第十四話 四つ目の梟②
「もしもーし、潜んでる幻獣の皆様方ー。姿見せなくて良いので奴らの秘密の入り口があるなら目印にベルーマリの実を落としていただけません? あ、だめです? そうですよねぇ、怪しさ満点な人間相手にそこまで協力したくはないですよねぇ、どうしよう」
ベルーマリの実というのは、ランテ平原に自生する樹木の実だ。黒紫色になるまで熟した実はそのままでも食べられるし、ジャムに加工して食べることもある。まだ熟していない若い実で果実酒を作る地域もあるらしい。
なにより、不得手とする幻獣はいないと言われているほど、幻獣から好まれている実だ。
ランテ平原にしか自生していないため、他地域でおびき寄せるには格好の餌になるため、輸出規制が厳しい品の一つである。
閑話休題。
独り言を呟いてカーヤは街を軽く見上げた。
先ほどまで晴れていた空はどんよりと曇り、今にも雨が降り出しそうだ。
湿度が高くなっているのか肌がじっとりと汗ばむ。肌に張り付いた髪を払って、カーヤはぴたりと足を留めた。
森が途切れた先、目の前を横断するように道が延びている。ロヴォールの街の東門通りについたようだ。
草木に隠れてカーヤはそっと顔を覗かせた。
東門の物見櫓には周囲を警戒する兵士の姿が見える。
「遠回りするのは時間がもったいないけど、悩んでる時間ももったいないんだよね」
東門から離れようと身を屈めたカーヤの肩に、ぽつりと雫が落ちてきた。
ぱらぱらと雨が葉の傘を叩き、東門通りの地面がまだらに色を変え、瞬く間に水に濡れる。
「水神よ、その御手に希い給うは、一張りの水守り――結界・天幕」
詠唱直後、身体の周りを水の膜が覆った。
叩きつけるような猛雨を結界が吸収していく。
雨から逃れるように結界の中に入ってきたグゥが再び肩に留まった。
現金な幻獣である。
短時間で濡れた羽を払ったグゥが怒りを隠しもしない声で呻いた。
『ばかどもめ。腹をくくるには早いというのに』
忌々しい、と言った目で街を睨むグゥ。
雨はこの僅かな時間で視界を白く塗りつぶすほど激しく叩きつける。
十歩程度先しか見えない道をまっすぐに渡り、再び森の中に姿を隠した。
良くも悪くも急がなければならない。
グゥの言葉から察するにこの雨は幻獣によるものだ。グゥが旱魃をもたらすなら、雨を呼んだ幻獣は恐らく洪水をもたらすもの。他にも火事や疫病を招くものも存在する。
災禍を招くには条件があるらしいことは把握していたが、どうやら腹をくくらねばならないほどのものらしい。
実行したら今後一切魔法を使えなくなる、あるいは命を対価とする。そんな強い制約を貸した魔法があるのかどうかはわからないが、人とは異なる系譜である幻獣ならば、人にはない魔法を所有・行使できてもおかしくはない。
幻獣を欲する者がその知識をもし有していたら、悪用すれば街一つ、あるいは国一つ落とすことも簡単だ。
カーヤはぞっと背筋を震わせた。
「この雨を、止めることは可能ですか」
『……不可能だ』
それはつまり、魔法を実行したあとの結果ということだ。もたらされる災いが洪水ならば、それが起こるまで雨は止まらない。
加えて、この街の北方には山がある。土砂崩れが起きてもおかしくない。
また、洪水をもたらすもの次第では、街ではなく国ごと水に沈む可能性も否定できない。
雨足は衰えることなく街を襲う。
ぬかるんだ土に足を取られながら、カーヤは視界の悪い森の中を進む。
当てはないが、少しでも前に進まなければと気が急く。
