第十二話 宝石の栗鼠④
威嚇の声を上げるバンルーカクに、カーヤは両手で顔を覆った。
「いや、うん。分かってるよ。襲われる以外はそれはもう警戒され続けてきたからね。ごめん」
ルルサーカやジャノイーヴォの警戒は単に荒らしたからというだけではないことは分かっていたから捧げ物をした。
キオラモンについては、幻獣成り立てほやほやだからそこまで区別はつかなかったのだろう。あれは貴重な体験だった。
もっとも、道中で突き刺すような視線の数々はそういうことなのだが。
それに傷つき悲しむ心はとうにないが、いるだけで怯えさせてしまうことへの罪悪感だけは消えない。
心配そうな目を向けてくるロナに緑青の瞳を和めてカーヤは改めて幻獣たちを振り返った。
『人間がこちらに向かってきているな』
セアナトの目が街の方へ向けられた。
確かに、門から出てくる人影がある。先程の暴風を警戒してのことだろう。
カーヤは三匹の幻獣に視線を戻した。
そのどれもが、警戒に満ちた目を街へと向けている。
ロナは一歩前に出ると、 真剣な目で三匹を順に見た。
「教会の幻獣売買組織のアジトあるいは売買対象の幻獣が捕縛されていると仮定しますと、バンルーカクはそちらから逃げ出したのでしょう。そこを逆に辿れば彼らの元へ辿り着くことは可能です」
「きゅいっ!」
グゥの陰から顔を覗かせたバンルーカクが同意するように鳴く。
でれっと相好を崩したカーヤから隠れるように顔を隠した。
それはそれで可愛い。
「でも待ちの外に隠れた入り口があった場合、逃げられる」
「今から探すのでは時間が足りません」
「万が一逃げ出しても大丈夫じゃないかな。たぶん、報復したい幻獣さんたちはいっぱいいそうだし」
カーヤは街を振り返った。
ひとかたまりの人間の集団がこちらに近づいてきている。彼らが背中を向けた先にある街は一見なんの変哲もない。
ロナは疑問をぶつけた。
「どういうことですの?」
「んー……なんとなく? たぶん? そんな気がする?」
カーヤは自信のない声で答えた。
疑問形にならざるを得ないほど確証はない。
しいていうなら、夜に出歩いたときに幻獣の気配がそういれば多いかも知れない、という程度。幻獣売買事件が絡まなければ、この街は幻獣が多いんだな、と気にも留めなかっただろう。
『なんでそう思うんだ、嬢ちゃん』
嬉々とした声でグゥが尋ねた。
カーヤは腕を組んで喉を震わせながら空を仰ぐ。
なぜと理由を聞かれても、バンルーカクを見つけたときと同じとしか言えない。ただそこに幻獣がいる気がする、というそれに明確な理由などつけられない。
「しいて言うなら、天然産幻獣感応装置のおかげですかねぇ」
「天然産幻獣感応装置……?」
確認する様に繰り返すロナにカーヤは首を縦に振った。
天然産幻獣感応装置、略して幻獣センサー。それは恐らく自律型なのだろう。なんとなくいると思ったときには周辺にいたという話を何度か聞いた。その範囲はその時々で異なり、正確な場所も把握できない残念装置だ。制御できないかとあれこれ試したことはあるが、実用化の目処はまったくたっていない。
『はっはっはっはっはっ! 変なことをいうね。本当は君もあれの仲間なのだろう? だから幻獣の存在を警戒している』
「それは違いますわっ! 幻獣様からすれば怪しいことこの上ないのは百も承知ですが、カーヤはそのような悪事に荷担することなど有り得ません!」
ロナが間髪入れずに反論した。
「じゃあロナはバンルーカクと教会からの突入部隊ということでよろしく」
「はい?」
「ここで押し問答してても時間の無駄だから。幻獣からしたら人間が信用ならないのはもっともだし、それについてどうこう言うつもりはないよ」
すっぱりと身の潔白を証明はしないと断言したカーヤは荷物を背負う。
信を置かない二対の目を振り返ってカーヤは告げた。
「私は私で好きにやるから、あなたたちはあなたたちで好きに動けば良い」
幻獣は好きだ。その奇怪な姿も、婉麗な姿も、好ましいと思う。その生態もあるべくしてあるものと認識しているため、多くの人間がもつような忌避も嫌悪も乏しい。
だが、信用するかどうかはまた別問題だ。好きではあるし、傷ついているものがいたら手を差し伸べることも厭わない。だからといって仲良くなりたいかと言われると別なのだ。
