第6話 真宵娯楽と定時議論
「これからディスカッションをするにあたって、どうしても話しておかなければならないことがあります。春人さん……それがなにかお分かりになられますか?」
席に座り、ダイニングテーブルに置かれている目玉焼きや焼かれたトーストを口に運びながら、真宵は妙に真剣な表情になり、春人へとそう告げてくる。
それに春人は同様に食事を交え、「……いや、よくわかんねぇな」と嫌な予感が脳裏にふと浮かぶものの、適当に相槌を打って答えていく。
──どうせ、ろくでもない話なんだろうな……。
この『オッターヴォ』にやって来て早二ヶ月経ったことで、春人はすでに経験則で彼女が急にトーンを変えて話し出すこの流れの行き着く先を、なんとなく勘づきつつあった。
そして春人の予想通りに、真宵はこんなことを言ってきた。
「いやはや、お分かりになりませんか……。春人さんなら見に覚えがあるからすぐに気づけると思ったのですが、あからさまにとぼけて誤魔化そうとは。東洋の有無を問わずあらゆる神様から天罰が下ってほしいくらいですよ。だって私の通う正谷第一学院の生徒会長で三年生、佐久能歩美と月に一度の頻度で密かに逢引してますよね?」
先月、つまりは四月頃『オッターヴォ』で生活をしていた春人が初めて関係を持ち、向こうのマンションにて一夜を明かした女性の名前を出し、有利な立場で物事を進めようとする真宵。
しかし春人としては、双方ともに恋愛を伴わないことを前提にした割り切った男女関係であること、佐久能自身が春人を含めた男子生徒一人とも肉体関係を持っていること、の二つを考慮すると真宵に文句を言われる筋合いがないのである。それに春人が佐久能と身体を重ねたのは一度だけであり、無責任セックスを避けるため避妊具をキチンと用意して事に及んだので妊娠する危険性がないよう細心の注意を払っているのも事実だ。
佐久能本人、もしくは佐久能の保護者や親友に問い詰められる形だとしたら、春人としても申し訳ないことをしたと思うのだが、一介の仕事仲間である真宵に叱責される覚えはないのである。
ゆえに春人は引け目を感じることなく平然と言い返すのだった。
「……そうだな。そっちの生徒会長である佐久能とは、ちょうど一月前に泊まり込みありで楽しませてもらったよ。でもそれって問題でもあるのか? 相手側からの合意も取ってるし俺が内偵で来たことは一切伝えてない。確かに向こうに許嫁がいるのは知ってるが、三年間、連れ添ってる自分の佐久能に手を出さない軟弱野郎だぞ? 仮にもし許嫁にバレたら素直に引き下がるんだから問題ないだろ」
「……なぜ問題ないと言い切れるんですか? 私たちは潜入して表沙汰になってない情報を調べに来てるんですよ。些細なことでこちらの身分がバレたら、一巻の終わりなんです。それをよく理解して、特定個人に入れ込む、という判断を猛省して慎むようにください、春人さん」
意外にも未成年同士でセックスしたという内容よりも、春人の考えなしの行動による悪影響が及ぶことを真宵は懸念しているようだった。
想定した会話とは異なるそれに春人はやや驚き、今度は春人のほうから真宵に問いかける。
「……俺が生徒会長の佐久能と肉体関係持ったことについて問い詰めなくていいのか? こういう場合は普通、男の品のないふしだらな行為について不愉快に感じ咎める流れじゃないのか?」
「……春人さんの言いたいことはよくわかります。ですが、それについて議論すること自体愚問だと私は考えてます。なにせ春人さんが男としての本能に忠実なタイプなことは事前に把握済みなのは私がいつも言ってますし。確かに中学時代に問題になりそうな行動をしてますけど、それを民事・刑事問わず論理立てて、立証するのは非常に困難を窮めるのは火を見るよりも明らか。なにせ春人さんがいままで関係を持った女性たちはあなたを悪いとは言わないでしょうから。なら、そちらについては正しい方法を守っている限りは知らぬ存ぜぬを突き通そう、と私は判断したまでです」
