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89 1593年12月5日 文禄の役は大勝利

挿絵(By みてみん)

黒死病


1593年12月5日、肥前名護屋城 1階の大広間 戦評定 論功行賞


上座 豊臣秀吉・ 豊臣秀頼・ 茶々

中座 石田三成・ 森蘭丸・ 評定奉行

下座 文禄の役に出陣した武将30名余 小西行長・ 加藤清正・ 小早川秀包・ 島津義弘など。

-----

2度の中断の後の戦評定・論功行賞が再開した。午後1時に始まったのだが刻限は3時になっている。


秀吉:「さてさて、度重なる中座(ちゅうざ)、申し訳ない。して、皆の者に儂から報告がある。」


小西行長:「なんで御座いましょう。」


文禄の役の総奉行にて戦評定を取り仕切る役割の石田三成は黙っている。


秀吉:「そこにおる茶々と儂の子が出来た。秀頼じゃ。」


一同が(ざわ)めく、2回目評定から秀頼を(かか)えた茶々がいたのだが、一同殺気立っており気付いても口に出す者はいなかった。

それに普通は戦評定は女子供の出る幕ではない。

しかも幼名でなく、いきなり元服名である。

― ― ― ―


(少し時間を遡る。)

午後1時30分、戦評定が始まって30分、秀吉の控え室


森蘭丸:「いゃ、見事なもので御座いますな。小西行長を投げ飛ばし、島津義久を背負い、小早川秀包を転がし、さらにはバッタ、バッタと投げ飛ばし、最後は加藤清正を絞め落とすとは、目にも止まらぬ早業でした。」


茶々:「なんと、蘭丸、目にも止まらぬ早業を見てたのか!」(そっちかよ!)


と言うような訳で面白そうなので茶々も同席する事にした。

― ― ― ― ―


(現在に戻る)

小西行長:「おめでとうございます。秀吉様。して秀頼様とは元服されたお名前で御座るか?」


秀吉:「そなたの洗礼名アウグスティヌスの様なものじゃ。まぁ、良いではないか。」


秀吉は咄嗟(とっさ)に切替えした。小西行長の洗礼名を覚えていたが、我が子の幼名は知らなかった。


小西行長:「何と!我が二つ名までお見知りとは、行長!感服致しました。有難き幸せにございます。」


流石(さすが)、人たらしの秀吉である。何故か影武者も同じ(技)が使える。猛勉強の成果である。


秀吉:「皆々様方、今後とも、秀頼の事、くれぐれも宜しくお頼み申す。」


小西行長:「勿論で御座います。今後とも上様にお使え申す。」


豊臣秀吉:「皆の衆、御苦労であった。漢城(かんじょう)、平壌を落とし、豆満江(ずまんこう)を越えて、満州まで攻め入りし戦い、我が日の本の力を見せ付けし事、アッパレである。」


小西行長:「有難きお言葉に御座います。されど明国の和議と申しての騙し討ちなる卑怯千万な行い、さらには女真共の(いくさ)、あれは我らを家畜の群れ同然に扱いし所業にて、戦の常道に反しております。」


豊臣秀吉:「ふむ、さもありなん。(まさ)しく卑怯千万なる敵軍の戦い。見事なりし。」


小西行長:「・・・卑怯千万が・・・見事とは・・如何に?」


豊臣秀吉:「見事なるゆえ、見事と申した。さらには、あの様な明国の子供騙しにまんまと引っ掛かるとは。そなたもそなたじゃ。」


小西行長の目が見開かれる。今にも秀吉に襲い掛かからんとする形相に瞬時に変わる。どうも感情の起伏が激しい。しかるに、無論、襲い掛からない。受け身も出来ないから今度は首の骨を折られかねない。


小西行長:「何と、上様とて言葉が過ぎまする。我らが敵地にて、飲まず食わず、生きるか死ぬかの戦をしていた折、上様は内地にて何をしておられた。」


小西行長が食ってかかる。小西はキリシタンにて使える(あるじ)は秀吉ではない。


豊臣秀吉:「われは名護屋城にて日々、武器、兵糧の調達、船便、戦の状況把握、戦略を練っておった。されど我が(めい)に従わず満州まで行って、かのヌルハチ殿と相まみえるとは、恐れ多いわ。」


流石に茶々と子作りに励んでいたとは言いにくい。さらには唐津の「花菱」での贅沢三昧は極秘である。


小西行長:「・・・ヌルハチ?・・殿?・・・あの者、満州沿海(えんかい)の蛮族なりますが?、なにゆえ?」


豊臣秀吉:「あの者とは(たたか)ってはならなんだ。」


※ 女真族との和平交渉は先年のオランカイ会戦の直後から在日米軍を通じて進められてきた。

日本側からの賠償は、銀延板を500丁、これは現代日本では約5000万円だが経済規模を考えると3億円以上になる。

西洋式斧を300振り、バルディシュという斧と槍の機能を持つ。戦闘力が高いが形状からして鋳造が困難である。現代日本で秘密裏に製造された。武器を女真族に渡すのだから完全降伏である。


※なお、在日米軍は鉄と石炭の採掘に女真族の労働力に頼っていた。現代日本にとっても女真族は大事である。 (7話・撫順フーシュンと鞍山アンシャン参照)


末席で当事者の加藤清正が合点がいかぬ顔をしているが、清正に説明する時間は無い。


豊臣秀吉:「皆の者に次ぐ。今度(こたび)(いくさ)は我が軍の大勝利じゃ!!、朝鮮、明国、それぞれ我が軍門に平伏した。各々方(おのおのがた)(いくさ)ぶり見事で有った。それぞれ褒美を取らせるゆえ、(しばし)し待たれよ。」


小西行長:「なんと、、勝ち戦、、と申されるか。」


豊臣秀吉:「そうじゃ、大勝利じゃ。なにか不服でもあるか。」


場内の諸将にざわめきが起こった。石田三成が唖然としている。茶々が面白そうに笑っている。更には森蘭丸が頭を抱えている。それぞれの思惑が交錯しているが、秀吉には勝算が有った。

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※ 戦争の勝ち負けは誰が決めるのだろう。関が原の戦いや桶狭間合戦のような、勝敗がハッキリしているのは、むしろ稀である。

信玄と謙信の川中島合戦のように、双方、(おびただ)しい死傷者を出そうとも、双方が勝利宣言を出している。

領地の所有が一所懸命の中世では、勝ち負けの基準だったが、文禄の役では所領は要らなかった。

というよりも戦乱により徹底的に破壊された田畑や社会基盤は、富を生む所領ではなく荒野でしかない。


※その朝鮮半島の荒野を更なる焦土とすべく掃討戦が繰り広げられようとしていた。

戦乱に疲弊した370万人が残された半島に、秀吉軍の15万の戦力をも遥かに凌駕する【死の軍隊】が半島を蹂躙(じゅうりん)する。

この【死の軍団】の掃討戦により、半島の人口は100万人まで落ち込み、生き残った者も地獄の鬼も近寄れない、地獄の底の黒鬼になったと言われる。飢餓と黒死病(ペスト)の蔓延による。










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