第8話 文学少女との時間
しばらく走らせていたが駅前ロータリーではなく、線路下へと春人は純銀鉄翼を停車させた。
「着いたぞ、真宵」
春人は後部座席にいる真宵に対して、目的地へと到着したことを告げる。
「いつもいつもありがとうございます。春人さん」
と、真宵は感謝の言葉を言いダンデムシートから腰を浮かし、乗っていた純銀鉄翼から道路へとローファー独特の音が聞こえながら降り立った。
それからすぐさま車体の後ろに移動して備え付けられてるリアトランクを真宵は開け、自身の学生鞄と交換する形で被っていたヘルメットを脱いで収納させる。
駅に向かう準備が整った真宵は再度春人の隣にやって来て、
「では、また来週」
そう別れの挨拶を告げながら顔の下で手を振って去っていく。
短い間だがセーラー服を着た真宵の背中を眺めたあと、春人はバイクを駅地下に作られた立体駐車場へと向かい、乗ってきた純銀鉄翼を地下四階に駐車してロック掛けたのち、エレベーターを使って地上へと戻ってきた。
「……今日の天気、雨とか降らねえよな」
少し曇り空になっていることに若干の心配をしつつも、春人は肩に掛けてある鞄を再度掛け直し、真宵とは違い駅前ロータリーにあるバスの停留所へと足を向かわせた。そのときにいつも通り他校の女子生徒から騒がれたりしたが、とくに反応することなく歩いていった。
多数の声が聞こえてくるが、春人は頭の中でこの都市における自分の設定を少しずつ再確認していく。
名前は蒼崎春人、年齢は一六。潜入時に偽名を使うべきではと理事長に上申したが、いざという時に偽名で呼ばれて反応しなかったら不自然に思われる可能性が高いとのことで、名前だけは変更していない。
学校は修桜蔭高校。通常の高校とは異なる制度で運営されてるせいで生徒間の軋轢が起きやすく、真宵が言うように仲間意識を芽生えさせるどころか、自分さえ良ければ、みたいな独善主義を育ててしまう恐れがある。わざわざそのようなシステムを採用しているのは、超能力という点で目立った実績のない学校側が、無能力者や低能力者の超能力をストレスきっかけに活性化させやすくするためと予測。
学校生活のほうは入学時の評価が悪かったのか、一番下であるDクラスに在籍。クラス間競争に興味ないため目立たないようしているのだが、男女二人がリーダー的ポジションでクラスをまとめようとしている。しかし自由奔放を絵に書いたかのようなクラスなため、第三勢力の中心的立ち位置いる自分からの意見を聞かれるので、「目立たない普通の生徒」を演じることは無理筋になりつつある。
なぜなら入学時当初はポイント制の競争なんて聞かされておらず、自然にBクラスの文武両道の強面男やCクラスの大人しそうな文学少女らと知り合ったのを気に、Aクラスの男嫌いなまとめ役とその三人の取り巻きやらと多数──女子多め──に渡って交流を重ねてきてきたのが裏目っており、いわゆる学校の情報通という名の便利屋になってしまい、多種多様な人物から利用価値を見出されていた。
そのせいで「目立たない普通の生徒」という立ち位置はどう動こうとも辿り着けないものとなってしまうのだった。不本意だが実によくある話であり、本人が求めている望みとまるっきり逆になるというのは。いまではその立ち位置を諦めつつ受け入れており、そこそこ優秀だと思われていることだろう。
そして次に両親。実際の両親は亡くなっているし、育ての叔父夫婦家族を巻き込むわけにはいかないので、偽装家族を極東総局から与えられている。母親は専業主婦で父親は元経産省のキャリア官僚を務めたが、出世コースから外れ日本大手運輸業本社で経営企画本部の企画部長へと再就職している。子供は自分を除いていないというもの。
上から用意してもらった偽の両親だが、父親の経歴が入院中の叔父と似ていて少し困惑する。叔父は東大法学部卒の元財務省キャリア官僚で、主計局に配属されたのち審議官まで登り詰めるが、同期との出世競争に負け日本三大メガバンク第二位の売上高を誇る銀行グループに再就職し、兵庫県宝塚支店の支店長を務め、入院してなく無事であったら来年次の取締役就任が確約していたエリート。人によっては勝ち組と評するだろう。