「たとえばですが。この雨が洪水をもたらすための魔法なら旱魃をもたらす魔法で相殺することは可能ですか」
『――理論上は。幻獣を好きだとうそぶくその口で、お前たち人間に災禍をもたらす幻獣に死ねと望めば良い』
嘲笑を隠しもしないグゥをカーヤは鼻で笑った。
まともに話そうと思えば話せるにもかかわらず、おかしな語尾をつけておちょくり人の怒りを買おうとしているのは理解していた。
嫌われていることも自覚している。
だが、それはそれ、これはこれ。
「魔法を相殺した場合、この魔法を実行した幻獣はどうなりますか」
『…………対価はすでに確定している。結果は変わらない』
挑発に乗らないことが不満なのか、ふて腐れたようにグゥが顔を逸らす。それでも問いに対してしっかり返答するあたり、律儀な幻獣だ。
「なるほど。あなたが旱魃を起こすために使う魔法を私が使うことは可能ですか」
『――馬鹿か?』
「至極真面目ですが? だってこれ、あれじゃないですか、攫った人間が悪いのに、洪水を起こしたって事で悪くもない幻獣の悪名が轟くわけでしょう。理不尽が過ぎる」
直接的に関係のない大多数な人間が巻き込まれて命を危ぶまれるわけだから、人間の視点で言えば洪水を引き起こした幻獣が悪い。
だれも、洪水を引き起こすきっかけになった理由なんて気にしない。耳にしたところで、でも周りを巻き込むのはやり過ぎだと不平を言う。
幻獣にしてみれば、さらったのは人間だと言うのに都合のいいことである。
人が幻獣と大きくかかっているように、その逆もまた然り。それを自覚しない者、分かりあう気もさらさらない者との議論はただの時間の無駄だ。
「そういえばこの魔法、私の認識が間違っていなければ災害を招く範囲には種族差がありますが、そこは対価とするものの差ですか? 魔力の総量によって決定づけられていたりします? 使用する魔力量と範囲の指定は可能、――」
矢継ぎ早に質問を重ねたところで、ふとカーヤは足を留めた。
激しい雨の音に紛れて、低く、獣の唸るような声が聞こえた気がする。
咄嗟に周囲を確認するが、もともと隠れて姿を見せないうえ、今は視界も悪い。見つけ出せるわけがなかった。
「そりゃそうよね、幻獣立ちにもこの視界不良は絶好の機会。それは幻獣売買に手を貸している人にとっても同じ。んー…………、私ならこの雨で視界不良なら多少の危険は承知で動くかな。ただ問題は街の門を強行突破するのか、隠しルートがあるのかという点」
しばらく首を傾けていたカーヤはうん、と一つ頷いた。
「幻獣さんたちが動いてないような気がするから隠しルート説でいこう」
意気揚々と歩みを再開したカーヤの肩でグゥがぼそりと呟く。
『この雨の中なら、幻獣同士でも気配わかんねぇものなんだけどな』
「それはいいこと聞いた。幻獣への愛が雨に勝ったんだね!」
『人間の言う“頭お花畑”以上にやべぇぞこいつ』
「――幻獣様に褒められた……っ!」
ぐっと両手で拳を握ったカーヤに驚いてグゥは飛び上がる。
羽ばたきに我に返ったカーヤがへらりと笑って謝罪する。
「ごめん、驚かせたね」
『………………………………おい、クタハク。いるんだろ。こいつ、褒めてもねえのに、なにを喜んでんのか全くんかんねぇんだけど』
カーヤは笑みを浮かべたまま凍りついた。
馬のような蹄で宙を蹴るようにして、白い闇から白い幻獣が悠々と姿を現す。
鹿のような体躯は人よりも大きい。龍のような凜々しい顔立ち。赤い瞳が理知的に一人と一匹を見つめる。側頭部からはそれぞれ一本ずつ角が伸び、口元からはひょろりと一本長い髭がゆらゆらと揺れていた。
