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プロローグ 絶望の襲来

 ランタオ島。

 それは中華人民統一連邦──中華連邦──の南部にある独立統治領、香港民国(一八年前に中華連邦から独立し、世界連合から国家承認を受ける)が有する同統治領最大の島で鉄道や道路で市街地を結んでいる。

 しかし元は田舎の島で林道ハイキングや海水浴、大仏参拝をする人が訪れる程度であったが、島東部に高級住宅地である愉景湾ディスカバリー・ベイが造成され、多くの海外駐在員とその家族が暮らしはじめた。その後、香港国際空港や世界有数のテーマパークがオープンするなど目覚ましい発展を遂げた。

 そんなランタオ島の愉景湾ディスカバリー・ベイにて父親の仕事──貿易業の香港支店代表者──の都合で当時十歳だった蒼崎春人は家族と住むことになり、初等から中・高等過程までの教育、そして魔種ノワールの区分である人型魔種ワールヒトとの共存を目的としたディスカバリー・ノワール・カレッジに一つ下の妹である結菜ゆなと一緒に通学していた。

 人型魔種ワールヒトは個体差として比重は違えど、生まれながらに知力、体力、容姿など人間の素養を部分的に秀でて上回るが、長命であるゆえか子孫を残す能力が人間の十分の一程度しか持たないことが多い。なので香港のように人間の住まう地域において極めて稀ではあるが人型魔種ワールヒトの保護を受け入れているところもある。

 だがその立場ゆえに、香港は魔種ノワールを憎む最大最悪の過激武装組織「解放戦団」の襲撃を受けることとなった。


「急げ、春人!」

「結菜! がんばってぇっ!」


 やや息を切らせた父の声と、うわずった母の声。それらを簡単にかき消す轟音とともに、巨大なけだものが膨大に飛来する。上空に舞い降りたのは滅びの悪魔を思わせる。二本の角と四枚の翼を持ち、さらには蠍の尾を生やした異形の怪物だった。それは凄まじいスピードで飛び回り、浴びせられる砲火を避けて、五つの口から炎をほとばしらせた。春人は一瞬、その光に目をかれる。

 彼らは居住地から少し離れたテーマパークで遊んでいたが、ディスカバリー・ベイ埠頭が爆破も伴う襲撃を受けバスも動けないほど交通麻痺になったので、確実に避難するため徒歩で北部にある香港国際空港をめざしていた。

 ここ愉景湾ディスカバリー・ベイが置かれている離島区南部には香港兵器工業団有限公司という国営企業が拠点を置き、グループ傘下企業による装甲車、無人偵察機などの航空機、ミサイル、水陸両用車、爆弾類の軍事製品の製造を主に行っていたため、解放戦団における香港制圧戦の主体たる標的のひとつとされたのだ。

 第三次大戦で用いられ猛威を振るった生物兵器である巨大な怪物、甲殻類(Lron sell)捕食(Predation)変異(Shape)生命体(Shifter)──いわゆる鎧殻獣ルプスの群れ、そして光線やミサイルが飛び交うそらには、すでに幾筋いくすじもの黒煙が立ちのぼっている。瓦礫の山で作られた荒廃した道を走り続ける春人たちの目に、倒壊したビルを通り過ぎると離陸する旅客機の姿が見えた。空港には脱出用の旅客機の他にも、空港に近づけまいと怪物を追い払う戦闘機の音も聞こえる。おそらく香港防衛軍の人間が避難民を賢明に誘導させているのだろう。あと少しだ、と──春人は安堵あんどしかける。

 いまにも泣き出しそうな顔で、母に手を引かれ走っていた妹の結菜が、そのとき不意に声を上げて立ち止まりかけた。


「ああん! 結菜の携帯っ!」


 バッグから赤色の携帯電話が飛び出し、道にそれて林の中を転がり落ちていく。


「そんなの今はいいから!」


 拾いに行こうとする結菜を、母が必死に引き戻した。それでも結菜はなおも思い切れずに、林道の奥を目で追う。禁踏不浄区域フェイス・ボーダーの影響下で民間人は簡単に遠距離通話ができなくなったものの、国内でなら問題なく使える携帯電話をやっと買ってもらった結菜はとても気に入っていた。離島区最南部にもある禁踏不浄区域フェイス・ボーダーのせいで、使用制限がかかり三時間程度になっても、片時も手放そうとしないくらいには。


