95 1594年1月6日 名護屋城攻城戦3
なかなか戦争が始まらない。近代兵器を使えば16世紀の軍隊など、壊滅は容易いとお思いだが、16世紀後半は鉄砲も大砲もある。油断すると在日米軍のように酷い目にあう。
1594年1月6日
関白・豊臣秀次から(大砲狩り令)が発せられた。と同時に(関白検地)も布告された。
豊臣秀吉の役職は筑前守と太宰府守である。実力者であるが立法権はない。
豊臣秀次:「叔父上、いい加減に朝廷の冠位をお受けなされ。何時までも筑前守では具合が悪う御座います。」
聚楽第の秀次から衛星通信が名護屋城に入っている。6階の執務室であるが、書類が山済みで手狭になっている。
豊臣秀吉:「んっ、筑前守や太宰府守は、朝廷の役職では無いのか?」
豊臣秀次:「まあ、太宰府守なら九州一帯は問題ないですが。」
豊臣秀吉:「じゃ、そうしよう。冠位は銭が山程いる。」
― ― ― ― ―
島津忠恒:「関白・秀次様より大砲狩り令が発せられました。大砲を鋳潰して鍬や鋤にしろとの事です。」
島津忠恒は島津義弘の嫡子で、後に家広と改名するが同名の叔父がおり、初名で呼ばれる事が多い。
島津義弘:「そのような戯け無理に決まっておろう。」
島津忠恒:「秀吉様より査察が有るとの事ですが、如何いたします。」
島津義弘:「捨て置け。好きにさせよ。」
― ― ― ―
1594年1月6日 名護屋城7階展望室
村上景子:「(八咫烏)が使えぬ。」
織田信孝:「やはり、無理か。敵の屯所が近すぎるな。喉元に入られ過ぎじゃ。」
村上景子:「流石だな。(兵部卿中将・織田信孝殿」
織田信孝:「ならば我が騎馬隊で出撃いたそうか。その方が面白いが。」
村上景子:「30騎ばかりの騎馬隊で何とする。敵は20万、しかも戦慣れしておる。」
織田信孝:「さらに、帰る場所の無い、追い詰められた(死兵)になっている。」
村上景子:「火縄銃5000丁に大砲100門。」
織田信孝:「これは勝ち目は無いな。逃げるか?」
村上景子:「それが良いな。されど面白くなってきた。」
織田信孝:「まさしく、その通り。因島村上水軍頭目にて、能島、来島水軍をも束ねる総首領、村上景子殿にても、この囲いは破れませぬか。」
村上景子:「まあな、食い破らねばなるまい。」
そこまで言ってから、2人は楽しそうに笑った。「これだから戦は面白い。」2人の目がそう囁いていた。
― ― ― ―
(1594年1月6日 名護屋城1階)
豊臣秀吉:「はぁ?名護屋城の外壁改修工事?」
茶々:「そうです。だいぶボロくなったので、瓦の雨漏れ防止と外壁塗装にて1月9日より工事にかかります。」
秀吉:「して、いくらかかる。」
茶々:「足場だけで1000貫(5000万円)。」
秀吉:「そうか、足場が無いと改修は出来ない。仕方ないな。」
茶々:「それでは工事に差し障りの有る大名の屯所の移動の下知をお願い致す。」
秀吉:「それで総額はいくらじゃ、3000貫はいるのか?」
茶々:「はぁ?どこにそんな金が有りますか?足場だけで精一杯で御座います。」
秀吉:「???・・・あい、判った。好きに致せ。」
茶々:「はい、元よりその積りです。」
― ― ― ―
1594年1月6日 名護屋城の東の入江を挟んだ大友氏の屯所
大友義統は大友宗麟の嫡子にて宗麟の死後、名実共に豊後38万石の主にようやくなれた。偉大な父を持つと出番が遅れる。
大友義乗:「父上、筑前守より先の文禄の役における戦の仕儀について、問い合わせたき事有るゆえ、登城せよとの仰せです。」
大友義乗は大友宗麟の孫にて、大友義統の嫡子、齢17歳の凛々しき若武者である。
大友義統:「相分かった。」
大友義乗:「それと、来たるべき李舜臣の襲来に備え、塹壕を掘れとのお達しに御座います。」
大友義統:「李舜臣?、塹壕?、先日は大砲を鋳潰して鋤・鍬にせよとのお達しにて、本日は朝鮮水軍の来襲への備え・・で有るか。いささかチグハグよのう。」
― ― ― ―
(1594年(西暦2037年)1月6日 現代日本)
笛吹優子:「李舜臣様、如何ですか?、貴方様が主役の映画は面白うございましたか?」
李舜臣:「いゃ、なんとも。船の動きの速き事、我らの時代の遠き及ばぬ事とて仰天いたした。」
笛吹優子:「李舜臣様、今度は横須賀埠頭に行きますか?在日米軍の空母がおります。後学のため見聞なされますか?」
李舜臣:「もう良い。腹一杯じゃ、この国のあり様、我が祖国が足元に及ばぬ事、重々承知した。」
笛吹優子:「腹一杯と言えば如何です。今晩は蟹料理に致しませんか。転移以来、蟹の価格が下がりまして、私共でも気軽にでは有りませんが、手の届くお値段になっています。」
李舜臣:「ほう、蟹料理とな。モクズガニかな。あれは美味いが身を取るに苦労致す。なれど笛吹殿のお勧めなら間違いなかろう。馳走に預かろう。かたじけない。」
16世紀はカニかご漁も底引き網も未発達であり。底物は取りにくい。モクズガニは浜辺で採れる小型の蟹である。
全席個室 料亭 瓢喜 赤坂店
(蟹ずくし & 舟盛り大漁) の料理がテーブル狭しと並んでいる。毛ガニ、花咲ガニ、タラバガニ、ズワイガニ、さらには鮑、馬糞雲丹、海老などの刺身、陶板焼きは和牛ステーキと豪華である。
笛吹優子:「ささっ、どうぞ、まずは一献。」
清酒がお猪口に注がれる。李舜臣が口にして驚く。この頃は濁り酒が一般的であり、清酒は16世紀後半に諸白造の製法が出来てからである。
李舜臣:なんと大きな脚であるな、この蟹は・・・(ガブリ)・・うむ・・見事な味じゃ。」
笛吹優子:「それは正真正銘のタラバガニにてアブラガニでは御座いません。」
李舜臣の料理を平らげるスピードが加速されていく。
李舜臣:「・・・・・ウマ・・・・・ウマ。」
瞬く間に笛吹優子の分も平らげ、更にはお変わりまで運ばれてくる始末である。
-----
ここで、年始から行われた【攻城戦】の経緯を紹介する。
・大砲の鋳潰し令による鋤・鍬の製造指示。
・名護屋城外壁工事と、工事に伴う仮囲い設置。
・朝鮮・明水軍の来襲に備えての海岸側の塹壕堀り。
・大友義統への文禄の役での懲罰の軍議。
----
さらには
・大砲の鋳潰し猶予の許可書貼り。
・大名に対するイエスズ会による護身の十字架贈呈。
・大名への階級章の下賜。
-----
聡明な読者には、これらが意味する事はお判りであろう。戦争が始まった時点で80%勝敗は決している。大事なのは調略・兵站などの事前準備である。名護屋城攻防戦の準備は着々と進んでいる。