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影武者 豊臣秀吉 24 家康vs治五郎 7

物語は意外な展開になる。名護屋城の大名配列のイラストが有ったので載せておきます。

挿絵(By みてみん)

名護屋城の大名


1592年(天正20年)10月15日

肥前・名護屋城 6階 森蘭丸が3日間の休暇の後、業務に復帰した。


10月10日の撮影の後で、森蘭丸と織田信長の(関係)が発覚して、心配した茶々が、翌々日の12日の朝9時に、先日「花菱」で一緒なった本多忠勝の診断書を取りに行かせた。

京都総合病院・唐津分院に着いた森蘭丸は、医師から忠勝の検査結果を聞かされていた。


医師:「本多忠勝、唐瘡(とうがさ)(天然痘)、梅毒、マラリア、は陰性、寄生虫は陽性です。まぁ、この時代の人間なら当たり前ですが治療しますか?治療しても寄生虫は耐性が出来ないから、食物を変えないと無駄ですが。」


森蘭丸:「あの、私は、その本多忠勝では有りませんが。」


医師:「知ってますよ。森蘭丸さんですね。茶々様から、ついでに説明せよと言われましたから。」


森蘭丸:「はぁ?ついでと申されると?」


医師:「そこの寝台に、下着を脱いで仰向けに寝てください。」


森蘭丸:「何ですか、藪から棒に、、私はそうゆう趣味はありません。」


医師:「私もそうゆう趣味は全然ありませんが、仕事ですから仕方ないです。」


森蘭丸:「帰らしていただきます。」


医師が目配(めくば)せをすると看護婦が2人と検査技師が1人出てきて4人で蘭丸の下半身を剝き出しにして

ベッドに仰臥(ぎょうが)させた。もはや、まな板の上の鯉である。蘭丸は観念した。診断の結果、即刻入院が決まった。

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茶々:「蘭丸良かったのう、手術はしなくて良いそうじゃ。当分、(しょく)養生と投薬と塗り薬だそうだ。少々良くなったとて油断せず治療を続よ。」


森蘭丸:「判り申した・・・。」


茶々:「して、膏薬(こうやく)は付けておるか、見せてみい。」


森蘭丸:「嫌で御座います。」


茶々:「ならん。」


蘭丸は仕方なくズボンを(おろ)す。袴ではない。痔の治療用の前開きのパンツを履いている。


茶々:「前を開いて見せてみい。」


蘭丸はどうでも良くなった。少し恥ずかしいが、それも好きだ。そうゆう嗜好であり、茶々と相通じるものがある。


前開きの布を取ると、蘭丸の陰茎が露出する。陰毛はクラミジアの治療のため剃っているが、後からその必要は無いと判った。どうやら茶々の指示による全剃毛と推測される。


茶々:「いいのう、毛が無い陰茎は可愛くて良いわ。これからそう致せ。」


森蘭丸:「そう致します。」


蘭丸も全剃毛は気に入っているようだ。そうゆう嗜好であり、茶々と相通じるものがある。


まだ、午前中なので2人は山積みの業務処理に取り掛かった。森蘭丸が入院中に溜まったのと、茶々が早引けして徳川家康の所に日参していたので山ほど有る。軍費の請求書、関白秀次からの借用書、軍事計画書であるが目を通さないと、とんでもない物があり、メクラ判を押す訳にはいかない。


森蘭丸:「毛利輝元殿の秀次さまからの借用書ですが、かなりの巨額です。如何が致しましょう。」


茶々:「この金額では、こちらでは同意は出来ぬゆえ、個々に連座致せとの(ふみ)を付けよう。」


現代でいうと、連帯保証人の印鑑は押せないという事である。さらに毛利輝元の関白秀次からの巨額の借金は史実である。

ただし、これが後の秀次切腹事件や関が原での毛利勢や輝元のサボタージュに繋がるかは資料がない。

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1592年(天正20年)10月16日 午前中

家康は徳川の宿舎で政務をしている。名護屋城の東の海沿いである。上杉景勝は自分の屯所(とんしょ)に戻らせた。

唐津から遠いと文句をつけたが、いつまでも置いておく訳にもいかない。


本多忠勝:「毛利殿から書状が届いております。」


徳川家康:「なんだ、また新たな借金の催促か・・いくら貸しておるか、あの者判っておるのか。」


文禄の役が始まる前から、名護屋城周辺では各大名の熾烈な合戦が繰り広げられている。合戦といっても槍や刀の合戦ではない。銭の合戦である。


名護屋城に何故(なにゆえ)、各大名が集められていたか、後世では後詰(ごづ)めと言われるが、北九州まで誰が攻めて来るというのか疑問である。


【まずは兵を出せ、兵を出さぬなら銭をだせ。銭が出せぬなら、借金の連座の花押を押せ。】


徳川家康が朝鮮出兵を免除され(のち)に天下を取れたのは、遠国の関東という事情もあるが、家康の蓄財によるものかもしれない。家康の資金源については移転世界では明白であるゆえ、そちらで話を進める。












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