『時折、一つのものに傾倒し偏愛する人間がいることは存知。だが、伴う感情をわしは説けぬ』
『クタハクの爺でも説明出来ないくらいこの人間は奇怪千万なのか。そりゃあ気味が悪くて仕方がねぇ』
『左様。感情が理解不能。感情の理解能わず』
ゆるりとクタハクが首を横に振った。
カーヤは、はっ、と短く息を吐き出して、自らの面を両手で覆い隠した。
「耳が溶ける頭が溶ける目の保養が過ぎて顔面が溶ける……っ!」
汚れることも厭わず地面に両膝を突いてカーヤは頭を垂れた。
クタハクは人間的括りでいうなら幻獣と呼ばれる。その存在は、ウリュやリンキと同じく、一生お目にかかることも難しい。だが、彼らが姿を見せる場所の、時の為政者が仁や徳のある政を敷く時に現れるという瑞獣でもある。
今回はそんなめでたい理由ではないことは百も承知だが、この短期間で滅多に会えない幻獣に会えた事実がカーヤの理性を溶かす。
一人歓喜に極まるカーヤを悍ましいものを見るような目でみながら、グゥはけっと悪態をついた。
『勝手に溶けろ。クタハク、この人間、頭も言動もおかしいが利用できるうちはする。で、おれっちたちに楯突くようなら諸共に干上がらせるってのはどうだ』
『――セアナより思念伝達は受けた。同意なり』
カーヤは完全に地面に蹲った。
「やばい、ベルーマリの実の粒一つ分でもお許し頂けた事実がもう、やばい、動悸がする」
軽く息も上がる。泥で汚れた手で胸を押さえて、何度も深呼吸を繰り返した。
やばい手が震える。怒濤のごとく突きつけられる至福に、これ以上は耐えられそうにない。
『…………言い得て妙なんだが、この人間が言うと癪だな』
止まり木がわりの人間を冷え冷えとした視線でグゥが見下ろす。
クタハクはグゥと地面に蹲る人間の間で何度か視線を往復させ、ようようと口を開いた。
『人間の娘。其の方の足では森も歩きにくかろう。わしの背に』
「いいえ! いかような理由があろうともクタハク様の背に乗るのは畏れ多い! その大きなお口で銜えていただければ恐悦至極に存じます! ちょっとうっかりあやまって牙が軽く刺さっても是非良いので!!」
勢いよく顔を上げたカーヤは食い気味に懇願する。
クタハクの困惑した目がグゥに向けられた。
『理解能わず。グゥよ、汝、わしに説け』
『クタハクにできないことがおれっちに説明できるわけないだろ!?』
「それでは僭越ながらわたくしめからご説明申し上げます」
意気揚々と、それでいて淑やかに頭を垂れたカーヤは、その姿勢のまま口を開いて息を飲んだ。
「爪が刺さってる……」
陶然と呟いたカーヤの肩には、いい加減にしろと言わんばかりに鋭い爪が食い込んでいた。
「至福の極み……!」
『……クタハク。幻獣限定の被虐趣味のある変態――としか、おれっちは言えない。詳しい説明を受けたいならあとで勝手にやれ』
『然り。孫の様子を思えば憂心が去らぬ』
クタハクはカーヤの結界を無詠唱で無造作に破った。
勢いよく叩きつける雨に、更に水の塊が頭から落ちる。
『わしは泥を食むのは好まぬ』
「ありがとうございます!」
クタハクは、青緑の瞳を輝かせるカーヤを、鞄ごとぱくりと銜えた。
「幸せすぎて魂まで溶ける」
銜えられたカーヤは満面の笑みでクタハクに身を預ける。
クタハクの背に降り立ったグゥは、それを横目に大きく息を吐き出した。
ご覧頂きありがとうございます。
更新再開……最低週一投稿がんばる
投稿ペース上げたいと思いつつ、週一でひぃひぃ言ってる……悲しい現実だね。次作はやりかた見直す