仮想と現実
巨躯の影は紛れもなくサメだった。体長は10メートル程だろうか。特徴的なギザギザの歯をチラつかせて、獲物を待っているかの如く、機敏に泳いでいる。
「何が起こっておる」
ラドリー博士は部屋から出てきて、俺たちに問う。
「湖の中に巨大なサメがいます!」
「な、なんじゃと……」
サメを視認したラドリー博士は目を丸くして、分かりやすく動揺していた。そうなるのも必然的だ。意味不明でしかないからな。
「おい、アイツいきなり暴れだしたぞ……」
巨大なサメは、突然ギザギザの歯を駆使して、ガラスに噛み付いたり、突進を繰り返す。さっきまで普通に泳いでいたサメがいきなり狂いだしたのだ。すると研究所内に、嫌なサイレンが鳴り響く。
「なにこれ、警報……?」
「とりあえず、ガラスを壊される前に上に逃げるんじゃ。ワシに着いてこい」
「いや博士、俺の背中に乗ってください!」
ラドリー博士の老いた動きを見るに、絶対に間に合わないと判断した俺は、考えるよりも先に身体が動く。
「ああ、助かるのじゃ」
俺は屈んで、ラドリー博士を背中に乗せた。
「こっちじゃ」
博士の指示に従い、走り回っていると、一つの扉の前にたどり着いた。白く染った背景と同化している隠し扉のようだ。扉を開けると、鉄製のハシゴが掛かっていた。
「こ、腰が痛てぇ……」
このゲームで、人を背負ったままハシゴを登るなんて思わなかった。というか、初めての経験だ。
「ほらほら、登るスピードが遅くなってるよ!」
「ぐぬぬ……」
下から喝を喰らいながら手足を交互に動かす。HPは減っていないものの、腰と肩がヒリヒリする感覚が全身に伝う。クソっ。こんなとこまで再現されてんのかバウクロめ……。
心の中で嫌味を唱えながら、虚無になりつつ登り詰めると、頂上にはパカッと開けられそうな取っ手がついていた。その取っ手を力任せに押すと、マンホールのような穴から地上にでることが出来た。
「ふぅ……」
ラドリー博士をゆっくり降ろしたあと、俺は呼吸を整えつつ、痛くなった部分を動かしてストレッチを入れる。
「お疲れ様、ルア君♪」
割と悲惨な状態の俺に対して、ヒナウェーブは悪意のある笑みで俺に声をかけた。なぜだか、すごい煽られているような気がする。
「それより、善意のある行動を褒めて欲しいね」
「さ、あのサメ倒しに行くよ」
「聞かなかったことにするな!」
全く……にしても、困ったものだ。水中に潜んでいるサメをどう倒せばいいのか想像がつかない。ましてや俺は泳げないし、ヒナウェーブの遠距離攻撃でなんとかなるとも思えない。
どうにかこっちのフィールドに引きづり出せないものか……。
「で、作戦は?」
「私が後衛で援護。ルア君は、特攻!」
「んー、あのねぇ……」
いくらなんでも、脳筋すぎて笑えてくる。「お前は囮だから黙って食われてろ」と言われているようなものだ。
「何か言いたげな様子だけど、それしか無くない?」
「あ、はい……そっすね」
ヒナウェーブは、賞金に執着が無いのにも関わらず、あからさまに俺よりも心が躍っていた。彼女は戦闘狂だったのだ。
「ほら、先行って」
そう言われた瞬間、心臓の鼓動が加速した。どうやら俺は、緊張しているようだ。
昔、なんとかロードショーで、サメの映画を見たことがある。その時の感情は「怖いなー」くらいで心は何も動かなかった。
しかし、それが現実になるとどうだろうか。足は竦み、頭は真っ白になることだろう。違いは、目の前に死があるかどうか。そこがターニングポイントとなっている。
今の俺は、その状態に陥っていた。下から見上げた時と、すぐ目の前にそいつがいるかどうかの安全か危険かの違いだ。
「よし、行くか……」
ここは仮想空間の世界。死んでも生き返れる。俺は自分自身にそう洗脳し続けた。しかし、これは現実だと脳が錯覚させてくる。それに、賞金が懸かっているという重圧が、心のヒリつきを生み出す。
色々な感情を糧に、一歩二歩と湖の方へ足を遊ぶ。その間に、身体が恐怖に支配されているのが、目に見えて分かった。
(クソっ……情けねぇ)
俺はそう思いながら、インベントリから刀を取り出す。その刀に映し出されていたのは、覇気のない猫の仮面だった。すると……背後からヒナウェーブの声がした。
「ルア君、この勝負絶対勝つよ」
そうだ。俺は一人で戦っているわけじゃない。それにこれはゲームだ。ここで逃したとしても、次がある。そう思うと、少しづつ自信が湧いてきた。
「ああ、賞金を手に入れてやるよ!」
その時――。
巨大鮫は水面から、勢いよく姿を現した。