春人の疑問に真宵はつらつらと、自分なりの考えをまっすぐ春人の目を見つめ述べていく。女性としてそのようなことを認めていいものかと、春人は若干思ってしまうがそれが彼女なりに悩んだであろう結論だった。
「……ふーん。なら、佐久能だけでなく他の女と遊んでても文句ない、ということか真宵?」
真宵の女としての矜持や義憤やらを引き出すため、春人はわかるように鼻で笑いながら、そんなことを畳みかけた。
それに対しては、冷静に気持ちを抑えていた真宵でもやはり多少の沈黙があり、口を動かすものの考えをまとめるのに、目を左右に動かし一分ほどの時間を要したのち真宵はやっと口を開く。
「……はい。正しい方法を守っている限りは、ですが」
誰が見ても明らかに真宵は、春人の歪な女性関係を受け入れるのを拒んでいた。あれだけ春人をからかっていたにも関わらず、いざ現実のものとして受け止めると必然的に嫌悪感が渦巻くのは当然と言えば当然だろう。むしろ二つ返事で納得していれば、女として何らかの異性間による凄惨な過去を持っていると判断されかねないところである。
──薄々は気づいてたけど、やっぱり性に関する知識も経験も初心そのものなんだな。
「了解。これから女と寝るときは避妊を心がけるし、本気にならないよう加減することを注力しとくわ。……でもそれってさ、俺のこの抱え込んでるストレスを気軽に発散する目的が達成できない問題が出てくるんだよなぁ。……というわけで真宵、お前の身体で俺のストレス発散相手になってもらえないか? 俺とお前の身長差なら、全部じゃなくてもちゃんと奥まで届いて楽しめると思うんだけど?」
「……え、えぇっとちょっとそれは、その困るというか、気持ちの整理がつかないというか。い、いや私としては未経験なもので、そ、そういうこと知らないというか、あ、あれ? な、なに言ってるんでしょうか!? あ~、いやいまのは忘れてください。変なことを口走ってるだけなので」
散々からかってきた真宵を弄ぶ発言をしてみれば、春人の予想通り真宵はテンパり顔を真っ赤にし、持っていた箸をテーブルに落とし手を上下に動かしたり、目線や顔も一秒もしない内に忙しなくしてロリコン気質の男でなくとも可愛らしいと感じられるものだった。
「ははははは、お前可愛すぎだろ。さっきまでの余裕さがなくなって、男心をくすぐることしてくるな真宵。正直に言えば、いまが朝じゃなかったら普通に襲ってベッドに押し倒してたわ」
「う、うぅううう。あ、あまりふざけないでください春人さん! かなり心臓に悪い発言です。責任取ってほしいくらいですよ」
まだ赤く染まった顔、そしてキャパシティを超えた性的なセクハラの数々に涙目になった真宵は内股気味で両手でスカートの端っこを掴み春人に抗議する。
「そういう真宵も、非常によろしくないワードをチョイスしてるけど? ……ま、俺の女関連の話はこれくらいにしてそろそろ本題に入ろうか。『オッターヴォ』に関する内偵の定時連絡のほうを、さ」
春人はそう言い、真宵がここに来た最大の目的事項へと誘導していく。これまでの会話を見る通り真宵が春人に強い好意を抱いているの事実は、相手の機微に鈍感ではない春人はとっくに気づいているはずなのだが、珍しいことに手を出すことはせず第六試験分隊の二人、薙沙と優梨香と同じく男女交際にも至らず、不純で淫らな情事でもない正真正銘の清い人間関係を春人は維持していた。