なぜ叔父の取締役就任確約の話を知っているかと言うと、入院の知らせを聞いて銀行グループの重役や兵庫県選出の代議士先生などの、名だたる顔ぶれがやって来て教えてくれたからだ。
とくに代議士先生とは夏休み期間のときに必ず叔父の挨拶の次いでに何度かお話しており、懇意にさせてもらった過去がある。自分を見るたびに「自分が政治家を引退したら、息子さんに地盤を継いで立候補してほしい」と叔父に言っていたが、それが本音ではなくただの冗談ということら当時の自分でも薄々はわかっていた。
なにせ政治家の地盤というのは、仲の良い友人より己の親族に受け継がせるのが当たり前で基本だからだ。選挙地盤とは政治家特有の資産的価値を有する。たしかに叔父の曽祖父が元市議で後継がいなく代議士に地盤を譲った昔話があるが、代議士先生には血の繋がった息子がいる。ならば蒼崎春人という無名な若造より自分の息子に任せれば、後援会などの支援者と仲良くなりやすく同時に選挙のアピール材料が簡単に手に入るのである。それをみすみす捨てる馬鹿はいない、ゆえに当たり前で基本という話なのである。
正直、政治家の二世問題に対して声高に批判する者がいる。世襲制を悪しきものと捉え現状を変えようとする者が。
確かに政治の世襲制にはかなり悪いところもあるが、全部が全部悪いと言い切るのは違う話だ。選挙の酸いも甘いも知りながら苦労しかない秘書時代を過ごし、親の後を継いで代議士になっても己の意見より後援会等々からの陳情を聞き、政策へ反映できそうなものを選別し、所属する政党本部にて会議という名のふるいにかけられ、帝国議会の本会議にて採決されるまで動かしていくのは無名の新人議員ではほぼ不可能だろう。政界や官僚らとの人脈が広くなくては、本会議通る前に却下されるのが目に見えている。政治に無知か、批判ありきの馬鹿は「二世は無能だ」、と無責任に大声で罵るのだ。
政界の事情に少しでも詳しかったら、無能だと口ずさむ者こそ真の無能だ、と感じてしまう。多くの候補者の中から悩んで選挙投票で選んだ有権者を貶めており、同時に無能だと断じる二世候補を落選させる影響さえないのか、と呆れてしまうためだ。弱い犬ほどよく吠えるとはよく言ったものである。「己は無能じゃない。政治について詳しく、愚かで無能な者たちに正解を教えられる者だ」、と言っているに等しく自ら愚者を体現しているのは中々の愉快な道化だろう。
そんなことを確認し直しながら、春人は駅前ロータリーのバス停へとたどり着き足を止める。
足を止めて数分後、修桜蔭高校行きのバスが到着し、春人は乗り込んでいく。
まだ早い時間帯なためか、中はガラガラであった。
春人は空いていた席に座ると、普通の生徒を演じるために持ってきた小説に目を通す。
小説など適当にパラ見してきた程度で本来は興味がなかったが、最近ミステリー小説にはまっており、とりあえず有名どころは一通り読んでいた。
しばらく読書をしていると、同校の生徒が少しずつ入ってきたのかバスの席が埋まり始めた。それなりに乗ってきたはずだが、同学年と見られる生徒はまだいないようだった。
周りの様子を気にすることを止めて読書を再開していると、突然肩をチョンチョンと叩かれたので、春人は顔を上げる。
目の前には、長い黒髪を腰までなびかせ穏やかな表情をし丸いアーモンド型のブラウン色の瞳が特徴的な、ふわふわした雰囲気の美少女が春人の顔を伺うように立っていた。
◆
「おはようございます。いつも通り読書に勤しんでますね、蒼崎くんは」
膝に手をつき、髪をかきあげなら件の美少女、懸橋れいなはそう春人に話しかけてきた。
パッと見は大人しめな容姿だがそこそこ話してみると、少し印象が異なり意外な積極さを持っている、と実感させてくれるのがれいなだ。
「おはよう、れいな。本好きの君に言われると人一倍嬉しくなるね、やっぱりさ」
「ははは……カッコいい蒼崎くんに言われると少し照れますので、私としてはそういうのは止めてほしいものです」
