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影武者 豊臣秀吉 22 家康vs治五郎 5

徳川の関東視察の魅力的なキャラがいました。後述にもありますが、もちろんフィクションです。

挿絵(By みてみん)

江戸・品川



(お詫び)


74話 影武者 豊臣秀吉 21 家康vs治五郎 4

1592年(天正20年)10月12日 文禄の役開戦から半年


58話 影武者 豊臣秀吉 12 嘉藤治五郎

1593年(文禄2年)12月初旬、肥前名護屋城にて戦評定


※ 話の筋の関係で時系列が食い違っていますがご勘弁願います。

なお文禄1年は短いので天正20年に統一しています。

---------


1592年(天正20年)10月13日

家康は 肥前名護屋の旅館・大望閣のロビーにいる。時刻はちょうど正午である。

茶々:「竹屋の鰻重、買って来たぞ。一緒に食べよう。」

----(以下同文----)


徳川家康:「あの〜、今日も入れて宜ろしいですか?」


茶々:「うむ、入れたけば入れるが良い。ただし中に出しては駄目だぞ。」


ズボズボ・・・・・


徳川家康の自慢の一物が茶々の女陰(にょいん)に深々と挿入(はい)っている。


徳川家康:「如何でございますか。もそっと動かした方が(よろ)しいですか。」


茶々:「いやいや、このままで良い。昨日はメッチャ早すぎてつまらなんだ。」


徳川家康:「申し訳御座りません。何分、長く女絶ちをしておったため直ぐに出してしまいました。」


茶々:「さもあらん、しかも、あのような大量の子種(こだね)を我が口中に出すとは、どうゆう了見ぞ。」


徳川家康:「これにて御座います。」


徳川家康は旅館のテレビのスイッチを入れて、有料テレビに切り替える、10分で20文(1000円)だからボッタクリである。ちなみに先ほどの鰻重(特上)は2折で1貫(50,000円)である。為替レートの違いから現代日本の5倍になる。


徳川家康:「いかがでしょう、、カノ国では口にてまぐわい(性交渉)をして、口内射精をするのが男女の営みの一つとなっております。なかなか良き事かと存じます。」


茶々:「ほほう、家康殿は勉強熱心じゃのう。さすがわ日本一の種馬じゃ。おそれいる。」


徳川家康は自慢の一物を挿入したまま、AVの解説をしている。茶々も見ている。上下運動をしなければ女性も割と平静でいられるが、茶々は時々骨盤底筋トレーニングの要領で肛門に力を入れる。

茶々の膣は狭く家康の陰茎は大きいので、家康はたまらずうめき声を漏らす。


徳川家康:「茶々様、そのように女陰に力を入れなさると果ててしまいまする。」


茶々:「良いではないか。中に出せば、今日は月の物から12日であるから子の出来ぬ期間じゃ。」


徳川家康:「そうで御座いますか、いえいえ、されど本日は今(しば)し楽しみたいゆえご容赦ください。」


茶々は軽く舌打ちをした。流石は天下の三英傑、徳川家康である。隙がない。ちなみに筆者は安全日と騙されて痛い目に有った事が多々あるが・・・余談にて割愛する。


茶々:「のう、家康殿、あの者共のように口にてするは気持ちよいのか?女子(おなご)はムセ返って苦しそうであるが?さらには涙など流しておる。」


徳川家康:「あれは、女人(にょにん)共が気持ち良くて泣いておるので御座います。さらには、ああして子種を飲み込むとホルモンと申うす(くすり)女人(にょにん)を美しくするそうに御座います。」


茶々:「なに、それは誠なるか。やってたもれ。」


家康は茶々の膣から陰茎を引き抜き、そのまま茶々の口にいれた。茶々は(いと)わなかった。


ヌプヌプ・・・・・チュポン・・


茶々:「別に気持ちよくならんのだが。」


一度口から離して、茶々が家康に文句を言うと。家康が答える。


徳川家康:「それはフェ〇チオと申しまして、女人が気持ちよくなり、さらに美しくなるにはディープ〇ロートという作法にて行わなければなりませぬ。ちと失礼つかまつる。」


家康は茶々の口に人差し指と中指を突っ込んで指南を始めた。


徳川家康:「よろしいですか、このように舌を下げて喉の奥から(アー)と声を出すようにして、顎を少し上向きにして・・・・。」


家康が茶々に指南を始めた。ただし陰茎を喉の奥に入れ、さらには射精するのは女性にとっても男性にとっても危険を伴うので余り無理をしない事をお勧めする。せいぜいAVで楽しんで頂きたい。

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(さて、ようやく本題です。)

1581年 天正 9年12月 西暦2025年 日本国転移。

1583年 天正11年 2月 西暦2027年 NPKリサイクル法否決。NPK:(窒素・リン酸・カリ)

1583年 天正11年 3月 西暦2027年 徳川財団専務理事が品川に来る。

1586年 天正14年 4月 西暦2030年 徳川宗家19代当主の徳川家広 戦国日本に来る。

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1592年(天正20年)西暦2036年10月13日 江戸 品川湊


日本国摂政・佳志子皇太子:「いささか寂しき(みなと)ですね。」


徳川財団・徳川家広「転移前は寒村でしたが、急ピッチで開発が進んでおります。」


佳志子皇太子:「そうですか。それで私達が今晩、泊まる宿舎は大丈夫ですか。」


徳川家広:「江戸城・皇居内の御仮寓所(ごかぐうしょ)にてご用意しております。」


佳志子皇太子:「444年前の世界でも仮住まいとは面白い話ですね。」


徳川家広:「現在お住いの御所と寸分変わらぬお住まいにして居りますゆえ、ごゆるりとお過ごし下さいませ。」


佳志子皇太子:「徳川家広さん、なんか言葉使いが変ですよ。まるで時代劇です。」


徳川家広:「さに(そうら)えば、御座候(ござそうろう)、(大笑)」


佳志子皇太子:「苦しゅうない。良きにはからえ。(さわやかな微笑)」

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(徳川家仁 71歳)

徳川宗家19代当主 徳川秀忠様の子息:保科正之より連なる、政治経済評論家、翻訳家、作家、公益財団法人徳川記念財団理事長、長崎大学国際連携研究戦略本部客員教授、特定非営利活動法人公共政策調査機構顧問などの役職を歴任、現在、宮内省特別顧問の要職にある。

なお配偶者は恋愛結婚したベトナム人であるが血筋には天皇家ほど(こだわ)る必要はない。


(佳志子皇太子 42歳)

西暦2027年の皇室典範改正による王位継承法により選出された第1位の皇位継承者。

悠志仁親王、愛仁子内親王、佳志子内親王の三者にて、国民予備投票→国会議員予備投票→皇室会議→天皇採決によったが、実質、悠志仁親王一択の出来レースであった。

しかるに国民予備投票にて佳志子内親王が7割の得票を集めてしまう。記名式の国会議員予備投票は悠志仁親王6割:佳志子内親王2割:愛仁子内親王2割であったが、皇室会議と天皇の採決にて皇太子となる。

選挙結果にショックを受けた徳志仁天皇がサボタージュ気味になってから摂政も兼ねる。

ただし、即位しても女系天皇にて、男子系の悠志仁親王の子息男子に継承するとの決定であるが、現在30歳の悠志仁親王は未だ未婚である。


(後述)

もちろんフィクションで異世界の話です。佳志子内親王は(よしこないしんのう)です。












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