その理由はさきほど述べたように、仕事仲間であることが深く関係している。好意に気づいているためセックスに持ち込むことはとても容易いが、もしそうなれば部隊連携に問題を発生させ敵に捕まれば性的暴力を行使せずとも、噤んでいた秘密の情報を聞き出されてしまう恐れがあるから。
ゆえに春人は、意図的に真宵を言葉で楽しく可愛がるものの、直接的に抱き寄せたり、キスを求めるといった動きそのものはなに一つしてないのだった。
「そ、そうですね。話が大きく脱線してしまいましたね。……一体、誰のせいでこんな」
春人の酷い誑かしによって乱された恋する乙女心を落ち着け、汗をかいたのか少し濡れた髪を手で整えながら深呼吸を繰り返し気持ちを整理させ、真宵は言葉をゆっくりと紡いでいく。最後のほうは小声で春人に悪態をついてたが。
そんな真宵を見ながら薄く笑って、
「にしてもこの都市は平均的な日本の街と比べて、少し治安が悪いよな。一歩路地裏に入ると学校行ってないだろっていう不良がそこら中にいるとか、終わってる」
春人はまず『オッターヴォ』の治安状況の劣悪さについて語る。『オッターヴォ』は麻薬カルテルに支配されている南米諸国ほど、犯罪発生率が頻発して起きているほどではないが、欧州のように、人気のない場所に自ら行く、などの愚行を犯すとかしなければ安全ではある。しかし日本の平均的な街の治安と比較すれば、十数倍は危険度が増している計算になる。特に路地裏における女性のレイプ事件発生件数がズバ抜けて高いのは脅威だ。
理由はいくつかあるが、親と一緒に暮らせる未成年の人数が半分にも届かない、真っ先に思いつき例として挙げられるだろう。
『オッターヴォ』総人口の半分にはいかないが、一〇〇〇万人以上の未成年のうち、六〇〇万人ほどが保護者に該当する大人と暮らしていないのである。そうなれば自然と怠惰な生活を良しとし、犯罪行為をスリルある出来事として扱い、文字通りの意味で暴力団もどきの半グレ人生を歩むことになる。
さらに言えば半グレ人生を歩みやすいように路地裏は入り組んでおり、土地勘があるか、脅されても逃げれる足があるか、もしくは複数人に襲われても対処しきる実力があるか、そのいずれかがなければ不良集団にされるがままだ。
「確かに。都市保安局という警察と同じ機構を持つ組織が一応あるんですけどね」
春人の意見に全面同意といった感じで、頭を何度も上下に振る真宵。
都市保安局。『オッターヴォ』の治安維持業務を遂行するための組織。全三九学区それぞれに学区保安部が置かれ警察署と同じような働きを有するも、単純な人数不足なのか、それとも不良集団の犯罪行為に対処できない無能なのかは定かではない。しかし、実際の治安状況を見るに両方とも該当しそうだった。
「都市保安局が上手く機能せず治安悪化しやすい要因と考えるとすると、親と居ないこと以外にもやっぱり能力開発による優越感とか劣等感が、冷静な思考を狂わせてるんだろうな」
全員が全員、能力開発すれば並外れた力が得られるという保証はなく、それとは逆に恐ろしいほどに圧倒的な強弱が存在する、ということがこの都市に来て春人は嫌というほど理解してしまった。
都市にある各学校の入学・転入を手続きを行う際にて、入都管理局という施設において独自の身体検査後、γ-グリフェプタン、変異ドーパミンなどの有機化合物を希釈して人体にナノマシンとして注入させ、各感覚神経を増幅させることにより超能力を発現もしくは知的水準の向上を図る。それがこの都市における能力開発の第一段階である。
元々は軍事目的で運用をしていた中華人民統一連邦の極秘研究施設から持ち出され、民間用へと転用された技術。それが現在認知されている超能力のことであり、その成果は目覚ましく全体の知能指数が凄まじいほどに上昇しているおり、西の御三家筆頭である灘高校──数年間分の過去の入試問題を解いて、合格ラインに達しているため──に入学できる春人と、同様の学力を有している中学生が普通に両手で数えられない程度には存在するのだ。