週に一度くらいの頻度でこのように、れいなは春人が読んでいる小説を覗き込む。春人は彼女の行動にほんの少し驚きつつも、表情には出さず普段通り気丈に振る舞う日々だ。
その際に彼女の髪から甘い良い匂いがするのは、春人だけの秘密である。
「それはアガサ・クリスティの『そして誰もいなくなった』ですね。蒼崎くんはミステリー小説を最近読んでますけど、お好きなんですか?」
「ああ、と言っても最近はまってきたってところだけどな。とりあえず有名どころは一通り読んでるよ。トリックが明かされる前のドキドキとか、明かされた後の驚きとスッキリした感じが好きでな」
「そうなんですね。私は色々な読み応えある小説がありますけど、ミステリー小説が一番好きなんです」
すると彼女は鞄から『Xの悲劇』を取り出す。
しかしそれは和訳された物ではなく、英語で書かれた本であった。
Xの悲劇。ミステリーの女王のアガサ・クリスティー、シャーロック・ホームズの生みの親であるアーサー・コナン・ドイルと並ぶ世界的ミステリー作家、エラリー・クイーンが生み出した悲劇四部作と呼ばれるシリーズの第一作目。ニューヨークの路面電車で起きた殺人事件への捜査協力を依頼された、鋭敏な推理力を持つ元俳優のドルリー・レーンが解決していくストーリーである。
「……よく読めるな。英語とかは俺読もうとは思えないわ」
「あら、意外ですね。蒼崎くんならこちらも嗜まれると思ってたのですが……」
と、予想と答えと違ったのか少し挑発するような物言いをしてくるれいな。
「俺もその小説読んだけど、和訳されたやつだからな。本当だったら和訳されてないのを読むべきなんだろうけど、俺にはとてもとても」
「……なるほど。蒼崎くんも和訳されたこれを読んでいたのなら、そうでないのも読んでみると少し違った感想を持つようになれますよ?」
文学に精通したれいなと、小説を読むのが楽しくなってる春人の、共通の趣味を持つ二人はミステリー小説談義で花をしばらく咲かせた。
そんな仲睦まじいときにれいなが、
「……ところで蒼崎くん。蒼崎くんのアオという漢字ってあおと呼んで蒼の字を使いますよね? でもその蒼崎って日本にそんなにいないって知ってましたか?」
と、質問を春人に投げかけてくる。
「ああ確かに、れいなの言う通り小学生のときに使う青を用いた青崎は全国に八五〇人に届かない程度にいるらしいな。逆に俺の苗字は検索サイトを使っても算出できないぐらいには少ないよ。いわゆる珍名ってやつだ」
春人はれいなの疑念に淀みなく目を見つめて答えていく。
──色が苗字に入っているのは意外と珍しいから、こうやって何気なく聞いてきたのだろう。
そう春人は高を括っていたが、実はそうではないらしく彼女は質問の本題へと迫ってきた。
「いえ、私が言いたいのはそういうことではないのです。五年前、香港のランタオ島にて起こった九・一五事件の被害者名簿に、蒼崎という名前があることを問いたいのです。蒼崎くんはその当時香港のランタオ島にいましたか?」
れいなからの確信めいた質疑に春人は、どうしようもなく肝を冷やし、膝をわずかに震わせた。
──俺の正体にもう気づいているのか!? い、いや待て冷静になるべきだ。
と、瞬時に思い春人は感情的になりつつ脳の働きを抑制させていく。
──確かに事件・事故・災害・テロ・戦争などで犠牲になった人々の名前を伝えることで、後世の人が惨禍を実感し、命の重さを知り、何が起きたのかを検証できる、ということでかつては実名報道がなされていた。……しかし、SNSの発達に伴い被害者遺族の心情に寄り添ってない、と感じる者が時間が経つほどに増加していき、ついには「報道の自由」にメスが入れられ被害者遺族側の認可を無視して実名報道できないように、各国政府が自国に拠点を置くメディア機関に自制を呼びかけたり、もしくは法律にて罰則を設けたりしているためそう簡単に被害者の実名を知ることはできないはず。
ゆえに隠蔽している事実を悟らせまいと、春人は気持ちを完全に落ち着け自然に振る舞うことを選ぶ。