仲良くなれないと分かっているからこそ、愛でているときが至福なのだ。
信用などないと理解しているからこそ、囓ってくれ突いてくれなんていう、殺してくれと言わんばかりの願いを口にできる。
「カーヤ、わたくしも」
「ロナは教会の方をお願い。私は薬草採取がてら、ここから東回りで北に向かって軽く調べるから」
街から南に延びる街道。街を向いて東側には森が広がっているが、その土地自体は概ね平地で、もう少し歩けばなだらかな傾斜がある。
セアナトがいる位置は話では歩いて四半刻程度、馬車ならばその半分程度の位置――つまり、傾斜の上くらいの場所。だがここはそれよりも近い。
街から出た一群はもう目と鼻の先にいる。
カーヤは一同に背中を向けた。
ひとり森の中へ突き進んでいく相方を追いかけるようにグゥが飛んでいく。
さらに追跡しようとロナは、しかし近づく人の気配に足を留めた。
双剣を腰に佩いた赤髪の女性だ。恐らく足が速いのだろう。彼女の後ろには、一緒に出てきたであろう十五人程度の狩人たちの姿が見える。
「あなた、そこの聖獣になにをしたの」
「ジョエル! 聖獣様に敵対行為と見なされたらどうする!」
「先程の竜巻はそこの聖獣のものでしょう。怒らせるようなことをそこの女はしたってことよ。私たちが今捜査している奴らの仲間でないとは言えない。警戒するのは当然じゃない、セヴラン」
「だがよ」
「ごちゃごちゃうるさい。うちの気弱がぶっ倒れる前にこっちはさっさと片づけたいの」
ジョエルと呼ばれた女の、短い赤い髪が吹き抜ける風にそよぐ。その赤い瞳は剣呑にロナを射貫く。
突きつけられた双剣の一振りに、けれどもロナは萎縮することなくまっすぐに彼女を見返した。
「わたくしは」
『人間、吾子はどうした』
ロナを遮ったのはセアナトだった。
ぐるぐると喉を鳴らして牙を剥くセアナトに、赤髪の女性が慄然として顔色を変えた。後ろで待機していた一団の数人は、情けのない悲鳴をあげて後退していく。
かっとセアナトの目が見開かれた。魔力による重圧が一同を襲う。
『連れてこられないならば、せめて吾子を攫った敵の居場所くらいは突き止めておろう。どこだ』
なにも答えられないでいる一団に、セアナトはさらなる重圧をかけた。
『よもや、手ぶらで来たのではあるまいな。答えろ、人間』
耐えきれずに一人、またひとりと膝をつく。
震える足。砕けそうになる膝。崩れ落ちてしまいたい気持ちを胸の奥に押し込んでロナは一歩足を踏み出した。
しっかりと大地を踏みしめて、一団に背を向ける形でセアナトとの間に立つ。
そして自分の背丈ほどある狼を真っ正面から見返した。
「セアナト様。このような真似は時間の無駄です。先程申し上げましたように、貴方様のお力をお貸しください。天頂の陽が央山の頂きにかかる頃、そこになっても進展がなければ、待ち続けるのは愚策というものです」
ロナは口八丁に述べた。
街に潜む幻獣奴隷組織がいるならば、教会を調べると正直に言えない。狩人の中に仲間がいてもおかしくはない。いると仮定するならば、何らかの方法での伝達手段があるとも推測しておくべきだ。
だからあたかもそのせいで聖獣を怒らせたのだという理由を口にする。
央山というのは、大陸の中央に聳える山々だ。そこには幻獣たちを統べる王が住まうと言われている。
深い青の瞳が剣呑に細められ、更に重圧がのしかかった。一団のなかで耐えていたジョエルとセヴランの二人もそれには耐えきれず膝をつく。
ふらついたロナは、一歩足を前に出すことで崩れ落ちるのだけは耐え凌いだ。
『思い上がるな人間』
「わた、くしは……効率のお話をしているのです」
『我に囮になれというか、小娘』
「なにも貴方様にだけとはもうしません。わたくしの相方であるカーヤ同様、わたくしも奇妙な幻獣に目をつけられていますから、わたくし自身も囮にはなりますし、なにより不躾なことを提案しているんですもの。命のひとつやふたつ張るものですわ」
見つめ合うこと数秒。
ふっと重圧がかき消えた。
威圧は消えたものの、冷淡さを消すことなくセアナトは告げた。
『貴様の覚悟に免じて、央山の頂きに、カグヤの神の炎が至る時をすぎても動きがないのならば応じよう』
「ありがとうございます」