だが、その代償も当然あり自身の能力は正確に序列分けをされ、評価外扱いのレベル0の無能力やレベル1の低能力などの階層になった者は、エリートと落ちこぼれの境目になるレベル4の大能力者から馬鹿にされ、自信喪失に陥ってしまう。そうなればさきほどの不良集団の一員として階段を転げ落ちるようになっていく。
実際、超能力を発現し、目視で現象を確認できるのはレベル3からであり、それ以下な階層になる者は全体の四割程度で軍事目的ではあまりにも非効率的の類いだ。しかし軍事目的で開発されていた当初と比べると発現率は向上しているらしい。
「……多感な時期に超能力なんてものを有するなら、倫理観の欠如を進行させる教育もチラホラ見られますし、『オッターヴォ』全体でなにか巨大な実験を行っている可能性もありそうです」
真宵がそんなことを言って、この都市の異常性を指摘していった。
それに春人は、間を置かずに同意する。
「だな。超能力開発の新機軸基礎理論の提唱者にして、国際学術都市『オッターヴォ』開発産業統合戦略本部の本部長を務めたあと、同都市中央理事会初代統括理事長に就任したアレン・クラウンという性別と経歴以外が一切不明な男にさっさと真意を聞きたいところだ。……でも、とっくの昔に死んで故人になってるんだっけか」
「……はい、そうです。一九六〇年代から二〇〇〇年までの四〇年近く初代統括理事長に就任したあと、都市内にある名前非公表の病院にて心不全になりそのまま亡くなったそうです」
春人の『オッターヴォ』での設立に関する詳しい真実の奥の奥へ迫ろうとするも、最重要人物のアレン・クラウン氏が二〇〇年近く前に亡くなっていると真宵に問い、春人の不正確な部分を質問にて淡々と正確性を持って答えていく。
「なら、いまの統括理事長に直接聞けば自ずと答えはわかる。……でも、非公認魔導師のテロを警戒して中央理事会の本部所在は、公式サイトから匿名のネット上に書かれていたものや都市での噂話も含めて全部ダミーだったのが、この約二ヶ月間での収穫、と」
「そうですね。……実際色々とおぞましい正体を感じさせてきます。都市でありながら、実態は国家そのものですよ。規模で言えばアメリカ並の情報秘匿体制を構築していて、超能力者の保護を建前に長大な目的を達成しようという意図が散見されてますよ。本音を言えば私は関わりたくない、って思いが大きくなるばかりです」
『オッターヴォ』の陰謀めいた闇の深さが、思った以上に奥深くありそうで、詳しく調べるのに骨が折れそうな気配が立ち込めてるので、若干なりとも辟易する春人。
実際、国際学術都市『オッターヴォ』は詳細について知らぬ一般人の者でも、日本帝国内にあるもう一つの国、と揶揄する者がいるくらいだ。
そんな『オッターヴォ』の全容のほんの一部だけで、精神的に参っているようで、内偵任務を任され、超能力者の戦力状況、不確定要素がある世界認識操作装置による計画、そして潜んでる可能性がある黒導結社の情報のそれらを調べる難解さに真宵は愚痴をつい零す。
「ま、悩んでいてもしょうがねぇ。タイムリミットは三年、いや三年もないかもしれねぇんだ。些細な違和感でも感じたらこと細かく調べるしかねぇよ」
気弱になり丸まっている真宵を発破かけるつもりで、春人はそうなにかを決意するかのように言い切った。
そんなやり取りをしつつ、二人は朝食を食べ終わると真宵はマンション一階のエントランスへと向かって行き、春人は食器の洗いと部屋の戸締まりをして、学校指定のバッグを肩に掛けて、バイクが置いてある駐車場へ向かうのだった。