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第十七話 青い狼①

「カーヤ、カーヤ! 起きてくださいませ!」


 ロナは、青白い顔でうずくまるように横たわる相方の体を揺さぶる。

 それでもなんの反応もなく、カーヤの手首に手を添えた。

 微弱ながらに、指先が拍動を感知する。


「起きて……、しっかりなさいませ、カーヤ!」


 頬を叩いた。

 わずかながら眉間に皺が寄る。

 それでも相方が目を覚まさない。


 じぃっと目に力をこめてカーヤを観察したロナは大きく目を見開いた。

 床にぺたりと座り込んで呆然と呟く。


「本当に一体、なにをしましたの……?」


 今は意識のない相方から預かった遺体は、キオラモンに確認したところ確かに本人であった。だが、そうではない、と言わんばかりに興味は乏しかった。

 それについてはセアナトも珍しがりつつも、それならばと制止するまもなく遺体を灰燼へと変えた。


 風の神シナツを祀る地域では、燃やした上にさらに粉骨しする。そしてその灰と砕いた骨を風に乗せて蒔くのだ。近くに崖があるならば、崖から散骨するのが伝統である。

 燃えた灰を適当に撒けば良い、と、一応仮にも曲がりなりにも、神の使徒と呼ばれる

幻獣による雑な助言に総称思うところはあったものの、ロナはその灰を手持ちの袋へと納めた。


 その時に、奇妙な魔法の流れを感じて、顔を覗かせてみたらカーヤが倒れていた、というわけである。


 ――俺のもつ魔法を使いたいという娘の意志だ。


 奇妙な魔法の気配。そしてグゥの発言。幻獣が使用する魔法は、人間が一般的に使用しているそれとは系統が異なると言われている。

 それをカーヤは行使したということなのだろう。本来、人間が使うべきではない魔法を行使したがための反動だろうか。だから、魔力が文字通り空っぽなのだろうか。


「と、とにかく、上に連れて行かなければ……」

『なんだ、戻ってこぬと思ったら、その娘、魔力をからにするなど死にたいのか』

「セアナト様」


 ロナは困り果てた顔でまなじりを下げた。


 魔力の総量に対し、消費量が三割を超えたあたりで倦怠感を近くする。

 五割も消費すれば眠気を覚え、八割では意識が朦朧とし、十割使用で失神する。


 それでも魔力を酷使するような状態であれば命に関わる。

 どのような魔法か不明であるが、空っぽになってもなお魔力を搾り取ろうとしているかのように彼女にまとわりつく魔法の痕跡からして、カーヤの状態は良くないと言えた。


 セアナトは虫の息で横たわる小娘を見下ろして、たしん、と尾で床を叩いた。


『己が命をなんたると心得ておるのだこの小娘は』


 そうは言いながらもセアナトはグゥの企みの内容は知らないにしても、この娘が死のうがなにしようが構わない、という思いを抱くのも十分に理解できた。

 腹を痛めて産んだ子どもたちは無事だと、風に乗せられたクタハクの思念が伝わってきた。無事であることに安堵したが、だからと言って我が子を拐かしたことを見ずに流せるかと言われたら、そうはいかない。


 いわんや、知り合いが命を落とした者ならば、等しく人間という存在を嫌ってもおかしくはない。

 人間は人間の中にも良し悪しがあるというが、そんな瑣末なことを場末の幻獣には関係ない。図々しくも幻獣の生息地に入り込み、我が物顔で振る舞う人間とそれを止めようとせぬ人間。気づきもしない人間。気づいていても見て見ぬ振りをする人間。