「ぼくが取ってくるよ」


 それを知っていた春人は言うや否や、転がり落ちる携帯電話を追って林を滑るように駆け下りた。自分なら身軽だし、拾ってすぐ追いつける。

 赤色の携帯電話は石に当たって止まった。春人は腰をかがめ、それを拾い上げ結菜のほうへと視線を向けようとした瞬間、耳をろうする轟音が全身を殴りつけた。

 視界が強制的に回る。

 気がついたとき、春人は林道の一番下まで転がり落ち、市街地のアスファルトに叩きつけられていた。

 春人は唖然あぜんとして周囲を見回した。まるで背景がすげ替えられた舞台のように、あたりは一瞬にして様相が変わっていた。林は大きくえぐられて赤茶けた土が露出し、木々は倒れ、あるものは炭化してぶすぶすと煙を上げている。それが怪物から放たれた光線の直撃によるものだと、そのときの春人には理解できない。

 当惑しながら起き上がった彼に、避難民の誘導に当たっていた離島区署アイランドガードの警官が駆け寄り、気遣わしげに声をかけてくる。だが爆発の衝撃をまともに食らった耳には、その声もぼんやりとしか届かない。呆然としていた春人は、警官に肩を抱えられ、その場から引き離されそうになってはじめて我に返った。

 結菜は……両親は!? 

 春人はそのときになって、自分が目にしている光景の意味に気づいた。さっきまで彼と家族が懸命にたどっていたアスファルトの道路は、砲撃により大きく切り取られ、ひさしのように突き出したアスファルトの下から、いまもパラパラと土砂が崩れ落ちている。木々がなぎ倒され、大きくえぐられた穴の中心地──そこが、ついさっきまで春人自身のいた場所だった。爆発の衝撃で、道から離れていた春人だけが、運良く林道の下まで吹き飛ばされたのだ。

 全身の血が一気に冷たくなったように感じた。春人は警官の手を振り払い、よろよろと駆け出す。


「父さん……母さん……!? それに結菜は……!?」


 穴の周囲に動くものの影はない。春人は積み重なった土砂の向こうに、力なく放り出された手を見つけて声を上げる。


「結菜!」


 妹の姿を求めて駆け寄った春人は、しかしそこで凝然ぎょうぜんと立ちつくす。見覚えのある服の袖口から、小さな手が覗いている。だが、()()()()だ。

 妹の体に続くはずの腕は中途で断ち切られ、その先にはなにもない。

 春人はぎくしゃくと視線を前に向ける。すると、えぐられた大地のあちこちに、掘り返された土塊の一部のように転がるものが目に入った。無造作に地に投げ出された塊──焼け焦げた衣服の残骸をまとわりつかせ、ねじくれた形で横たわるそれらが、家族の変わり果てた姿だった。ついさっきまで自分に触れ、話し、動いていた者たちが、一瞬にして物言わぬ塊と化していた。春人は意志を持たぬ人形のように小さな手のかたわらに座り込む。

 まるで自分に向けてさしのべられたような手に、彼は震えながら手を伸ばしかける。そこで、自分がまだ赤色の携帯電話を無意識にかたく握りしめていたことに気づいた。喉元に言いようのない何かがこみあげる。悲しみ、恨み、憤り──そんな言葉では言い尽くせないほどの感情。それは彼のちっぽけな体を内側から食い破りそうなほど大きかった。彼は天を仰いで獣けだもののように吠えた。

 上空を飛び交う死と汚染をまき散らす鎧殻獣ルプスたちの光線が、戦場を蹂躙するミサイルや砲弾が、その幼き少年の瞳に焼きつけられる。圧倒的な理不尽な力を前に、普通の平和を当たり前のように望む十歳の春人から見れば、あまりにも無力で残酷な現実だった。



 春人が香港離島区から避難して少し時間が経った頃。

 香港を襲った「解放戦団」による未曾有のテロ襲撃に対して、国際機関は生物兵器(Biological)化学兵器(Chemical)──B・C兵器──に対応した軍事戦力部隊を即時派遣し、香港全域で暴れていた鎧殻獣ルプスを瞬く間に鎮圧。

 二一九二年に起こった出来事である。

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