「残念ながら五年前から俺は東京都に住んでたよ。香港までは大まかな歴史や経済も勉強のおかげでわかるよ。でもランタオ島って言われても、俺としてはいまいちピンとこないんだけど? 明晰な頭脳を誇るれいなの発言とは思えないね」
──総局の情報操作に一介の女子高生程度で探れてしまう隠蔽はしていないはずだ。つまりこれは精神を揺さぶって、こちらから情報をバラさせようって魂胆なわけだ。
春人はれいなの問いの真意を見抜き、まるで無関係と言わんばかりに言い淀むことなく、不敵な笑みを彼女に見せつける。
すると、
「……蒼崎くん。私は嘘をつく人間って嫌いなんですよ」
そうれいなは言うや否や、右のブレザー裾に隠してあった黒いバタフライナイフを瞬時に展開。そのまま彼女は自身の人差し指と中指で隠すように持ち、春人の首筋へと感情を削ぎ落としたような顔のまま当てた。
「……っ」
微妙なさじ加減で首筋に触れる冷たい感触は、さすがの春人でも呼吸を一瞬止めてしまうもの。それほどまでにれいなのナイフ捌きは手慣れているものだった。
「さて、これでも違うと言い切れますか?」
「……ああ、そうだ。何度も言わせないでくれ俺はランタオ島に住んだことはないってさ」
彼女からの暴力性ある強い脅しを嘲笑い、春人は慈悲ある表情をしつつ右手でれいなの耳と頬に触れ、逆の手ではバタフライナイフを差し向ける右手の甲を包み込むよう握る。
「……っ」
そんな恐怖を意に介さない春人の行動に、冷静沈着に主導権を取ろうとしたれいなも驚きを示す。
「れいな。本人が住んだことないって言ってるのに、そう決めつけた発言するのはよしてくれないか? それって悪魔の証明をしてって言ってるのと同義なんじゃないか?」
彼女の手を動かしながら、首筋へと当てられたバタフライナイフを離していく春人。
「本当に違うのですか。もし仮に本当だと言っても、学校側に虚偽報告だと伝えることはしないつもりなのですが……」
──なるほどね。おそらくランタオ島の在住云々の質問はブラフ。本心は俺との秘密の共有を成し遂げることにあるってことね。さきほど膝を少し震わせたことに気づき、それをきっかけとして二人だけの秘密を作り上げようって思惑だろう。なにせ懸橋れいなという少女は人に好かれそうな外見に反して、協調性に欠けて仲の良い友人も少ないタイプである。ゆえに初対面ながら共通の趣味を持つ俺との関わりを深めて手放したくない、というわけか。なら俺好みの女になるよう教え込ませ情報の拡散を防止するのが手っ取り早い、か。
春人はこのような過激な行動を取ったれいなのことを分析し終えると、頬に触れていた右手を伸ばし手早く彼女の反対の顎へと回し持ち上げ、同時に左手はれいなの腰へと手をやり同時に抱き寄せそのまま無言でキスをする。
キスしている間、最初は突然のことでありピクッと身体を震わしていたがジッと見つめながら続けていると、れいなは抵抗することもなく春人のすべてを受け入れていった。
「ん……んんっ……」
初めてのキスに戸惑いつつも、れいなは誘導され求められるまま春人の座っている座席へと身体を動いていき膝の上へと腰を下ろした。
キスすることに夢中になっている、と表現できる状態になった彼女の様子を見ていた春人はあっさりと唇を離す。
「……れいな、これがキスだよ。ちょっとお子様向けの、だけどね」
春人はれいなの腰を両手で支えつつ、ふざけた口調で言った。れいなはキスの余韻にぼんやりとしながらも、その美味しい味を知ってしまったがゆえに、女としての本性をさらけ出し荒い呼吸を繰り返し、火照った表情を見せる。
「ダメだよ、れいな。そんな顔しちゃったら。……もしかしてまだ物足りないの?」
そんな表情が物欲しげにしか見えないため、春人は悪戯っぽい目でれいなの顔を覗き込むと、くすりと笑った。
「だって……すごく嬉しくて、気持ちよかったから……」
「しょうがないなあ、じゃあもう一回。今度はもうちょっと大人なやつを、ね」
春人は腕を動かし、彼女の肩まで回して逃さない意図を示しつつ抱きつく。そうしてギュッとれいなの身体を引き寄せ春人は再び唇を重ねる。
それから通学バスの中で起こった二人の、熱い時間は学校に到着するまで続いていくのだった。