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86 関ヶ原 異聞5 東西18万消滅

関ケ原異聞は今回でひとまず終了予定です。次回から露梁海戦後の世界転移世界(1593年11月)に戻ります。(58話影武者 豊臣秀吉 12 嘉藤治五郎)名護屋城での嘉藤治五郎VS小西行長からの続きです。

挿絵(By みてみん)

小田原征伐


前話(85 関ヶ原 異聞4 逆賊・徳川家康)より抜粋

・石田三成は東軍先発隊約4万を政府軍と考え、徳川家康討伐隊として総攻撃の準備をしていた。

総兵力は15万以上で小田原征伐に匹敵する20万近くを目論んでいた。家康の総兵力は7万である。

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小田原征伐や、大坂の陣を上回る日本の最大兵力が投入されないと徳川家康討伐は難しい。

少なく見積もっても寄せ手の兵力3倍の法則により21万の動員が必要である。

さらには九鬼水軍・脇坂水軍による江戸攻め、上杉景勝・伊達政宗による白河口方面からの侵攻、

東海道からの主力部隊による家康本隊殲滅、中山道の別動隊による秀忠隊殲滅と4方向からの海と陸による包囲・波状攻撃にてようやく最強の逆賊・徳川家康を(ほうむ)れる。


ここまでは、ある程度考えられる戦略的常識である。


ただし、圧倒的勝利にて徳川軍団を葬ろうとも豊臣政権の存続は難しい。勝利を得たのは総大将・毛利輝元と小早川など毛利一党、さらには家臣の豊臣秀吉に虐げられてきた織田家の後継者達である。

飾り物の秀頼を()えようとも実力主義の戦国時代では意味をなさない。秀頼の出生の秘密など、どうでも良い話である。たとえ実子でも実力が無ければ塵芥(ちりあくた)である。


この状況で豊臣秀頼と豊臣政権が生き残る手段は一つしかない。それは両軍共倒れである。

徳川家康も毛利輝元も石田三成も黒田長政も福島正則も織田秀信も、、

すべて戦に(いくさ)て消滅してしまえば【豊臣の元和偃武】は成立する。


※両軍全滅は史実では(いささ)か難しいが移転世界では造作もない。


【参考】:史実に忠実な方は是非読んで頂きたい。こちらが正論である。

・「内府ちかひの条々」で、13か条の家康の悪政非道な弾劾・糾弾する西軍から送られた宣戦布告

・ 家康の側近・村越直吉が福島正則達に

「清州にいらっしゃる皆様方が出陣なさらぬので、我が主・家康が出陣出来ぬ」

「臆病者とは一緒に戦えない」と言った。


※全文を掲載すると問題が有るのでWebにて確認して頂きたい。




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