ロナは元貴族子女として、きっちりと礼をとった。
「きゅぅ、きゅい」
足下で聞こえた鳴き声にロナは視線を下げた。
左脚を庇うように少し地面から浮かせ、斜めに傾いているバンルーカクが革のブーツをよじ上ろうと革をひっかく。
ロナは両手でバンルーカクを持ち上げて微笑んだ。
「無理をなさらないでください」
バンルーカクを肩に乗せ、ロナは一団を振り返った。
セアナトのものよりも鮮やかな青い瞳を細めて、ロナは告げる。
「さて。あなた方がすべきことは、一刻も早く幻獣売買を生業とする者たちの捕縛と捕らわれている幻獣の保護です。――珍しい生物、という商品価値以外にも、幻獣の血肉がもたらす価値は、狩人であるあなた方がご存じかと」
言外に、なぜここにいる、と指摘するロナにセヴランが答えた。
「お嬢ちゃんの言うことには一理ある。――が、この非常時に勝手なことするな。足先が乱れる」
「あら。たかがその程度で乱れて立て直せないようであれば、それはまとめ上げる者の能力不足ですわ」
セヴランの忠言をさっぱり斬り捨ててロナは不遜に言い放った。
「セアナト様のお叱りについてはわたくしの不手際ですわ。その点については謝罪いたします。ただ、あなた方が優先すべきがセアナト様の御子の保護。状況確認だけならば一人や二人で結構」
「必要なら街の防衛のために狩るつもりだったから当然よ」
「ジョエル!」
叱責に臆することなく、当然のことじゃない、とジョエルは答える。
セアナトが牙を剥いて低く喉を鳴らす。
「その意見自体に異議はございませんが、とはいえ、あの一度以降動きがないのは監視台から魔動具を使用すれば確認できたこと。早計にも程があります」
淡々と口上し、ロナは冷笑を浮かべた。
「あなた方が揃いも揃って抜けるということは、敵にとっては監視の目が緩むと同義。今頃、なにかしら動きがあってもおかしくありませんわ」
彼らが街を振り返ったその先で、不意に黒煙が立ち上った。
「っ、総員、速やかに街に引き返せ!」
セヴランの号令に一団が足早に去って行く。ただ一人を除いて。
ロナは、無言で睨みつけてくる赤髪の女性に笑顔で尋ねた。
「貴女は行きませんの?」
「あんたを信用したわけじゃないから残る。タイミング的にも怪しすぎるわ」
隠しもせず監視要員だと断言したジョエルにロナはそうですね、とひとつ頷いた。
「貴女は大丈夫でしょうから、ともに参りましょう。戦力は多いに越したことはありません」
本人の目の前で、事と次第によっては討伐する、と宣ったジョエルの瞳にはなんの感慨もなかった。ただ街を――ひいては大切な人を守るため。それだけのために彼女は聖獣殺しの汚名を被ることを厭わないと啖呵を切った。
その目に嘘偽りや虚言があったならば気づく。権謀術数をめぐらせることが基礎として必要な貴族社会の、それも皇子妃として研鑽を重ねてきたロナの目や勘をごまかせるものはそう多くない。だからロナは彼女だけは敵ではないと認めた。それが過ちだったのならば、ロナの目は節穴だっただけのことだ。
「――は? どこに行くって」
「幻獣が捕らわれているであろう場所に。よろしくお願いしますね」
ロナはバンルーカクに微笑みかけ、懐疑的な視線にロナはセアナトを振り返った。
「セアナト様。人の言葉を使える高位の聖獣はお姿を変えることができると聞きます。もし可能ならば、人の姿あるいは犬ほどの大きさになれないでしょうか。今しばらく敵の目からは隠れておきたいのです」
背の高さほどあったセアナトの姿がかき消えた。代わりに犬ほどの大きさになった青銀の毛並をした狼がお行儀良く座っている。それくらい簡単だ、というようにセアナトが鼻を鳴らした。
「ありがとうございます」
「待って、陽が傾くまで待つんじゃなかったの!?」
「わたくし、どこで待つか一言も申し上げておりませんわよ」
「きゅっ!」
目を丸くするジョエルにくすりと笑う。
ロナはバンルーカクの頭をひとつ撫で、街への道を歩き出した。その隣をととと、とセアナトが歩く。
「置いていきますわよ」
「――洗いざらい全部吐きなさい。全てはそれからよ」
ロナは他人用に貼り付けた笑顔で頷いた。
すいようび。まにあった。えらい。
ただ、エピソードタイトルが見合ってないなと思う今日この頃。