」
カーヤは家族や使用人に愛されている。そうなのだろう、と理解はしている。
それでも、なにかが違う、自分の居場所ではない、と感じるのは自分がおかしいからだとカーヤは自覚していた。
それを口にしたことはないけれど、幼い頃からずっと抱え続けている。
「大切と何がどう違うんでしょう?」
「愛しているから大切にするのではないのですか? カーヤは違うと言うのです?」
「そもそも愛とはなんですか? 好きとなにが違うんです?」
その問いに対する答えはなかった。
カーヤも答えが欲しいわけではないので、問いを重ねることはしない。
「贅沢な悩みなんでしょうね。……ところでロナ、口調戻ってる」
その指摘にロナはすました顔をした。
「同じく口調が戻っていたカーヤに言われたくないわ」
そっけなく答えたロナはそこでようやくベッドに腰を下ろして一息をついた。
向かい合ったロナにカーヤは朗らかに笑う。
「出ちゃうんだからしかたない」
「……市井で生きるには平民になりきることも必要、と力説していたのはどこの誰だったかしら」
「あはははは。人目があるところでは気をつけるってことで。――狩人業は慣れだから一ヶ月もしたら、またなにかが変わってるはずだよ。幻獣さんかわいかったでしょ?」
カーヤは口元を緩めた。
ロナは居住まいを正して瞑目し、日課である体内で魔力を練り上げる訓練を始める。
「そう褒めそやした口で、魔獣を食すその神経は理解できませんわ」
通常、その訓練をしながら話すというのは至難の業であるが、幼い頃からそれを続けていたロナにとっては苦でもなんでもない。
カーヤは膝に肘をつく形で頬杖をついた。
「世界を見たいって言ったのロナだよ。旅をするなら狩人になるのが都合がいいんだよ。珍味ではあるけど、食事の足しになるの」
「……理屈としては理解しました。ですが、会いたい聖獣がいる、といいながら、同じ幻獣である魔獣を平然と食すのはやはり簡単に受け入れられそうもないです」
「じゃあ食べられない魔獣ならいい?」
ロナはわずかに眉根を寄せた。
瞼の下から現れた濃紺の双眸が緑青の瞳を射抜く。
「そういう問題でもないと思いますが……、……いえ、次はそれでお願いいたします」
「ちらっと見たけど、良さげなのが結構あったんだよね。街の中と外、どっちがいい?」
「……街中で。次はきちんと下調べをしますのでその時間もいただきます」
「私がロナに魔獣ツアーしたいからやだ。ロナの新鮮な反応が見たい。お試しの一ヶ月の間だけでいいから」
嬉々とした声音を隠しもせずカーヤに、ロナはそっと肩を落とした。
幻獣に関することには、かなり頑固であることはこの半年で学んでいる。狩人として活動する以上、相対する幻獣の知識は必須だが、かといって面白がるカーヤを説得する言葉をロナは持ち合わせていない。
言葉を尽くしても無駄、というのはすでに経験済みで、自分が折れるしかないのである。
「……今日のようなことはごめんです……ごめんよ」
「善処はする」
「とても不安しかない答えね」
胡散臭いものを見るロナの目からカーヤは視線を逸らしてベッドに転がった。
ロナに倣うように目を閉じて体の中にある魔力を動かす。
身体の内側からぽかぽかと暖かくなる感覚にカーヤは集中を途切れさせて大きなあくびをこぼす。
「今度はなんの魔獣に会えるかなぁ」
故郷であるスーデェスト皇国では、至る所に魔獣よけの結界が張り巡らされており、領地の端の方にある小さな街でしかカーヤも魔獣を見たことがない。あまり種類も多くなく、人に仇なすようなものでもなかったため、隣の男爵領によくお邪魔していたものだ。
まだまだ見たことのない幻獣はたくさんいる。
本当なら連日探しに行きたいところだが、今までの疲労――特に数年に渡る精神的な疲労はたかが半年で良くなるものでもない。
自分が動けば彼女は無理をおすため、しばらくは一日活動したら様子を見つつ二、三日休む、というサイクルで行動する予定だ。
それを楽しみに、意識は微睡みの底に沈んだ。