 みな等しく愚物である。愚物がなにを言ったとて愚挙でしかない。そんなものに耳を貸すのは幻獣の中でも変わり者くらいだ。


 そしてセアナトは、どちらかと言えば変わり者に近い部類に位置する。

 そうでなければ森に捨てられているあえかな命――人間の子どもでも拾って育てるような真似はしない。


 そういう意味でも、命の扱いについては厳しいセアナトに、小娘の態度や言動は相容れぬものである。

 だが、こうして粗雑にしているところを目の当たりにするのも非常に癪である。

 胸中に沸き起こる怒りを、たしん、たしん、と何度も尾を床に打ちつけることで体現していた。


 発せられる怒気に我に返ったロナは、カーヤの左腕を首に回して立ちあがろうとしたが、支えきれずにぷるぷると際を震わせる。

 意識を失っている人間を抱えようとすれば、全体重がかかる。

 背負おうにも、やはりまともに立ち上がれず、ロナはあえなく膝と両手を地面についた。


 こうなったら、多少の怪我は大目に見てもらうとして、引きずるしか。


「ひゃあっ!?」


 脇から背中にかけて当たったものに飛び上がり、そこに当たる温かいものはなに、と勢いよく首を巡らせた。

 セアナトが無言でロナとカーヤの間に顔をねじ込む。そのまま背中にカーヤを乗せてすっと立ち上がった。


()くぞ』


 いまだに残るくすぐったさにロナは脇を撫でる。

 あたりを見渡して、そっと両手で顔を覆った。


「……大丈夫ですわ、誰にも聞かれてませんもの。乙女の尊厳は無事と申し上げれば無事なのです……!」






 教会のベッドに横たわるカーヤの傍でロナはただ俯いていた。

 診てもらった結果、やはり魔力枯渇状態だと診断が下された。

 対症療法※として魔力を分け与えてみたり、魔力を回復させる回復液を口に含ませてみたりするが、一向に改善しなかった。


 ――手を尽くして改善しない以上、早ければ明け方には風が命を運ぶだろう。


 できることはなく、ただ時を待てという非情な宣告を拝礼堂で医師から受けて以降、記憶はない。

 ぼんやりと眠るような相方を眺めていたロナは、不意にぽつりとこぼした。


「……約束、したではありませんか」


 弱々しい声が静寂に落ちる。

 一ヶ月、狩人として共にすると。

 数日前にそんな話をしたばかりですのに、貴方からそう提案をなさったのに。


「こんな形で早々に破られようとは思っていませんでしたわ。……わたくしにさまざまな幻獣を見せてくれるのではなかったのですか」


 確かに今回、名も知らぬ幻獣を、珍しいと言われているらしい貴重な幻獣を見ることはできた。

 ただ、彼女は決して、こんな事件に巻き込まれて


 ロナは顔を上げて窓の外を見る。

 視界が悪くなるほど激しく降り注いだ雨は上がり空はすっかり晴れて、星々が煌めいている。


 いびきのような鳴き声もない静かな夜だ。

 ひとつ違うのは、まるで行く末を見届けるように、窓の端から青い鬣が見えること。

 特段なにをするわけでもなく、部屋を覗くわけでもなく、ただそこにじっといる。


 ベッドと薬品棚が置かれているだけの質素な救護室を見渡して、ロナは視線をカーヤに戻した。


 先ほどよりも、呼吸が浅く、そして遅くなっている。

 もう、幾許(いくばく)もないのだろう。


 ざわめく心に何かを叫びたくて、けれども長年培ってきた感情制御ゆえに、言葉にできない


 そっと、腕一つ分ほどの布団をめり、ロナは血の気のないその手に触れた。

 布団に入っていたにも関わらず、ぞっとするほどの冷たさに一瞬手を引っ込める。


 ロナは胸の前で手を握りしめ、意を決した顔で再び手を伸ばした。


 氷のような冷たさに自分までも凍えそうになる。そんな錯覚に囚われながら、ロナは両手で彼女の右手を握る。


「どうか、目を覚ましてくださいませ……っ」


 あり得ないとはわかっていても、祈らずにはいられない。奇跡を望まずにはいられない。


「わたくしにはわからない生き方を望む貴方を、学園では見なかった顔で楽しそうに生きる貴方を見て、わたくしは貴方のように生きられるのならば生きてみたいと思ったのです」


 次期王子妃という定められた生き方を否定された直後は本当になにをしていいのかわからなかった。

 もともと出奔予定だったと笑顔で告げた彼女とは異なり、ロナには王子妃としての生き方以外なにもなかった。

 幼い頃から厳しく言いつけられていたことさえ成せなかった無能は、事故が病気で表舞台を去らねばならない。それについても何度もいい含められていたため、自分のような無能は人の世から消えるのが正解とさえ、初めは思っていた。


