96 1594年1月9日 名護屋城攻城戦4
1594年1月9日 肥前名護屋城
名護屋城の改修工事が始まった。名護屋城本丸の北側に天守閣があり、左右は二の丸と三の丸が有る。北側が弱点なので天守閣より200メートル離れた位置に高さ3メートルの馬防柵が作られた。
当時の大砲の射程距離は500メートルなので心許ないが地理的に仕方ない。
天守閣の高さは 50m(建物40m+天守台10m)、天守台の幅は50m四方なので1辺が幅54m✕高50mの外足場が掛けられる。天守閣7階は20m四方なので最大15mはツナギ足場となる。このツナギ足場を介して外壁改修用の足場が掛けられる。
外足場の幅が4m違うのは足場の幅が2mだからである。
足場は日本の大手建設会社・鹿ノ島建設が特命で受注した。内外足場や仮囲いが2万平方メートルになるが、5000万円だと2500円/平方メートルとなる。適正価格だと思える。
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ポルトガルのカトリック司祭、宣教師ルイス・フロイスが麻奈と可奈を伴って各陣屋(屯所)を訪問する。
麻奈と可奈は3日前にルイス・フロイスに洗礼を受けた。洗礼前の教えは2日間・計6時間だった。
小西行長:「おお、これはルイス・フロイス様、ようこそおいでなされた。このアウグスティヌス(洗礼名)はデウスに使えし者にて喜びに耐えませぬ。」
ルイス・フロイス:「アウグスティヌスに、神の御加護は有らんことを。」
ルイス・フロイスはキリストの十字架を小西行長の首に掛ける。
小西行長:「おお、これは勿体なき御璽、行長、終生大事に致します。」
麻奈・可奈:「行長様、それには司祭様と私共の祈りが込められています。どうか肌身離さずにお過ごし下さいませ。」
麻奈・可奈が異口同音に華麗なハーモニーを奏でるように言葉を発すると、それはまるで天使の声である。
さらに3人が「主の恵み」の讃美歌を奏でる。
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今までのすべてが主の恵み
主の恵み、主の恵み
今までのすべてが主の恵み
主の恵み、主の恵み
今までのすべてが神の子とされている
主の恵み、主の恵み
ここにいることさえ主の恵み
主の恵み、主の恵み
ルイス・フロイスと麻奈・可奈は、30近い屯所の全てを回り、御璽の十字架を信仰に拘わらずに掛けていった。ただしICチップが入っているのは、( 借金が有るため死んではならない人間 )だけである。どうでもいい大名は適当に切り上げる。素材は金では無く黄銅、今の五円玉と同じ素材である。
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さらに秀吉の小姓達が階級章の付いた陣羽織を大名に進呈する。階級章には個体識別用のICチップが縫い付けられている。
小姓たちは手分けして大砲にステッカーを貼る。【大砲狩3年間免除】のカードである。これにもICチップが埋め込まれている。一度貼ったら簡単には取れない。強力粘着テープが使用されている。
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村上景子:「準備が整ってきた。もう少しだな。」
織田信孝:「これなら勝てるだろう。だが戦闘は生き物じゃ、どう動くかは判らん。油断大敵じゃ。」
村上景子:「ひと段落したら釣りへでも行くか。其方に貰った漁具を持ってきた。」
織田信孝:「あれで其方を誑かしたのは安い買い物であった。」
村上景子:「馬鹿を言う出ない。男と女子は横一列じゃ。誑かすも誑かされたも無い。」
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(後述)
戦は難しい。準備を省いて大日本帝国のような戦術面だけ検討して、世論や国際情勢を蔑ろにすると初戦に勝っても最後は負ける。もっとも太平洋戦争はどう転んでも負けだった。