 そんなロナに、無能なら無能なりに世界を楽しんでから死にましょう、とあれこれと世話を焼き、今まで知らなかった世界へと引っ張り出してくれたのがカーヤだ。


 ロナ一人ではなしえなかった、ましてや今ここでこうして生きていられるのもカーヤのおかげだ。


 そんな相方を失うのは、ロナを導いてくれた灯火を失うと同義。平民として過ごすためにまだまだ教えてもらわなければならないことがあるのに、手探りで進むしかなくなる。


「……カーヤ。わたくしは、己がこんなにも弱い存在だと初めて知りましたわ。……生き方の選択肢がこんなにも多いこと、多すぎてどうしたらいいかわからないこと……それが、とても恐ろしいのです」


 頬を滑り落ちた雫がロナの手の甲を濡らす。


「国を背負う重積より、わたくし自身の人生の責を負うほうがよほど恐ろしいなんて、思いもしませんでしたわ」


 国を背負うならば、国の利益となる手段を取ればいい。犠牲が必要なこともある。当時は淡々とそう思っていた。

 けれども、一個人として生きるとなった途端、“よりよく”するにも、どうすればいいのか答えが見えなくなった。

 国をよりよく、というならば、やはり国民の生活の維持、国外との関係性の中で国として成り立たせることなど、明確な指針があった。


 だが、ロナ自身にはそんなものはない。いや、あるのかもしれないがわからない。

 そんななかで、どうやって正解を見つけ出せばいいのだろう。どう生きればいいのだろう。


 声もなく肩を振るわせるロナの耳に、くきゅ、と鳴く音が聞こえた。

 音がした方向に向けると、窓の外にバンルーカクがいた。その足元に見える白い毛並みはセアナトの頭だろうか。ちょん、とお行儀よく座っている。

 流れ落ちる涙をハンカチーフで拭き取り、ロナは腰を浮かせた。

 窓を開けて、目線の高さに顔を上げたセアナトに頭を下げる。顔を上げたロナの頭にバンルーカクがぴょんと飛び移った。


「まだ戻っていなかったのですね。他の幻獣たちと戻られたと思っておりましたわ」

「きゅ……きゅう、


 バンルーカクがロナの頬を舐めた。

 慰めるように涙の跡を舐めて、頭を擦り付けてくる幻獣にロナは嗚咽を飲み込んだ。


 カーヤと別れ、街に戻って見た光景は悲惨なものだった。半壊した建物。その下敷きになり動かない人。路上に血を流して倒れる人の中には、あらぬ方向に腕や足が曲がっているものもいた。

 子どもが動かぬ親を前にわんわんと泣いて、無事だった者が互いを慰める声が、救助を促す声が、入り乱れていた。


 その光景に恐れをなしたのか、ロナの肩に乗っていたバンルーカクはセアナトへと飛び移り、その毛に隠れてしまった。以降、ずっと隠れて出てこなくて。どこかのタイミングで仲間の元に帰ったのだろうと思っていたが、予想外のことに感情が大きく揺らぐ。


 ロナは震えながら深呼吸をして心を落ち着かせ、バンルーカクに小さく微笑みかけた。


「ありがとう。……わたくしは大丈夫だから、貴方は戻りなさい」


 両手で包むようにして捕まえたバンルーカクをセアナトに差し出した。

 再び頭を下ろしたセアナトの頭にそっと解放して、ロナは背中を向けた。


 先ほどよりもさらに呼吸が遅くなり、喘ぐようにぱくぱくと口が動く。


 ――不意に、カーヤの額に不思議な紋様が浮かびあがった。


「なんですの!?」


 驚いたロナの声を掻き消すように、室内だというのに風が吹き荒れ、濃密な魔力が室内を満たす。


 突如として発生した魔力の風は、やはり唐突にぴたりと止む。


「……なんでしたの、いまの……、……カーヤ!」


 呆然としていたロナは、風の発生源であるカーヤを覗き見て絶句した。


 呼吸が戻っている。土気色だった顔色も赤みを帯びて血色が戻っている。


 もう大丈夫。

 そう思える状態に、安堵のあまり崩れるように椅子に座り込んだ。

 緊張を解いて


「カーヤ!」


 知らない男性の声がした。扉が開く音もなく誰かがいるという事実にロナは警戒心を引き上げて武器を片手に扉を振り返る。


 揺らめくランタンの光に照らし出されているのは、黒髪の男だ。

 髪と同じ、漆黒の瞳と視線が交わる。


「貴方、どちらさま……っ」


 誰何の途中で襲いくる急激な眠気に抗うまもなく、ロナは意識を落とした。





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